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洞窟
③
しおりを挟む「これが王族の宝、ですか」
エアルは思わず頬を緩め、口元に手をやってふふっと笑った。
「王族の宝なんかより、よっぽどいいものだろう。なんたって、この洞窟の歴史を見てきた道具だぞ」
「無茶苦茶ですね」
もちろんレイモンド王が納得するとは思えない。だが、王族の宝よりいいものだという発言には、エアルも賛同したい気持ちになった。
「そんな中古品が宝という発言には同意しかねますが、たしかにこのツルハシに沁み込んだ水質を調べれば、この洞窟のものだと判断できるでしょう。私も存在しなかった宝を悔やむより、こちらを持ち帰った方がよほど建設的かと思います」
そう言ったあと、驚いたような顔をするローシュと目が合った。変なことを言ったつもりはなかった。自分は何か失態を犯してしまっただろうか。「な、なんですか?」と恐々尋ねると、ローシュは「いや」と首を横に振った。言いにくそうに頭の後ろを掻く。
「今の状況はエアルにとってどうなんだろうと疑問に思ってな。俺は単純だから、今の言葉はエアルが俺と同じく父上に認められたいと思っているように聞こえたから」
「…………あ」
エアルはあんぐりと口を開ける。自身の発言を顧みると、たしかにローシュの言うように捉えられてもおかしくない。そんなつもりはなかったのに、自分は一体どうしたんだろうか。
「今はまだ答えを急ぐべきじゃない……そう思っているが、少しでも俺のプロポーズを受けてくれる気があるのかと期待した」
ローシュは顔を赤らめて言うと、ちらりとこちらを見た。自分はどんな顔をしているのだろうか。ローシュは苦笑し、「焦っているわけじゃないから」と先ほど滝壺の中から拾ったガラスの欠片を、自身の胸ポケットにしまった。欠片の入った胸を服の上から、大事そうに手で押さえる。
「でもこれは持って帰ってもいいか? エアルと旅をした記念として」
「……そんなもの、ガラクタじゃないですか」
「ばか。宝物だよ」
ゴミのようなものを大事そうに扱う男に、胸が締め付けられる。まただ、と思った。ローシュの真っ直ぐな想いに触れるたびに、どうしていいかわからなくなる。自分の心がどこを指せばいいのか迷子になってしまう。
黙るばかりでは、ローシュへの罪悪感だけが溜まっていくだけだというのに。エアルはうつむき加減に言葉を探した。
ローシュの気持ちは迷惑じゃない。求婚されて戸惑ってはいるが、立場や種族が違うとか寿命がとか、そういったどうにもならないこと以外での断る理由が思い浮かばない。
そのまま言葉にしていいものだろうか。エアルは迷いながらも、ゆっくりと口を開けた。
「ローシュ様、私は――」
そのときだった。滝壺の中から、奇声とともに何者かが飛沫をあげて飛び出してきた。
ローシュが背を向けている隙を狙って襲い掛かってきたのは、腐った死体だ。咄嗟にローシュが振り向くが、きっと間に合わない。剣を引き抜く隙がない。
「危ない!」
気づいたら体が勝手に動いていた。エアルは真正面にいたローシュの体を両手で横に弾き飛ばした。受け身をとっていなかった男の体が地面に倒れる。ローシュという壁を無くした自分の前には、腐った死体が迫っている。
逃げようと足を後ろに引いたときには遅かった。せめて魔物の攻撃を避けようと両手で顔を防ぐ。だが腐った死体の鋭い爪はエアルの腕を容赦なく裂いた。
「うっ……!」
白いローブは血に染まり、熱をもった痛みが腕から広がっていく。同時に、腐った死体が狙いをまだ体勢の整っていないローシュへと向けた瞬間を見逃さなかった。
エアルは防御魔法の呪文を急いで唱え、攻撃の手を振りかざす魔物とローシュの間に魔法陣の壁を作った。
期せずして魔法陣に体当たりした魔物が雷に触れたかのように弾き飛び、地面に落ちる。その隙に腰から引き抜かれたローシュの剣が、魔物の体を真っ二つに引き裂いた。
一瞬の出来事だった。砂塵となって消える魔物の亡骸を前に、エアルはホッとする。
「エアル!」
ローシュの元気そうな声を聞き、力が抜ける。じんじんと血液が脈打つ感覚が、痛みとともに痺れと、頭を水に沈められているような息苦しさを連れてくる。
力の抜けた膝を支えられなくて、エアルはローシュの腕に支えられながらその場で崩れ倒れた。
「くそっ……毒にやられたか」
悔しそうな顔をしたローシュが舌打ちをする。
「すまない、俺が不甲斐ないばかりに……いや、謝罪はあとだ。毒消しの魔法は使えるか?」
切羽詰まった男に問われたが、エアルは首を横に弱々しく振ることしかできない。
「申しわ、け……ござ、ませ……ん。魔力が、もう……」
「魔力? まさか魔力が底を尽きたというのか!?」
エアルは力なく頷いた。
さっきまで体内に残っていた魔力だが、先ほどローシュを弾き飛ばす際、そして傷一つ負わせないためにと強力で大きな防御壁を作り出した際に使い切ってしまった。
普段なら魔力を調整するはずの場面なのに、ローシュの身が危ないと焦ったら加減ができなかった。なんて初歩的なミスだろう。自業自得だ。
エアルの中に魔力が残っていないことを知り、ローシュの顔色が見るからに焦り出す。
「そんな……っ!」
「わ、たしを、置いて、お一人で……行って、ください……っ」
「は!? 何をバカなことを言ってるんだ!」
「いい、から……っ早、く」
「エアルを一人残して行けるわけがないだろう!」
ローシュの怒りと絶望を滲ませた眉が歪む。
ここにいたら魔物に襲われる可能性があるが、しばらく休めば魔力は回復する。そのときが来るのを待てばいいだけなのに、ローシュはまるで今生の別れのように取り乱していた。
「回復したら、すぐに魔法で毒を消して……っ追いかけます、から……」
こちらは喋るのもつらいのだ。吐き出したいのに吐き出せないもどかしさを泡として口から吐くが、喉を狭める苦しさは膨れ上がる一方だ。
まずいかもしれないと思ったのは、その直後だ。毒の回りが速い気がした。魔力が回復する前に、力尽きる自分の姿が容易に想像できたのがその証拠だ。
だが、ローシュが傍にいたところで魔物に狙われるだけだ。未来の王を……いや、こんなにも純粋で愛情深い男を、こんなところで終わらせるわけにはいかないと思った。
「……っ早く……っ」
振り絞って言ったが、ローシュは梃子でも動かないのか「嫌だ」と泣きそうな顔でエアルを見下ろしている。
そんな男がやっと動いたのは、毒の回りがエアルの視力を奪い始めた頃だ。目を開けているはずなのに、エアルの視界はもやがかかり、唯一見えた滝口から注がれる外の明かりも見えなくなっていた。
自分がローシュの膝に寝かされていることだけはかろうじてわかる。滝の流れる音と、ローシュの手がさっき傷を負ったこちらの腕を支えている感覚だけがある。
「ロ、ローシュ様、一体なにを……っ」
「一か八か、俺に託してくれ」
覚悟を決めた低い声が耳を刺激する。これから何をされるのだろう。ビクビクしていると、痛みと熱を伴った腕の傷に何かが触れた。
遅れてちうっと吸われる感覚が傷口に痛みを呼ぶ。間違いない。この感触は唇だ。唇が離れると痛みが加わり、エアルは「いっ」と顔をしかめる。が、「悪いが我慢してくれ」とローシュの声にいなされる。
まさか毒を吸い出そうとしているのだろうか。そんな原始的な方法が効くとでも思っているのだろうか。
半信半疑だったが、今度は聴覚にまで毒が回ってきている。ローシュが毒を吸い出す音や滝の音が遠くなり、やがて聞こえなくなった。自分の声も聞こえないので、喋ることもかなわない。
暗く、音の無い世界で一人きりになる。ローシュの唇の感触と熱が最後の頼りだった。
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