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心霊探偵と心霊刑事/5
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シリアスシーンにいつ仕掛けられるかわからない、笑いという名の罠。崇剛はくすくすと軽く笑い、さらに策の回収に入った。
「先ほど、そちらの近くを通ってきましたが、呪縛霊や地縛霊ではありませんでしたよ。審神者をしていないので、正確にはわかりませんが……」
「てめぇ、知ってんなら最初から言ってきやがれ! 確かめるためだけに聞いてくるんじゃねぇ」
国立はあきれた顔をした。合理主義にも程があると。事故が起きているのは知っていても、それが心霊関係とは限らない。しかし、国立が何の疑いもなしに、事件資料を取りに行けば、答えはもう出たのだ。
紅茶で気持ちを引きしめて、崇剛は真面目に話し出した。
「千恵さんの言葉と、念が見せた場面と関係しているかもしれません」
「どの言葉だ?」
「恩田 元を逮捕した時の、首のアザがいつできたかの質問に対する、千恵さんの回答は『三月の下旬……だったと思います』です」
崇剛に言われて、国立は思い出した。あの時何かが勘をかすめていったのは、これだったのだ。事件資料を一度引き寄せ、
「事故は三月二十五日から始まってやがる……。れで、気になったのか」
青白い煙を上げながら、崇剛へと戻した。
「念のほうは?」
ふたつの日付が意味するものは何なのかと推し量りながら、崇剛は優雅に微笑んだ。
「先週の四月十八日、月曜日、十七時十六分三十五秒過ぎに、ベルダージュ荘へ来た、千恵さんの生霊が念で見せた場面。ひとつ目は、大きな通りでの衝撃音がした――です。白血病と事故が関係しているかもしれませんね」
それきり、崇剛は何も言わず、紅茶をまた一口飲んだ。解けてしまった包帯を巻き直し、沈黙がやってきた。
「…………」
「…………」
まともに進みやしない。ドラッグがあった日には、崇剛は絶対にハマるタイプだと、国立は確信した。快楽にこれほど溺れるのだから。
「てめぇ、ニー バットだ! いい振りしきやがるな。言わねぇで帰えんじゃねぇ。ひとつ目ってことは、他にもあるってことだろうが。情報共有して帰りやがれ」
膝を使う技は、ソファーに座っている自分たちにはできないと踏んで、崇剛はしれっと言ってのける。
「えぇ、構いませんよ」
ダガーでできた傷を麻痺させるような、狂乱する麻薬に酔いしれ、崇剛は少しだけくすくす笑ったが、冷静な頭脳で平常へすぐに戻った。
「ふたつ目は夜に断末魔が聞こえ、血の匂いがした。三つ目は落下したです」
「つうことは……、ふたつ目は恩田の夢と同じ。三つ目は転落事故のことだろな」
国立がうなずくと、崇剛は何も言わなかった。天使も聖女もいない。全てが確定できないまま、時間だけが過ぎてゆのだ。
聖霊師と刑事は話が終われば、あとは帰るだけ。いつだってそうだった。懐中時計で秒数まで測る、合理主義者の男は無駄話などしない性格だ。
楽しい時間はあっという間というように、お開きの時間がやってきた。話の合う人間がいなくなる。ほんの少しの寂しさが、国立の心の中に降り積もる。
それでも、膝の上に乗せたままの瑠璃色の上着は取り上げられることもなく、崇剛は後れ毛を神経質な指先で耳にかけるだけだった。
帰る気がない――。国立は気づいた時には、声をかけていた。
「あと、何かあんのか?」
「少なくとも、今回の件は二百人殺されているという可能性があります」
そう判断して当然だった。札の数は二百で、もう一枚も残っていないと、瑠璃は言っていたのだから。
国立は口にしようとしていた葉巻を止めて、鋭い眼光を崇剛に向けた。
「二百? メニー過ぎねぇか? どんな人生送ったら、二百人も殺せんだ?」
「えぇ、通常では考えられません」
元凶となる事実を見つけることができなければ、犯人など捕まえられない。そうでなくても、信じていない人間がほとんどだ。順を追って、理論的に説明できなければ、改心させるまでには持っていけない。
国立は背もたれにもたれかかり、両腕を大きく広げ、薄汚れた天井を見上げた。
「殺人鬼ってか?」
「違うでしょうね」
「ナイス、カウンターパンチ!」
わざと見当違いの回答をして、即座に否定される。清々しいほどの会話だった。
崇剛は今朝あった元の言動を全て脳裏に並べる。何度も何度も言葉を噛んでいた。それは最後まで変わらなかった。自分と違う意見を言われると、押し黙る癖もあった。
「殺人鬼になるような人物は、ある種の大胆さを持ち合わせている傾向があります。ですが、恩田 元にはそのような傾向は見られません。例え、殺人鬼でも生涯に人を殺す人数はどんなに多くても数十人です」
逮捕時も牢屋に入っている時も、元の怯え切った目は、国立には媚を売っているように思えて、吐き気がした。
「人を殺せるようには見えねぇな。生まれ変わってもよ、人ってのは、そうそうチェンジするもんじゃねぇだろ? 人殺しできるような度胸なんかねぇだろ、恩田の野郎に」
「そうですね……?」
崇剛はそう言って、あごに指を当てて考えたが、すぐに言葉を口にした。
「人を殺すことが正当化できる理由が、何らかの要因であったかもしれませんね」
ミニシガリロを灰皿ですり消して、国立は寒気がするというように、表情を歪めた。
「当たり前に人を殺すか。物騒な話だ。千里眼で見えねぇのか?」
「えぇ、何かが邪魔しているのか……もしくは、私の情報不足かもしれませんね。自身が体験したり、見聞きしたことがないものは、千里眼を使っても読み取ることはできません。概念がまったくなければ、見えていたとしても表現のしようがありませんからね」
崇剛と国立はいつの間にか、荒野に立っていた――。地平線が半円を描き、風が吹くと腐臭が漂ってきた。
何の匂いかと思い、ふたりして振り返ると、高い処刑台に元が吊るされている。下には五芒星が逆さまに描かれ、悪魔たちが長い槍を持って、狂った宴をしていた。
冷たい月明かりの下で、槍は一斉に元を貫き、ひどい悲鳴が上がる。急所は全て外されていて、のたうちまわるような痛みが全身を襲う。なぶりものだ。
そうして、お金という魔術がかけられ、あたりを黒い霧が包み込み、晴れると、傷はどこにもなく、突き刺していた槍は再び悪魔の手にあるのだ。
そうして、何度となく同じことが繰り返される。裸の王様――そう呼ぶのがふさわしいだろう。
崇剛と国立が立っている場所は、処刑場の中央に変わっていて、断末魔が響き渡ると、赤黒い血が熱を持って、ふたりにサディスティックに降りかかった――。
不浄な聖霊寮の応接セットに意識は戻ってきて、血祭りにされているような元がなぜそうなっていると思えるのか、国立は自分のこめかみをトントンと叩いた。
「いくら、邪さんでもよ。頭よくねぇと、人は使えねぇだろ。あれは小物だろ? 見向きもされねぇ、小物だ」
この男は何の根拠もないことは言わない。理論派の崇剛は理由を知りたがった。
「なぜ、そのように思うのですか?」
牢屋で何気なく交わした会話には、心霊刑事なりに大きな意味を持っていた。
「逮捕した時によ。『あんな場所で、店もうかってんのか?』って聞いたんだよ」
確かに、元の住所は人通りのほとんどないところだが、崇剛は別のことに引っかかって、神経質な手の甲を唇に当ててくすくす笑った。
「あなたも大胆な質問をしますね。彼はどのように答えたのですか?」
物事を順番に覚えている自分にはできない真似だと、崇剛は思った。国立はニヤリとする。
「てめぇとカミさんが暮らせる分ぐれぇはあるって、答えやがったぜ」
「そうですか」
涼しい顔をしてうなずいたものの、時間差で崇剛はまたくすくす笑い出した。どこをどうやったら、その会話が成立するのかと思って。
国立もさすがに、珍しく笑った。
「すぐわかるような嘘つきやがって、小物って証拠だろ」
「そうかもしれませんね」
崇剛はまだ笑いが収まらず、刑事と犯人でどんな会話を他にもしたのかと考えようとすると、支離滅裂という言葉が一番似合うのだろうと思った。
「恩田の野郎、ポイントそこじゃねぇんだよ。治安省が保険金のこと知らねぇのは、妙だって気づくだろ」
頭は使うためにあるんだろと、国立は言ってやりたくなったのだ。三件の転落死亡事故だけで、罪科寮が動いた挙句、聖霊寮へと回されるには、証拠が少なすぎると。
「世見の交差点の事故。転落死したのは三人。病死したのは一人。関係してるのは二百……。恩田に構ってるほど、邪さんは暇じゃねぇだろ」
だがしかし、そんな元に実際、邪神界が大きく動いているとなると、裏に隠されているものが何か早く見つけなければ、世界が崩壊する出来事が起きてもおかしくはなかった。
――いつの間にか、崇剛と国立の間に、白い服を着た男がしゃがみ込んでいた。
純血を表す白なのに、天使の輪はなく、立派な両翼もなかった。肩に寄り掛からせた大鎌が死神を思わせる。ラズベリーに似た赤い目がふたつ、さっきから右と左に動いていた。
「俺の話しないのね。じゃあ、こうしちゃう!」
パチンと指を鳴らすと同時に、ラズベリーを口の中へ放り込んで、甘酸っぱい香りが男にだけ広がった。
「俺マジで忙しいんだけど……」
ふと立ち上がり、大鎌を片手で持ち上げて、不浄な聖霊寮の空気を横に真っ二つに裂き始めた。
赤い目から刃物が遠ざかってゆく。はるか向こうで人影が破り捨てた紙片のように散り散りに地面へ落ちた――。
その時、千里眼の持ち主は心の目で、建物の天井を無視して、空から降ってくるものを見つけた。
(金の光……?)
――天使の輪もない、山吹色のボブ髪は常世を不意に拭いてきた風に煽られ、男の綺麗な肌を舐めるように揺れる。
片腕を大きく上げて、白い細い身のズボンとジャケットの裾が、旗のように激しく翻る。
赤いふたつの目は熱はまったくなく、どこまでも無機質で冷たく非情だった。すらっとした体躯を持つ男の背中に、すうっと光の筋が迫ってくる。
猛スピードで、男に向かって大鎌が戻ってきて、ズシャーンと鉄の歪む音がすると、金の光は藤色の髪が少しだけはみ出している、カウボーイハットの中へ入った。
男の背中にまるで守られているような、崇剛の冷静な水色の瞳はついっと細められる。
(国立氏にも、直感、天啓を受けるという傾向があるみたいです。今、初めて知りました。何をおっしゃるのでしょう?)
茶色のロングブーツが優雅に組み直されると、ダガーの柄がソファーにすれ、ググッとうなった。短くなった葉巻を、国立は挟み持ちし、唇と指に熱を感じながら、
「今思い出したけどよ……。今回のヤマってよ、邪さんの一番上、何つったか? 何……大魔王だったか? 二百人も動かせんの、そいつが関係してんじゃねぇのか?」
他の聖霊師が誰も知らない名前が、遊線が螺旋を描く優雅で独特の声で、不浄な聖霊寮の空気を支配するように響いた。
「ヤン ダリルバッハ。非常に頭の切れる人物という話は聞いたことがあります」
「そいつか、その下……四人いやがったよな?」
「四天王です。大魔王も含めて全員、非常に有能な正神界の神だったそうです」
どんな経緯かは明らかになっていないが、この話をラジュから聞かされた時、味方が敵となった神世には、どんな波紋が広がったのだろうと、崇剛は思ったものだ。
国立の鋭い眼光は天井を突き抜け、青空よりもはるか遠くに挑むように向けられていた。
「そいつら、使える力が違ってやがっただろ?」
崇剛は組んでいた足を解いて、床にきちんとそろえた。
「火の属性を持つ、リダルカ シュティッツ。水の属性を持つ、ガドル リファイネ。風の属性を持つ、ナンディー アストラカ。地の属性を持つ、エルダ キャサンシーです」
名前を言えば言うほど、勝算の数値がどうやっても下がっていってしまうのだった。
予測をはるかに上回る、危険な夜にひとり屋敷から出たのかと思うと、ラジュが気づかなかったのも、崇剛は合点がいった。
(大鎌を持った霊体……。四天王以上の存在から、武器を与えられたのかもしれない)
ソファーの背もたれから起き上がって、国立はカフェラテを飲んだが、どうにも味が苦かった。
「そいつらのひとりが絡んでるかもしれねぇな。ノーマルに考えりゃ、そうなんだろ?」
「そちらは、神のランクでないと対応できません」
天使の証である、輪っかや両翼はついていないのだと、ラジュが説明していたのを、崇剛は鮮明に思い出した。
「それが本当の話なら、かなりやばいぜ」
こうやって、国立とローテーブルを間に挟んで、事件について話し合うのも、今すぐなくなってもおかしくはなかった。
「先ほど、そちらの近くを通ってきましたが、呪縛霊や地縛霊ではありませんでしたよ。審神者をしていないので、正確にはわかりませんが……」
「てめぇ、知ってんなら最初から言ってきやがれ! 確かめるためだけに聞いてくるんじゃねぇ」
国立はあきれた顔をした。合理主義にも程があると。事故が起きているのは知っていても、それが心霊関係とは限らない。しかし、国立が何の疑いもなしに、事件資料を取りに行けば、答えはもう出たのだ。
紅茶で気持ちを引きしめて、崇剛は真面目に話し出した。
「千恵さんの言葉と、念が見せた場面と関係しているかもしれません」
「どの言葉だ?」
「恩田 元を逮捕した時の、首のアザがいつできたかの質問に対する、千恵さんの回答は『三月の下旬……だったと思います』です」
崇剛に言われて、国立は思い出した。あの時何かが勘をかすめていったのは、これだったのだ。事件資料を一度引き寄せ、
「事故は三月二十五日から始まってやがる……。れで、気になったのか」
青白い煙を上げながら、崇剛へと戻した。
「念のほうは?」
ふたつの日付が意味するものは何なのかと推し量りながら、崇剛は優雅に微笑んだ。
「先週の四月十八日、月曜日、十七時十六分三十五秒過ぎに、ベルダージュ荘へ来た、千恵さんの生霊が念で見せた場面。ひとつ目は、大きな通りでの衝撃音がした――です。白血病と事故が関係しているかもしれませんね」
それきり、崇剛は何も言わず、紅茶をまた一口飲んだ。解けてしまった包帯を巻き直し、沈黙がやってきた。
「…………」
「…………」
まともに進みやしない。ドラッグがあった日には、崇剛は絶対にハマるタイプだと、国立は確信した。快楽にこれほど溺れるのだから。
「てめぇ、ニー バットだ! いい振りしきやがるな。言わねぇで帰えんじゃねぇ。ひとつ目ってことは、他にもあるってことだろうが。情報共有して帰りやがれ」
膝を使う技は、ソファーに座っている自分たちにはできないと踏んで、崇剛はしれっと言ってのける。
「えぇ、構いませんよ」
ダガーでできた傷を麻痺させるような、狂乱する麻薬に酔いしれ、崇剛は少しだけくすくす笑ったが、冷静な頭脳で平常へすぐに戻った。
「ふたつ目は夜に断末魔が聞こえ、血の匂いがした。三つ目は落下したです」
「つうことは……、ふたつ目は恩田の夢と同じ。三つ目は転落事故のことだろな」
国立がうなずくと、崇剛は何も言わなかった。天使も聖女もいない。全てが確定できないまま、時間だけが過ぎてゆのだ。
聖霊師と刑事は話が終われば、あとは帰るだけ。いつだってそうだった。懐中時計で秒数まで測る、合理主義者の男は無駄話などしない性格だ。
楽しい時間はあっという間というように、お開きの時間がやってきた。話の合う人間がいなくなる。ほんの少しの寂しさが、国立の心の中に降り積もる。
それでも、膝の上に乗せたままの瑠璃色の上着は取り上げられることもなく、崇剛は後れ毛を神経質な指先で耳にかけるだけだった。
帰る気がない――。国立は気づいた時には、声をかけていた。
「あと、何かあんのか?」
「少なくとも、今回の件は二百人殺されているという可能性があります」
そう判断して当然だった。札の数は二百で、もう一枚も残っていないと、瑠璃は言っていたのだから。
国立は口にしようとしていた葉巻を止めて、鋭い眼光を崇剛に向けた。
「二百? メニー過ぎねぇか? どんな人生送ったら、二百人も殺せんだ?」
「えぇ、通常では考えられません」
元凶となる事実を見つけることができなければ、犯人など捕まえられない。そうでなくても、信じていない人間がほとんどだ。順を追って、理論的に説明できなければ、改心させるまでには持っていけない。
国立は背もたれにもたれかかり、両腕を大きく広げ、薄汚れた天井を見上げた。
「殺人鬼ってか?」
「違うでしょうね」
「ナイス、カウンターパンチ!」
わざと見当違いの回答をして、即座に否定される。清々しいほどの会話だった。
崇剛は今朝あった元の言動を全て脳裏に並べる。何度も何度も言葉を噛んでいた。それは最後まで変わらなかった。自分と違う意見を言われると、押し黙る癖もあった。
「殺人鬼になるような人物は、ある種の大胆さを持ち合わせている傾向があります。ですが、恩田 元にはそのような傾向は見られません。例え、殺人鬼でも生涯に人を殺す人数はどんなに多くても数十人です」
逮捕時も牢屋に入っている時も、元の怯え切った目は、国立には媚を売っているように思えて、吐き気がした。
「人を殺せるようには見えねぇな。生まれ変わってもよ、人ってのは、そうそうチェンジするもんじゃねぇだろ? 人殺しできるような度胸なんかねぇだろ、恩田の野郎に」
「そうですね……?」
崇剛はそう言って、あごに指を当てて考えたが、すぐに言葉を口にした。
「人を殺すことが正当化できる理由が、何らかの要因であったかもしれませんね」
ミニシガリロを灰皿ですり消して、国立は寒気がするというように、表情を歪めた。
「当たり前に人を殺すか。物騒な話だ。千里眼で見えねぇのか?」
「えぇ、何かが邪魔しているのか……もしくは、私の情報不足かもしれませんね。自身が体験したり、見聞きしたことがないものは、千里眼を使っても読み取ることはできません。概念がまったくなければ、見えていたとしても表現のしようがありませんからね」
崇剛と国立はいつの間にか、荒野に立っていた――。地平線が半円を描き、風が吹くと腐臭が漂ってきた。
何の匂いかと思い、ふたりして振り返ると、高い処刑台に元が吊るされている。下には五芒星が逆さまに描かれ、悪魔たちが長い槍を持って、狂った宴をしていた。
冷たい月明かりの下で、槍は一斉に元を貫き、ひどい悲鳴が上がる。急所は全て外されていて、のたうちまわるような痛みが全身を襲う。なぶりものだ。
そうして、お金という魔術がかけられ、あたりを黒い霧が包み込み、晴れると、傷はどこにもなく、突き刺していた槍は再び悪魔の手にあるのだ。
そうして、何度となく同じことが繰り返される。裸の王様――そう呼ぶのがふさわしいだろう。
崇剛と国立が立っている場所は、処刑場の中央に変わっていて、断末魔が響き渡ると、赤黒い血が熱を持って、ふたりにサディスティックに降りかかった――。
不浄な聖霊寮の応接セットに意識は戻ってきて、血祭りにされているような元がなぜそうなっていると思えるのか、国立は自分のこめかみをトントンと叩いた。
「いくら、邪さんでもよ。頭よくねぇと、人は使えねぇだろ。あれは小物だろ? 見向きもされねぇ、小物だ」
この男は何の根拠もないことは言わない。理論派の崇剛は理由を知りたがった。
「なぜ、そのように思うのですか?」
牢屋で何気なく交わした会話には、心霊刑事なりに大きな意味を持っていた。
「逮捕した時によ。『あんな場所で、店もうかってんのか?』って聞いたんだよ」
確かに、元の住所は人通りのほとんどないところだが、崇剛は別のことに引っかかって、神経質な手の甲を唇に当ててくすくす笑った。
「あなたも大胆な質問をしますね。彼はどのように答えたのですか?」
物事を順番に覚えている自分にはできない真似だと、崇剛は思った。国立はニヤリとする。
「てめぇとカミさんが暮らせる分ぐれぇはあるって、答えやがったぜ」
「そうですか」
涼しい顔をしてうなずいたものの、時間差で崇剛はまたくすくす笑い出した。どこをどうやったら、その会話が成立するのかと思って。
国立もさすがに、珍しく笑った。
「すぐわかるような嘘つきやがって、小物って証拠だろ」
「そうかもしれませんね」
崇剛はまだ笑いが収まらず、刑事と犯人でどんな会話を他にもしたのかと考えようとすると、支離滅裂という言葉が一番似合うのだろうと思った。
「恩田の野郎、ポイントそこじゃねぇんだよ。治安省が保険金のこと知らねぇのは、妙だって気づくだろ」
頭は使うためにあるんだろと、国立は言ってやりたくなったのだ。三件の転落死亡事故だけで、罪科寮が動いた挙句、聖霊寮へと回されるには、証拠が少なすぎると。
「世見の交差点の事故。転落死したのは三人。病死したのは一人。関係してるのは二百……。恩田に構ってるほど、邪さんは暇じゃねぇだろ」
だがしかし、そんな元に実際、邪神界が大きく動いているとなると、裏に隠されているものが何か早く見つけなければ、世界が崩壊する出来事が起きてもおかしくはなかった。
――いつの間にか、崇剛と国立の間に、白い服を着た男がしゃがみ込んでいた。
純血を表す白なのに、天使の輪はなく、立派な両翼もなかった。肩に寄り掛からせた大鎌が死神を思わせる。ラズベリーに似た赤い目がふたつ、さっきから右と左に動いていた。
「俺の話しないのね。じゃあ、こうしちゃう!」
パチンと指を鳴らすと同時に、ラズベリーを口の中へ放り込んで、甘酸っぱい香りが男にだけ広がった。
「俺マジで忙しいんだけど……」
ふと立ち上がり、大鎌を片手で持ち上げて、不浄な聖霊寮の空気を横に真っ二つに裂き始めた。
赤い目から刃物が遠ざかってゆく。はるか向こうで人影が破り捨てた紙片のように散り散りに地面へ落ちた――。
その時、千里眼の持ち主は心の目で、建物の天井を無視して、空から降ってくるものを見つけた。
(金の光……?)
――天使の輪もない、山吹色のボブ髪は常世を不意に拭いてきた風に煽られ、男の綺麗な肌を舐めるように揺れる。
片腕を大きく上げて、白い細い身のズボンとジャケットの裾が、旗のように激しく翻る。
赤いふたつの目は熱はまったくなく、どこまでも無機質で冷たく非情だった。すらっとした体躯を持つ男の背中に、すうっと光の筋が迫ってくる。
猛スピードで、男に向かって大鎌が戻ってきて、ズシャーンと鉄の歪む音がすると、金の光は藤色の髪が少しだけはみ出している、カウボーイハットの中へ入った。
男の背中にまるで守られているような、崇剛の冷静な水色の瞳はついっと細められる。
(国立氏にも、直感、天啓を受けるという傾向があるみたいです。今、初めて知りました。何をおっしゃるのでしょう?)
茶色のロングブーツが優雅に組み直されると、ダガーの柄がソファーにすれ、ググッとうなった。短くなった葉巻を、国立は挟み持ちし、唇と指に熱を感じながら、
「今思い出したけどよ……。今回のヤマってよ、邪さんの一番上、何つったか? 何……大魔王だったか? 二百人も動かせんの、そいつが関係してんじゃねぇのか?」
他の聖霊師が誰も知らない名前が、遊線が螺旋を描く優雅で独特の声で、不浄な聖霊寮の空気を支配するように響いた。
「ヤン ダリルバッハ。非常に頭の切れる人物という話は聞いたことがあります」
「そいつか、その下……四人いやがったよな?」
「四天王です。大魔王も含めて全員、非常に有能な正神界の神だったそうです」
どんな経緯かは明らかになっていないが、この話をラジュから聞かされた時、味方が敵となった神世には、どんな波紋が広がったのだろうと、崇剛は思ったものだ。
国立の鋭い眼光は天井を突き抜け、青空よりもはるか遠くに挑むように向けられていた。
「そいつら、使える力が違ってやがっただろ?」
崇剛は組んでいた足を解いて、床にきちんとそろえた。
「火の属性を持つ、リダルカ シュティッツ。水の属性を持つ、ガドル リファイネ。風の属性を持つ、ナンディー アストラカ。地の属性を持つ、エルダ キャサンシーです」
名前を言えば言うほど、勝算の数値がどうやっても下がっていってしまうのだった。
予測をはるかに上回る、危険な夜にひとり屋敷から出たのかと思うと、ラジュが気づかなかったのも、崇剛は合点がいった。
(大鎌を持った霊体……。四天王以上の存在から、武器を与えられたのかもしれない)
ソファーの背もたれから起き上がって、国立はカフェラテを飲んだが、どうにも味が苦かった。
「そいつらのひとりが絡んでるかもしれねぇな。ノーマルに考えりゃ、そうなんだろ?」
「そちらは、神のランクでないと対応できません」
天使の証である、輪っかや両翼はついていないのだと、ラジュが説明していたのを、崇剛は鮮明に思い出した。
「それが本当の話なら、かなりやばいぜ」
こうやって、国立とローテーブルを間に挟んで、事件について話し合うのも、今すぐなくなってもおかしくはなかった。
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