【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る

水月音子

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三章

01

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 森の香りに包まれて、マリアーナは期待に胸を躍らせた。

 まだ冬の冷気が残る森の中は、厚い外套を羽織っていてもなお寒い。
 だが期待感に高揚するマリアーナはそれほど寒さを感じなかった。

 しかし一方で、緊張のため激しい鼓動を感じる。

 森を散策できることは嬉しい。
 しかし、アルベルトとともに馬に乗ることになるとは思わなかった。

 今、マリアーナは一頭の馬にアルベルトと相乗りをしている。
 寒くないと感じるのは、もしかしたら背中をアルベルトの大きな体に包まれているからかも知れない。

 車輪のあとがわずかに残る、踏みならしただけだと思われる森の道をゆっくりと進む。
 高い視界から見える、目の前に広がる光景に胸を高鳴らせつつも、背中にアルベルトの存在を近くに感じてまた別の意味で胸が高鳴った。

 ちなみに少し離れてフランも馬で後に続いているが、万が一のことがあった時のためだろう。

 先日、『森の深く』とアルベルトが言っていた通り、湖までそれなりの距離があるようだった。
 女性や子供の足であればきっと、休憩も含めて半日はかかったに違いない。

 鍛えられた馬とアルベルトの卓越した馬術があってこそ、陽が中天に差し掛かる前に湖へ辿り着くことができたのだろう。
 森の道は決して平坦ではなく、人を乗せての乗馬もまた簡単ではないはずだ。

 木々の切れ間にあるその湖は、マリアーナが想像していたよりもずっと大きかった。
 国境を守るティフマ城を囲む城壁をぐるりと一周するよりもまだ大きい。

 しかも森の中だからか、朝の冷気の名残のように微かにもやがかかっている。

 馬上からそれに見入っていたマリアーナは、アルベルトの手を借りて地上へ下りたあともしばらく湖に見入ってしまっていた。

 湖の大きさと空を映し出したかのような鮮やかな青色の美しさに目を奪われるが、マリアーナが見入ったのはそればかりではない。

 アルベルトが言っていたように湖の傍に塔が建っていたが、ここから見るとまるで湖の中に浮いているように見えたのだ。
 実際は湖の中心へ向かってわずかに張り出した陸地に塔が建っているのだが、それが遠目から見ると湖の中にあるように見える。

 さらには微かに漂う靄が幻想的な雰囲気を漂わせ、とても神秘的な光景だとマリアーナは心奪われた。

「気に入ったか?」

 静かな声音で尋ねられて、ようやくマリアーナは我に返った。
 慌てて隣に立つアルベルトを見上げ、優しげな目で見つめられていたことに気づき頬を染める。

「こんなに大きな湖を間近で見たのは初めてなので、つい見入ってしまいました」

 そう口にしながらも幼いころ森に迷ったときのことを思い出すが、あの時は湖に落ちたらしいということは分かっても、湖を眺める余裕などなかった。

 そもそも、そこに湖があったことなどマリアーナはわからなかったし、眺める余裕があったとしても夜だったため何も見えなかっただろう。

 それでもなぜか以前この湖に来たことがあるような錯覚を覚える。

「道中、木々の合間から見えていたのはこの湖だったのでしょうか」

 もう一つ思い出したのは国境の城から公爵邸へ向かっていたときに見た光景だった。
 再び湖に視線を戻しながら問えば、「そうだ」と簡潔な答えが返ってくる。

 では、不思議なあの光が舞っていたのもこの湖なのだ。
 マリアーナはその時のことを脳裏によみがえらせながら、少しの間アルベルトと沈黙を共有する。

 十分に景色が目に焼き付くほどの時間を置いて、アルベルトの手が差し伸べられた。
 自然とその手に手を重ねて、促されるままに彼に従い歩み始める。

 時に獣道とも言えない森の中をアルベルトに助けられながら進み、湖の際を沿うように塔へと向かう。

「私の曽祖父がまだ小さかったときの大昔の話だ。――その頃、“精霊姫”と呼ばれる女性がいた」

 手を引きながら静かに語り出すアルベルトの言葉に、マリアーナも静かに耳を傾ける。

「きみと同じように白銀の髪と目を持つ女性だった。“姫”と呼ばれてはいるが実家は公爵家で、当時の王太子と婚約していた」

 ルーベンソンとは違う公爵家のようだが、王家に縁があるのは間違いないだろう。公爵家と王族の婚姻もまたよくある話だ。

「王都で建国際があり、王城では舞踏会が開かれていた。他国の王族も招待されていて、ティペリッシュの王太子もいた。関係はあまり良くなかったが、周辺国でティペリッシュだけ招待しないのも良くないと当時の国王は考えたようだ」

 それが間違いだった、と低い声でアルベルトが続ける。

「ティペリッシュの王太子が精霊姫に懸想した――と言われているが、実際はどうだったのかわからない……。王太子に『精霊をこの目で見てみたい』と言われた精霊姫は少数の護衛とともに森へ行き、隠れていたティペリッシュの者に隙を突かれさらわれてしまった」

 なぜ懸想したことを疑っているのかと言えば、精霊姫を攫う手際が良すぎたからだそうだ。
 当時のティペリッシュの王太子は精霊姫を攫ったあと、逃げる時間を稼ぐため森に油をまき火をつけたのだという。

「我々は精霊の住処すみかである森を大事にしている。その森が燃えていることで騒ぎとなり、精霊姫が行方知れずになっていることに気づくのが遅れたらしい」

 気づいたときにはもう王太子一行は国境を越えており、あとを追おうとしても入国を阻まれてしまえばそれもできない。
 国王から正式に抗議の書簡を送っても、当時ティペリッシュ側は知らぬ存ぜぬで話にならなかったという。

「精霊姫を護衛していた者はみな殺されていたため、確かに精霊姫が国境を越えてティペリッシュへ攫われたことを証明するものは何もなかった。だが、状況的に考えてそれしか有り得ない」

 武力行使をちらつかせながらも抗議を続けるが確固たる証拠がないため実行に移せず、辛抱強く書簡を送り続けて一年が過ぎた頃――

「突然、精霊姫と王太子との結婚がおおやけになった。ティペリッシュ内で、だ。それまではひた隠しにしながら――すでに子も授かっていた」

 それまで黙って聞いていたマリアーナも、さすがに息をのんだ。
 考えるのは攫われた精霊姫のことだ。どんなに心細かっただろうか、どんなに怖かっただろうか、と。

「当然、婚約していた我が国の王太子は怒り狂った。軍を集め、国境を越えて、ティペリッシュの王都へ攻め上った。精霊姫を取り戻すために」

 ティペリッシュではそれを『フィーアンダの悪女が引き入れた』と言われていたが、実際にはそのような事情があったのだ。
 それがどんな苛烈な軍行だったとしても、どれほどの被害があったとしても、フィーアンダから見れば正当な行いに違いない。

「だが、あと少しでというところで待ち構えていたティペリッシュの国王軍に阻まれた。ほとんど休みなく勢いのまま突き進んだせいだろう、それ以上進むことができなかった。当時、国王軍を束ねていた将軍に説き伏せられたという話もある」

 互いの軍が睨みあう最中、将軍が単騎で声の届く距離まで来て滔々とうとうと訴えたという。

『すでに精霊姫は王太子殿下との関係を築き子ももうけている。精霊姫とその御子のことを考えるのであれば身を引いてくれ。御子をフィーアンダへ渡すわけには行かず、精霊姫だけを返せば御子は母を失う。お二方の幸せを考えるのであれば引いて欲しい』

 続けざまの戦闘に心身ともに疲弊していた一行は、このままここに留まったところで敵軍に囲まれ殲滅せんめつさせられると思い、泣く泣く自国へ引き返すことにした。

 その時の王太子の無念はどれほどのものだっただろうか。

「それでも、ティペリッシュの王太子と結婚したということは将来は王妃になるということだ。子も儲けているのであればそう無碍むげには扱われないだろう、大事にされているはず――そう思われていた」

 しかし実際はそうではなかった。

 二十年ほどの歳月が過ぎたころ、少数の兵士に囲まれた馬車が国境の城に現れた。兵士らは馬車を残しすぐに立ち去ったが、残された馬車の中に居たのは一人の女性だった。

 しばらくは、その女性が何者なのかわからずにいた。

 何年も整えられていないと思われる長い髪はすっかり色の抜け落ちた白髪で、まるで老婆のようだったが容姿を見るとそれほど老齢ではないように思われた。

 さらには何者かを問おうとしても、女性が口にする言葉はどれも要領を得ない。気が触れているらしいとわかって困惑していたが、持ち物の中に公爵家へ宛てた手紙がありにわかに騒然となった。

 国境の城に女性を残して手紙を公爵家へ渡せば、飛んできた公爵夫妻が女性を見て泣き崩れた。

「白髪のその女性は確かに精霊姫だった。ただもう自分が何者かもわからない有様だったが……」

 ことの次第はすぐにも国中に広まり、当時国王となっていた精霊姫の元婚約者の耳にも届いた。

 当然激怒した国王が再び軍を招集しようとしたが、当の公爵家がそれを押し留める。
 曰く、再度攻め入れば精霊姫の血を引く子供の未来はない、と。

「精霊姫が攫われてから二十数年、白銀の髪と瞳を持つ者は我が国に現れなかった。精霊姫の血を継ぐ者を絶やすわけにはいかない。そのため、国王はティペリッシュへ攻め入ることを断念した」

 元婚約者であった国王と公爵夫妻の怒りや悲痛はどれほどのものだったか、察するに余りある。

 だが一方で血を継ぐ子が人質になるほどに、フィーアンダでは“精霊姫”という存在が大事だったのだ。

「その時から我が国は、“精霊姫”を再び取り戻すことが悲願となった。“精霊姫”は我々にとってなくてはならない存在だが、それはこの国に伝わる伝承が教えている」

 そう言ってアルベルトは一呼吸間を置き、詩の一編を暗唱した。
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