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31.エマヌエル視点-サキミユイナ
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やや緊張の面持ちでペンを受け取ると、サキミ・ユイナと名乗る捕虜の女が自分の名前を紙に書いていく。
ユイナに母国語で名前を書かせたのは、もし“異世界から来た”ことを騙っているのなら、ここでボロが出るのではないかと思ったからだ。
だがユイナは微かに手を震わせていたものの、焦りや恐れなどといった感情を見せることはなかった。ただ、理由はわからないが何かを喜んでいるようには見えた。
さらに淀みなく母国語で自分の名前を書いたあと、その文字を見ながらどこか切ないといった表情をする。
三、四ヶ月とはいえ故郷を離れ、まったく見知らぬ土地で過ごしてきた彼女にとって、久しぶりで見るその文字に懐かしさを覚えたのだろう。
エマヌエルはユイナの嘘を暴くどころか、これが演技でなければ彼女は間違いなく異世界から来た人物なのだと、それだけで確信が持ててしまうほどだった。
それほどに彼女のその表情は様々なことを物語っていた。
またユイナが書いたその文字も、デタラメとは思えない完成された形に見えた。
ブローケシュが使う文字とはまったく異なる文字で、異国の文字を幾つか見たことがあるエマヌエルでも、どこの国の文字に似ているとも言えなかった。
そのため、それがユイナの母国の文字であるとエマヌエルは断言できないが、例えばユイナが嘘をついて咄嗟に書いたデタラメな文字だとはどう見ても思えない。
もっとユイナの国の文字を見てみたいと思ったが、元来真面目なエマヌエルはその好奇心を一旦仕舞い込むと、ここに来た目的に意識を戻した。
召喚されたところから聞きたいとエマヌエルが言えば、彼女も姿勢を正し話し始めた。
「会社に戻る途中だったんですけど、急に辺りが真っ白になって、その時一緒に召喚された二人の傍に居たから、わたしも間違って召喚されてしまったのかなって――」
そう話し始めたユイナの召喚されてからの出来事は、エマヌエルがユリウスから聞いた内容や、自身が収集した情報とそう違いはなかった。
ユリウスが疑問視していたように、召喚されたユイナに他二人のような強い力が無いからといって、国境の町で労役を課される者と同じ仕事をさせられたことは、エマヌエルにも不可解だと思えた。
確かにそれはユイナたちを召喚したリニ・ホーレンという魔道士の独断と考える方がしっくり来る。
もしかしたらデルベイルの国王やその周辺の者たちは、三人目の存在を知っていたとしてもユイナの現状を知らない可能性はあると思えた。
そう考えたときエマヌエルは、デルベイルで語られる建国神話のなかのひとつを思い出していた。
「サキミ殿は、デルベイルの建国神話を聞いたことはありますか?」
「え、あ、はい。一緒に働いていた子に聞いたことはあります」
「初代王が王となる前に、一緒に魔物と戦った女魔道士がいたことも?」
「ええ、はい」
「その女魔道士がデルベイルの初代王に何をしたか、その後どうなったかということも?」
唐突のエマヌエルの問いに初め唯奈は面食らった様子ではあったが、右も左もわからないなりに情報は得ようとしていたようで、明確な答えが返ってくる。
ただ、女魔道士のその後については首を傾げつつ答えた。
「女魔道士は初代王が授かった神の力を奪ったと聞きましたが、その後ブローケシュに戻ってからのことは所説あるようではっきりとは……」
「なるほど。まぁ、神話レベルの遠い昔の話ですからね。ただ、私が聞いた話のなかにはこういうものがありました。女魔道士は驚異的な癒しの力を持っていた、と。どんなに瀕死の重傷でもたちどころに癒してしまう力を持っていたそうですよ」
現在、癒しの力を持っている者は貴重とされているが、それは大昔とてそう変わらないだろう。そんな中で死にかけている者も癒せるほどの力を持つ女魔道士の存在は、貴重どころか唯一無二だったことだろう。
その話を聞いて「わたしと真逆ですね」というユイナに、エマヌエルは問いを続けた。
「あなたがデルベイルに居たのはほんの三、四ヶ月ほどだそうですが、その間、癒しの力を持つ女性を見たことはありますか?」
エマヌエルの問いにユイナは「えっ?」と声を上げたあとで、しばし黙考してから首を横に振った。
「わたしに癒しの力の使い方を教えてくれた神官の人は男性でしたし、神殿にもう一人居たそうですがその方も男性だと聞いてます。国境の町に居たのはその二人だけで――」
「そうですか――実は初代王の神の力を奪った女魔道士が、驚異的な癒しの力を持っていたことから、デルベイルでは癒しの力を持つ女性を忌避する風習があるとか」
エマヌエルの言葉にユイナは目を丸め驚いた様子を見せた。
初めて聞く話なのかと思ったが、すぐに思い至ることがあったのかユイナは視線を落とし表情を陰らせた。
「デルベイルはそれを認めてはいませんが、初代王が力を奪われて以後、デルベイルで癒しの力を持つ女性の姿が消えた、という話を読んだことがあります。それもまた所説あるうちのひとつではあるでしょうが……」
エマヌエルが言葉を重ねてもユイナは反応を見せなかった。
理不尽だと思っているのだろう。大昔に存在したと思われる女魔道士とユイナとは何の関係もないのに、同じ癒しの力を持つ女性だからと差別されたに違いない。
しかも救護院というところで無給で働かされ、労役を課された者と同じ仕事ということは、最下層に落とされたといって過言ではない。
かつ微弱とはいえ癒しの力さえも搾取されたとなれば――。
一方でエマヌエルは、デルベイルの者たちの感情を理解してもいた。
“神話”と言われるほど大昔のこととはいえ、同じ国の者同士、同じ王族の者同士が憎しみ合い、戦争を繰り返すほどのことがその時代にあったことは事実なのだろう。
その確執が今もなお続いてしまっていることは遺憾ではあるが、ブローケシュの女魔道士に初代王の力を奪われたという教義が、ずっと語り継がれているのなら女魔道士に、あるいはブローケシュに悪感情を持っていても仕方がない部分はある。
だからエマヌエルはデルベイルの信仰心篤い者たちに対しては、何の感情も抱かないし嫌悪の対象にも成り得ない。
エマヌエル自身も自分が信じたい神を信じ、毎日のように祈りを捧げているほどに信仰心を持っている。なのでその教義によって、あるいは信仰の過程で何かに対し特別な感情を抱くのは当然だと思っている。
だがそんな人心を掌握し利用しようとするデルベイルの一部の高位貴族に対して、エマヌエルは嫌悪感を抱いていた。
人の信仰する心を利用するということは、神を自分の都合のいいように利用することと同義だと考えているからだ。
「……わたしが歓迎されていないことはわかっていましたが、そんな理由があったんですね」
理不尽な扱いを受けたユイナが、エマヌエルの話を聞き嘆いたり憤ったりするかと予想したが、しばし沈黙したのち返ってきたのはそんな感想だった。
取り乱すことのない彼女を興味深く観察しつつ、「推測ではありますが」と付け加えて、エマヌエルはさらにユイナに問いかける。
「あなたが魔物を誘導する役目を押し付けられたことを考えればある程度察することはできますが、『歓迎されていない』と感じる何かがあったのでしょうか」
かなり私的な話になりそうだが、今後デルベイルからユイナを『返せ』と言われたとき反論できるような証言が欲しい。
ユイナは視線を彷徨わせ逡巡し、机の上で握り合わせた両手に力を込めて決意を固めた様子を見せ、重い口を開いた。
「最初に会った魔道士のリニ・ホーレンさんは、わたしの力を『とても稀有なもの』だと言ってましたが、明らかにがっかりしたような顔をしてました。あまりにも微弱すぎるからかと思ってたんですが、“そういう意味”もあったのかなって――」
「なるほど」
「その後もわたしを国境の町に連れて来た魔道士の人の態度がひどくて、道中同行していた兵士の人に襲われそうになったんですが、魔道士が止めに入ってくれたんですけど『やめとけ、呪われるぞ』って言ってたんですよね」
ユイナの話を聞きながらペンを走らせていたエマヌエルは、ふと気配を感じて彼女の背後に視線を向けた。ユイナは気づいていなかったが、『兵士に襲われた』という話を聞いたからかダーシャが怒りの形相をしていた。
すぐに視線をユイナに戻し「それで」と先を促す。
「その時はどういう意味か分からなかったんですが、救護院で知り合ったテクラに『癒しの力を持つ女性は呪われてる』という話を聞かされて、そういうことかと」
エマヌエルが言った『癒しの力を持つ女性を忌避する風習』は間違いなかったらしい。
「わたしに癒しの力の使い方を教えてくれた神官の人も、呪いみたいだと言ってました」
「業《カルマ》だと言われたそうですね?」
「はい、召喚されるとカルマによって与えられる力が決まると聞いたことがある、とその人は言ってました。女なのに癒しの力があって、怪我をしてもすぐに治る体になって、本当に呪いみたいじゃないかって」
「酷い言い草ですね」
思わずそう感想を漏らしてしまうほどに、神官にあるまじき発言だとエマヌエルは思う。その神官がユイナに何をしたのかも聞かされて知っていたため、その話は打ち切るつもりで視線を落としペンを走らせた。
ユイナもそれ以上を話すつもりはないのか一時口を閉ざしたが、エマヌエルのペンが止まったのを見て再び口を開いた。
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんでしょう」
「デルベイルでは女魔道士が初代王の力を奪ったと信じられていますが、ブローケシュではその辺りどのように伝えられているんですか?」
デルベイルの人間ではない第三者的な立ち位置で見れば――あるいはデルベイル人だとしても信心深くない者から見れば、それは当然の疑問だろう。
「そうですね、まず初代王が神の力を授かったのかどうか真偽は不明、と言われています」
エマヌエルが幼いころ家庭教師にそう教わったように話し始めれば、ユイナは先ほどよりも大きく目を見開いて驚きを顕わにした。
「そこからですか!?」
デルベイルに召喚され、デルベイルで過ごしたユイナはすっかりそれが真実だと信じ切っていたようだ。
だがブローケシュでは信じる者もいれば、信じない者もいる、その程度の話だった。
「ただデルベイルの初代王が強い魔力を持っていたのは事実のようですね。そして、その力で魔物が多く出没する彼の土地を平定し治めることとなった――。ですが、たった一人で成し得たわけではありません。当時のブローケシュ国王も精鋭の騎士と魔道士を貸し与えました。その中に件の女魔道士がいたのですね。女魔道士だけでなく、初代王の元を去ってブローケシュに戻った者が複数居たようです。彼らの家族がこちら側にいたからでしょう。それを初代王は気に入らず、騎士や魔道士がブローケシュ側に帰ったことを『神から授かった力を奪った』と言ったのではないか、と我々は考えています」
エマヌエルの話を聞きながらユイナは、ついに口さえも開けたまま呆然といった様子で固まってしまった。
一方の話しか聞いていなかったユイナにとって、エマヌエルの話は驚愕に値するのだろうが、それでもユイナがここまで驚くことが不思議でもあった。
「かなり驚いているようですが、それほど意外でしたか?」
「あ、いえ……」
エマヌエルが尋ねると、ユイナはようやく何度かまばたきをして表情を戻し、視線を彷徨わせて何かを考えながら答えた。
「思いのほか、こちら側から見るととても現実的なのだなと思って……」
「現実的?」
「いや、現実的っていうのもちょっと違うかもですが……デルベイルだと本当に神話そのもののような話だったのに、こちらでは神話でもなんでもなく普通の歴史の話をされてるんだなというのが――」
「意外でしたか?」
「そうですね……。こちらの世界では普通に魔法があって、ほとんどの人たちが神様を信じていて、毎日のように祈ってて――だから、神様が人に力を貸し与えたとか、それを魔道士が奪ったとか、実は男神・女神だったとか、そういうこともあり得るんだろうなって思っていたので」
「ブローケシュ側の話は信じられませんか?」
「いえ、むしろ逆で――魔法がある世界だから、デルベイルの建国神話を聞いても『そういうこともあるだろう』と受け入れてはいましたが、こちら側の歴史の話の方がわたしにはすんなり理解できるんです」
「なるほど。あなたの世界に魔法はないのですね」
「ないです。わたしはこちらの世界に来てこんな特異体質になりましたが、元居た世界ではあり得ませんし、こちらで見るような魔法というのもないです。もし本物の魔法が使える人がいたら大騒ぎになってると思います」
魔法が当たり前にある世界で育った身としては、魔法が使える者がいるだけで大騒ぎになる世界というのが想像できないが。
それだけユイナの居た世界とこちらとでは大きな隔たりがあるのだと、エマヌエルはようやく少しだけユイナの心境を察することができた気がした。
「なるほどですね。魔法のまったくない世界というのは私には想像できませんが、同じようにサキミ殿はこちらの世界についてまったく分からないのだということを、私も理解できたように思います。そんな状況ながら何も教えられず労役を課された者として働かされ、癒しの力を搾取され、それどころか魔物を誘導する役目を押し付けられたという――その境遇には情状酌量の余地は十分にあると考えられます。それらを踏まえてサキミ殿の今後はまた――」
ユイナに母国語で名前を書かせたのは、もし“異世界から来た”ことを騙っているのなら、ここでボロが出るのではないかと思ったからだ。
だがユイナは微かに手を震わせていたものの、焦りや恐れなどといった感情を見せることはなかった。ただ、理由はわからないが何かを喜んでいるようには見えた。
さらに淀みなく母国語で自分の名前を書いたあと、その文字を見ながらどこか切ないといった表情をする。
三、四ヶ月とはいえ故郷を離れ、まったく見知らぬ土地で過ごしてきた彼女にとって、久しぶりで見るその文字に懐かしさを覚えたのだろう。
エマヌエルはユイナの嘘を暴くどころか、これが演技でなければ彼女は間違いなく異世界から来た人物なのだと、それだけで確信が持ててしまうほどだった。
それほどに彼女のその表情は様々なことを物語っていた。
またユイナが書いたその文字も、デタラメとは思えない完成された形に見えた。
ブローケシュが使う文字とはまったく異なる文字で、異国の文字を幾つか見たことがあるエマヌエルでも、どこの国の文字に似ているとも言えなかった。
そのため、それがユイナの母国の文字であるとエマヌエルは断言できないが、例えばユイナが嘘をついて咄嗟に書いたデタラメな文字だとはどう見ても思えない。
もっとユイナの国の文字を見てみたいと思ったが、元来真面目なエマヌエルはその好奇心を一旦仕舞い込むと、ここに来た目的に意識を戻した。
召喚されたところから聞きたいとエマヌエルが言えば、彼女も姿勢を正し話し始めた。
「会社に戻る途中だったんですけど、急に辺りが真っ白になって、その時一緒に召喚された二人の傍に居たから、わたしも間違って召喚されてしまったのかなって――」
そう話し始めたユイナの召喚されてからの出来事は、エマヌエルがユリウスから聞いた内容や、自身が収集した情報とそう違いはなかった。
ユリウスが疑問視していたように、召喚されたユイナに他二人のような強い力が無いからといって、国境の町で労役を課される者と同じ仕事をさせられたことは、エマヌエルにも不可解だと思えた。
確かにそれはユイナたちを召喚したリニ・ホーレンという魔道士の独断と考える方がしっくり来る。
もしかしたらデルベイルの国王やその周辺の者たちは、三人目の存在を知っていたとしてもユイナの現状を知らない可能性はあると思えた。
そう考えたときエマヌエルは、デルベイルで語られる建国神話のなかのひとつを思い出していた。
「サキミ殿は、デルベイルの建国神話を聞いたことはありますか?」
「え、あ、はい。一緒に働いていた子に聞いたことはあります」
「初代王が王となる前に、一緒に魔物と戦った女魔道士がいたことも?」
「ええ、はい」
「その女魔道士がデルベイルの初代王に何をしたか、その後どうなったかということも?」
唐突のエマヌエルの問いに初め唯奈は面食らった様子ではあったが、右も左もわからないなりに情報は得ようとしていたようで、明確な答えが返ってくる。
ただ、女魔道士のその後については首を傾げつつ答えた。
「女魔道士は初代王が授かった神の力を奪ったと聞きましたが、その後ブローケシュに戻ってからのことは所説あるようではっきりとは……」
「なるほど。まぁ、神話レベルの遠い昔の話ですからね。ただ、私が聞いた話のなかにはこういうものがありました。女魔道士は驚異的な癒しの力を持っていた、と。どんなに瀕死の重傷でもたちどころに癒してしまう力を持っていたそうですよ」
現在、癒しの力を持っている者は貴重とされているが、それは大昔とてそう変わらないだろう。そんな中で死にかけている者も癒せるほどの力を持つ女魔道士の存在は、貴重どころか唯一無二だったことだろう。
その話を聞いて「わたしと真逆ですね」というユイナに、エマヌエルは問いを続けた。
「あなたがデルベイルに居たのはほんの三、四ヶ月ほどだそうですが、その間、癒しの力を持つ女性を見たことはありますか?」
エマヌエルの問いにユイナは「えっ?」と声を上げたあとで、しばし黙考してから首を横に振った。
「わたしに癒しの力の使い方を教えてくれた神官の人は男性でしたし、神殿にもう一人居たそうですがその方も男性だと聞いてます。国境の町に居たのはその二人だけで――」
「そうですか――実は初代王の神の力を奪った女魔道士が、驚異的な癒しの力を持っていたことから、デルベイルでは癒しの力を持つ女性を忌避する風習があるとか」
エマヌエルの言葉にユイナは目を丸め驚いた様子を見せた。
初めて聞く話なのかと思ったが、すぐに思い至ることがあったのかユイナは視線を落とし表情を陰らせた。
「デルベイルはそれを認めてはいませんが、初代王が力を奪われて以後、デルベイルで癒しの力を持つ女性の姿が消えた、という話を読んだことがあります。それもまた所説あるうちのひとつではあるでしょうが……」
エマヌエルが言葉を重ねてもユイナは反応を見せなかった。
理不尽だと思っているのだろう。大昔に存在したと思われる女魔道士とユイナとは何の関係もないのに、同じ癒しの力を持つ女性だからと差別されたに違いない。
しかも救護院というところで無給で働かされ、労役を課された者と同じ仕事ということは、最下層に落とされたといって過言ではない。
かつ微弱とはいえ癒しの力さえも搾取されたとなれば――。
一方でエマヌエルは、デルベイルの者たちの感情を理解してもいた。
“神話”と言われるほど大昔のこととはいえ、同じ国の者同士、同じ王族の者同士が憎しみ合い、戦争を繰り返すほどのことがその時代にあったことは事実なのだろう。
その確執が今もなお続いてしまっていることは遺憾ではあるが、ブローケシュの女魔道士に初代王の力を奪われたという教義が、ずっと語り継がれているのなら女魔道士に、あるいはブローケシュに悪感情を持っていても仕方がない部分はある。
だからエマヌエルはデルベイルの信仰心篤い者たちに対しては、何の感情も抱かないし嫌悪の対象にも成り得ない。
エマヌエル自身も自分が信じたい神を信じ、毎日のように祈りを捧げているほどに信仰心を持っている。なのでその教義によって、あるいは信仰の過程で何かに対し特別な感情を抱くのは当然だと思っている。
だがそんな人心を掌握し利用しようとするデルベイルの一部の高位貴族に対して、エマヌエルは嫌悪感を抱いていた。
人の信仰する心を利用するということは、神を自分の都合のいいように利用することと同義だと考えているからだ。
「……わたしが歓迎されていないことはわかっていましたが、そんな理由があったんですね」
理不尽な扱いを受けたユイナが、エマヌエルの話を聞き嘆いたり憤ったりするかと予想したが、しばし沈黙したのち返ってきたのはそんな感想だった。
取り乱すことのない彼女を興味深く観察しつつ、「推測ではありますが」と付け加えて、エマヌエルはさらにユイナに問いかける。
「あなたが魔物を誘導する役目を押し付けられたことを考えればある程度察することはできますが、『歓迎されていない』と感じる何かがあったのでしょうか」
かなり私的な話になりそうだが、今後デルベイルからユイナを『返せ』と言われたとき反論できるような証言が欲しい。
ユイナは視線を彷徨わせ逡巡し、机の上で握り合わせた両手に力を込めて決意を固めた様子を見せ、重い口を開いた。
「最初に会った魔道士のリニ・ホーレンさんは、わたしの力を『とても稀有なもの』だと言ってましたが、明らかにがっかりしたような顔をしてました。あまりにも微弱すぎるからかと思ってたんですが、“そういう意味”もあったのかなって――」
「なるほど」
「その後もわたしを国境の町に連れて来た魔道士の人の態度がひどくて、道中同行していた兵士の人に襲われそうになったんですが、魔道士が止めに入ってくれたんですけど『やめとけ、呪われるぞ』って言ってたんですよね」
ユイナの話を聞きながらペンを走らせていたエマヌエルは、ふと気配を感じて彼女の背後に視線を向けた。ユイナは気づいていなかったが、『兵士に襲われた』という話を聞いたからかダーシャが怒りの形相をしていた。
すぐに視線をユイナに戻し「それで」と先を促す。
「その時はどういう意味か分からなかったんですが、救護院で知り合ったテクラに『癒しの力を持つ女性は呪われてる』という話を聞かされて、そういうことかと」
エマヌエルが言った『癒しの力を持つ女性を忌避する風習』は間違いなかったらしい。
「わたしに癒しの力の使い方を教えてくれた神官の人も、呪いみたいだと言ってました」
「業《カルマ》だと言われたそうですね?」
「はい、召喚されるとカルマによって与えられる力が決まると聞いたことがある、とその人は言ってました。女なのに癒しの力があって、怪我をしてもすぐに治る体になって、本当に呪いみたいじゃないかって」
「酷い言い草ですね」
思わずそう感想を漏らしてしまうほどに、神官にあるまじき発言だとエマヌエルは思う。その神官がユイナに何をしたのかも聞かされて知っていたため、その話は打ち切るつもりで視線を落としペンを走らせた。
ユイナもそれ以上を話すつもりはないのか一時口を閉ざしたが、エマヌエルのペンが止まったのを見て再び口を開いた。
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんでしょう」
「デルベイルでは女魔道士が初代王の力を奪ったと信じられていますが、ブローケシュではその辺りどのように伝えられているんですか?」
デルベイルの人間ではない第三者的な立ち位置で見れば――あるいはデルベイル人だとしても信心深くない者から見れば、それは当然の疑問だろう。
「そうですね、まず初代王が神の力を授かったのかどうか真偽は不明、と言われています」
エマヌエルが幼いころ家庭教師にそう教わったように話し始めれば、ユイナは先ほどよりも大きく目を見開いて驚きを顕わにした。
「そこからですか!?」
デルベイルに召喚され、デルベイルで過ごしたユイナはすっかりそれが真実だと信じ切っていたようだ。
だがブローケシュでは信じる者もいれば、信じない者もいる、その程度の話だった。
「ただデルベイルの初代王が強い魔力を持っていたのは事実のようですね。そして、その力で魔物が多く出没する彼の土地を平定し治めることとなった――。ですが、たった一人で成し得たわけではありません。当時のブローケシュ国王も精鋭の騎士と魔道士を貸し与えました。その中に件の女魔道士がいたのですね。女魔道士だけでなく、初代王の元を去ってブローケシュに戻った者が複数居たようです。彼らの家族がこちら側にいたからでしょう。それを初代王は気に入らず、騎士や魔道士がブローケシュ側に帰ったことを『神から授かった力を奪った』と言ったのではないか、と我々は考えています」
エマヌエルの話を聞きながらユイナは、ついに口さえも開けたまま呆然といった様子で固まってしまった。
一方の話しか聞いていなかったユイナにとって、エマヌエルの話は驚愕に値するのだろうが、それでもユイナがここまで驚くことが不思議でもあった。
「かなり驚いているようですが、それほど意外でしたか?」
「あ、いえ……」
エマヌエルが尋ねると、ユイナはようやく何度かまばたきをして表情を戻し、視線を彷徨わせて何かを考えながら答えた。
「思いのほか、こちら側から見るととても現実的なのだなと思って……」
「現実的?」
「いや、現実的っていうのもちょっと違うかもですが……デルベイルだと本当に神話そのもののような話だったのに、こちらでは神話でもなんでもなく普通の歴史の話をされてるんだなというのが――」
「意外でしたか?」
「そうですね……。こちらの世界では普通に魔法があって、ほとんどの人たちが神様を信じていて、毎日のように祈ってて――だから、神様が人に力を貸し与えたとか、それを魔道士が奪ったとか、実は男神・女神だったとか、そういうこともあり得るんだろうなって思っていたので」
「ブローケシュ側の話は信じられませんか?」
「いえ、むしろ逆で――魔法がある世界だから、デルベイルの建国神話を聞いても『そういうこともあるだろう』と受け入れてはいましたが、こちら側の歴史の話の方がわたしにはすんなり理解できるんです」
「なるほど。あなたの世界に魔法はないのですね」
「ないです。わたしはこちらの世界に来てこんな特異体質になりましたが、元居た世界ではあり得ませんし、こちらで見るような魔法というのもないです。もし本物の魔法が使える人がいたら大騒ぎになってると思います」
魔法が当たり前にある世界で育った身としては、魔法が使える者がいるだけで大騒ぎになる世界というのが想像できないが。
それだけユイナの居た世界とこちらとでは大きな隔たりがあるのだと、エマヌエルはようやく少しだけユイナの心境を察することができた気がした。
「なるほどですね。魔法のまったくない世界というのは私には想像できませんが、同じようにサキミ殿はこちらの世界についてまったく分からないのだということを、私も理解できたように思います。そんな状況ながら何も教えられず労役を課された者として働かされ、癒しの力を搾取され、それどころか魔物を誘導する役目を押し付けられたという――その境遇には情状酌量の余地は十分にあると考えられます。それらを踏まえてサキミ殿の今後はまた――」
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