215 / 243
愛していても/2
しおりを挟む
月主命の意識は少し先へと進んで、明引呼の家のチャイムを鳴らした。農園を見渡せる部屋へと通されて、お茶を一口飲むと、明引呼は身を乗り出す。
「大事な話って何だよ?」
「こちらです」
優しい色使いの四角いものを、月主命はテーブルの上を滑らした。
「あぁ? 手紙ってか?」
「開けてください」
「ふー」
明引呼はミニシガリロ の青白い煙を口から吐き出して、手紙の封をビリビリと破いた。中には紙が一枚きりで、鋭い眼光は文字を追って、すぐに何のことか理解した。
「結婚式の招待状ってか?」
「えぇ、僕は明日、他の男性と結婚します」
動揺するほど若くもないが、こんなことは人生初めてだ。明引呼と月主命は視線を交えず閉口した。
「…………」
「…………」
陽が次第に西へ傾いてゆく。窓をカタカタと揺らす夏風だけが動くものだった。
「…………」
「…………」
何て言ったらいいんだ。明引呼は考える。するなと引き止めるのか。そこで野郎どもの笑顔が蘇った。やはり自分は人の上に立つ人間だ。明引呼はふっと笑って、
「そうか。てめぇが幸せなら、いいんじゃねぇか?」
月主命の両手は膝に乗ったまま、誰にも気づかれないようにため息をもらした。
(引き止めて欲しかった……)
これが最後のチャンスになる。この野郎どもに慕われてやまない男の気持ちを変えさえることができるのは。配偶者が増えれば、結婚までこぎつけるのは難しくなってくる。全員を賛成にさせなければいけないのだから。月主命は愛する人との別れが、この世界にもあるのだと認めざるを負えなかった。
コーヒーを飲みながら、明引呼は黄昏気味に農園を眺める。
(ガキじゃねえんだ。惚れてんなら、月主の望むようにしてやんのが大人だろ)
本当は離したくない。いつまでも、あの喫茶店でお茶をして、話をしていたかった。しかし、この男が決めた道だ。明引呼が引き止める理由はなかった。
手紙を裏と表に返しながら、明引呼が沈黙を破った。
「で、式に出席しろってか?」
「えぇ」
「明智って、光秀さんのとこってか?」
「おや、知っているんですか?」
「陛下がらみでよ、仲良くさせてもらってたぜ」
悪が倒された後の混乱が続く中で、陛下から分身した男のことは、今でも鮮明に覚えている。ただあっちは国家公務員で、こっちの農場経営者となってからは、顔を合わせる機会がなくなったが。
「その三女の家に僕は婿に行くんです」
「三女は知らねえな」
明引呼が光秀と関係があった頃には、まだ倫礼本体は霊界にいた。神界へと上がってきたのはその後のことだ。
「それでは、式に出席して、顔を知っておいてください。僕のお嫁さんの一人なるんですから」
「いいぜ」
「そうですか……」
やはり兄貴は後ろ髪など惹かれなかった。月主命の作戦は失敗に終わった。二人の間に気まずい沈黙がしばらく流れる。
しがらみは誰にでもある。そのしがらみを全て誰も傷つけずに守るなり壊すのが、大人のすることだ。自分勝手に動くことは、決して褒められたものではない。
夏風が窓をカタカタと揺らす音だけが鳴っていたが、やがて明引呼が口を開いた。
「……先生っつうのはよ、生徒を守んのが仕事じゃねぇのか?」
「えぇ」うなずいた月主命は、明引呼が黄昏気味に窓の外を眺めているのを見つけた。「ですが、僕たち大人よりも、彼らはずっと柔軟な心で受け入れてくれました」
小学校の教師ではなく、農場で働く野郎どもを仕切る社長業。オレに何ができるんだ――。明引呼はやるせなさをぐっと飲み込んで、珍しく微笑んで見せた。
「幸せにな」
「ありがとうございます。それでは、失礼――」
月主命が頭を下げて、消え去ってゆくようなそぶりを見せられると、明引呼は思わず引き止めた。
「おう!」
「えぇ」
月主命はほっとする。だがしかし、明引呼から出てきた言葉は別のことだった。
「家は引っ越すのか?」
「えぇ、そうです」
「ならよ、月主の主なくせや。月に住まなくなんだから、主じゃねえだろ」
「えぇ、そうします」
月命は珍しく素直にうなずいた。やけにつっかかってくる言い方だったが、言っていることはあっている。
少しぐらいは取り乱すかと思っていたが、寂しいそぶりも見せない月命に、明引呼は内心舌打ちをする。
(素直にうなずきやがって……)
「大事な話って何だよ?」
「こちらです」
優しい色使いの四角いものを、月主命はテーブルの上を滑らした。
「あぁ? 手紙ってか?」
「開けてください」
「ふー」
明引呼はミニシガリロ の青白い煙を口から吐き出して、手紙の封をビリビリと破いた。中には紙が一枚きりで、鋭い眼光は文字を追って、すぐに何のことか理解した。
「結婚式の招待状ってか?」
「えぇ、僕は明日、他の男性と結婚します」
動揺するほど若くもないが、こんなことは人生初めてだ。明引呼と月主命は視線を交えず閉口した。
「…………」
「…………」
陽が次第に西へ傾いてゆく。窓をカタカタと揺らす夏風だけが動くものだった。
「…………」
「…………」
何て言ったらいいんだ。明引呼は考える。するなと引き止めるのか。そこで野郎どもの笑顔が蘇った。やはり自分は人の上に立つ人間だ。明引呼はふっと笑って、
「そうか。てめぇが幸せなら、いいんじゃねぇか?」
月主命の両手は膝に乗ったまま、誰にも気づかれないようにため息をもらした。
(引き止めて欲しかった……)
これが最後のチャンスになる。この野郎どもに慕われてやまない男の気持ちを変えさえることができるのは。配偶者が増えれば、結婚までこぎつけるのは難しくなってくる。全員を賛成にさせなければいけないのだから。月主命は愛する人との別れが、この世界にもあるのだと認めざるを負えなかった。
コーヒーを飲みながら、明引呼は黄昏気味に農園を眺める。
(ガキじゃねえんだ。惚れてんなら、月主の望むようにしてやんのが大人だろ)
本当は離したくない。いつまでも、あの喫茶店でお茶をして、話をしていたかった。しかし、この男が決めた道だ。明引呼が引き止める理由はなかった。
手紙を裏と表に返しながら、明引呼が沈黙を破った。
「で、式に出席しろってか?」
「えぇ」
「明智って、光秀さんのとこってか?」
「おや、知っているんですか?」
「陛下がらみでよ、仲良くさせてもらってたぜ」
悪が倒された後の混乱が続く中で、陛下から分身した男のことは、今でも鮮明に覚えている。ただあっちは国家公務員で、こっちの農場経営者となってからは、顔を合わせる機会がなくなったが。
「その三女の家に僕は婿に行くんです」
「三女は知らねえな」
明引呼が光秀と関係があった頃には、まだ倫礼本体は霊界にいた。神界へと上がってきたのはその後のことだ。
「それでは、式に出席して、顔を知っておいてください。僕のお嫁さんの一人なるんですから」
「いいぜ」
「そうですか……」
やはり兄貴は後ろ髪など惹かれなかった。月主命の作戦は失敗に終わった。二人の間に気まずい沈黙がしばらく流れる。
しがらみは誰にでもある。そのしがらみを全て誰も傷つけずに守るなり壊すのが、大人のすることだ。自分勝手に動くことは、決して褒められたものではない。
夏風が窓をカタカタと揺らす音だけが鳴っていたが、やがて明引呼が口を開いた。
「……先生っつうのはよ、生徒を守んのが仕事じゃねぇのか?」
「えぇ」うなずいた月主命は、明引呼が黄昏気味に窓の外を眺めているのを見つけた。「ですが、僕たち大人よりも、彼らはずっと柔軟な心で受け入れてくれました」
小学校の教師ではなく、農場で働く野郎どもを仕切る社長業。オレに何ができるんだ――。明引呼はやるせなさをぐっと飲み込んで、珍しく微笑んで見せた。
「幸せにな」
「ありがとうございます。それでは、失礼――」
月主命が頭を下げて、消え去ってゆくようなそぶりを見せられると、明引呼は思わず引き止めた。
「おう!」
「えぇ」
月主命はほっとする。だがしかし、明引呼から出てきた言葉は別のことだった。
「家は引っ越すのか?」
「えぇ、そうです」
「ならよ、月主の主なくせや。月に住まなくなんだから、主じゃねえだろ」
「えぇ、そうします」
月命は珍しく素直にうなずいた。やけにつっかかってくる言い方だったが、言っていることはあっている。
少しぐらいは取り乱すかと思っていたが、寂しいそぶりも見せない月命に、明引呼は内心舌打ちをする。
(素直にうなずきやがって……)
0
あなたにおすすめの小説
これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー
小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。
でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。
もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……?
表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。
全年齢作品です。
ベリーズカフェ公開日 2022/09/21
アルファポリス公開日 2025/06/19
作品の無断転載はご遠慮ください。
幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜
葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在
一緒にいるのに 言えない言葉
すれ違い、通り過ぎる二人の想いは
いつか重なるのだろうか…
心に秘めた想いを
いつか伝えてもいいのだろうか…
遠回りする幼馴染二人の恋の行方は?
幼い頃からいつも一緒にいた
幼馴染の朱里と瑛。
瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、
朱里を遠ざけようとする。
そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて…
・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・
栗田 朱里(21歳)… 大学生
桐生 瑛(21歳)… 大学生
桐生ホールディングス 御曹司
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
愛想笑いの課長は甘い俺様
吉生伊織
恋愛
社畜と罵られる
坂井 菜緒
×
愛想笑いが得意の俺様課長
堤 将暉
**********
「社畜の坂井さんはこんな仕事もできないのかなぁ~?」
「へぇ、社畜でも反抗心あるんだ」
あることがきっかけで社畜と罵られる日々。
私以外には愛想笑いをするのに、私には厳しい。
そんな課長を避けたいのに甘やかしてくるのはどうして?
女嫌いな騎士が一目惚れしたのは、給金を貰いすぎだと値下げ交渉に全力な訳ありな使用人のようです
珠宮さくら
恋愛
家族に虐げられ結婚式直前に婚約者を妹に奪われて勘当までされ、目障りだから国からも出て行くように言われたマリーヌ。
その通りにしただけにすぎなかったが、虐げられながらも逞しく生きてきたことが随所に見え隠れしながら、給金をやたらと値下げしようと交渉する謎の頑張りと常識があるようでないズレっぷりを披露しつつ、初対面から気が合う男性の女嫌いなイケメン騎士と婚約して、自分を見つめ直して幸せになっていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる