最後の恋は神様とでした

明智 颯茄

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本気のサヨナラの向こうに

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 東京で元旦那とやり直し始めた澄藍すらん。新しいスタートを切ったつもりだったが、過去の記憶が既成概念となって、何かあるたびに何も変わっていないと決めつける日々。
 
 相手が変わろうとする努力を打ち消すように、お互いの足を引っ張り合い、もうすぐで一年経とうとする今では、すっかり惰性でダラダラと続いている関係になっていた。

 背中合わせで座るデスクの前で、澄藍は動画を見て、ゲラゲラとひとしきり笑ったあと、本当に不思議そうに首を傾げた。

「こんな話ってある?」

 独り言のつもりだったが、幼い声が応えた。

「どんな話だ?」

 振り返ると、コウの銀色をした長い髪が、室内のはずなのにサラサラと横へ揺れていた。澄藍は今見ていた話のあらすじを話していたが、途中で吹き出しそうになった。

「同じ男の人を好きだったけど、その人が結婚しちゃって、失恋した男ふたりが恋をする。おかし――」
「あるかもしれないだろう?」

 さえぎって来たコウの声色はいつもよりもシリアスだった。その雰囲気に驚いて、澄藍は真顔に戻った。

「え……?」
「傷ついたところで、同じ価値観を持っているやつがいたら、恋だってするだろう」

 赤と青のくりっとした瞳の前で、澄藍はいぶかしげな顔をする。

「そう?」
「本気で、同性を好きになることだってあるだろう」

 同性愛はギャグだとずっと思っていた人間の女にとっては、コウの言葉は斬新ざんしんだった。

「本気で……」

 澄藍は真摯な眼差しで、秤にかけようとするが、彼女の中に何かが足りなくて、新しい価値観という水がざるを抜けてゆくように、全て素通りしていってしまう。

 子供の姿をしているが神様のコウは、魂の濁っている人間の女に問いかける。

「性別がそこに関係するのか?」
「ん~~?」

 澄藍は天井を見つめて難しい顔をする。そもそも同性愛を否定しているのか。どうもそうではなく、もっと前の時点で自分はつまずいている気がした。

 人間の女の過去など簡単にたどれるコウは、結婚もして離婚をして、元旦那と暮らすために家族から失踪して来た女に、はっきりと突きつけてやった。

「お前は本気で人を好きになったことがないんだ――」
「そう……だね」

 澄藍は力なくうなずいた。BLだからおかしいと笑うのではなく、ノーマルも笑いはしないが、どこか冷めた目で見ている。全体的に恋愛ものに興味がないのだ。

「恋愛物語を見ても感動もしないし、泣きもしない。それどころか、ドキドキするとか切ないとか意味不明だもんなぁ。共感しないってことは、本当に人を好きになったことがないんだね」

 邪神界が滅ぼされる前の統治で、とくごうというものがあった。前世までの行いで、貯金されてゆくようなシステムで、転生後に自身に降りかかる困難に徳を支払ってパスできたのだ。

 一番最初に肉体に宿っていた、広菜ひろなはそれを使って苦労もせず、自身の望む通りに人生が進んできてしまった。

 それはやはり本人のためにならないということで、今は全てチャラになった制度だった。ある意味、犠牲者で、被害者となるのだ、澄藍は。

 甘やかされてきた過去から、いきなり厳しい現実へと放り出されるが、それ乗り越えるのは澄藍しかいない。

 今年で三十六年目を迎える人生で、他の人が地道に積み上げて上手にできるようになったことを、彼女は今から築いていかなくてはいけない。人より大幅に人生が出遅れていた。

 コウは神の厳しい慈愛で、エレベーターで登ってきた崖の上から、澄藍を谷底へ突き落とした。

「人を愛する心を身を持って、これから学べ」

 そうして翌日。父と娘みたいな関係に疲れたと相手に言われ、家族から失踪して、ちょうど一年で破局を迎えた。今回はもう元へは戻れない別れだった。

 現実世界ではなく、心を大切にする澄藍の元に、コウはやって来ていた。

「相性っていうのは、実際に数字化してるんだ」
「うん……」

 別れが決まっている配偶者はもう優しさなど見せず、夜遅くになっても知人と一緒に飲み歩いていた。

 一人きりの薄暗い部屋で、神としてコウの話は続いてゆく。

「相性は最大値が決まってる。努力して最大値には近づけても、上限は上がらない。それは神様でも変えられないんだ。いろんなやつがいるから世の中うまく回っていくんだ」

 相手のためにと思ってやっても、全て裏目に出る日々。相手を傷つけないようにすることで手一杯で、心身とも疲れ、自身のやりたいことがまったくできない生活。

 誰かが悪いわけでもないからこそ、決断があと回しになってしまったのだ。

 うつむいている澄藍のそばによって、コウは優しく語ってゆく。

「邪神界があっただろう? だから、一番合わない人間とめぐり合わされたんだ」
「うん……」

 通算十一年もパートナーとして生きてきた男とは、相性の数値はゼロではなく、マイナスだと言うのだ。

 なぜ今まで、澄藍にはたくさんの魂が宿っては出てを繰り返したのかの理由がひとつ明かされる。

「相性の低さを何とかカバーしようとして、魂を何度も入れ替えてた。だけどな、どうやっても合わないものは合わない。だから、お前の運命はここで大きく変わる」
「うん……」

 澄藍の瞳から涙がポロポロと落ちてゆく。一寸先は闇で、人は一歩踏み出すことを怖がるのだ。今手にしているものにしがみつこうとする。

 魂がたとえ結ばれていようとも、物質界では肉体が優先されるのだ。それは神が努力しても変えられものではなかった。いや変えてはいけないものなのだ。

「それなら、相性のいいやつと出会って、生きていったほうが、お前と相手のためにもなる。ふたりがそれぞれ笑顔で、自分の本来の力を発揮できるなら、まわりの人も幸せになるだろう?」
「そうだね……」

 澄藍は涙を拭って、何度もうなずいた。今のままでは苦しいだけで、明るい未来はどこにもない。

 本来ならめぐり合わない運勢なのだ。どんな占いでも、めぐり合うのが不思議だという結果ばかり明白だった。

 コウが床に降りて、赤と青のくりっとした瞳でまっすぐ見上げた。

「だから、別れろ――」

 自分を理解してくれる唯一の人だった。家族から失踪して一年、二度とあの地は踏まないと決めて、帰るわけにはいかないのだ。

 戻る場所のない彼女は、他人に無関心な都会で、たった一人で生きてゆくことしか選択肢が残されていなかった。

 家族もなく親戚もなく、親友も知人もいない。何が起きても全て自分で対処する。誰にも助けを求められない日々を送ることなのだ。

 それでも、澄藍はよろよろと立ち上がり、まぶたを強くつむると、涙が床にポタポタと波紋を描いた。

「うん、わかった……」
「新しい道が待ってるからな」
「うん……」

 未来の見えない澄藍には、お先真っ暗だった。コウは励ましてくれるが、厄落としが先に来る以上、辛く苦しいことがまずやって来るのだ。それがどんな物事なのかと想像するだけで足がすくむ。

 部屋を片付ける余裕もないほど、くたびれた生活で、いつ落としたのかわからないメモ帳の切れ端が、机の下にいっぱい落ちていた。

「それから、もうひとつお前には伝えることがある」
「何?」

 聞き返しながら、勘の鋭い彼女は嫌な予感がして、心臓が大きく脈を打った。

「この世界の法則が変わった――」
「うん……」

 聞きたくないと思うが、過去は変えられないのだ。受け入れるしかない。コウの声はどこまでも冷たく平常だった。

「ある一定以上の霊層でなければ、地球に存在する必要はないと陛下が判断して、その魂を肉体から抜いた」
「そうか」

 手足が震え、心臓がまた大きく波打つ。

「自覚症状は出ない。だから、誰も気づいてない」

 窓の外に見える他のマンションの明かりを眺めた。人の気配はそこにあるのに、普通に時間は流れているのに心がない。

 肉体という肉塊にくかいだけが、神の力で自分で考えているように、自分で決断したように思わされて生きている。

 見せかけの人生があちこちで起きている。コウの今までの話からすると、魂が今も入っている人間は、地球には一握りしかいないだろう。

 人を殺すことがいけないことだと理解できない人を野放しにしておいても、誰も幸せにならない。それと同じことだ。

 自身を含めて人が本当に幸せになれることを理解できない人を、これ以上地球で修業をさせても誰も幸せにならない。

 それならば、今魂が残っている人間のため、守護をする神様の修業のために利用してしまったほうがいいのだ。

 陛下はそう判断された。利用されるという気持ちに耐えられる人間でないのなら、魂は返してしまったほうが当人も幸せなのだ。

 肉体は滅びる。しかし、魂は永遠。だが、その永遠の魂が入っていないとなると、澄藍はそこまで考えて、コウに答えの出ている質問をした。

「死んだらどうなるの?」
「肉体が滅びる――死ぬまでに戻れなければ、中身は空っぽだ。だから、その人間はいなかったことになる――」

 遠くのマンションでカーテンが閉められたのが見えたが、あの人間はいないかもしれないのだ。

 霊界での法則は今までも何度か変わった。その中のひとつに当てはめれば、回収された魂は、合格ラインの霊層になるまで、過去世へとさかのぼり続ける。人によっては、邪神界ができる前までになるかもしれなかった。

 人間から神に上がった孔明と張飛に生前の家族がいないのはこういう理由だったのだ。全員いなかったとして、抹消されたのだ。

 澄藍の中の嫌な予感はまだ、遠くの地震が近寄ってくる地鳴りのように続いていた。

「そうか。でも、それがみんなの幸せなんだよね?」
「そうだ」

 肉体に入れば、神であったとしても欲望に囚われ、その魂の透明度――霊層を落とすのだ。

 人間がやっていけるはずがなかった。この世界はサブ。一日でも早い人々の幸せを願うのなら、霊界へと戻って、霊層を少しでも上げたところから、魂を磨けばいいのだ。

 とうとう、コウから澄藍に審判が下された。

「そうして、お前も満たなかった――。だから、もう魂は宿ってない」

 今はもう誰でもない人間の女――とも呼べない、肉塊は視線を落として、涙で視界をにじませる。

「うん……。そうだよね。私がそこに入ってるとは思わない」

 人に暴力を振るい、恨みや憎しみを持っている自分が、クリアするとは思っていなかった。

 その反面、自分は人間であっても、神の魂が入っているから他と違うというおごりから一気に落とされ、神様の存在が急に遠くなった気がした。彼女の甘さが浮き彫りになった瞬間だった。

 陛下は厳しく優しい方だ。たとえ身内でも特別扱いなどしない。その性格をよく知っているはずの人間の女に、コウからこんな言葉が送られた。

「でもな、お前は神界のことを知り過ぎた。だから、ある神様の魂の波動を受けられるように、陛下がした」

 陛下は分身をしていて、上の次元へと登り続け、次々と新しい世界を統治している。そこから、この次元へと生まれ変わる神もたくさんいる。つまり、陛下は神様たちの上にいる神様なのだ。

 神様たちが知らないことも知っているのだ。世界の行末がどうなるかも、陛下は誰よりもご存知なのだ。

 自分の存在が無になるというショックに打ちのめされている女は、そんな話もすっかり忘れてしまったのだ。

「そうか。ありがたいね。感謝だ」

 女の未来は決して平坦な道のりではない。なぜなら、彼女は神々も含めた大きな歯車のひとつに取り込まれているのだから。

「仮の魂だ。お前が滅んだ時には、それまでの経験や記憶は、その神の中に吸収される」

 自分の存在はなくなり、神様の一部として取り込まれる。それでも、女は前向きに対処しようとしたが、涙がボロボロとこぼれ落ちた。

「じゃあ、きちんと生きないといけないね。神様に恥じないように……」

 綱渡りをするようによろよろとする、謙虚とおごりの両極を。生きているだけ幸せだと女は思った。その上、こんな自分に力を与えてくれると言う。神の加護の中で身を委ねる。
 
 魂を磨く方向へ進んでいる女の前で、コウは呼吸を整えた。

「名前を伝えるぞ」
「うん……」

 暗い女とは正反対に、コウは元気よく言った。

「明智 倫礼りんれいだ」
「綺麗な名前だね」

 下の名前が美しかった。さっきまでのシリアスが少し消え失せ、いきなりクイズ番組で出題するような、鬼気迫るジャジャン! という音が鳴った。

「ここで問題だ! 歴史上で明智といえば!」
「あの、本能寺を燃やしちゃった人だよね?」

 倫礼(仮)は即答だった。何て言い草だと思って、コウは女の頭をパシンと叩いた。

「お前バカだなぁ。あれはきちんとした理由があったんだぞ。嫉妬でもない恨みでもない、神の領域の話だ」

 赤と青のくりっとした瞳を、女はまっすぐ見つめて、宝物でももらったように微笑んだ。

「うん、知ってるよ。あの時代だけじゃなくて、今の私たちも幸せに暮らせるようにしたことだって」

 神の領域へと上がった孔明が理解したことと、倫礼(仮)はまったく同じ解釈をしていた。

 光秀の人柄は知っている。尊敬できる人物と関わることができて、それだけでとても幸せな気持ちになる。

 コウはなぜか偉そうにふんぞり返った。

「あれは究極の慈愛の精神だ」
「その人の娘さんが、自分に力を与えてくれるんだね?」
「そうだ」

 自分のような魂も宿る価値のない人間に手を貸してくれる。尊い存在に出会い感動の涙が今度は頬を伝ってゆく。

「じゃあ、感謝……しなくちゃ……ね」

 神経を研ぎ澄まして、霊感で見える世界を広げていっても、もう誰もそこにいない。失踪してきた家族の誰にも魂は宿っていない。憎しみや恨みの矛先がどこにもない。

 激変してしまった地球上で、倫礼(仮)は戸惑いと悲しみの渦に飲まれ続ける。

 しばらく待っていた彼女が泣き止むことはなく、コウは珍しく優しく声をかけた。

「泣いても何も変わらないぞ。何でも明るく前向きに取らないとな。学んだだろう? 今までの魂で」
「そう……だね」

 三十人近く魂が入れ替わり、人それぞれの価値観や気持ちを、間接的ではなく直接的に学べたいい経験だった。完璧な人は誰もいなかったが、尊敬すべきところはたくさんあった。

 性格や好みが変わる。それは彼女に多大な影響をもたらしていて、今女は本当の自分がどんななのか、好きなものが何なのか、どんな性格なのかわからなくもなっていた。

 そんな気持ちも、神であるコウは読み取って、暖かい毛布でもかぶせるように優しく言う。

「お前の霊的な名前はこれ以上は変わらないから、もう安心しろ」
「うん……」

 変わらないということは、未来を見る神からすれば、自身は霊層が低いまま、魂が宿ることなく一生を終え、倫礼の本体に吸収されるという意味だ。

 あれだけ学んだ理論だったが、孔明のように条件が何で、叶える方法がどれかを彼女は感情を抜きにして考えることができなかった。

 光は差し込んでいるのに、顔を膝に埋めたまま見ようとしていない――あきらめてしまったのだ。

「だから、明智 倫礼の名を名乗ってもいい」
「うん、ありがとうございます」

 コウはまるで最後の別れというように、ひとつひとつ言い残してゆく。

「お前の霊層ならギリギリ選択権はある。神様がお前の全てをコントロールすることはない。その代わりお前の責任で全てをやれ」
「うん……」

 決められた人生という線路に乗せられないが、幸せばかりとは限らない未来。

 倫礼の気持ちを待たずして、コウの話は続いてゆく。

「それから、大人の神様に会ったら、そいつのことよく見るんだぞ」
「うん……」
「あとは、今まで話した神なら、お前が呼べば来てくれる。神様は人間みたいに、差別はしないからな。魂の入っていないお前でも、入っているやつと同じように守護してくれるぞ」
「うん……」

 大きな朗報だった。今まで伝えられた神の名前は百近くにのぼる。彼らが守護神となってくれるのだ。鬼に金棒とはまさしくこのとだった。

 コウは緑色の光を発しながら、ふわふわと蛍火のように上がってゆく。

「それから、霊感を使って占い師にはなるなよ」
「どうして?」
「占いは人の人生を背負う。過去世を見るならなおさらだ。お前は人の影響を受けやすい。だから、お前には向かない。精神を壊すぞ」
「そうか……」

 倫礼は思い出す。気さくで人の良さそうな人の過去世が殺人鬼だったという話もあったと。罪を償っている以上、その人を責めることは誰にもできないのだ。

 コウは静かに床に降り立ち、小さな右手を差し出した。

「じゃあな。元気でやれよ」
「うん……ありがとう」

 感触はないが、倫礼はその手を握って小さく縦に振る。そうして、光が拡散するようにコウの姿は消え去っていった。

 しばらく、倫礼は膝を抱えて、散らかった一人きりの部屋で泣いていた。少し落ちてついてきた彼女は神経を研ぎ澄まして、神界でのあたりを見渡すが、しーんとしていた。

「今までそばに来てた子たちはもう来ないんだ」

 お姉ちゃんやママと呼んで、笑顔で走り寄ってくる、あの澄んだ瞳と心を持った小さな人は自分に寄ってきていたのではなく、中に入っていた魂の神様に用があったのだ。

 空前絶後の虚無感が倫礼を襲う。

「いなかったことになるのなら、私は何のために生きてるんだろう……?」

 自覚症状を出さないのは、この事実に耐えられない人が多く出るからなのだろう。自分を第三者として霊視しても、やはり魂は入っておらず空っぽだった。

 波動という薄い幕が張られているような存在。そんな倫礼に唯一残っていた個性は、他人優先、自分のこと後回し主義だった。

 彼女は両膝を一人で抱きしめて、守護される側なのに、真逆のことをなぜか当たり前のようにつぶやいた。

「神様を呼ぶ……。神様にも生活がある。家族もいる。仕事もある。こんな人間一人のために呼ぶのは申し訳ない。だから、何があっても誰も呼ばない」

 神様を守るという前代未聞のことをしてしまった。コウが大きく羽ばたける方法をせっかく置いていったのに、彼女はそれをさけて、自力で歩む修羅の道を選んだ。

 両手を胸の前で組んで、目を閉じる。

「それでも、神様、どうかこの悲しみから抜け出せる術を教えてください。努力しますので、お願いします」

 彼女のすぐ後ろに、長い黒髪をひとつに縛った男性神――交代したばかりの守護神がいることに気づくことはなく、大人の神でも声だけは聞き取れるようになっていた倫礼だったが、盲目的にいつまでも目を閉じたままで神経を研ぎ澄ましていた。

 男性神の口元は動いているが、感情に流されている倫礼が聞き取れることはなく、存在する必要性もない自分は、見捨てられたのだという悲壮感を抱いた。

 そうして、自身の中に入ってきた今までの魂の関係性に文句を言う。もっと早くから母と娘という鎖をはずして欲しかったと。

光命ひかりのみことさんをやっと・・・恋愛対象として見れるようになったけど……」

 それは人のエゴであり、神が取り計らうべき事項ではない。それをさとそうと、男性神の口元が動いても、今の彼女に届かない。

 可能性で言えば、生きている間に魂が宿る数値がどんどん下がっていってしまっていると、激情の渦に飲み込まれている彼女は気づけなかった。

「自分はいないのと一緒。記憶だけが脳に残ってる……」

 奇跡が起きたとしても、結ばれるはずの魂がもうないのだ。神である光命から見れば、そこに誰もいないのだ。

 激情の獣を冷静な頭脳という盾で飼い慣らす、人を魅了しやすいギャップ。永遠の世界の住人のはずなのに、はかないガラス細工のような繊細さが生み出す絶美。

 紺の長い髪を細いリボンで結び、中性的な雰囲気でエレガントに微笑み、丁寧な物腰と口調で、どこかの国の王子様なみたいな、様々な青が似合う光命。

 彼との時間はすでに過去のものとなり、凍えるように倫礼はまた泣き出した。

「もう結婚したよね。きっと幸せな毎日を送ってる。仕事も順調で、子供も生まれて、奥さんとも永遠に仲良くて……。私とは違う恵まれた生活を送ってる……」

 あの美しい神世で生きている青の王子には、彼を好きでいることも知られたくない。こんな空っぽの自分も見られたくない。

 倫礼は涙を拭って、きつく唇をかんだ。

「だから……光命さんは絶対に呼ばない……」

 今後の人生で、光命が守護神として呼ばれることは一度もないほど、彼女はかたくなに拒否してゆく――いや、ただの強情っぱりなのだった。

 こうして、倫礼は一人の守護神に導かれ、泥舟に乗って、荒れ狂う嵐の海を進むこととなった。しかしそれさえも、陛下の計算通りだったのだ。
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