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死と結婚と
⑧
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馬車が停まったのは、リアルトロ寺院の前。観衆が見守るエリアからほどよく距離を取られた寺院前は、馬車が停めやすいように開けていた。
馬車のドアが開き、介添人と思しき女性がエアルの前に手を差し出す。その手を支えに、石造りの地面にゆっくりと足を下ろす。花嫁の姿が見えた瞬間、遠巻きに見ていた観衆からワッと歓声が沸き上がった。
誰とも公表されていない花嫁だとしても、王族の結婚は国民の興味と祝賀ムードを煽るものらしい。
こんなことなら本当に……誰でもよかったんだなと思わざるを得ない。ローシュと結婚したければ、公表さえしなければ国民たちから祝えてもらえたかもしれない。
どうしてあの男は「エアルと結婚したい」なんて、堂々と言ってしまったんだ。ローシュがかつて取った無鉄砲な行動に、今さらながら呆れる。同時にそんな男が恋しくて、エアルは苦笑交じりに下唇を噛んだ。
レイモンド王の『生前退位の儀』、そして新国王を据え置くための『戴冠の儀』は、エアルの到着より前に終わっているという。残るは『婚礼の儀』のみ。
寺院の大扉が開かれると、中央の細長い身廊の脇に立つ、たくさんの王族や貴族の視線がエアルに降り注いだ。
国民の観衆とは違う、冷たい視線。この場にいる王族や貴族は、自分がかりそめの花嫁であることを知っているのだ。彼らの視線から、エアルはすべてを察した。
自分が天翼の民であることも、王族の慰み者であることも、すべて……。
急に怖くなった。着飾られた自分が恥ずかしくなり、ブーケを持つ手がガタガタと震えだした。
まるで両足首に、重石が鎖で繋がれたようだった。足が重い。身動きがとれない。
でも逃げることを忘れさせられた自分には、この場から逃げる方法がわからなかった。そうこうしているうちに、介添人に促され、身廊を歩かされる。
前方の祭壇にはモーニングコートの装いを身に纏ったカリオが立っていた。癖のある髪は整えられ、いつもより頼もしく見える。
でも目に精気はなく、エアルがやってくる方向を見てはいるものの、どこを見ているのかわからない。諦めている――そんな表情だった。
もしかすると、カリオからは自分もあんな風に見えているのだろうか。そう思ったら、お互いさまのような気がして馬鹿らしくなった。
エアルが祭壇にたどり着き、カリオの横に立ったことを合図に、婚礼の儀は厳かな雰囲気の中で始まった。
相変わらず声は出せない。そんな状態でどうやって誓いの言葉を言えというのか。それに……やっぱりその言葉だけは言いたくなった。たとえ今後叶わないとしてもだ。
だが、無情にもその時は迫ってくる。それは大司教により、誓いの言葉を求められたタイミングだった。エアルの首に巻きつけられたチョーカーが、ふと緩んだのだ。
今が絶好のチャンスだと思った。自分がここで誓いの言葉ではなく、誓わないと言ったらどうなるんだろう。たとえ逃げる方法がわからなくても、この結婚を自分が認めていないことぐらいは主張してもいいのではないだろうか。いや、主張してやりたかった。
だって自分にはもう、失うものなどないのだから。
意を決して、エアルが口を開いた次の瞬間。
「誓います」
自分の口からするりと出た言葉に、エアルは啞然とした。大事にしていたものが、あっけなく指の隙間からこぼれ落ちる。あまりにも一瞬のことで、ショックを感じる暇もなかった。
これも呪いの一種だったのか。強制的に言わされた言葉に対して、エアルがその正体に気づいたのは婚礼の儀も終わりに差し掛かった頃。盃に注がれた葡萄酒をカリオと酌み交わしたあと、隣の男とともに祭壇を背に身廊を歩いている時だった。
出立前のローシュと、いつか皆に祝福されながら盃を酌み交わす約束をした。それもあって、誓いの言葉以上に、祝盃を飲むことに対して抵抗があった。でもいざ誓いの言葉を紡がされると、そっちの方が耳に残ってだめだった。
言わされた言葉なのに、自分の声がぐるぐると耳の奥で反芻する。まるで自分の意思で言葉にしてしまったような感覚に襲われ、罪悪感で胸がいっぱいになった。
リアルトロ寺院を出たあとに待っていたのはパレードだ。カリオと天井のない馬車に乗り、馬の歩に連れられて城下町の大通りを回った。
国民たちが翻しているザウシュビーク王国の国旗。赤色のそれらが、まるで地獄の業火のように見えた。
エアルたちが城へと戻ってくることができたのは夕方。ローデンブルク城が夕陽に染まる頃合いだった。
エアルの首に取り付けられたチョーカーの解呪の条件は、ローデンブルク城に戻ってくることだったようだ。エアルが門から城に足を踏み入れた途端、チョーカーから魔力が消えるのを感じた。締め付けていた力も弱まり、首がフッと楽になる。
ようやく解放された。ホッとひと息ついたのも束の間だった。
あとから城に入ってきたカリオの口から、はぁ、とため息がこぼれたのをエアルは見逃さなかった。ため息をつきたいのはこちらの方だというのに、この男は。
今日はこのあと、生前退位と新国王即位、そして結婚の祝賀パーティーがまとめて控えている。その前に、エアルはどうしてもこの男に聞きたいことがあった。
「このあとお聞きしたいことがございます」
自由になった声帯を使って申し出ると、カリオはちらりとこちらを見て、すぐに視線の位置を元に戻した。
次の行事のために着替えさせたいのか、侍女たちがエアルたちの元へやってくる。
邪魔するな。彼女らの動きを制するため、エアルはストップという意を込めた手のひらを、見せつけるようにその場で掲げた。
その様子に、カリオの表情がわずかに戸惑いを見せる。
「……ここでいいかな」
「長くは取らせません。貴方のお部屋でお願いいたします」
カリオは苦々しい面持ちのまま、ゆっくりと頷いた。
男を連れ立って部屋に向かう。部屋の扉を閉めて二人きりになった瞬間、それまで抑えていた怒りが爆発した。エアルはカリオの胸ぐらをガッと掴んで揺すった。
「どういうおつもりですか! なぜ貴方と私が結婚など……意味がわからない。私が納得いくように説明してください」
脱力したカリオの手が、激しく揺さぶったことでだらんと揺れる。カリオは口を結んだまま、エアルからスッと目を逸らした。
この男……何を言われても自分が納得しないとわかって、何も言わないつもりか。その魂胆が見え、はらわたが煮えくり返るほどの怒りがさらに沸いた。
だがこのまま怒りに任せて責め続けても、カリオは答えないだろう。この男は子どもの頃から、人の怒りを直に浴びるとパニックになって口も体もガチガチに固まってしまうタイプなのだ。
エアルはふうと深呼吸し、一旦怒りを腹の奥に沈めた。
「アンドレから、貴方が私をかりそめの妻に指名したと聞きました。どういうご意向があって、そんな判断をされたんですか」
一つ一つ確認するつもりで具体的に尋ねると、エアルの読みは当たったようだ。少しずつだが、カリオは震える声で話し始めた。
「新国王に即位するにあたって……結婚をするようにと父から命じられた。でも僕には……心に決めた女性がいる。そのひと以外と夫婦になるなんて考えられなかった」
やっと聞くことができたカリオの本音。婚礼の儀が始まる前、馬車の中から握ったハンナの手と感触を思い出す。
「ではどうして私を?」
「エアルは……エアルの心には兄さまがいるじゃないか」
面と向かって言われ、ドキッとする。相手の襟首を掴んでいたエアルの手が思わず緩んだ。
「一生添い遂げることのできない相手が互いにいる。お互いにお互いを好きにならなくていい。好都合だと思ったんだ」
「……ローシュ様はまだ生きておられます」
「エアルはいつまで打ち砕かれた希望にすがり続けるつもりなの?」
カリオが苛立ったように顔を歪ませた。自分だって、正直ローシュが生きている可能性は限りなくゼロに近いのではないかと思い始めている。でも自分が希望を捨てたら、そこで終わりじゃないか。本当にこの世界からローシュの存在が消えてしまう気がした。
認めたくない。いつか別れがくるのだから、早くてよかったなんてやっぱり思えない。これから毎日ローシュのいない数百年を過ごすより、隣にローシュがいて……ローシュを失う怖さに晒された方がいい。後者の方が断然つらいけど、そっちの方が断然いい。
「私は……」
エアルの言葉を遮ったのは、カリオの抑揚のない声だった。
「僕たちが生きていかなくちゃいけない場所は鳥籠の中なんだ。もう諦めよう。諦めて……自分の運命を受け入れようよ」
カリオの胸から手を離す。最後まで癖の強い父と兄を諦めてこなかった男が、白旗を上げている。もう自分は諦めたのだと教えてくる。カリオの言葉を聞いていると、諦めることを受け入れた方がいいような気がしてくるから厄介だ。
「僕の妻という立場を得たからには、この城の中でエアルのことを悪くは言わせないし、父上の好きにもさせない――……ように、これからは頑張るよ。それが……兄様へのせめてもの弔いだと思ってるから」
勝手に死んだことにするな。レイモンドが弱った今だから、強気な発言ができているだけのくせに。
エアルは新国王になったばかりの男の横を通りすぎ、物体移動の魔法で窓を開けた。婚礼衣装のドレスの背を破り、大きな翼を広げて空へと羽ばたいた。
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