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洞窟
①
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王族が暮らすローデンブルク地方とは違い、目的地となるユレウス地方の空は常に悪天候だ。エアルがユレウス地方に向かうのは、先の大戦が起きるずっと前になる。まだ多くの同胞たちが空を行き交う平和な時代に、その地域でしか見ることのできない乱層雲を見るため、友人と出かけて以来だ。
空の表情は、数百年前から特に変わってはいないようだ。ローシュとともに境界となる橋を越えてユレウス地方に入ると、雨の針がポツポツと降り始め、エアルたちの着衣を濡らした。周囲で香っていた植物の青々としたにおいは、いつの間にか土が濡れたような濃いものへと変わっている。
洞窟に着いたのは昼頃だった。城を出発してから半日ほど経っているはずだが、悪天候のせいで太陽がどの位置にいるかまでは見定めることができない。
到着するや否や、ローシュが洞窟の入口前にそびえ立つ木に馬の手綱を括り付ける。侵入者を飲み込んでしまいそうなほど真っ暗な洞窟の入口を用心深く見つめて、「松明が必要だな」と木の根元に落ちていた腕ほど太い枝を拾った。
「ランプを持ってくればよかった」
男の手が掲げた枝の先に、エアルは魔法で火を灯す。
「不用心に城から持ってきたランプを使用すると、知能の高い魔物に王族だと勘付かれます。それに松明はいざという時に棍棒として武器にもなる。ランプは旅慣れていないことを自ら魔物たちに示すようなものですよ」
ローシュは「そういうものなのか」と感心すると、「やっぱりエアルがいてくれてよかった」と頷いた。
頼られるのはまんざらでもない。だがそれ以上に、ローシュの不用心さが心配になる。成年王族となったところで、この王子は物事を知らない子どもなのだと実感する。
ローシュはエアルの一歩先に出た。まるで姫を守る騎士のように、
「もしも魔物が襲ってきたら、俺の後ろに身を隠すんだぞ」
と斜め後ろにいるエアルに向かって言った。
キョトンとする。こんなにも経験値に差があるというのに、自分を守るつもりでいるのか。前なら笑い飛ばしていたところだった。
でも今は少しも笑えない。嬉しいような、切ないような……同時に頼もしさも感じているのかもしれない。エアルは動揺を隠しながら「……どうも」とだけ口にした。
松明を手にしたローシュのあとに続き、真っ暗な洞窟の中に足を踏み入れる。奥に続く道は足場が悪く、ところどころぬかるんでいた。隆起した小岩に何度も躓きそうになりながら、奥を目指して歩いていく。
水を含んだひんやりとした空気が肌にまとわりつく。どこからか聞こえてくるのは、雫が水面に落ちる音。魔物の気配がそこかしこから漂ってきて不気味だった。
エアルたちの前に魔物が現れたのは、それからすぐのことだった。二つの道に分かれた分岐点で、盛り上がった岩の陰からそれは飛び出してきた。枕ほどの物体は、まるで大きな栗のような形をしている。エアルはすぐにその正体がマロンマンという名前の魔物だと気づいた。実物を見るのはいつぶりだろう。
マロンマンは指のない短い手足と、自身の体よりも大きな木槌を持っているのが特徴の魔物だ。奇声を発しながら木槌を振り回している。次の瞬間、エアルたちの膝にまで満たない小さな体を弾ませながら、こちらに襲い掛かってきた。
エアルはいつでも呪文が唱えられるよう身構える。
「ローシュ様、落ち着いて魔物から距離をとってください!」
マロンマンは決して強い相手ではない。だがローシュにとってはこれが初めての戦闘になる。いつでも最大限の援護ができるようにしたかった。
直後、エアルの心配は杞憂に終わった。腰に帯剣していた鞘からローシュが瞬時に剣を抜き取ると同時に、マロンマンがその場に倒れ落ちたのだ。
正面から剣の衝撃を味わったマロンマンの体が胴体から頭にかけて砂にまみれていく。風穴から流れてくる風によって、砂となった魔物の体は散り散りに跡形もなく消え去った。
瞬時の出来事だった。エアルは呆気にとられながら、片手で剣を鞘に収める男の背中を見つめた。
「ん? 何か言ったか?」
少し遅れて、ローシュが振り返る。その表情には、初めての戦闘に対する恐れも感慨深さも見受けられない。まるで道端に落ちていた石ころを避けるぐらいの軽さだった。
あまりにもあっさり終わった初戦闘。エアルは自分が何を言ったのか、頭からすっぽりと抜けるほど呆気にとられた。かろうじて返せた言葉は、「あ、いえ」という否定だけだった。
それからというもの、洞窟の探索は順調そのものだった。襲い掛かってくる魔物が現れるたび、ローシュの振るう剣が相手を返り討ちにした。
戦闘に応戦したかったものの、エアルは呪いにより攻撃魔法を発動させることを禁じられている。最初は戦闘に関するすべてをローシュに任せきりにするのはいかがなものかと内省したが、下手に自分が手を出したところでローシュの邪魔になるだけだと早々に判断した。
時折ローシュが魔物から攻撃を受けた際には、防御魔法や回復魔法の呪文を唱えることで戦闘の援護をした。
順調に進んでいた探索の雲行きが怪しくなったのは、水の流れる音が聞こえ始めた頃だ。これまでの道中も、水面にチャポンと水が落ちる音は度々聞こえていた。
しかし最奥を目指して深い闇に向かうにつれ、滝の落ちるような激しい水音が近づいてくる。洞窟の果てが迫っていることを、エアルは肌感覚で実感した。
そんなときだった。エアルたちは廃れた廃井戸の前をちょうど通りかかった。廃井戸ははるか昔、まだこの洞窟から炭鉱が採掘できた時代の名残だろう。今はただの廃材と化した井戸の横に、うずくまっている人影が見えた。
どうしてこんな所に人が?
エアルが疑問に思ったときには、一歩前を歩いていたローシュが小走りになっていた。廃井戸の方へと向かい、「大丈夫か?」と声をかける。
その声に応えるようにして、人影の首が回り出す。振り返った顔をローシュの松明が照らした瞬間、エアルはハッと青ざめた。
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