明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄

文字の大きさ
553 / 967
心霊探偵はエレガントに〜karma〜

Meaning of dreams/1

しおりを挟む
 ピンと張り詰めていた空気に、天命という落雷を受けたような衝撃が走った。

 バッハ トッカータとフーガ ニ短調――。

 荘厳でいて、神秘的なパイプオルガンが爆音でにわかに鳴り響いた。
 天国から地獄へと真っ逆さまに転がり落ちてゆくような、あの有名なメロディーライン。

 青一色の濃淡だけで風景は広がっていた――。

 夜でも昼でもない、動きも息吹も感じられない空。葉が枯れ落ち、枝や幹だけの木々は寒々と成長を留めて、絶望の呪いでもかけられ、ただそこに立ち尽くしているようだった。

 目に見えない何者かが手を加えたような偽りの世界。

 どこまでも続く静寂の中で、時の流れは異常だった。乾いた音が響くのに、風景の動きはスローモーションでひどいズレが生じて狂っていた。

 内側に流れるメロディーラインは今も正常で、パイプオルガンの不協和音がエスプレッシボ[脚注]。

 伸びきっていた音が終わると、旋律が鋭く連打で紡がれ始めた。

 ――走っている。
 息を切らしながら、ひたすら走っている。
 
 濃藍色の枯れ葉をせわしなく踏んで、一人で走っている。
 何かが後ろから迫ってくるような緊迫感が前へ前へと無防備に進ませる。

 逃げなければ……。
 その想いばかりが空回り。
 何から逃げているのかも忘れている。

 それでも、とにかく逃げなければと心は駆られるのだ。
 じりじりと下から炎に炙られるような焦燥感。

 ズックを履く小さな足と手で必死に走ってゆく。
 視界はとても低く、体は軽い。
 白いシャツと黒い半ズボンに身を包んでいる。

 カーカーとカラスが不気味に鳴く声がかぶさる。
 木々の間をバサバサと飛び回る。
 黒い生き物の目は血のように赤かった。

 自分の小さな口から、大声が飛び出す。

「お父さん! お母さん!」

 凍てつくような寂しさが胸をしめつける。

 幼い声を客観的に聞いている、もうひとりの自分が思う。

 私はまた、あちらの夢を見ている……。

 小さな体で、枯れ木ばかりの林の中を必死に走ってゆく、顔も知らない両親を呼びながら。

 腰に下げてあるダガーの重みは、今よりも重厚に感じられた。頬を切る風は奇妙なほどない。

 時の流れは未だに不規則だった。まわりは正常に動いているのに、自分の動きだけが印象的なほどまでにゆっくりだった。

 大きな木の横を抜けようとすると、地面の上に張り出していた木の根っこに、小さな足を引っかけもつれ、

「っ!」

 そのまま、落ち葉だらけの地面に突っ伏した。どうやっても、いつもここで転ぶ。

 しかし、無痛なのだ。顔を上げ、さっと立ち上がると、視界はさっきと違って、高くなっていた。

 いつの間にか、瑠璃色のタキシードを着て、茶色のロングブーツで枯れ葉を蹴り上げながら進んでいた。

 上質なブラウスの下には、ロザリオの重さが体が上下に揺れるたび、しっかりと感じ取れる。

 未だに流れ続ける、パイプオルガンの音色は足鍵盤が奏でる低いものだけに変わった。いつもの自分の背丈になり、もうひとりの自分が思う。

 こちらからが変わってしまった……。

 相変わらず、どこかへ向かって走ってゆく自分の足。

 だが、心の片隅ではどこに向かってゆくのか知っている。

 腰元に下がっているダガーの重みは、いつも通りになっていた。茶色のロングブーツは大人のサイズで、瑠璃色の貴族服の上着が走る反動で、裾がふわりふわりと舞い上がる。

 足が蹴り上げられるたび、濃藍色の枯葉が踊り続ける。カサカサと乾いた音は正常なのに、どんなに急ごうとしても手足は早く動いてくれなかった。

 体の内側で鳴り響く音色はキンキンとした高いものになり、同じメロディーラインをなぞっては、不意に違うものへと変わり、次々に移りゆく嵐のような楽曲の中だった。

 遊線が螺旋を描く優雅で冷静な声が、あたりに悲痛にひずむ。

「瑠璃さん! 瑠璃!」

 呼び名と感情がすり替わった。寂しさは愛しさという、大人の感情へと取って代わって、心の内で痛みをともないながら綺麗に咲き誇る。




[脚注]音楽用語、表情豊かに
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

【R18】仲のいいバイト仲間だと思ってたら、いきなり襲われちゃいました!

奏音 美都
恋愛
ファミレスのバイト仲間の豪。 ノリがよくて、いい友達だと思ってたんだけど……いきなり、襲われちゃった。 ダメだって思うのに、なんで拒否れないのー!!

私の推し(兄)が私のパンツを盗んでました!?

ミクリ21
恋愛
お兄ちゃん! それ私のパンツだから!?

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...