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終章
06
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時は遡り――。
兵を動かす許可を国王にもらったあと、アルベルトは国境の城へ向かっていた。
途中、自領に立ち寄って待たせていた兵士と合流し、最速で国境の城を目指す。
ところが、国境の城の主からアルベルトへ書簡を携えた兵士が、奇跡的にすれ違うことなくアルベルトを見かけて声をかけてきた。
城主の言伝が書かれた書簡を渡され、その場で目を通し即アルベルトは行き先を変更する。
書簡にはすでに何者かによってエーリス王子が解放されてしまったと書かれていた。
事の発端は城の周辺で旅の者が無作為に襲われるところから始まる。
賊は大抵所持品を盗むことが目的だ。まれに貴人を誘拐して身代金を要求することもある。
だが今回は農作物を運ぶ農民からあるいは商人までと狙いは様々で、しかも一日のうちに複数回犯行に及んでいた。
不可解な行動に見えたため状況を確認するべく城主が出向くも、それが間違いだった。
その隙を突くようにして高位貴族と思われる女性が数名の護衛とともに城に現れ、エーリスの身柄を引き受けに来たと言う。
代理として対応したのが城主の補佐を務める青年だったが、彼は疑いを持ちつつも言うままにエーリスを引き渡してしまった。
理由としてはあまりにもその女性が堂々としていたことと、身なりから高位貴族に間違いないということ、そして女性の可憐な容姿に心を奪われてしまったことが原因だった。
さらには――
『次期アルベルト様の婚約者となる者として、彼の仕事を手助けするのは当然のことですわ』
そう言われてしまえば青年には抗いようもなかった。
いま目の前にその青年が居たらアルベルトは殴り飛ばしただろうが、それはきっと城主が済ませているだろう。
今はただ一刻も早くマリアーナの元へ行かなくてはならない。
方向を転換してユーリーン子爵邸へ向かえば、すでにマリアーナは居ないと報告を受ける。
「辺境伯夫人とその娘に注意するようにと手紙を頂きましたが、マリアーナ様が彼女たちにティペリッシュへ帰るよう、上手く誘導しているようだったので問題ないかと思ったのです」
その後、辺境伯夫人と娘は子爵邸を出て行くことを拒んだために、このまま滞在させてアルベルトが戻るのを待とうと考えていた。
ところが、そこにアストリッドが現れて思うようにいかなくなった。
アストリッドが何かを吹き込んだようで、彼女と夫人が話をしたあとすぐに彼女が『帰る』と言い出した。
慌てて子爵が兵士を貸し与え、護衛を装い夫人らの行方を見張らせようと考えたが、アストリッドが馬車と護衛の兵士を貸し与えると言い出したため、それもできなくなった。
身分の高い者に強く出られれば子爵がそれを阻むことはできない。
ところが翌朝――今朝のことだ。夫人らの護衛をしていたアストリッドの兵士が戻って来て、二人が行方不明になったと伝えてきた。
道中で賊に襲われ、錯乱した二人が馬車から飛び出て森の中へ逃げたのだと言う。
その方角を聞けば湖のある方向へ向かったと思われた。塔に隠れているのかと思い声をかけたが応答が無かったため戻って来た、ということだった。
「それでマリアーナは」
「侍女とフラン殿と、私の兵士をお貸しして湖へ向かいました。自分の家族のことだから、と――」
報告を聞き終えアルベルトはすぐさま単身で湖へ向かった。
すると途中で、拘束した男たちを連れて子爵邸へ戻る兵士らの姿が見えた。
念のため詳しく聞けば辺境伯夫人の馬車を襲い、マリアーナ一行を襲った賊だということだった。
しかもフランが聞きだしたことによれば、高位貴族の女性に金で雇われたのだという。
国境の城周辺で起こった騒ぎと、その最中に城に現れてエーリスの身柄を引き受けた高位貴族の女性の話がアルベルトの脳裏を過る。
アルベルトは素早く主犯格らしい男を見分け、その男の胸倉を掴んだ。掴んだまま若干首が締まるよう持ち上げて、男の頭からつま先まで観察する。
「ただの賊じゃないだろう、傭兵だな。どこの貴族に雇われていたのか、吐いてもらおうか」
男の顔が歪む。苦痛にではなく図星を突かれたからのようだ。
すぐに答えなかったのは、この騒動の本当の主犯がその貴族だからに違いない。
アルベルトはさらに男を持ち上げる腕に力を込めた。男の足が爪先立ち、顔が赤を通り越して土気色になる。
「さっさと吐け。私は今気が急いている。このまま首を手折られたくなければ吐け」
「――こ、こうしゃく、だ……ダリアン侯爵……アストリッド様――」
アルベルトは男を投げ出すと、すぐさま馬に跨り先を急いだ。
胸のうちで渦巻く怒りと、マリアーナの無事を願う思いが交錯する。
ようやく木々の合間に湖が見え始めたころ、不穏な気配を感じて空を見た。何かが燃えているのか煙が立ち上っているのが見えて心臓が早鐘を打つ。
前の戦場では感じなかった恐怖に微かに手が震えた。
(マリアーナ!)
愛しい彼女の名を胸中で叫びながら木々の切れ間を出る。
湖の傍に建つ塔の一階部分から黒々とした煙が立ち上り、周囲でフランや兵士が必死に湖の水をかけているのが見えた。
マリアーナは、と視線を巡らせれば、ソフィアが祈るように手を胸元で組んで上を見上げていた。
視線を追って塔の上階を見る。窓際に彼女の後姿が見えた。
「マリアーナ!」
思わず叫んでいた。
彼女が気づいたのかこちらに振りむきかけて、その首に何者かの手が伸びるのを見た。遠目でもわかる男の腕だった。
瞬時に頭に血が上って、煙が充満する一階へ突進するつもりで駆ける。たとえこの身が焼けてでも、マリアーナに手をかけたその男をくびり殺すと即座に誓う。
ところが窓際とその周辺の壁が崩れ、二人の体が塔の外へ投げ出されてしまう。
血が上っていた頭から今度は血の気が引いた。
落ちる先は湖の上だが衝撃がないわけではない。以前のように無事で助けられる保証もない。
だが、以前と同じように湖に飛び込むつもりで、アルベルトは馬から飛び降り駆けた。
まるでゆっくりと通り過ぎるように時間が長く感じた。
湖に近づく一歩一歩が遅く感じ焦燥感を覚える。
そんな焦るアルベルトの耳にマリアーナの声が届く。
『あの少年はやはりアルベルト様……』
『わたしはアルベルト様が好き――ずっとお傍に居たい――離れたくないっ』
精霊がマリアーナの心の声を伝えて来ているのだとすぐにわかった。
彼女の想いが強く心に響き胸が締め付けられる。
(ああ、マリアーナ、私もだ――)
『わたしの心はアルベルト様に――そう伝えられたら……』
『死んでもいい』と続きそうな言葉を遮って、アルベルトはもう一度彼女の名前を叫んだ。
もう、水面はすぐそこまで迫っていた。
しかし、驚くべき光景を目の当たりにする。
彼女が不思議な光に包まれて着水する直前に落下が止まった。まだそれに気づいていない彼女の体が、ゆっくりと水面に横たわる。
アルベルトは――アルベルトだけでなく周囲の者みな、その光景に呆然となって立ちつくした。
少ししてようやく気付いたマリアーナがその場に身を起こす。
彼女の周りに幾つかの小さな光が現れて、何かを促すように塔の上階へ舞い上がった。
アルベルトも思わずそちらに視線を向けるが、何も見えない。
だがマリアーナには何かが見えているようだった。目を見開き塔を見上げている。その彼女が思い余った様子で精霊姫の名を呼び立ちあがったことで、マリアーナに何が見えていたのかわかった気がした。
水面に立ち上がり再度塔を見上げ、その姿を見失ったのかマリアーナが俯く。その周囲をまた光が舞う姿を見て、フランやソフィア、兵士らがその場に膝をつくのを気配で察した。
アルベルトはただじっと彼女を見つめ、待つ。
その実、内心では変わらず焦燥感を覚えていたが、マリアーナが自分に意識を向けてくれるのを待った。
仄かに光をまとって、幾つかの小さな光が周囲を舞うマリアーナの姿に、アルベルトは伝承でしか知らない精霊を思い起こす。
もし、このまま彼女の気持ちがこちらに向かなければ、あの光とともに消えていってしまうのではないかと、不安と恐怖に襲われる。
だが、精霊が伝えてきた彼女の心の声をアルベルトは信じた。
するとようやくマリアーナがこちらを振り返る。短い時間だったかもしれないがアルベルトには長く感じた。
初めは跪く周囲を見て戸惑う様子を見せたが、アルベルトが手を差し出すと足をこちらへ向ける。
水面を歩く彼女は傍まで来ると、水位のぶん背が高くなりアルベルトと視線が同じになった。
少し気後れした様子を見せつつもこちらを見つめるマリアーナの目を、アルベルトも真っ直ぐに見つめ返す。途端にマリアーナの目元が和らいだのを感じた。
少し前までは感情を隠すことに長けていたその目が、今ははっきりとアルベルトへの想いを語っているように見えた。
きっと今、マリアーナと自分は同じ想いに駆られているはずだと確信する。早くこの腕に彼女を抱きしめたいその一心で、マリアーナに自分の手を取るよう促す。
マリアーナは何の迷いもなく手を差し出し、アルベルトの手に手を重ねた。
すると水面に立つことができなくなったマリアーナの体が揺らぐ。体勢を崩す彼女を抱き留め、そのまま強く抱きしめた。
「アルベルト様……」
「私もだ、マリアーナ」
「?」
「私も、きみが好きだ、マリアーナ。本当はずっと傍に居て欲しいと願っていた」
「っ――」
息をのむ彼女の様子に少しだけ笑みを深くする。きっと今腕の中で顔を真っ赤にしているに違いない。
「あ、アルベルト様、聞こえて……」
「ああ、きみの心が私にあるということも、傍に居たいと願ったことも――撤回は受け付けない」
アルベルトは真実、マリアーナの心の声を聞いた。それは嘘だったと言われても信じないし、アルベルトはもう自分の想いを抑えることはできない。
だが、マリアーナももう誤魔化すつもりはないようだ。
「っ、撤回はいたしません……ずっと、アルベルト様をお慕いしていました。想いに気づいたのは最近ですが――アルベルト様と離れたくありません。ずっと傍に居たい……」
「マリアーナ」
わずかに体を離し彼女を間近から見つめれば、涙に濡れた目がアルベルトの心を捕らえる。
胸が締め付けられるほどに想いが溢れて止められない。止めるつもりもない。
「二度ときみを離しはしない。マリアーナ、愛している」
想いを告げ唇を重ねれば、彼女もそれに応え抱きしめ返してくれる、その抱きしめる腕の強さをアルベルトは愛しく思った。
兵を動かす許可を国王にもらったあと、アルベルトは国境の城へ向かっていた。
途中、自領に立ち寄って待たせていた兵士と合流し、最速で国境の城を目指す。
ところが、国境の城の主からアルベルトへ書簡を携えた兵士が、奇跡的にすれ違うことなくアルベルトを見かけて声をかけてきた。
城主の言伝が書かれた書簡を渡され、その場で目を通し即アルベルトは行き先を変更する。
書簡にはすでに何者かによってエーリス王子が解放されてしまったと書かれていた。
事の発端は城の周辺で旅の者が無作為に襲われるところから始まる。
賊は大抵所持品を盗むことが目的だ。まれに貴人を誘拐して身代金を要求することもある。
だが今回は農作物を運ぶ農民からあるいは商人までと狙いは様々で、しかも一日のうちに複数回犯行に及んでいた。
不可解な行動に見えたため状況を確認するべく城主が出向くも、それが間違いだった。
その隙を突くようにして高位貴族と思われる女性が数名の護衛とともに城に現れ、エーリスの身柄を引き受けに来たと言う。
代理として対応したのが城主の補佐を務める青年だったが、彼は疑いを持ちつつも言うままにエーリスを引き渡してしまった。
理由としてはあまりにもその女性が堂々としていたことと、身なりから高位貴族に間違いないということ、そして女性の可憐な容姿に心を奪われてしまったことが原因だった。
さらには――
『次期アルベルト様の婚約者となる者として、彼の仕事を手助けするのは当然のことですわ』
そう言われてしまえば青年には抗いようもなかった。
いま目の前にその青年が居たらアルベルトは殴り飛ばしただろうが、それはきっと城主が済ませているだろう。
今はただ一刻も早くマリアーナの元へ行かなくてはならない。
方向を転換してユーリーン子爵邸へ向かえば、すでにマリアーナは居ないと報告を受ける。
「辺境伯夫人とその娘に注意するようにと手紙を頂きましたが、マリアーナ様が彼女たちにティペリッシュへ帰るよう、上手く誘導しているようだったので問題ないかと思ったのです」
その後、辺境伯夫人と娘は子爵邸を出て行くことを拒んだために、このまま滞在させてアルベルトが戻るのを待とうと考えていた。
ところが、そこにアストリッドが現れて思うようにいかなくなった。
アストリッドが何かを吹き込んだようで、彼女と夫人が話をしたあとすぐに彼女が『帰る』と言い出した。
慌てて子爵が兵士を貸し与え、護衛を装い夫人らの行方を見張らせようと考えたが、アストリッドが馬車と護衛の兵士を貸し与えると言い出したため、それもできなくなった。
身分の高い者に強く出られれば子爵がそれを阻むことはできない。
ところが翌朝――今朝のことだ。夫人らの護衛をしていたアストリッドの兵士が戻って来て、二人が行方不明になったと伝えてきた。
道中で賊に襲われ、錯乱した二人が馬車から飛び出て森の中へ逃げたのだと言う。
その方角を聞けば湖のある方向へ向かったと思われた。塔に隠れているのかと思い声をかけたが応答が無かったため戻って来た、ということだった。
「それでマリアーナは」
「侍女とフラン殿と、私の兵士をお貸しして湖へ向かいました。自分の家族のことだから、と――」
報告を聞き終えアルベルトはすぐさま単身で湖へ向かった。
すると途中で、拘束した男たちを連れて子爵邸へ戻る兵士らの姿が見えた。
念のため詳しく聞けば辺境伯夫人の馬車を襲い、マリアーナ一行を襲った賊だということだった。
しかもフランが聞きだしたことによれば、高位貴族の女性に金で雇われたのだという。
国境の城周辺で起こった騒ぎと、その最中に城に現れてエーリスの身柄を引き受けた高位貴族の女性の話がアルベルトの脳裏を過る。
アルベルトは素早く主犯格らしい男を見分け、その男の胸倉を掴んだ。掴んだまま若干首が締まるよう持ち上げて、男の頭からつま先まで観察する。
「ただの賊じゃないだろう、傭兵だな。どこの貴族に雇われていたのか、吐いてもらおうか」
男の顔が歪む。苦痛にではなく図星を突かれたからのようだ。
すぐに答えなかったのは、この騒動の本当の主犯がその貴族だからに違いない。
アルベルトはさらに男を持ち上げる腕に力を込めた。男の足が爪先立ち、顔が赤を通り越して土気色になる。
「さっさと吐け。私は今気が急いている。このまま首を手折られたくなければ吐け」
「――こ、こうしゃく、だ……ダリアン侯爵……アストリッド様――」
アルベルトは男を投げ出すと、すぐさま馬に跨り先を急いだ。
胸のうちで渦巻く怒りと、マリアーナの無事を願う思いが交錯する。
ようやく木々の合間に湖が見え始めたころ、不穏な気配を感じて空を見た。何かが燃えているのか煙が立ち上っているのが見えて心臓が早鐘を打つ。
前の戦場では感じなかった恐怖に微かに手が震えた。
(マリアーナ!)
愛しい彼女の名を胸中で叫びながら木々の切れ間を出る。
湖の傍に建つ塔の一階部分から黒々とした煙が立ち上り、周囲でフランや兵士が必死に湖の水をかけているのが見えた。
マリアーナは、と視線を巡らせれば、ソフィアが祈るように手を胸元で組んで上を見上げていた。
視線を追って塔の上階を見る。窓際に彼女の後姿が見えた。
「マリアーナ!」
思わず叫んでいた。
彼女が気づいたのかこちらに振りむきかけて、その首に何者かの手が伸びるのを見た。遠目でもわかる男の腕だった。
瞬時に頭に血が上って、煙が充満する一階へ突進するつもりで駆ける。たとえこの身が焼けてでも、マリアーナに手をかけたその男をくびり殺すと即座に誓う。
ところが窓際とその周辺の壁が崩れ、二人の体が塔の外へ投げ出されてしまう。
血が上っていた頭から今度は血の気が引いた。
落ちる先は湖の上だが衝撃がないわけではない。以前のように無事で助けられる保証もない。
だが、以前と同じように湖に飛び込むつもりで、アルベルトは馬から飛び降り駆けた。
まるでゆっくりと通り過ぎるように時間が長く感じた。
湖に近づく一歩一歩が遅く感じ焦燥感を覚える。
そんな焦るアルベルトの耳にマリアーナの声が届く。
『あの少年はやはりアルベルト様……』
『わたしはアルベルト様が好き――ずっとお傍に居たい――離れたくないっ』
精霊がマリアーナの心の声を伝えて来ているのだとすぐにわかった。
彼女の想いが強く心に響き胸が締め付けられる。
(ああ、マリアーナ、私もだ――)
『わたしの心はアルベルト様に――そう伝えられたら……』
『死んでもいい』と続きそうな言葉を遮って、アルベルトはもう一度彼女の名前を叫んだ。
もう、水面はすぐそこまで迫っていた。
しかし、驚くべき光景を目の当たりにする。
彼女が不思議な光に包まれて着水する直前に落下が止まった。まだそれに気づいていない彼女の体が、ゆっくりと水面に横たわる。
アルベルトは――アルベルトだけでなく周囲の者みな、その光景に呆然となって立ちつくした。
少ししてようやく気付いたマリアーナがその場に身を起こす。
彼女の周りに幾つかの小さな光が現れて、何かを促すように塔の上階へ舞い上がった。
アルベルトも思わずそちらに視線を向けるが、何も見えない。
だがマリアーナには何かが見えているようだった。目を見開き塔を見上げている。その彼女が思い余った様子で精霊姫の名を呼び立ちあがったことで、マリアーナに何が見えていたのかわかった気がした。
水面に立ち上がり再度塔を見上げ、その姿を見失ったのかマリアーナが俯く。その周囲をまた光が舞う姿を見て、フランやソフィア、兵士らがその場に膝をつくのを気配で察した。
アルベルトはただじっと彼女を見つめ、待つ。
その実、内心では変わらず焦燥感を覚えていたが、マリアーナが自分に意識を向けてくれるのを待った。
仄かに光をまとって、幾つかの小さな光が周囲を舞うマリアーナの姿に、アルベルトは伝承でしか知らない精霊を思い起こす。
もし、このまま彼女の気持ちがこちらに向かなければ、あの光とともに消えていってしまうのではないかと、不安と恐怖に襲われる。
だが、精霊が伝えてきた彼女の心の声をアルベルトは信じた。
するとようやくマリアーナがこちらを振り返る。短い時間だったかもしれないがアルベルトには長く感じた。
初めは跪く周囲を見て戸惑う様子を見せたが、アルベルトが手を差し出すと足をこちらへ向ける。
水面を歩く彼女は傍まで来ると、水位のぶん背が高くなりアルベルトと視線が同じになった。
少し気後れした様子を見せつつもこちらを見つめるマリアーナの目を、アルベルトも真っ直ぐに見つめ返す。途端にマリアーナの目元が和らいだのを感じた。
少し前までは感情を隠すことに長けていたその目が、今ははっきりとアルベルトへの想いを語っているように見えた。
きっと今、マリアーナと自分は同じ想いに駆られているはずだと確信する。早くこの腕に彼女を抱きしめたいその一心で、マリアーナに自分の手を取るよう促す。
マリアーナは何の迷いもなく手を差し出し、アルベルトの手に手を重ねた。
すると水面に立つことができなくなったマリアーナの体が揺らぐ。体勢を崩す彼女を抱き留め、そのまま強く抱きしめた。
「アルベルト様……」
「私もだ、マリアーナ」
「?」
「私も、きみが好きだ、マリアーナ。本当はずっと傍に居て欲しいと願っていた」
「っ――」
息をのむ彼女の様子に少しだけ笑みを深くする。きっと今腕の中で顔を真っ赤にしているに違いない。
「あ、アルベルト様、聞こえて……」
「ああ、きみの心が私にあるということも、傍に居たいと願ったことも――撤回は受け付けない」
アルベルトは真実、マリアーナの心の声を聞いた。それは嘘だったと言われても信じないし、アルベルトはもう自分の想いを抑えることはできない。
だが、マリアーナももう誤魔化すつもりはないようだ。
「っ、撤回はいたしません……ずっと、アルベルト様をお慕いしていました。想いに気づいたのは最近ですが――アルベルト様と離れたくありません。ずっと傍に居たい……」
「マリアーナ」
わずかに体を離し彼女を間近から見つめれば、涙に濡れた目がアルベルトの心を捕らえる。
胸が締め付けられるほどに想いが溢れて止められない。止めるつもりもない。
「二度ときみを離しはしない。マリアーナ、愛している」
想いを告げ唇を重ねれば、彼女もそれに応え抱きしめ返してくれる、その抱きしめる腕の強さをアルベルトは愛しく思った。
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