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届かない距離
②
しおりを挟む足を踏み入れた室内の中央には、大きなベッドがある。その上で静かに眠るのは、ここ一ヶ月眠り続ける愛おしい男だ。
真っ先にベッドのそばに駆け寄ると、エアルはサイドテーブルに銀盆を置いた。
「ローシュ様、おはようございます。お加減はいかがですか?」
問いかけたものの、意識のない男から返事はない。それでもエアルは、心をこめて語り続ければいつか目が覚めると信じて疑わなかった。
今ローシュの命を繋いでいるものは、回復魔法の一種だ。医術と魔法に長けた宮廷医の監視の中、絶えずローシュの体にはエネルギーが注がれている。
おかげで帰還直後は痩せこけていた頬もふっくらしている。いつ目が覚めてもおかしくないほどに、ローシュの顔色はよくなったものだ。
「今お身体をお拭きしますね」
盥に張られた湯の中にリネンの手拭いを浸す。少し熱めの湯をしぼり落とし、エアルは手拭いで男の顔を丁寧に拭いた。
ローシュの帰還は新国王であるカリオや臣下の一部には伝えられたが、まだ公にはされていない。国を挙げてローシュの葬儀を行ったこと、いつ目が覚めるかわからないことなど――懸念すべきことが多いため、公にするタイミングは慎重に見極めようというのがカリオの判断だった。エアルとしても、その点については異論なかった。
そして前国王であり、ローシュの父親であるレイモンドにもローシュの帰還は伝えられたそうだ。現在病に臥せている男は、そりの合わない息子の帰還を病床で聞き、何を思ったのだろう。今のところ反応がないことが不気味だった。
もしもローシュがこのまま目を覚まさなかったら……と考えないわけではない。けどそんな不安にばかり目を向けていたら、あまりにもしんどい。だから二人きりになれる朝の日課では、努めて明るい声でローシュに話しかけるようにしていた。
「今朝はいいお天気ですよ。そうそう、先ほど馴染みのエナガが城まで飛んできてくれました」
衣服を纏っていない上半身を、首から鎖骨にかけて拭う。毎日こうやって自分が拭いているから、男の肌は荒れることなく綺麗だ。この体に抱かれたことを思い出すと、身を刻まれるように切なくなる。ローシュとまぐわったときの熱を思い出し、たまらない気持ちになる。
「ローシュ様が可愛がっておられたゼリオスも、あなたのお目覚めをお待ちですよ……」
返事が返ってこないことを知りながらも、エアルはその後もローシュの体を拭きながら語りかけた。
足の先まで拭き終えると、毎朝の日課が終わる。今朝もローシュは目を覚まさなかった。毎日の小さな悲しみと諦めが募っていき、いつか大きな絶望へと成長するような気がして時々怖くなる。
そんなマイナスに傾いた気持ちを振り落とすように、エアルはふうと鼻でため息をつく。銀盆の上で片付けをしていた、そのときだった。
視界の端にあったローシュの左手。その指先が、ピクリと動いたように見えた。片付けていた手を止め、エアルは顔を上げてローシュを見た。だが、男の様子は変わらない。瞼は固く閉じられたままだ。
自分の中にある大きな願望が見せた幻だろうか。気のせい、か。そう思い直し、エアルは再び目線を自身の手元にやった。
思い違いではなかったと知ったのは、か細いかすれ声が聞こえてきた瞬間。
「……ル」
ハッとなって、エアルは頭を勢いよく上げた。ベッドに手を突き、ローシュの顔を窺う。一瞬のまばたきさえ惜しく感じるほど、相手の顔をまじまじと見つめた。
「ローシュ、様……」
知らず知らずのうちに呼びかける。幻でもいい。もう一度動いている姿を目に捕らえたくてしかたがない。声が聞きたい。
エアルはもう一度「ローシュ様、私です。エアルです」と声をかけた。
すると、今度はローシュの瞼がピクピクッと動いた。今度こそ見間違いではない。
「ローシュ様、ローシュ様」
切なる声で何度も呼びかけていくうちに、ローシュの瞼がゆっくりと開いていく。眩しそうに眉間に皺を寄せながら最後まで開いた瞼。その奥にダークレッドの瞳が見えたとき、胸に熱いものがこみ上げて体が震えた。
「……エア、ル……?」
「はい……っはい――……! エアルでございます。あなたのお帰りを、どれほど待ちわびていたことか……っ」
ローシュの左手を取る。ボロボロになった手にすがりつきながら、エアルは涙した。
言葉にならない。嬉しくて、喉が焼けるように苦しい。
「俺は……帰れたのか……城に」
「はい……っ」
力強く頷くと、ローシュの表情が緩んだ。ひと安心したようだ。掠れていた声が「そうか」と柔らかい音になる。
直後こちらへと視線が流れる。エアルがそばにいることを認めたローシュは目を細めた。眠っているときも回復魔法によってエネルギーが体内に注がれていたためか、その場で動くだけの体力はあるのだろう。
手足が一本ずつ失われたせいで体勢を支えるのが大変そうではあるものの、残った左腕と腹筋を使って器用に上半身を起こした。
動けることがわかってよかったが、まだ無理をしないでほしかった。
「どうかご無理はなさらないでください。それよりお加減はいかがで――」
労りの言葉を口にしかけたと同時に、ローシュの左腕が伸びてくる。力強い腕に抱きしめられたのは、そのときだ。
優しく胸の中に引き寄せられる。一年ぶりの抱擁に、懐かしさと愛おしさが体じゅうを春の風のように駆け巡る。
「……寂しい思いをさせたよな」
「……んとに……っ本当に、そうですよ……」
なけなしの力を拳に込めて、エアルは相手の胸を叩いた。
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iku様
早速お読みいただきありがとうございます😊
更新が長らく止まってしまい、たくさんお待たせして申し訳ないです🙇♀️
早くローシュに目覚めてほしい一心で、更新がんばります☺️
エアルとローシュ、やっと再会出来た2人の行く末が気になります!続き…続きはまだですかー(;ω;)
りー様
お読みいただきありがとうございます!
遅くなりましたが今コメントに気付きました🙇♀️
また少しずつ更新していきますので、お付き合いいただけると嬉しいです☺️
nanaco様
コメントありがとうございます!
この親子は本当に正反対ですよね😅
濡れ場に関しても、なるべくご期待に添えるようがんばります💪