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死と結婚と
⑤
しおりを挟むヒン、と鳴くゼリオスの声に、エアルの意識は呼び戻される。足元でさらさらと流れる小川の流水に、自身の痩せた顔が映っていた。
今はゼリオスの体温だけが信じられる。ローシュの愛馬だけが、ローシュと自分を繋げてくれている。
「私もおまえみたいに強くなりたいよ」
ゼリオスの長い鼻梁に頬をすり寄せていると、近くの茂みから物音が聞こえた。
「誰だ」
語気を強め、茂みを警戒する。
エアルが身構える前に、相手はすぐに姿を現した。それは王族に仕える伝令の者だった。まだ十代後半の若い男で、鼻周りに散るそばかすから、何度か使いに来た者であると知る。
伝令の者が森の中にいるエアルのところまでやってくるのは、たいていレイモンド王に夜の相手として呼ばれるときだ。早速気が重くなるが、王は現在病に伏していると聞く。
何を伝えにきたのだろうか。エアルが不思議に思っていると、伝令の男は機械的に口を開いた。その内容は思いもよらないものだった。
「カリオ王子のご結婚がお決まりになりました。レイモンド王の生前退位の儀と、カリオ王子の新国王即位式および婚礼の儀を、喪が明けた日の明日に執り行うとのことです」
エアルはその瞬間、耳を疑った。思わず「は?」と口が開いてしまう。
喪が明けた日の明日――それはつまり今日から数えて三日後になる。なんて早急な日取りだろうか。それに……
「一日のうちに三つもの儀式を執り行うというのか?」
「さようでございます」
「馬鹿げている。前代未聞じゃないか」
伝令にこんな愚痴をこぼしたところで仕方がない。わかっているが、言わずにはいられなかった。
カリオはまだ十八歳になって間もない。結婚できる二十歳を迎えるまであと二年ある。
それに相手は見つかったのだろうか。一週間前には、妃殿下候補がまだ一人も見つかっていないと聞いたけれど……。
国は……レイモンド王は何をそんなに急いでいるのか。国の法を無視してまで、一体何に急き立てられているのだろう。
同時にエアルには、まるで国民の関心をローシュの死から逸らすために仕組まれた日取りのように思えてならない。
とにかく今は伝令に文句を言ってもしょうがない。エアルは悔しさを奥歯で噛み締めながら、
「……承知した」
と言伝を受け取り、伝令に帰っていいことを暗に示した。
だが伝令はまだ伝えきれていないことがあるようだ。明らかにエアルと自分のほかに誰もいない場所だが、周りの茂みをちらちらと確認する素振りを見せた。
「こちらはエアル様のみにお伝えするよう、あるお方から仰せつかったのですが……」
そう言って伝令が続けた内容に、エアルは言いようのない気持ちが胸に広がった。
伝令がエアルに伝えた内容はこうだ。
あるお方というのが誰なのかは言わないよう命じられているので教えることはできないが、その人物は三つの儀式が執り行われる当日の朝、エアルにローシュの寝室へ一人で来るようにと伝令に伝えたそうだ。
「ローシュ様のお部屋に……?」
伝令がコクンと頷く。
ドキドキと鼓動が速くなる。誰が伝令に言伝を頼んだのか、今この場で知ることはできないけれど、エアルの中である期待が膨らんでいく。
まさか、ローシュが……?
ローシュの千切れた手足と、当時手にしていた剣と身に着けていた履物は、訃報の翌日にはローデンブルク城の門をくぐり、故郷へと帰ってきた。
けれど肝心の頭や体が見つかったわけではない。共に戦ったルーデル騎士団員でさえ、誰もローシュの亡骸を見たわけではないのだ。
ローシュは生きているかもしれない。生きていることを一部の人間だけに報せ、こっそり帰ってきているのかもしれない。
エアルの心は久しぶりに昂ぶった。バクバクと高鳴る自身の心臓の音が、間近に聞こえてくる。
伝令が帰ったあと、エアルはゼリオスに肩をもたれかからせながらその場でうずくまった。
「ローシュ様……」
胸が苦しかった。ローシュが戦争に経ってからの一年半。会いたくて会いたくて、ずっと苦しかった。
でももうすぐ、会えるかもしれないのだ。
自分は夢を見ているのだろうか。だとしたら、どこから夢で、どこからが現実なんだろう。四百年以上も生きていて、こんなにも酷く苦しい一年半はなかった。
それがようやく終わる。自分にとっては、ローシュのいなかったこの一年半が夢だったのだ。現実がもうすぐ迎えにくる。
「ローシュ様に会えたら、どちらが先に撫でてもらおうか?」
エアルは「ふふ」と微笑みながら、ゼリオスの背を優しく撫でた。
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