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ある結末
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「まァーなんだ。つまりだ。ナニが言いてえかッてーとよォー」
それまでのご高説へ一息つきながら、ハゲ散らした酒太りの中年――かつて勇者リュウトともてはやされた男――は、また瓶を傾けた。呆れるほど豪快なラッパ飲みの後、酒臭い息と一緒に結論を吐き出す。
「ザマぁ見ろってコトよ」
カラになった酒瓶の口で、リュウトは右側を指す。
そこには、虹色のマーブル模様が絶え間なく流動し続ける、得体の知れない空間が広がっていた。
元の世界の面影なんてものは、もう殆ど残っちゃいない。目をこらせば虹の向こうに山のカケラや海のカタマリを見つけられるかも知れないが、その程度だ。もう泡沫なのだ、この世界は。
そもそも俺と勇者殿が居るこの場所――かつての魔王城の来賓室だって、半径三十歩ちょいくらいの狭い床しか残っていないんだ。
虹はいよいよこの世界を飲み干そうとしているらしい。
そも、この虹色は一体何なのか? 残念だが俺には詳しい事は分からない。
分かっているのはたったの三つ。これが世界の外側にある領域だという事。その領域には莫大な「力」が充ち満ちているという事。
そして他世界から召喚される人間は、必然的にこの領域を通るため、その「力」を身体に宿してしまうと言う事。この三つだ。
特にこの勇者……元、勇者か。とにかくこのリュウト殿には、俺の部下共も随分と苦戦させられたもんだ。今でもガービル参謀のしかめっ面が思い出せる。
「昔は良かったよなぁー昔はよぉー。この「力」を使ってよぉー。力の限りセイギのタメに戦って回ったモンだぁー」
だろうな。で、ついでに行く先々で綺麗どころを手込めにして回ってもいた。あのカタブツだった紅剣士団長のミリリスすら寝返ったぐらいだしなぁ。
どうやらその「力」とやらは、三本目の足にも作用していたらしいな。
「けどよぉー。それってよぉー。トドのつまりよぉー。体の良い実験動物だったんだよなぁー」
それも、そうだろう。そもそも、なぜ召喚された者はああまで強大な力を有しているのか?
長い研究と探求の果て、魔法部門最高幹部のアドニス博士は遂にその謎を解き明かしてくれた、らしい。
と言うのも、その結果が出た直後にこのリュウト殿が研究所ごと博士を殺してしまったからだ。どうもこの勇者殿は、博士が研究のために人類を切り刻んでいた事が酷くお気に召さなかったらしい。
今ああして耳をほじくっている有様からは、どうにも連想し辛い勇猛さである事よ。
ともあれ、人類連合軍はアドニス博士の研究資料を手に入れた。それを今まで自分達も行っていた観測結果――勇者殿の身体やら戦闘やらの記録と重ね合わせる事で、遂に「力」の謎を解き明かした。
リュウト殿が現われるまで、何故異世界召喚が禁呪として封印されていたのか、誰も考えないままで。
そして、世界の軍事バランスは、崩れていったのだ。
「「力」! 「力」! 「力」! ドイツもコイツも俺と同じ……いや、それ以上の「力」を持ってやがってよぉー。ヤんなっちまったね」
そりゃ当たり前だ。礼儀も常識も弁えない異邦人と、自分の国家や家族を守る意欲に燃える兵士。同じ強力な力を与えるならどっちにするか――考える必要すらありゃしない。
まさに狡兎死して走狗煮らる。昨日まで勇者であらせられたリュウト殿は疎まれ、遠ざけられ、遂には罠にかけられて瀕死の重傷を負ったのだ。その一部始終を、このハゲは飲んでる間延々と吐き散らしていた。と言うか、今からまた始まりそうだ。
「酷ぇんだぜ? ひでえんだぜえー? セシリアってばよー。あん時「お慕い申しておりますリュウト様」なんて言ったのによー」
セシリア……人類連合軍の中心たる軍事大国ハウロンの第一王女であり、古代文献から禁呪だった異世界召喚を復元した若き天才であり、勇者リュウトをこの世界に呼び寄せた女。しかも髪が緑色の上、とびっきりの美女だった筈だ。
破滅の元凶をこの世界に呼び込んだセシリアは、そのまま勇者リュウトの一行として魔王軍駆逐の旅に出た。道すがら、勇者の様々な記録を取りながら。
「傷を治してどうにかハウロンに戻ったらよー。エルマール国の第二王子サマと婚約しちまいやがっててさー」
――勇者の量産が始まると同時に、人類連合軍は緩やかに瓦解していった。
まぁ当然だ。我が軍――魔王軍という強大な敵が居たからこそ、人類は上辺だけでも団結出来ていたのだ。
だが先に挙げたように禁呪は、異世界召喚はただの魔法に成り下がった。「力」は薄皮一枚の外へ無尽蔵に存在していて、いくらでも使えるようになった。あれだけ手強かった魔物を蹴散らせる兵士を、何人でも増やせるようになった。
我が魔王軍は、単なる害獣の群れへと成り下がったのだ。
勇者の「力」さえあれば、どんな小国だろうと魔王軍を撃破出来る。さればもはや国家間の連携なぞ、邪魔な鎖でしかない。
程なく人類連合軍はひび割れ、分裂し、内輪揉めを始めた。それが「力」を使った戦争へ発展するまで、さしたる時間もかからなかった。
勇者は増えた。飛蝗のように、油虫の如くに、増えに増えた。全ての兵士が「力」を備えた軍隊すら珍しくなかった程だ。
しかもいくつかの国は、素体となる兵士に脆弱な人間でなく強靱な魔物を使えば良いのではないか、などとロクでもない事を思いつきやがった。
お陰で蒼剣士団を筆頭に我が軍までバラバラになり、気がつけば王の俺は城で軟禁紛いの状態になってしまった始末だ。
まぁ、そんなザマだからこそこの元勇者とこうして傷を舐め合えてもいるのだが。
――話が逸れてしまったな。ともあれ混乱の中で優位を保つべく、軍事大国ハウロンは商業の国エルマールとのパイプを、より太くしようと画策したんだろう。軍を動かすにはカネとモノがたっぷりいるからな。
そしてその為に、どんなカードが切られたのか。まぁ、今更確認する必要もあるまい。
「けどよー。異世界召喚が禁呪として封印されてたのにはよー、それなりの理由もあったワケだよなー」
そうだ。今このハゲが言ったように、異世界召喚は封印されていなければならなかった。
より正確にいうならば。
「力」に手を出してはならなかったのだ。
勇者は、増えた。飛蝗のように、油虫の如くに、増えに増えた。全ての兵士が「力」を備えた軍隊すら珍しくなかったぐらいに、増えた。
それはつまり、この世界の穴が、沢山増えたと言う事だ。
勇者は、世界の外側に溢れる「力」を無尽蔵に使える。己と同じ座標にある穴から、それを引き出す事が出来る。
国家は、勇者を増やした。同じ座標にある穴から、この世界へ「力」を無尽蔵に流入させる穴を、飛蝗や油虫の如く。
例えるなら、それは風船だ。
穴を開け、外の「力」を吹き込む。
世界は膨らむ。
そして。
「そして、このザマだ」
改めて、辺りを見回す。せいぜい三十歩程度の半径しか残っていない、虹色に充ち満ちてしまった世界の有様を。
「おっ! ようやく喋ってくれたじゃねーかよー魔王ちゃんよー」
けたけた、と勇者リュウトが笑う。それに釣られるつもりは無いが……それでも、口角は上がってしまう。
「いい加減、酔いどれの愚痴に付き合うのも疲れたからな」
「へぇーッそうなの? わるいヨッパライもいたモンだなぁ! 天下の元魔王サマをグチに付き合わせるなんてさぁー!」
げたげたと笑いながら勇者は立ち上がる。ふらふらと床の縁へ歩いて行く。
「なんだ、どうした?」
「オチッコだよーん! 言わせんな恥ずかティー!」
「ああそ、う……うん?」
言いかけたその時、不意に影が差した。見上げれば、そこには城の尖塔が浮いていた。
魔力……いや、「力」を応用したフィールドで守られているのだろう。もっともその防御は不完全なようで、見上げている今この瞬間も、じゅくじゅくと端から虹に食われている。
最早沈没を待つだけの、不完全な箱船。その中央へ覗く窓から、女は顔を出していた。
緑色の髪をした、経産婦とは思えぬ程の、とびっきりの美女が。
「 」
とびっきりの美女は目尻に涙を浮かべながら、何か叫んでいる。箱船を制御し、リュウトの正面へ回り込む。
「 !」
天地逆様の状態ではあるが、リュウトは女と目が合う。
「……」
リュウトは、何も言わない。
何も言わないまま、ベルトを外した。ズボンも下ろした。
そして、用を足した。
……尻の右側に毛の生えたホクロがあるなんざ、知りたくもなかったなぁ。
「――」
湯気の立つ虹を目の当たりにした女は、目から光が消えた。箱船は操舵を失い、虹の中へ溶けて消えた。
そんな一部始終を見届けた後、リュウトはようやくズボンを上げる。ぶるりと背が震えた。
「ああー。あーあ! スッキリした!」
堂々と腰に手を当てて、しかし振り向こうともしない。その気持ちは、分からないでもなかった。
「……」
改めて、辺りを見回す。視界に映るのは今度こそ虹色ばかりで、元の世界は欠片どころか砂粒一つすら見当たらない。
もう、この世界は。
もう、この半径三十歩の一角しか、残っていないのだ。
「そりゃあ良かった。これでシンプルになったってもんだ」
立ち上がり、歩く。勇者の反対側へ歩いて行く。振り返りはしない。
「つーかよー魔王様よー。なんで俺を迎え入れてくれたワケ? 控えめに言って仇敵じゃん? お互いにサ」
恐らく……いや、間違いなく背を向けたまま、勇者が問うた。
こちらも振り向く事無く、正面の虹色へと応える。
「痩せても枯れても王の肩書きを背負った身分だからな。窮した者を無碍になぞ出来んよ。もっとも」
一息つく。虹色は、うんざりするほど鮮やかだった。
「そいつはきっと、それをこそ望んでいたろうがな」
「ヒヘヘ、ご明察! まぁタカリに来た次の日が世界最後の日だってのは、流石に予想外だったけどなァ! それにここへ来れば、死蔵されてるンまい酒がたらふく頂けるだろうっていう打算もありましッ、たァ!」
ぶん、と音がする。リュウトが酒瓶を投げたんだろう。長年のコレクションがこんなヤツに飲み尽くされたのはシャクだが……それでも虹に呑まれるよりはまだマシ、か?
「……」
「……」
どうあれ、言葉は途切れた。口にすべき事柄は、概ね全て吐き尽くした。
だから。
「そういやぁよー」
次が、あるとすれば。
「俺が旅に出て少し経った頃よー。エルディブって悪魔に、キネロが殺られたんだよなー」
「キネロ……製図師キネロか。ヤツは魔王軍の補給路を割り出そうとしていたからな。当然の報いだ。それに、その戦いがキッカケでミリリスは此方を裏切った」
「そりゃー言いがかりだろー? そのあと弟子のヴィルに睨まれて大変だったんだぜー?」
「最終的に仲直りしたんだから良いだろう。それに、ソイツがいなければアドニス博士の秘密研究所が発見される事は無かった」
「あぁー懐かしいなぁーンなコトもあったなぁ! でもあン時はそうするしか無ェってマジで思ってたからなぁハハハ!」
ぼりぼり、と頭をかく音が聞こえた。
だがそれも、程なく途切れた。
「……オマエと初めてツラ合わせたのも、確かそン時だったよなァ」
「そうだったな」
「あン時以来、何度も戦ってきたよなぁ」
「そうだったな」
「そして何度も戦っても、未だに決着ついてねェんだよなァ」
「……そう、だったな」
しゅらり。勇者が剣を抜く。
しゅらり。魔王も剣を抜く。
「知ってるかもしれねェけどよォ。俺にはもう何も無ェんだわ」
「奇遇だな。俺もだ」
「けどよォ。決着をつけてェ相手は居るんだわ」
「奇遇だな。俺もだ」
「じゃあ、よォ」
「ああ」
「決着、つけようぜェ――!」
「ああ――!」
二人の男は、己の全てをかけて踏み込んだ。剣を振り上げた。
その際、魔王は結界魔法を切り捨てた。全力の邪魔だからだ。
必然、二人の居る場所は数秒で飲み込まれ、消える。
けれども、その直前。
斬、という確かな音が、虹に爪痕を遺した。
それまでのご高説へ一息つきながら、ハゲ散らした酒太りの中年――かつて勇者リュウトともてはやされた男――は、また瓶を傾けた。呆れるほど豪快なラッパ飲みの後、酒臭い息と一緒に結論を吐き出す。
「ザマぁ見ろってコトよ」
カラになった酒瓶の口で、リュウトは右側を指す。
そこには、虹色のマーブル模様が絶え間なく流動し続ける、得体の知れない空間が広がっていた。
元の世界の面影なんてものは、もう殆ど残っちゃいない。目をこらせば虹の向こうに山のカケラや海のカタマリを見つけられるかも知れないが、その程度だ。もう泡沫なのだ、この世界は。
そもそも俺と勇者殿が居るこの場所――かつての魔王城の来賓室だって、半径三十歩ちょいくらいの狭い床しか残っていないんだ。
虹はいよいよこの世界を飲み干そうとしているらしい。
そも、この虹色は一体何なのか? 残念だが俺には詳しい事は分からない。
分かっているのはたったの三つ。これが世界の外側にある領域だという事。その領域には莫大な「力」が充ち満ちているという事。
そして他世界から召喚される人間は、必然的にこの領域を通るため、その「力」を身体に宿してしまうと言う事。この三つだ。
特にこの勇者……元、勇者か。とにかくこのリュウト殿には、俺の部下共も随分と苦戦させられたもんだ。今でもガービル参謀のしかめっ面が思い出せる。
「昔は良かったよなぁー昔はよぉー。この「力」を使ってよぉー。力の限りセイギのタメに戦って回ったモンだぁー」
だろうな。で、ついでに行く先々で綺麗どころを手込めにして回ってもいた。あのカタブツだった紅剣士団長のミリリスすら寝返ったぐらいだしなぁ。
どうやらその「力」とやらは、三本目の足にも作用していたらしいな。
「けどよぉー。それってよぉー。トドのつまりよぉー。体の良い実験動物だったんだよなぁー」
それも、そうだろう。そもそも、なぜ召喚された者はああまで強大な力を有しているのか?
長い研究と探求の果て、魔法部門最高幹部のアドニス博士は遂にその謎を解き明かしてくれた、らしい。
と言うのも、その結果が出た直後にこのリュウト殿が研究所ごと博士を殺してしまったからだ。どうもこの勇者殿は、博士が研究のために人類を切り刻んでいた事が酷くお気に召さなかったらしい。
今ああして耳をほじくっている有様からは、どうにも連想し辛い勇猛さである事よ。
ともあれ、人類連合軍はアドニス博士の研究資料を手に入れた。それを今まで自分達も行っていた観測結果――勇者殿の身体やら戦闘やらの記録と重ね合わせる事で、遂に「力」の謎を解き明かした。
リュウト殿が現われるまで、何故異世界召喚が禁呪として封印されていたのか、誰も考えないままで。
そして、世界の軍事バランスは、崩れていったのだ。
「「力」! 「力」! 「力」! ドイツもコイツも俺と同じ……いや、それ以上の「力」を持ってやがってよぉー。ヤんなっちまったね」
そりゃ当たり前だ。礼儀も常識も弁えない異邦人と、自分の国家や家族を守る意欲に燃える兵士。同じ強力な力を与えるならどっちにするか――考える必要すらありゃしない。
まさに狡兎死して走狗煮らる。昨日まで勇者であらせられたリュウト殿は疎まれ、遠ざけられ、遂には罠にかけられて瀕死の重傷を負ったのだ。その一部始終を、このハゲは飲んでる間延々と吐き散らしていた。と言うか、今からまた始まりそうだ。
「酷ぇんだぜ? ひでえんだぜえー? セシリアってばよー。あん時「お慕い申しておりますリュウト様」なんて言ったのによー」
セシリア……人類連合軍の中心たる軍事大国ハウロンの第一王女であり、古代文献から禁呪だった異世界召喚を復元した若き天才であり、勇者リュウトをこの世界に呼び寄せた女。しかも髪が緑色の上、とびっきりの美女だった筈だ。
破滅の元凶をこの世界に呼び込んだセシリアは、そのまま勇者リュウトの一行として魔王軍駆逐の旅に出た。道すがら、勇者の様々な記録を取りながら。
「傷を治してどうにかハウロンに戻ったらよー。エルマール国の第二王子サマと婚約しちまいやがっててさー」
――勇者の量産が始まると同時に、人類連合軍は緩やかに瓦解していった。
まぁ当然だ。我が軍――魔王軍という強大な敵が居たからこそ、人類は上辺だけでも団結出来ていたのだ。
だが先に挙げたように禁呪は、異世界召喚はただの魔法に成り下がった。「力」は薄皮一枚の外へ無尽蔵に存在していて、いくらでも使えるようになった。あれだけ手強かった魔物を蹴散らせる兵士を、何人でも増やせるようになった。
我が魔王軍は、単なる害獣の群れへと成り下がったのだ。
勇者の「力」さえあれば、どんな小国だろうと魔王軍を撃破出来る。さればもはや国家間の連携なぞ、邪魔な鎖でしかない。
程なく人類連合軍はひび割れ、分裂し、内輪揉めを始めた。それが「力」を使った戦争へ発展するまで、さしたる時間もかからなかった。
勇者は増えた。飛蝗のように、油虫の如くに、増えに増えた。全ての兵士が「力」を備えた軍隊すら珍しくなかった程だ。
しかもいくつかの国は、素体となる兵士に脆弱な人間でなく強靱な魔物を使えば良いのではないか、などとロクでもない事を思いつきやがった。
お陰で蒼剣士団を筆頭に我が軍までバラバラになり、気がつけば王の俺は城で軟禁紛いの状態になってしまった始末だ。
まぁ、そんなザマだからこそこの元勇者とこうして傷を舐め合えてもいるのだが。
――話が逸れてしまったな。ともあれ混乱の中で優位を保つべく、軍事大国ハウロンは商業の国エルマールとのパイプを、より太くしようと画策したんだろう。軍を動かすにはカネとモノがたっぷりいるからな。
そしてその為に、どんなカードが切られたのか。まぁ、今更確認する必要もあるまい。
「けどよー。異世界召喚が禁呪として封印されてたのにはよー、それなりの理由もあったワケだよなー」
そうだ。今このハゲが言ったように、異世界召喚は封印されていなければならなかった。
より正確にいうならば。
「力」に手を出してはならなかったのだ。
勇者は、増えた。飛蝗のように、油虫の如くに、増えに増えた。全ての兵士が「力」を備えた軍隊すら珍しくなかったぐらいに、増えた。
それはつまり、この世界の穴が、沢山増えたと言う事だ。
勇者は、世界の外側に溢れる「力」を無尽蔵に使える。己と同じ座標にある穴から、それを引き出す事が出来る。
国家は、勇者を増やした。同じ座標にある穴から、この世界へ「力」を無尽蔵に流入させる穴を、飛蝗や油虫の如く。
例えるなら、それは風船だ。
穴を開け、外の「力」を吹き込む。
世界は膨らむ。
そして。
「そして、このザマだ」
改めて、辺りを見回す。せいぜい三十歩程度の半径しか残っていない、虹色に充ち満ちてしまった世界の有様を。
「おっ! ようやく喋ってくれたじゃねーかよー魔王ちゃんよー」
けたけた、と勇者リュウトが笑う。それに釣られるつもりは無いが……それでも、口角は上がってしまう。
「いい加減、酔いどれの愚痴に付き合うのも疲れたからな」
「へぇーッそうなの? わるいヨッパライもいたモンだなぁ! 天下の元魔王サマをグチに付き合わせるなんてさぁー!」
げたげたと笑いながら勇者は立ち上がる。ふらふらと床の縁へ歩いて行く。
「なんだ、どうした?」
「オチッコだよーん! 言わせんな恥ずかティー!」
「ああそ、う……うん?」
言いかけたその時、不意に影が差した。見上げれば、そこには城の尖塔が浮いていた。
魔力……いや、「力」を応用したフィールドで守られているのだろう。もっともその防御は不完全なようで、見上げている今この瞬間も、じゅくじゅくと端から虹に食われている。
最早沈没を待つだけの、不完全な箱船。その中央へ覗く窓から、女は顔を出していた。
緑色の髪をした、経産婦とは思えぬ程の、とびっきりの美女が。
「 」
とびっきりの美女は目尻に涙を浮かべながら、何か叫んでいる。箱船を制御し、リュウトの正面へ回り込む。
「 !」
天地逆様の状態ではあるが、リュウトは女と目が合う。
「……」
リュウトは、何も言わない。
何も言わないまま、ベルトを外した。ズボンも下ろした。
そして、用を足した。
……尻の右側に毛の生えたホクロがあるなんざ、知りたくもなかったなぁ。
「――」
湯気の立つ虹を目の当たりにした女は、目から光が消えた。箱船は操舵を失い、虹の中へ溶けて消えた。
そんな一部始終を見届けた後、リュウトはようやくズボンを上げる。ぶるりと背が震えた。
「ああー。あーあ! スッキリした!」
堂々と腰に手を当てて、しかし振り向こうともしない。その気持ちは、分からないでもなかった。
「……」
改めて、辺りを見回す。視界に映るのは今度こそ虹色ばかりで、元の世界は欠片どころか砂粒一つすら見当たらない。
もう、この世界は。
もう、この半径三十歩の一角しか、残っていないのだ。
「そりゃあ良かった。これでシンプルになったってもんだ」
立ち上がり、歩く。勇者の反対側へ歩いて行く。振り返りはしない。
「つーかよー魔王様よー。なんで俺を迎え入れてくれたワケ? 控えめに言って仇敵じゃん? お互いにサ」
恐らく……いや、間違いなく背を向けたまま、勇者が問うた。
こちらも振り向く事無く、正面の虹色へと応える。
「痩せても枯れても王の肩書きを背負った身分だからな。窮した者を無碍になぞ出来んよ。もっとも」
一息つく。虹色は、うんざりするほど鮮やかだった。
「そいつはきっと、それをこそ望んでいたろうがな」
「ヒヘヘ、ご明察! まぁタカリに来た次の日が世界最後の日だってのは、流石に予想外だったけどなァ! それにここへ来れば、死蔵されてるンまい酒がたらふく頂けるだろうっていう打算もありましッ、たァ!」
ぶん、と音がする。リュウトが酒瓶を投げたんだろう。長年のコレクションがこんなヤツに飲み尽くされたのはシャクだが……それでも虹に呑まれるよりはまだマシ、か?
「……」
「……」
どうあれ、言葉は途切れた。口にすべき事柄は、概ね全て吐き尽くした。
だから。
「そういやぁよー」
次が、あるとすれば。
「俺が旅に出て少し経った頃よー。エルディブって悪魔に、キネロが殺られたんだよなー」
「キネロ……製図師キネロか。ヤツは魔王軍の補給路を割り出そうとしていたからな。当然の報いだ。それに、その戦いがキッカケでミリリスは此方を裏切った」
「そりゃー言いがかりだろー? そのあと弟子のヴィルに睨まれて大変だったんだぜー?」
「最終的に仲直りしたんだから良いだろう。それに、ソイツがいなければアドニス博士の秘密研究所が発見される事は無かった」
「あぁー懐かしいなぁーンなコトもあったなぁ! でもあン時はそうするしか無ェってマジで思ってたからなぁハハハ!」
ぼりぼり、と頭をかく音が聞こえた。
だがそれも、程なく途切れた。
「……オマエと初めてツラ合わせたのも、確かそン時だったよなァ」
「そうだったな」
「あン時以来、何度も戦ってきたよなぁ」
「そうだったな」
「そして何度も戦っても、未だに決着ついてねェんだよなァ」
「……そう、だったな」
しゅらり。勇者が剣を抜く。
しゅらり。魔王も剣を抜く。
「知ってるかもしれねェけどよォ。俺にはもう何も無ェんだわ」
「奇遇だな。俺もだ」
「けどよォ。決着をつけてェ相手は居るんだわ」
「奇遇だな。俺もだ」
「じゃあ、よォ」
「ああ」
「決着、つけようぜェ――!」
「ああ――!」
二人の男は、己の全てをかけて踏み込んだ。剣を振り上げた。
その際、魔王は結界魔法を切り捨てた。全力の邪魔だからだ。
必然、二人の居る場所は数秒で飲み込まれ、消える。
けれども、その直前。
斬、という確かな音が、虹に爪痕を遺した。
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