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洞窟
②
しおりを挟む「お逃げください!」
エアルが叫ぶと同時に、人影の手がローシュの頭に振り下ろされる。攻撃の手が振りかかる直前にローシュがサッと頭と体を引く。おかげで直撃を浴びずに済んだようだ。
「あれは魔物なのか!?」
ローシュは後退ってから体勢を整える。すかさず鞘から剣を抜き、顔の前に銀の刃先を構えながらエアルに問うた。
「魔物です! 魂が抜けた人の死体に、魔物の死霊が乗り移ったものです!」
エアルはまくし立てて説明した。
見た目には人の面影を残しているが、前に出した両手を手首ごと下げた姿や、ギョロギョロと不自然に動く目、何よりも生気のない腐った肌は完全に魔物のそれだ。
「器が人だったからといって、情など無用です! ここで死にたくなければ、これまで倒してきた魔物と同じように剣を振るうのです!」
エアルの言葉に従って、ローシュが剣を勢いよく振りかざす。バシュッと剣が空を裂く音とともに、魔物の体は真っ二つに割れた。例に漏れず、倒された魔物の体は砂に還っていく。
だが、戦闘が落ち着いたのも束の間のことだった。魔物を倒した直後、ローシュが突如苦しみ始めたのだ。
血管の浮き出た自身の首を両手で絞め、「か、は……っ」と背中を丸める。まるで喉に詰まった何かを吐き出したそうに全身をカタカタと震わせ、苦しんでいる。
この姿は間違いない。ローシュを苦しませているものの正体を察した。「見せてくださいっ」と顔の横を両手で挟み、ローシュに上を向かせる。
口の横から吹き出した泡に、紫色に変色した唇。そして、先ほど魔物の攻撃を避ける際に負ったであろう頬の裂傷――。
「毒ですね」
エアルは冷静な口調で断言する。
しかも通常の毒の威力より、倍はあろうか。通常の毒なら、侵された者は毒を浴びたことにも気づかず、少しずつ体力を奪われていくだけだ。ローシュの激しい苦しみ方を見る分に、毒の威力は倍……いやそれ以上あるかもしれない。このまま放置すれば、ローシュの体力はどんどんと奪われ、この洞窟を出る頃には命さえ危ぶまれるだろう。
完全に見誤った。この洞窟の奥に巣食う魔物のレベルを甘く見ていた。エアルは自身への悔しさから舌打ちした。
そうしているうちにも、ローシュの顔色は悪くなっていく。王子の背中に手を置き、エアルはスウッと深呼吸する。目を瞑り、口の中で呪文を唱える。手のひらに熱が灯ると同時に、自身の手から白銀の光が広がる。ローシュの体が聖なる光に包まれていく。
すると脂汗に濡れた額から汗が引き始め、険しく歪んでいた眉が穏やかな曲線に戻っていった。
回復魔法をかけた甲斐あってか、ローシュが薄目を開けるまでに時間はかからなかった。ローシュは意識の戻った頭で、体が動くかどうか確認しているのだろう。小さく咳をしながら、自身の両手を開いたり握ったりしている。体内を蝕んでいた毒は、無事に抜けたようだ。
「今のは何だったんだ?」
と、自分の身に起こったことを尋ねる余裕まである。
「死霊の猛毒ですね。呪いが込められているため、生きている魔物の毒よりも質が悪い。しかも毒消し草が効かないのです」
「毒消し草が効かない――それは困るな」
ローシュが訝しげな表情をする。それもそのはずだ。ただの毒なら荷袋に入っている毒消し草で対処できるが、呪いと毒が一緒くたになった死霊の猛毒ではローシュ一人の力ではどうにもならない。
「ええ。私の魔力が尽きる前にさっさとここを出ましょう」
洞窟の果てはもうすぐそこだ。エアルは滝の音が聞こえてくる闇に目を向けながら言った。
毒を放つ腐った死体は、それから何度かエアルたちの前に現れた。ローシュは一度毒に侵された身でありながらも、襲い掛かってくる魔物に臆することなく立ち向かっていった。
ローシュの後ろにいれば、腐った死体はエアルに襲い掛かってくることはない。戦闘時、エアルは後ろからローシュの防御力を上げる呪文を唱え、ローシュが攻撃を受けたときには回復魔法でローシュの毒や傷を癒した。後方から援護しながら、自身の役割に徹したのだった。
最奥にたどり着いたのは、いくつもの戦闘をかいくぐったあとだ。エアルの魔力も全体の残り三分の一ほどにまで減っている。帰りの道中は、魔力を節約して帰らなければと身を引き締めた。
「ここが洞窟の果て……でいいのか?」
ローシュは突き当りの岩壁に流れる大きな滝を見上げた。天井に小さな穴が空いているのか、外の光がわずかに射し込んで滝の流れに反射している。
「はい。大きな滝の流れる場所が洞窟の果てであると、地図には記されています」
城内の古代図書館から借りた古地図を広げ、エアルは伝えた。続けて辺りをきょろきょろと見渡す。
「宝のようなものは……やはり無さそうですね」
周りは湿った苔を生やした地面が続いているだけだ。宝らしきものは当然ない。
エアルは肩を落とす。わかりきっていた結果だが、せっかくここまで来たのだ。わずかに期待している自分がいた。
反対にローシュはそこまで落ち込んでいない様子だった。滝の前まで移動し、大股を開いて膝を折る。滝落としで泡吹く滝壺の中を覗き込むと、その中に躊躇なく手を入れた。
「ちょっ、何してるんですか!」
慌てて男の傍に行く。後ろから男の手元を見る。
「宝はないようだが、ほら」
得意げに振り返ったローシュは、滝壺の中から抜いた手をエアルに見せてきた。水に濡れたローシュの指が摘まんでいたもの――それは、緑色をしたガラスの欠片だった。少し角が取れ、まるでいびつな宝石のように見えなくもない。元は酒瓶が割れたものだったのだろう。石ころほどの大きさのそれを、ローシュは「なかなか綺麗じゃないか?」と頭上から射し込む光にガラス片をかざして覗き込んだ。
「まあ、父上がこれで納得するとは思えないから、あとはそうだな……これなんかどうだ?」
足元を見回したローシュの目が、ある一点で止まる。すると再び滝壺の中に手を突っ込んだ。水の中から取り出してきたのは、滝壺に落ちていたツルハシだった。石炭を採取するための道具で、ここに来るまでの道中でも道端にいくつも落ちていた。長年水に浸っていたせいか、元の色がわからないほどに錆びている。
落ち込んでいる自分とは反対に、少年のように目をきらきらとさせているローシュがおかしかった。張っていた肩の力が抜ける。
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