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死と結婚と
⑦
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アンドレがそう口にした途端、エアルは目を見開いた。
は……? この男は何を言っているんだ。カリオと結婚? 自分が? 妃殿下になり、この城に住む……?
頭で何度反芻しても理解できない。まともに受け止めてしまったら自分が壊れると思った。
エアルは「冗談でしょう?」と意を込め、アンドレに向かって苦笑交じりの口角を上げた。
自分は異種族であり男だ。子を……世継ぎを産むこともできない。いくら王族の大義名分のためとはいえ、無謀な計画だと思った。
無慈悲な男はこちらの意を察してか、世継ぎについての計画も教えてくれる。
「もとはカリオ様の母君も王の第二夫人でございました。お世継ぎに関しましては、どうとでもなります。エアル様が選ばれたのは、見た目だけは妙齢の女子でも通用するほどのお美しい容姿をしていること。そして国民に貴方が王族の慰み者であることは知られていても、貴方の顔を見た者はいないということ――以上の二点にございます」
つまり都合がよかった。
アンドレの言葉の裏に、そんな含みを感じ取った。どこまでいっても、自分は王族の玩具だと思い知らされる。慰み者に子どもの世話係。そして今度はかりそめの王妃ときた。
もはや笑えてくる。あと何回、王族や人間の都合に合わせて自分は自分を殺されるんだろう。
オルガ団長に両腕を拘束されたまま、エアルは諦めて脱力した。ドッと疲労が足に落ちる。足がこんなに重いと思ったことはない。
力が抜けたことで、上級使用人の二人はエアルが今後の計画に納得したと受け止めたようだった。二人の目配せを合図に、部屋には十数名の侍女が流れるように入ってきた。連携の取れた女たちは、柔らかいシルクの布を被せた寝椅子に黙々とエアルの細い体を乗せ上げ、ローシュの部屋から連れ出していく。
侍女たちによってエアルが運び込まれた先は湯殿だ。何度も通ったことのあるその場所で、エアルの体は隅から隅まで丁寧に洗い上げられた。
全身の肌に香油を塗られ、長い銀髪にも根元から髪の先までたっぷりと『王族の妻に相応しい高貴な女』の匂いを沁み込まされた。
白い肌には、まるで絵を描くように華やかな化粧を施される。鏡台の前に座っていると、人形のように変化していく自分が鏡に映って嫌だった。自然と視線が下に向きがちになってしまう。
そんな状況にもかかわらず、顎を無理やり上げさせられ、薄い唇に赤いリップを差される。ふと前を見てしまうと、鏡の中には驚くほど美しい『女』がいた。
最後に待っているのは純白のウエディングドレスだ。エアルの平たい胸や骨ばった鎖骨、大きな翼や呪いのチョーカーを隠すためか、上半身の露出が少ないドレスだった。
翼を折りたたまれ、痛みに耐えながらドレスを着させられる。仕上げにヴェールの付いたティアラが頭にあしらわれ、エアルの顔の上半分から腰までを覆い隠した。
まとめられることなかった長い髪も、長いヴェールも、翼をしまって盛り上がった背中を隠すためだろう。冷静に考えながら、エアルは侍女の手に引かれて馬車の前まで連れていかれた。
馬車に乗り、ドアを閉める際に侍女から白い花々でまとめられたブーケを手渡された。白いバラにスズラン、ギンバイカの花を見て、乾ききっていた心がわずかに潤う。
どれもエアルが好きな花だった。
「お綺麗です。エアル様」
そう言ってブーケを渡した侍女はハンナだった。
ローシュの信頼を得て、カリオと深い関係にあるはずの侍女。ブーケを手渡しながらエアルを見上げる表情に、悔しさや諦めの色は窺えない。銀縁の眼鏡の奥には、まっすぐな瞳があった。
声が出せなくなってから、エアルは今ほど悔しいと思ったタイミングはなかった。
「……っ」
貴女はそれでいいのか。今から貴女の慕う男と夫婦になる者を前にして、綺麗以外の言葉は出てこないのか。
もしも声が出せたなら……ハンナと話したいことがたくさんある。でもそれは結婚式が始まる前じゃないと意味がない。終わったあとに話しても意味がないと思った。
ブーケを受け取ったエアルができたことは一つだけ。
え、と小さい揺らぎを見せたハンナの手をエアルは握った。自分よりも小さな手には、握り締めた熱さと汗が残っていた。
何も話さない。他者に動揺を見せないハンナの葛藤と覚悟に触れたような気がする。きっとこの女のこういうところに、カリオは惹かれたのだろうなと思った。
ハンナの手を離すと、御者によりドアが閉められる。馬がゆっくりと歩き出し、エアルが乗る馬車はローデンブルク城の門を出て行く。
ハンナが見えなくなるまで、エアルは遠ざかっていく後方を見つめ続けた。ハンナの強さが自分にもほしい。そう願った自分を責めながら……。
あと四百年。フリューゲルの寿命が尽きるまで、今まで生きた年月を自分は生きていかねばならない。
たとえローシュが生きていたとしても変わらない事実だ。だとしたら、どの道行き着く先は同じだったのかもしれない。ローシュとの別れは遅かれ早かれ、いずれ自分たちの前に降りかかった。
思いのほか早かったけれど、その分綺麗な思い出だけしか残っていない。幸せだった。充分すぎるほどに。
――俺はエアルの生涯のいっときでいい。長い道のりの一部分を、少しでも照らせる存在にはなれないか?
なっていますよ。あなたは私の光です。これからもずっと長いだけの私の人生を、きっと輝かせてくれることでしょう。
――俺の寿命なんて、エアルの寿命の指一本分にも満たない。できればその一本を俺にくれないだろうか。
もうとっくにあなたのものです。一本どころか、十本とも私の指をあなたに差し上げます。
叶うなら、本人に直接言いたかった。でもどうせ今は声が出せない。本人もいない。なら闇の中で……心の中で伝えるしかない。亡き『夫』に向かって、誓いの言葉を。
揺れる馬車の中、エアルはゆっくりと目を閉じた。
は……? この男は何を言っているんだ。カリオと結婚? 自分が? 妃殿下になり、この城に住む……?
頭で何度反芻しても理解できない。まともに受け止めてしまったら自分が壊れると思った。
エアルは「冗談でしょう?」と意を込め、アンドレに向かって苦笑交じりの口角を上げた。
自分は異種族であり男だ。子を……世継ぎを産むこともできない。いくら王族の大義名分のためとはいえ、無謀な計画だと思った。
無慈悲な男はこちらの意を察してか、世継ぎについての計画も教えてくれる。
「もとはカリオ様の母君も王の第二夫人でございました。お世継ぎに関しましては、どうとでもなります。エアル様が選ばれたのは、見た目だけは妙齢の女子でも通用するほどのお美しい容姿をしていること。そして国民に貴方が王族の慰み者であることは知られていても、貴方の顔を見た者はいないということ――以上の二点にございます」
つまり都合がよかった。
アンドレの言葉の裏に、そんな含みを感じ取った。どこまでいっても、自分は王族の玩具だと思い知らされる。慰み者に子どもの世話係。そして今度はかりそめの王妃ときた。
もはや笑えてくる。あと何回、王族や人間の都合に合わせて自分は自分を殺されるんだろう。
オルガ団長に両腕を拘束されたまま、エアルは諦めて脱力した。ドッと疲労が足に落ちる。足がこんなに重いと思ったことはない。
力が抜けたことで、上級使用人の二人はエアルが今後の計画に納得したと受け止めたようだった。二人の目配せを合図に、部屋には十数名の侍女が流れるように入ってきた。連携の取れた女たちは、柔らかいシルクの布を被せた寝椅子に黙々とエアルの細い体を乗せ上げ、ローシュの部屋から連れ出していく。
侍女たちによってエアルが運び込まれた先は湯殿だ。何度も通ったことのあるその場所で、エアルの体は隅から隅まで丁寧に洗い上げられた。
全身の肌に香油を塗られ、長い銀髪にも根元から髪の先までたっぷりと『王族の妻に相応しい高貴な女』の匂いを沁み込まされた。
白い肌には、まるで絵を描くように華やかな化粧を施される。鏡台の前に座っていると、人形のように変化していく自分が鏡に映って嫌だった。自然と視線が下に向きがちになってしまう。
そんな状況にもかかわらず、顎を無理やり上げさせられ、薄い唇に赤いリップを差される。ふと前を見てしまうと、鏡の中には驚くほど美しい『女』がいた。
最後に待っているのは純白のウエディングドレスだ。エアルの平たい胸や骨ばった鎖骨、大きな翼や呪いのチョーカーを隠すためか、上半身の露出が少ないドレスだった。
翼を折りたたまれ、痛みに耐えながらドレスを着させられる。仕上げにヴェールの付いたティアラが頭にあしらわれ、エアルの顔の上半分から腰までを覆い隠した。
まとめられることなかった長い髪も、長いヴェールも、翼をしまって盛り上がった背中を隠すためだろう。冷静に考えながら、エアルは侍女の手に引かれて馬車の前まで連れていかれた。
馬車に乗り、ドアを閉める際に侍女から白い花々でまとめられたブーケを手渡された。白いバラにスズラン、ギンバイカの花を見て、乾ききっていた心がわずかに潤う。
どれもエアルが好きな花だった。
「お綺麗です。エアル様」
そう言ってブーケを渡した侍女はハンナだった。
ローシュの信頼を得て、カリオと深い関係にあるはずの侍女。ブーケを手渡しながらエアルを見上げる表情に、悔しさや諦めの色は窺えない。銀縁の眼鏡の奥には、まっすぐな瞳があった。
声が出せなくなってから、エアルは今ほど悔しいと思ったタイミングはなかった。
「……っ」
貴女はそれでいいのか。今から貴女の慕う男と夫婦になる者を前にして、綺麗以外の言葉は出てこないのか。
もしも声が出せたなら……ハンナと話したいことがたくさんある。でもそれは結婚式が始まる前じゃないと意味がない。終わったあとに話しても意味がないと思った。
ブーケを受け取ったエアルができたことは一つだけ。
え、と小さい揺らぎを見せたハンナの手をエアルは握った。自分よりも小さな手には、握り締めた熱さと汗が残っていた。
何も話さない。他者に動揺を見せないハンナの葛藤と覚悟に触れたような気がする。きっとこの女のこういうところに、カリオは惹かれたのだろうなと思った。
ハンナの手を離すと、御者によりドアが閉められる。馬がゆっくりと歩き出し、エアルが乗る馬車はローデンブルク城の門を出て行く。
ハンナが見えなくなるまで、エアルは遠ざかっていく後方を見つめ続けた。ハンナの強さが自分にもほしい。そう願った自分を責めながら……。
あと四百年。フリューゲルの寿命が尽きるまで、今まで生きた年月を自分は生きていかねばならない。
たとえローシュが生きていたとしても変わらない事実だ。だとしたら、どの道行き着く先は同じだったのかもしれない。ローシュとの別れは遅かれ早かれ、いずれ自分たちの前に降りかかった。
思いのほか早かったけれど、その分綺麗な思い出だけしか残っていない。幸せだった。充分すぎるほどに。
――俺はエアルの生涯のいっときでいい。長い道のりの一部分を、少しでも照らせる存在にはなれないか?
なっていますよ。あなたは私の光です。これからもずっと長いだけの私の人生を、きっと輝かせてくれることでしょう。
――俺の寿命なんて、エアルの寿命の指一本分にも満たない。できればその一本を俺にくれないだろうか。
もうとっくにあなたのものです。一本どころか、十本とも私の指をあなたに差し上げます。
叶うなら、本人に直接言いたかった。でもどうせ今は声が出せない。本人もいない。なら闇の中で……心の中で伝えるしかない。亡き『夫』に向かって、誓いの言葉を。
揺れる馬車の中、エアルはゆっくりと目を閉じた。
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