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鳥籠の天翼
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王子の耳に入らないよう、エアルは小さく息を衝く。ローシュが生まれてから十一年。いつか城内に流れている言い伝えや噂を、ローシュが耳にするときが来るとわかっていた。今がたまたまそのタイミングだっただけで、さして驚きはない。
「誰から何を聞いたのか知りませんが、私の指導内容はこれまでと一切変わりませんよ」
ローシュはバツが悪そうに「わかってる」と斜め下へ目をやる。
「でも……エアルがお母さまやおばあさまを死に至らしめたって、モーリス先生が言ってたから」
幼い頃から自分の教育係だったエアルに対して、複雑な感情を抱いていることがひしひしと感じられる。
ローシュに間違った言い伝えを教えたのが歴史教師と知り、エアルはその無能さに呆れた。なんて馬鹿らしい。
「それで? その話を聞いてローシュ様はどうお思いになったのですか?」
ローシュは言いにくそうに、
「ひどいと思った」
「酷い?」
「だっておれにはお母さまがいないんだ。会えないのはエアルのせいなんだって思ったら……なんか、悲しくなった」
ローシュは唇を尖らせる。歴史教師の話をほぼほぼ信じているらしい。自分を産んでくれた母親が幼い自分を遺して死ぬことになったのは、エアルの呪いのせいだと思っているのだろう。歴代の王たちも、子どもの頃は母や祖母の仇とエアルに噛みついてくる時期があった。
エアルはローシュの疑問に、否定も肯定もしなかった。子どもの前で誰も幸せにならない話を――しかも事実かどうか定かでない内容の話をするなんて、人間はこれだから嫌いだ。
「私を憎もうが恨もうがあなたの勝手ですが、あなたに飛行訓練と魔法をお教えすることが私の仕事です。習得するまでは私の言うことを聞いていただきますよ」
「本当にエアルがお母さまを?」
疑念と不安の入り混じった目がこちらを見上げてくる。
「そのことについては、現在も今後も私から申し上げることは一切ございません」
フンと鼻を鳴らし、エアルはローシュの横を通り過ぎた。
執事のアンドレがエントランスの出入口に立っていることに気づいたのは、そのときだった。
「ローシュ様の飛行訓練は終わりましたでしょうか」
アンドレは片眼鏡をした初老の男だ。下僕として王城で働き始めた十代後半の頃から細見の体型は変わらないが、薄くなった頭と顔中に刻まれた皺は年々深くなっている。下僕の頃から仕事に無駄のない男で、あれよあれよという間に四十代半ばで執事の座にまで上り詰めていた。
「終わりましたよ。本日は歴史の宿題があるそうです」
エアルが答えると、アンドレはローシュに向かって「後ほどローシュ様のお部屋に家庭教師を向かわせます」と頭を下げた。折った腰を伸ばすとともに、片眼鏡の奥からエアルへ目を向ける。
目が合った瞬間、用があるのはローシュではなく自分なのだと理解する。
「国王がお呼びでございます」
しわがれた声に諭される。現国王・レイモンドが自分を呼ぶ理由は一つしかない。
「また父上? 昨日も一昨日も父上の寝室に行ってたじゃんか」
「よく観察されていますね。その観察眼を飛行訓練にも役立ててはどうですか?」
「うるさいなあ! ていうか、二人でいつもコソコソ何してるんだよ」
ローシュは不満そうに頬を膨らませる。
レイモンドはエアルから見ても家族に関心がない。ローシュを産んだあとにすぐ亡くなった王妃やローシュはもちろんのこと、第二王子のカリオと亡きその母親であった側室にも、まるで興味がないのだ。
構ってくれない父親が、エアルとだけはよく二人きりになっていることが不思議に感じられるのだろう。エアルの元に国王からの呼び出しがあると、よく「おれも一緒に行きたい」と駄々をこねる。
だがローシュを連れて行くことはもちろん、何が行われているのかを告げることさえ、さすがのエアルにも躊躇いがあった。
エアルは「チェスだと言ってるじゃないですか」とだけ言い残し、ローシュに背を向ける。
「準備してから向かいます」
小声で耳打ちすると、アンドレは「性急にお願いいたします」とエアルの言葉を無視し、王の意向を告げた。
王子の耳に入らないよう、エアルは小さく息を衝く。ローシュが生まれてから十一年。いつか城内に流れている言い伝えや噂を、ローシュが耳にするときが来るとわかっていた。今がたまたまそのタイミングだっただけで、さして驚きはない。
「誰から何を聞いたのか知りませんが、私の指導内容はこれまでと一切変わりませんよ」
ローシュはバツが悪そうに「わかってる」と斜め下へ目をやる。
「でも……エアルがお母さまやおばあさまを死に至らしめたって、モーリス先生が言ってたから」
幼い頃から自分の教育係だったエアルに対して、複雑な感情を抱いていることがひしひしと感じられる。
ローシュに間違った言い伝えを教えたのが歴史教師と知り、エアルはその無能さに呆れた。なんて馬鹿らしい。
「それで? その話を聞いてローシュ様はどうお思いになったのですか?」
ローシュは言いにくそうに、
「ひどいと思った」
「酷い?」
「だっておれにはお母さまがいないんだ。会えないのはエアルのせいなんだって思ったら……なんか、悲しくなった」
ローシュは唇を尖らせる。歴史教師の話をほぼほぼ信じているらしい。自分を産んでくれた母親が幼い自分を遺して死ぬことになったのは、エアルの呪いのせいだと思っているのだろう。歴代の王たちも、子どもの頃は母や祖母の仇とエアルに噛みついてくる時期があった。
エアルはローシュの疑問に、否定も肯定もしなかった。子どもの前で誰も幸せにならない話を――しかも事実かどうか定かでない内容の話をするなんて、人間はこれだから嫌いだ。
「私を憎もうが恨もうがあなたの勝手ですが、あなたに飛行訓練と魔法をお教えすることが私の仕事です。習得するまでは私の言うことを聞いていただきますよ」
「本当にエアルがお母さまを?」
疑念と不安の入り混じった目がこちらを見上げてくる。
「そのことについては、現在も今後も私から申し上げることは一切ございません」
フンと鼻を鳴らし、エアルはローシュの横を通り過ぎた。
執事のアンドレがエントランスの出入口に立っていることに気づいたのは、そのときだった。
「ローシュ様の飛行訓練は終わりましたでしょうか」
アンドレは片眼鏡をした初老の男だ。下僕として王城で働き始めた十代後半の頃から細見の体型は変わらないが、薄くなった頭と顔中に刻まれた皺は年々深くなっている。下僕の頃から仕事に無駄のない男で、あれよあれよという間に四十代半ばで執事の座にまで上り詰めていた。
「終わりましたよ。本日は歴史の宿題があるそうです」
エアルが答えると、アンドレはローシュに向かって「後ほどローシュ様のお部屋に家庭教師を向かわせます」と頭を下げた。折った腰を伸ばすとともに、片眼鏡の奥からエアルへ目を向ける。
目が合った瞬間、用があるのはローシュではなく自分なのだと理解する。
「国王がお呼びでございます」
しわがれた声に諭される。現国王・レイモンドが自分を呼ぶ理由は一つしかない。
「また父上? 昨日も一昨日も父上の寝室に行ってたじゃんか」
「よく観察されていますね。その観察眼を飛行訓練にも役立ててはどうですか?」
「うるさいなあ! ていうか、二人でいつもコソコソ何してるんだよ」
ローシュは不満そうに頬を膨らませる。
レイモンドはエアルから見ても家族に関心がない。ローシュを産んだあとにすぐ亡くなった王妃やローシュはもちろんのこと、第二王子のカリオと亡きその母親であった側室にも、まるで興味がないのだ。
構ってくれない父親が、エアルとだけはよく二人きりになっていることが不思議に感じられるのだろう。エアルの元に国王からの呼び出しがあると、よく「おれも一緒に行きたい」と駄々をこねる。
だがローシュを連れて行くことはもちろん、何が行われているのかを告げることさえ、さすがのエアルにも躊躇いがあった。
エアルは「チェスだと言ってるじゃないですか」とだけ言い残し、ローシュに背を向ける。
「準備してから向かいます」
小声で耳打ちすると、アンドレは「性急にお願いいたします」とエアルの言葉を無視し、王の意向を告げた。
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