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鳥籠の天翼
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空が丸いと知ったのは、いつの頃だっただろうか。ぐんぐんと上昇するにつれて薄くなっていく空気を顔いっぱいに浴びながら、ふと思った。
「……――エアル!」
下の方から割れた声が投げられる。エアルは空を裂いていた翼の動きを止める。浮遊していた体をくるっと後ろに回転させ、要塞風の城を見下ろした。
初めてこのローデンブルク城に連れてこられてから四百年近くが経つ。いつの時代も地味な黄土色をしており、いい加減見飽きたものだ。
二階外裏のバルコニー部分には、蟻のように小さな声の主が確認できる。ワーワーとこちらに向かって何か喚いている。
「うるさい……」
はあ、とエアルはため息をついた。
大きく開いて下に煽いでいた翼を閉じ、わずかな抵抗力を羽に残しつつ地上に降りていく。みるみるうちに子どもの玩具のようだった城に威厳が増し、蟻に見えていた黒い点が人の形を縁取っていく。
煉瓦造りのバルコニーの地面に足先をトンと落とし、エアルは顔の横に流れる長い銀髪を手で払った。
「俺を置いてどこまで飛んでいくつもりだ!」
空から降りてきたエアルを迎えたのは、地団駄を踏むローシュ王子だ。鼻や口に幼さを残しつつ、濃い眉毛とこちらを睨みつける鋭いダークレッドの眼には目力がある。大人になれば、その目に凄味が増すのかもしれない。
とはいえ、あちこち寝癖のように跳ねたショートの黒髪はみすぼらしさえ覚える。まるで城に間違って紛れ込んだ城下町の悪ガキのようだと思った。
エアルにローシュの高貴さはまだよくわからないが、一応これでもザウシュビーク王国の第一王子。この国はいよいよおしまいだなとエアルは鼻で軽い息をついた。
バカにされたと思ったのか、ローシュが嚙みついてくる。
「俺に空の飛び方を教えるのがおまえの仕事じゃないのかよ。勝手に一人で俺の届かない所まで飛ぶなんて卑怯だぞ!」
自身に差された指の先を見据える。エアルは小言をこぼしたくなる腹持ちをグッと腹の底に沈めて、うんざりする流し目を下に送った。
「これはこれは……失礼しました。何度お教えしても、実践する際に顔を下に向けてしまうローシュ様に今一度手本をお見せしなくてはと思いまして」
「だからって雲に届くほど飛んでいかなくたっていいだろっ」
「でしたら貴方様も空の上までご一緒しますか? 私がお連れしますよ」
「そ、それは……」
ローシュは枝のように細い脚で後退り、エアルが授けた【フリューゲルの杖】をギュッと両手で握り締めた。
先端に魔法でダイヤモンド化させたエアルの羽根が飾られた杖は、杖全体にフリューゲルの魔力が込められている。これがあるおかげで、ただの人間であるローシュも歴代の王族たちも空を飛ぶことができた。
ローシュは小さく頭を横に振った。
「……また今度にする。今日は疲れた。歴史の宿題もあるし」
「そうですか。では次回にしましょう」
ローシュ王子は同じ所でずっと躓いている。何度エアルはこの口から「次回にしましょう」と言ったか、もはや覚えていない。
杖を渡しているのだから、ローシュも飛べる条件は揃っている。だがこの口だけ負けん気王子は、空を浮遊することに対していつまで経っても恐怖心があるようだ。
飛空訓練を始めてちょうど一年が経つ。ローシュの飛行への恐怖心ができたのは、初回の訓練のとき。空を飛ぶ感覚を覚えてほしくて、エアルはローシュを抱きかかえて塔の見張り台まで飛んでやった。
その際ローシュが思いのほかジタバタと暴れたために、エアルはその小さな体を落としかけてしまったのだ。幸いすぐに迎えに行き、事なきを得た。
「怖がらせてしまい申し訳ございませんでした」
再び抱き上げて顔を覗き込むと、ローシュは「こ、怖くない」と否定した。口では強がっているものの、エアルの着ているローブをきつく握りしめたまま、ブルブルと体を震わせていた。
あのときの件がトラウマになっているらしい。落下したのはローシュの身長分ほどの距離だったが、恐怖を抱くには充分だったようである。
ローシュはそれ以降、飛行の実技を避けるようになった。
危険な目に遭わせてしまった自分の責任とはいえ、このまま実技を避け続けられるといつまで経っても修了証を授けることができない。
飛行訓練が終われば、次は魔法習得の訓導に移る。今の状態では魔法を教える段階にも到達することができない。つまり自分の仕事が……ローシュのお守りが長く続くということになる。
不本意である。考えただけでうんざりする。
ローシュはザウシュビーク王国を統べる王族であり、いずれは国王となる王子だ。対してエアルは元々戦争孤児のフリューゲル。七代前のアリック王に拾われたことで王族の教育係になった身だ。
無理強いしてローシュがへそを曲げても、結局国王や執事から叱責を受けるのは指導係である自分になる。面倒なことが増えるだけだ。
エアルは飛行で乱れたローブの襟を正した。
「では今日はこれで終わりです。いい加減、せめて片手で杖を持てるようにしてきてくださいね」
苦痛な時間が終わったことに強気を取り戻したのか、ローシュがタタタ……と駆け寄ってくる。飛行訓練時は一切近づいてこないくせに、終われば現金なものだ。
空が丸いと知ったのは、いつの頃だっただろうか。ぐんぐんと上昇するにつれて薄くなっていく空気を顔いっぱいに浴びながら、ふと思った。
「……――エアル!」
下の方から割れた声が投げられる。エアルは空を裂いていた翼の動きを止める。浮遊していた体をくるっと後ろに回転させ、要塞風の城を見下ろした。
初めてこのローデンブルク城に連れてこられてから四百年近くが経つ。いつの時代も地味な黄土色をしており、いい加減見飽きたものだ。
二階外裏のバルコニー部分には、蟻のように小さな声の主が確認できる。ワーワーとこちらに向かって何か喚いている。
「うるさい……」
はあ、とエアルはため息をついた。
大きく開いて下に煽いでいた翼を閉じ、わずかな抵抗力を羽に残しつつ地上に降りていく。みるみるうちに子どもの玩具のようだった城に威厳が増し、蟻に見えていた黒い点が人の形を縁取っていく。
煉瓦造りのバルコニーの地面に足先をトンと落とし、エアルは顔の横に流れる長い銀髪を手で払った。
「俺を置いてどこまで飛んでいくつもりだ!」
空から降りてきたエアルを迎えたのは、地団駄を踏むローシュ王子だ。鼻や口に幼さを残しつつ、濃い眉毛とこちらを睨みつける鋭いダークレッドの眼には目力がある。大人になれば、その目に凄味が増すのかもしれない。
とはいえ、あちこち寝癖のように跳ねたショートの黒髪はみすぼらしさえ覚える。まるで城に間違って紛れ込んだ城下町の悪ガキのようだと思った。
エアルにローシュの高貴さはまだよくわからないが、一応これでもザウシュビーク王国の第一王子。この国はいよいよおしまいだなとエアルは鼻で軽い息をついた。
バカにされたと思ったのか、ローシュが嚙みついてくる。
「俺に空の飛び方を教えるのがおまえの仕事じゃないのかよ。勝手に一人で俺の届かない所まで飛ぶなんて卑怯だぞ!」
自身に差された指の先を見据える。エアルは小言をこぼしたくなる腹持ちをグッと腹の底に沈めて、うんざりする流し目を下に送った。
「これはこれは……失礼しました。何度お教えしても、実践する際に顔を下に向けてしまうローシュ様に今一度手本をお見せしなくてはと思いまして」
「だからって雲に届くほど飛んでいかなくたっていいだろっ」
「でしたら貴方様も空の上までご一緒しますか? 私がお連れしますよ」
「そ、それは……」
ローシュは枝のように細い脚で後退り、エアルが授けた【フリューゲルの杖】をギュッと両手で握り締めた。
先端に魔法でダイヤモンド化させたエアルの羽根が飾られた杖は、杖全体にフリューゲルの魔力が込められている。これがあるおかげで、ただの人間であるローシュも歴代の王族たちも空を飛ぶことができた。
ローシュは小さく頭を横に振った。
「……また今度にする。今日は疲れた。歴史の宿題もあるし」
「そうですか。では次回にしましょう」
ローシュ王子は同じ所でずっと躓いている。何度エアルはこの口から「次回にしましょう」と言ったか、もはや覚えていない。
杖を渡しているのだから、ローシュも飛べる条件は揃っている。だがこの口だけ負けん気王子は、空を浮遊することに対していつまで経っても恐怖心があるようだ。
飛空訓練を始めてちょうど一年が経つ。ローシュの飛行への恐怖心ができたのは、初回の訓練のとき。空を飛ぶ感覚を覚えてほしくて、エアルはローシュを抱きかかえて塔の見張り台まで飛んでやった。
その際ローシュが思いのほかジタバタと暴れたために、エアルはその小さな体を落としかけてしまったのだ。幸いすぐに迎えに行き、事なきを得た。
「怖がらせてしまい申し訳ございませんでした」
再び抱き上げて顔を覗き込むと、ローシュは「こ、怖くない」と否定した。口では強がっているものの、エアルの着ているローブをきつく握りしめたまま、ブルブルと体を震わせていた。
あのときの件がトラウマになっているらしい。落下したのはローシュの身長分ほどの距離だったが、恐怖を抱くには充分だったようである。
ローシュはそれ以降、飛行の実技を避けるようになった。
危険な目に遭わせてしまった自分の責任とはいえ、このまま実技を避け続けられるといつまで経っても修了証を授けることができない。
飛行訓練が終われば、次は魔法習得の訓導に移る。今の状態では魔法を教える段階にも到達することができない。つまり自分の仕事が……ローシュのお守りが長く続くということになる。
不本意である。考えただけでうんざりする。
ローシュはザウシュビーク王国を統べる王族であり、いずれは国王となる王子だ。対してエアルは元々戦争孤児のフリューゲル。七代前のアリック王に拾われたことで王族の教育係になった身だ。
無理強いしてローシュがへそを曲げても、結局国王や執事から叱責を受けるのは指導係である自分になる。面倒なことが増えるだけだ。
エアルは飛行で乱れたローブの襟を正した。
「では今日はこれで終わりです。いい加減、せめて片手で杖を持てるようにしてきてくださいね」
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