【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る

水月音子

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三章

02

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「――平原をゆく風が、精霊の歌声を一人の男に届ける。
 心地よい澄んだ声音が、男の心を奪い去っていく。
 声に誘われて森へ向かえば、木々の合間に光が躍る。
 光を追って湖に出ると、一際輝く光に目が奪われる。
 神々しいまでの輝きに膝を折り頭を垂れれば、光は一人の美しい女性となって姿を現した。
 女性がその白く輝く手を差し出すと、男は恭しくその手を取って、彼女を現世に導くように、ともに森の中を舞った。
 彼女が微笑めば光は消えて、美しい女性は男の妻となった。
 男が治める土地は豊かになり、広大な森が守られる限り幸せは続くのだった――」


 朗々と暗唱するアルベルトの声に耳を傾けながら、マリアーナは既視感を覚えた。
 昔、これをどこかで聞いたような気がする。

 記憶を探るうちに頭の中に音が流れてきた。

(森に迷ったときに聞こえたうただわ)

 細かな言葉の端々は異なるが、弦が鳴らす曲とともに聞こえてきた詩と同じだと気づく。
 同時に、やはり不思議な郷愁を感じる。

 無意識に隣を歩くアルベルトを見上げていると、視線に気づいたのか彼がこちらを振り返った。
 一対の深緑の目を見ていると、また既視感を覚える。

 彼を見つめながら、なぜだろうかと考え込んでいたマリアーナはつい足元が疎かになってしまった。
 地上に出ていた木の根に躓いてしまう。体が前へとかしいで膝が地面につきそうになった。

 だが、繋いでいたアルベルトの手がマリアーナの体を引き寄せる。受け止めるように伸ばされたもう一方の手が腰に回されたことで倒れずに済んだ。

 しかし代わりにアルベルトの胸に抱き寄せられることになり、マリアーナはまた胸が高鳴った。

「大丈夫か?」
「は、はい……失礼いたしました」

 顔を赤くさせながら離れようとするが、腰に回された腕の力強さに阻まれてしまう。

 ふいに感じるアルベルトの香りと触れるところから伝わってくる熱に、つい数日前の閨でのことを思い出しめまいを覚えてしまった。頭に血が上り過ぎたのかもしれない。

 さらには先ほど感じた既視感の正体がわかった気がする。
 だが――

(そんなはずない……あの時、湖で溺れるわたしを助けてくれたのがルーベンソン公爵だなんて、自分に都合のいいことがあるわけが、ない……)

 そうだったらいいのにと思う一方で、そうだった場合の喪失感をも同時に感じる。

 もし、あの時助けてくれたのがアルベルトであれば感謝を伝えることができるが、子を成せば婚約を解消してまた離れ離れになるのだ。

(……わたしはいつの間にかあの男の子に――いいえ、ルーベンソン公爵に想いを寄せていたのね)

 それを今ここで自覚してしまう自分は相当に鈍いのだと、今更ながらに気づくマリアーナだった。

 湖で助けてくれた男の子とアルベルトを混同していることがわかっていながらも、離れがたさを感じて彼の腕の中でじっと身をすくめてしまう。

 だが、ふと何気なく後方を見て我に返った。
 少し距離をとってついて来ていたフランが、こちらを見ないよう顔を背けている姿が目に入ったのだ。

 はしたないところを見られてしまったと思い、マリアーナは先ほどよりも強くアルベルトの体を押した。

「あ、あのっ、もう大丈夫です……」
「……ああ」

 今度はすんなりと解放されて、抱き留められた腕に支えられながら体を離す。
 真っ赤な顔を見られるのは恥ずかしいが、ずっと抱きしめられていてはいろんな意味で心臓がもたない。

 何となく互いに無言で再度歩き始めるが、話の途中だったことを思い出して今度はマリアーナから口火を切った。

「先ほどの詩ですが、以前、国境を越えて森に迷ったときに聞いた覚えがあります」
「――なぜそんなことに?」

 森に迷ったことを尋ねられたのだろう。
 マリアーナは国境の町で一時過ごしていたこと、その町で『フィーアンダの悪女』と呼ばれていたこと、それが原因で子供たちに追われて逃げたことを説明する。

「彼らから逃げるため森に入ってしまったんです。子供たちがどこまでも追ってくる気がして……。気が付いたら森の深くまで入り込み迷ってしまいました」

 何かの気配を感じて隣を見上げれば、アルベルトの横顔が強張っているように見えた。

(精霊姫のことを悪女と言われて怒っていらっしゃるのね……言葉を選ぶべきだったわ)

 自分の失態に内心で反省をしつつも話を続ける。

「夜も深く自分がどこに居るのかもわからず途方に暮れていたとき、どこかから音楽が聞こえてきて『助かった』と思いました。その音楽に合わせて先ほどの詩が歌われていたのを聞きました」

 話しながら脳裏に浮かぶのはやはり不思議な光が舞う光景だったが、マリアーナはそれを口にはしなかった。
 ただ湖へと視線を移し、森を彷徨ったその先で自分の身に起こったことを口にした。

「その途中、誤って湖に落ちてしまったのですが――わたしはこの湖を知ってるような気がします。そんなはずはないとわかってはいるのですが……」

 ここは国境からそれなりに離れている。子供が歩いて来れる距離ではない。
 それにここは森の深くで、人里から流れてくる歌声が届く距離とも思えない。

 きっと国境の近くにも湖はあったのだろう。その湖で自分は溺れたに違いない。そう内心でひとり納得する。
 ところが、アルベルトが空いた方の手を顎に当てて「いや……」と呟いた。

「精霊がきみをここまで連れて来たのかもしれない」
「――精霊が、ですか?」

 驚き、アルベルトを見上げたその時、周囲で鈴を転がすような楽しげな声が聞こえてきた。
 昔、森で光と戯れていたときに聞いた邪気のない澄んだ声音だった。

 思わず視線を辺りに彷徨さまよわせていると、不審に思ったのかアルベルトに視線で問われる。
 どうやら彼には聞こえていないらしい。

 困惑しながらもマリアーナは正直にそれを話した。するとまたアルベルトが思案気に呟く。

「――精霊か」

 マリアーナも話しながらそれを考えていたが、アルベルトの確信を持った返答にやはり驚いてしまう。

「“精霊姫”はその名の通り精霊に愛され、精霊の声を聞き、精霊の姿を見ることができる、と言われている。精霊が現れたときの光を我々も見ることはあるが、はっきりと姿を見ることはできないし声を聞くこともない」
「……」
「精霊は森を住処とし、天災や災害などを“精霊姫”を通して我々に伝えてくれる。ずっと昔から引き継がれた精霊と人との繋がりだった――」

 それがティペリッシュによって断ち切られる。
 だがそのティペリッシュ内で辛うじて繋がりは保たれていた。その証拠がマリアーナなのだ。

「精霊の声を聞くことができるなら、きみはやはり“精霊姫”の血を継いでいる」

 前方に視線を戻し塔を目指すアルベルトの横顔は、どこか嬉しそうでもあり誇らしげでもあった。
 “精霊姫”をフィーアンダへ取り戻すという悲願が達成できたことを喜んでいるのだろう。

 髪も瞳も“精霊姫”と同じで精霊の声も聞こえる。これで精霊の姿が見えて言葉か、もしくは意思の疎通ができればマリアーナは“精霊姫”と呼ばれるのかも知れない。

 しかし、そう簡単に自分が“精霊姫”として迎え入れられるとは思えない。
 脳裏をよぎるのは家庭教師の言葉や公爵家の使用人の冷たい視線だ。

(あれほど憎まれてるのなら、フィーアンダの方々はわたしを認めてはくださらないでしょうね)

 いつかフランが言っていたように高位貴族であれば尚更だろう。

(でも、わたしの子なら――“精霊姫”の血を継ぐ子ならきっと……)

 そっとアルベルトの横顔を盗み見る。

(ルーベンソン公爵との子であれば大事にしてもらえるはず。早く子を授かって、婚約を解消したらわたしはティペリッシュに……)

 ふとアルベルトと視線が合いそうになって、マリアーナは慌てて足元に視線を落とした。
 荒れた獣道に足を取られないようにと心配するふりをして、アルベルトを盗み見ていたことを知られないよう取り繕う。

(……ティペリッシュにわたしの居場所はあるのかしら)

 ティフマ城を離れる馬車のなかで同じようなことを考えたていたのを思い出す。
 だが、あの時には知らなかった“精霊姫”の真実を知ってしまった。

 平民には『フィーアンダの悪女』と言われて攻撃され、これまではそれが一番つらかったと思っていたが、今は逆にそれだけならまだ我慢できると思えた。

(ティペリッシュの貴族はきっと“精霊姫”を知っているはず)

 だからこそ平民のようなあからさまな排除はしない。その代わり同情を寄せることもなく、冷ややかなさげすみの目で見てくる。

 ティフマ城の使用人はマリアーナの勤勉さを知っているため受け入れてくれていたが、それでも貴族に近い者ほど態度は硬化していった。

 加えてエーリス第四王子の件で、マリアーナへの心証はさらに悪くなっているに違いない。
 真実がどうであれ身分が下のマリアーナがそのとがを負うことは必定だろう。
 適当な罪をでっち上げられ良くて軟禁、最悪死罪もあり得る。

 どう考えてもティペリッシュに自分の居場所はないように思えた。

(それでも、こんなわたしに良くしてくださってるルーベンソン公爵に、これ以上ご迷惑をおかけするわけには――)

「いいや、迷惑だなどと思ったことは一度もない」

 唐突なアルベルトの発言にマリアーナは彼を見上げ目をまたたいた。

(まるで心の声を聞き取ったかのような……)

 マリアーナの驚きが伝わったのか、アルベルトも困惑の表情でこちらを見返す。

「……今、わたしは何か口走りましたでしょうか」
「私に『これ以上迷惑をかけるわけには』と、口にしなかったか?」
「……いいえ、その……口に出しては……」

 マリアーナの返答にアルベルトは視線を彷徨わせて「精霊か」と呟く。
 それがまるで正解だとでも言うように、また周囲から楽しげな声が響いてくる。

 精霊はそんなこともできるのかと驚くも、遠くで奏でられた音楽が深い森の中で聞こえてきたのも精霊がやったのだろうと考えれば、それも不思議ではないように思えてくる。

 そう考える一方で、アルベルトの落ち着かない様子にもマリアーナは興味を引かれた。心なしか頬も若干赤く染まっているように見える。

「――私はきみのことを迷惑だなどと思ったことはない。出会ったばかりですぐには信じられないだろうが、伴侶とするからには幸せにしたいと思っている」

 アルベルトが立ち止まりマリアーナもそれにならう。
 気が付けばもう目の前に塔がそびえ立っていた。

「かつてのティペリッシュのように私はきみを攫った。だが、同じ過ちは犯さない。きみを大事にする。だから――私をもっと頼ってほしい」

 言葉の途中で彼はなにかを言いかけて飲み込んだ。
 それが何かはわからなかったが、マリアーナは微笑んでみせた。

「ありがとうございます、ルーベンソン公爵様」

 彼の言葉が嬉しかったのは事実だ。だから、心からの礼を伝えた。
 なのになぜかアルベルトの表情がわずかに歪む。
 どうしてそんな風につらそうな表情をするのかと、やはりマリアーナにはわからなかった。
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