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第二章

6. リヒゾーナの王太子

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「大変申し訳ございませんでした、フラヴィオ王太子殿下」

 応接間で再度、リヒゾーナの王太子フラヴィオと顔を合わせたアニエスは、ひざを折り深く頭を下げて先ほどの非礼を謝罪した。
 幸いフラヴィオは細かいことを気にしない性質のようで、「気にするな!」の一言で軽く流して終わってしまった。

「それよりも、おれが気になるのはアニエス嬢、きみがここに居ることだ。あちらでは新しい聖女が異世界から召喚されたとは聞いたが、一体何があった?」

 フラヴィオに促されて対面のソファに、ルカーとともに腰を下ろすと、性急にそう尋ねられてアニエスは戸惑った。
 どうやらアニエスのことはまだ、こちらまでは届いていないらしい。
 アニエスは自分側から見た事の次第を、嘘偽りなくフラヴィオに話して聞かせた。
 彼は難しそうな顔をしたり、目を見開き驚いたりと、コロコロと表情を変えながらアニエスの話に耳を傾けていた。
 そして聞き終わると腕を組みながら口を開いた。

「婚約破棄に国外追放か――。正直、婚約解消くらいは予想していたが……」

 フラヴィオの呟きにアニエスは内心で頷きを返した。
 普通であれば“婚約解消”で終わる話なのだ、と。
 フラヴィオの話は続く。

「アニエス嬢が裁判にかけられた話は知らなかったが、異世界から聖女を召喚したという話はリヒゾーナでも広まっていた。しかも、召喚した聖女の“聖なる力”が強いからと、その聖女はきっと大聖女に違いないと自慢げに言いふらしているそうだ」
「大聖女?」

 そう声を漏らしたのはルカーだったが、アニエスも胸の内で同じように呟いていた。
 『大聖女』という言葉自体は聞いたことはあった。
 その昔、強大な“聖なる力”を持った聖女が居て、ほかの属性のどんな強力な攻撃魔法を向けられても、祈りひとつで無効にしてしまうような無敵な女性だったと聞いている。
 確かに異世界から召喚された少女は強い“聖なる力”を持っていたと聞くが、実際に見た事がないのでアニエスには判断のしようがない。
 だが、『大聖女に違いない』と自慢しているとはいえ、断言はしていないように思える。
 安全な環境を作ったうえで、すべての属性の攻撃魔法を無効化させる実験をしてみたのなら、『異世界の聖女は大聖女だ』と大々的に喧伝できるだろうに、彼らはそれをしなかったのだろうか。
 内心で首を傾げていたが、どうやらフラヴィオが言おうとしていることと、アニエスが考えていることは少し違うらしい。
 「面白そう」とでも言いたげな笑みを浮かべて、フラヴィオがアニエスに視線を向けた。

「きみの国に聖女を言い表した古い詩があるだろう? なんだったか、処女じゃなくなると力が枯れるとか何とか」

 直接的な言葉についアニエスは顔が熱くなるも、間違ってはいないので頷いておく。

「サンユエリの過去の文献によれば、大聖女は処女じゃなくなっても“聖なる力”が枯れなかったと書かれていたらしい」

 初めて聞く話にアニエスは目を丸くする。
 だが、アニエスは母親から聖女や“聖なる力”について学んだだけだった。
 王城に保管された文献にそれが書かれていたのだとしたら、アニエスが知る由もない。

「それで言うとアニエス嬢も“大聖女”に当てはまるだろうに」

 はじめは何を言われているのか分からなかったアニエスだったが、意味が分かった途端に顔から火が出るかと思うほどに熱くなった。
 アニエスとルカーのことを、フラヴィオはすでに聞いて知っているらしい。
 そんなアニエスをやはり面白そうに眺めつつ、フラヴィオは続ける。

「あちらのお偉方は、異世界の聖女も文献の通りになるか確認したいらしい。急ぎ聖女と王家との婚姻を取りまとめようと――」

 そこまで言ってフラヴィオは言葉を濁した。
 初めはその意味を理解できなかったアニエスだったが、視線を感じて隣にいる人物を見上げると、心配そうにこちらを見つめるルカーと目が合った。
 それでようやくアニエスも理解する。
 きっと異世界から召喚された聖女が結婚する相手は、アニエスの元婚約者であったサンユエリの王太子なのだろう。
 考えるまでもないことだった。
 もともと聖女の血を受け継いだアニエスと婚約していた王太子だ。新たな聖女が――しかも強い力を持った聖女が現れたなら、そちらと婚姻を結ぶのを重要視するのは道理だろう。
 それでアニエスが邪魔になって冤罪をでっち上げて、国外追放などという暴挙に出たのかも知れない。
 正直に言えばアニエスも、そのことに気づいていないわけではなかった。
 だが、それを直視したくなくて考えないようにしていた。

(そんな回りくどいことなどせず、『お前は必要ない』と一言言ってくだされば良かったのに……)

 しかし、こうやって異国の王太子から話を聞かされてしまうと、現実を見ないわけにはいかなかった。

「あちらさんも早まったことをしたな。何の罪もない娘に冤罪を吹っ掛けるなどと」

 フラヴィオの呆れたような物言いに、アニエスはすぐには何と返していいのか分からず苦笑するに留めたが、隣のルカーは何やら険しい表情で頷いている。
 自分のことで怒ってくれているらしいルカーの気持ちを有難く思いつつも、フラヴィオの『何の罪もない』という言葉にアニエスは引っ掛かった。

「正直に申し上げると、私はこれまであれは冤罪だったと考えることさえ避けておりました。ただ、裁判が進む中、なぜ誰も何も言ってくださらないのかと、そんなことを考えていただけでした」

 静かに語るアニエスの言葉を、フラヴィオもルカーもただ黙って聞いている。

「ですが、今考えればそれも当然だと思うのです。私はそれまで、強く自己主張をしたことが無く、裁判中でさえろくに反論もできませんでした」

 声高に反論し強固に無罪を主張すれば、それに反発する者も現れただろうが、きっと自分を弁護しようとする者も現れたのではないか、そうアニエスは思う。
 国王の判決に同調し、死刑も減刑も訴える者がいなかったのは、アニエスの反応が薄い分だけ、ほかの者も反応が薄かった、それだけのことなのだろう。

「常に受け身で消極的な私の姿勢が良くなかったのでしょう。私にも反省するべきところがあるのだと思います」

 だからといって罪をでっち上げる行為は、非道で許されないものだということに変わりはないが。

「――アニエス嬢、謙虚な姿勢はきみの美徳ではあるだろうが、そういうところが自己中心的で虚栄心の塊のような奴を付け上がらせることになることもある」

 これまでと違い、真剣な表情と声音で語りかけるフラヴィオの雰囲気に、とっさにアニエスは姿勢を正した。

「聖女との結婚を自分の地位を上げる道具としか考えていない奴に対して、何ひとつ遠慮することなどない」

 それはつまり、サンユエリの王太子に対して引け目を感じる必要はないということか。
 フラヴィオの言葉を理解すると同時に、アニエスは自分が元婚約者に対して、確かに『自分は不出来な聖女だから』と自分で自分のことを卑下していたことに気づく。

「サンユエリでは聖女の血を引くこと、強固に守ることが大事だと聞く。それならアニエス嬢は『自分は聖女の血を引いているのだから』と、もっと大きな態度でいるべきだったな」

 次第に雰囲気も口調ももとに戻りつつあるフラヴィオの言葉に、だが一理あるとアニエスも思う。
 王族に対して尊大な態度はとれないが、もう少し堂々としていればあれほどに下に見られることもなかったかも知れない、と。

「恐れながら殿下、アニエス嬢の境遇を私はダリオから聞いただけなので、すべてを知っているとは言えません――ですが彼女はできることをしていたと思います」

 ふいに、これまで黙っていたルカーが口を開いたかと思うと、アニエスを庇うようにフラヴィオへ反論した。
 嬉しく思いつつも、王太子に対して不敬にならないかとハラハラするアニエスだったが。

「お前もお前だっ!」

 これもまた唐突にフラヴィオが声を上げると、ビシッとルカーへ人差し指を突き付ける。
 ルカーだけでなく、思わずアニエスも驚いてフラヴィオを見つめた。

「お前もちゃんと悪縁を断ち切らないから、そんな姿になったんだろうが! 愚か者め!」

 どうやら呪いの原因になったであろう、ルカーのこれまでの言動を指しているらしい。
 部屋の隅でダリオが深く頷いている。
 それにチラッと視線を向けたルカーだったが、言い返す言葉もないのか視線を落とし黙ってしまった。

「アニエス嬢のお陰で人間らしい姿を取り戻しつつあるんだ。下手に出てやる必要もない。今のうちに悪縁を切っておけよ、ルカー」

 フラヴィオの𠮟責に、ルカーは身を小さくして「はい」と返すのだった。
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