57 / 62
Perfume4. セラピストの不幸と歴史の秘密。
55. アマツバメが運ぶ手紙。
しおりを挟む
ヒサシの葬式でヒカルは喪主を務め、思っていたよりも淡々とその儀式は進んだ。
皆が他人の様子を伺いながら細かくしたお香、抹香《まっこう》を眉間に何度か寄せ、香炉にまぶす。何度眉間に寄せるか、これは場合により異なるため、自信を持って焼香する者は少ない。
小さい頃は抹香を七味唐辛子、香炉を豆腐だと思ってたな。
そんなことを考えているうちに、ヒサシは墓の中へと入ってしまった。四角柱形のありきたりな墓に入ってはもう、そこにいるのがヒサシなのか誰なのかなど確認しようがない。墓標に刻まれた“広瀬家”という苗字と、墓誌に刻まれた“久史”という名前のみがこの石をヒサシたらしめている。
未だ寒さ残る春だというのに、人々が入れ替わり立ち替わり彼に水をかける。墓石から滴る水を見ていると、ヒサシが育てていた植物たちを思い出す。
予約した食事処で、人々はヒカルに様々な言葉を掛けた。それはもちろんヒサシの偉大さを褒め称えたり、その偉大な彼の訃報を悲しむものであったが、その中にはもはや定型文となりつつある言葉も含まれていた。ヒカルが一番心を打たれたのは以前命を救われたという子供の、
「お医者さん、大好きだったの。だからね、死んじゃったのがすっごくすっごく悲しいの」
という言葉である。何の捻りもなく、もし大人が発したとしたら眉をひそめてしまうような言葉ではあるものの、彼のあまりにも純粋な瞳を見ると思わず涙が零れそうになった。
非常に豪華な食事であったが、ヒカルはほとんどその味を覚えていない。しかし、唐揚げを頬張った子供の幸せそうな表情は強く記憶に残った。
葬儀の日はクリニックを休業にしたが、翌日からは日常が訪れる。見慣れた通院患者も含めて多くの患者たちの診察をしていくうち、ヒカルの頭はヒサシのことを上手く処理しようとするのを感じた。抱いていた悲しみを丸めて出来た隙間に、患者のことやアロマのことを次々詰め込んでいくようなそんな感覚。
その様子を見ていたマコトは、彼にとってセラピストは“天職”なのだと思った。仕事中、それ以外のことを考えないのは当然、しかしそれにしても彼が元気を取り戻す勢いは尋常ではなかった。患者の回復とともに彼も回復しているようだった。
開院待ちの患者や予約して来院した患者の診察が終わり、少し時間的な余裕が出来てくる昼時、ヒカルとマコトは窓を横切る立派な鳥を見た。鳥は何度か右へ左へと飛んで減速し、クリニックの前に止まる。
マコトは初めて見る鳥を恐れて見て見ぬふりをしたが、ヒカルはそれが何かを知っていた。
アマツバメ。国際便として用いられる鳥である。水平飛行においてはハヤブサよりも速いと言われ、この鳥の利用には少ないとは言えぬ追加料金が掛かるが、そのぶん国を跨いだ素早い連絡が可能になる。
緑がかった翼と丸みを帯びた身体を持つその鳥は、外に出てきたヒカルをじっと見つめていた。尻尾にそっと触れても翼をぴくりとも動かさない。くちばしを撫でるとようやく翼を広げ、音もなく飛び去った。まるで自らが国際便という誇らしい役割を与えられていることを自覚しているようだった。
いつだかマコトに言われた通り、目につきやすい受付台の近くに置いて再び診察室に戻った。
それからおよそ十分。窓の外をまた鳥が物凄い速さで横切った。
しかし減速のため何度も窓を横切るうちに、その鳥はアマツバメではなくハヤブサであるとヒカルとマコトはわかった。
先ほどヒカルが取りに行ったこともあり、マコトが彼より先にと焦りながら外へ出ると、そこにはもはや見慣れたミカゲのハヤブサがいた。アマツバメとは異なってばたばたと騒がしく動いていて、その騒がしさはミカゲを彷彿とさせる。
受け取った手紙をどこに置こうかと受付台の上で手を彷徨わせていると、先にヒカルが置いたであろう封筒を見つけ、
「言った通りに出来てるじゃん」
と微笑みながら思わず声に出してしまった。受付にいたアヤノが、
「どうしました?」
と不思議そうに尋ねたが、ひらひらと手を振って、彼も診察室へ戻っていった。
昼食のとき二つの封筒を開けた。
アマツバメが運んできたのはペドロの手紙、ハヤブサが運んできたのはやはりミカゲの手紙。
エイゴが並んだ手紙をヒカルが読み上げる。
「明日頼まれていた文献を持ってニッポンに行きます。夜六時にそちらの空港に着いて、空港近くのホテルで待っているのでお時間の合うときに来てください」
いくらアマツバメが速いと言えども、ニッポンと伯剌西爾の連絡には相当な時間がかかる。それゆえに連絡を何度も交わすことが出来ないため、国を跨ぐ場合はペドロがしたように曖昧な約束をすることが多いのだ。
連絡手段が動物しかないことはやはり非常に不便であった。それを皆が分かっていながらもそれ以外の手段を生み出さない現状は、もはやヒカルたち一国民ではどうにもできない事情があることはなんとなく皆が察していた。
続いてマコトがミカゲの手紙を読み上げる。
「今日の夜、そっち行くから待っとき! 先生のことを聞いて、うちの院長がいろんなもの持たせてくれたよ」
その後に続く、
『ほんでマコトくんは今夜も夕食一緒に食べような』
という私信はあえて読み上げなかった。
二日続く訪問。そしてペドロが運んでくる文献。疑問がすべて晴れるのではないか、という期待がマコトの胸に満ちていた。
皆が他人の様子を伺いながら細かくしたお香、抹香《まっこう》を眉間に何度か寄せ、香炉にまぶす。何度眉間に寄せるか、これは場合により異なるため、自信を持って焼香する者は少ない。
小さい頃は抹香を七味唐辛子、香炉を豆腐だと思ってたな。
そんなことを考えているうちに、ヒサシは墓の中へと入ってしまった。四角柱形のありきたりな墓に入ってはもう、そこにいるのがヒサシなのか誰なのかなど確認しようがない。墓標に刻まれた“広瀬家”という苗字と、墓誌に刻まれた“久史”という名前のみがこの石をヒサシたらしめている。
未だ寒さ残る春だというのに、人々が入れ替わり立ち替わり彼に水をかける。墓石から滴る水を見ていると、ヒサシが育てていた植物たちを思い出す。
予約した食事処で、人々はヒカルに様々な言葉を掛けた。それはもちろんヒサシの偉大さを褒め称えたり、その偉大な彼の訃報を悲しむものであったが、その中にはもはや定型文となりつつある言葉も含まれていた。ヒカルが一番心を打たれたのは以前命を救われたという子供の、
「お医者さん、大好きだったの。だからね、死んじゃったのがすっごくすっごく悲しいの」
という言葉である。何の捻りもなく、もし大人が発したとしたら眉をひそめてしまうような言葉ではあるものの、彼のあまりにも純粋な瞳を見ると思わず涙が零れそうになった。
非常に豪華な食事であったが、ヒカルはほとんどその味を覚えていない。しかし、唐揚げを頬張った子供の幸せそうな表情は強く記憶に残った。
葬儀の日はクリニックを休業にしたが、翌日からは日常が訪れる。見慣れた通院患者も含めて多くの患者たちの診察をしていくうち、ヒカルの頭はヒサシのことを上手く処理しようとするのを感じた。抱いていた悲しみを丸めて出来た隙間に、患者のことやアロマのことを次々詰め込んでいくようなそんな感覚。
その様子を見ていたマコトは、彼にとってセラピストは“天職”なのだと思った。仕事中、それ以外のことを考えないのは当然、しかしそれにしても彼が元気を取り戻す勢いは尋常ではなかった。患者の回復とともに彼も回復しているようだった。
開院待ちの患者や予約して来院した患者の診察が終わり、少し時間的な余裕が出来てくる昼時、ヒカルとマコトは窓を横切る立派な鳥を見た。鳥は何度か右へ左へと飛んで減速し、クリニックの前に止まる。
マコトは初めて見る鳥を恐れて見て見ぬふりをしたが、ヒカルはそれが何かを知っていた。
アマツバメ。国際便として用いられる鳥である。水平飛行においてはハヤブサよりも速いと言われ、この鳥の利用には少ないとは言えぬ追加料金が掛かるが、そのぶん国を跨いだ素早い連絡が可能になる。
緑がかった翼と丸みを帯びた身体を持つその鳥は、外に出てきたヒカルをじっと見つめていた。尻尾にそっと触れても翼をぴくりとも動かさない。くちばしを撫でるとようやく翼を広げ、音もなく飛び去った。まるで自らが国際便という誇らしい役割を与えられていることを自覚しているようだった。
いつだかマコトに言われた通り、目につきやすい受付台の近くに置いて再び診察室に戻った。
それからおよそ十分。窓の外をまた鳥が物凄い速さで横切った。
しかし減速のため何度も窓を横切るうちに、その鳥はアマツバメではなくハヤブサであるとヒカルとマコトはわかった。
先ほどヒカルが取りに行ったこともあり、マコトが彼より先にと焦りながら外へ出ると、そこにはもはや見慣れたミカゲのハヤブサがいた。アマツバメとは異なってばたばたと騒がしく動いていて、その騒がしさはミカゲを彷彿とさせる。
受け取った手紙をどこに置こうかと受付台の上で手を彷徨わせていると、先にヒカルが置いたであろう封筒を見つけ、
「言った通りに出来てるじゃん」
と微笑みながら思わず声に出してしまった。受付にいたアヤノが、
「どうしました?」
と不思議そうに尋ねたが、ひらひらと手を振って、彼も診察室へ戻っていった。
昼食のとき二つの封筒を開けた。
アマツバメが運んできたのはペドロの手紙、ハヤブサが運んできたのはやはりミカゲの手紙。
エイゴが並んだ手紙をヒカルが読み上げる。
「明日頼まれていた文献を持ってニッポンに行きます。夜六時にそちらの空港に着いて、空港近くのホテルで待っているのでお時間の合うときに来てください」
いくらアマツバメが速いと言えども、ニッポンと伯剌西爾の連絡には相当な時間がかかる。それゆえに連絡を何度も交わすことが出来ないため、国を跨ぐ場合はペドロがしたように曖昧な約束をすることが多いのだ。
連絡手段が動物しかないことはやはり非常に不便であった。それを皆が分かっていながらもそれ以外の手段を生み出さない現状は、もはやヒカルたち一国民ではどうにもできない事情があることはなんとなく皆が察していた。
続いてマコトがミカゲの手紙を読み上げる。
「今日の夜、そっち行くから待っとき! 先生のことを聞いて、うちの院長がいろんなもの持たせてくれたよ」
その後に続く、
『ほんでマコトくんは今夜も夕食一緒に食べような』
という私信はあえて読み上げなかった。
二日続く訪問。そしてペドロが運んでくる文献。疑問がすべて晴れるのではないか、という期待がマコトの胸に満ちていた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる