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化け物バックパッカー、冷風の吹く朝を迎える。
しおりを挟む冷たい風は、たまたま線路と同じ方向にまっすぐ吹いた。
午前6時の太陽に十分に暖められていない線路は、電車の代わりに風を送る。
その先には、古びた小さな駅。
駅の前を、風は走り抜ける。
ここは、もう使われなくなった駅。
その駅のホームには、黒いローブを着た人物がベンチに腰掛けていた。
駅員室と思われるソファーの上で、老人は寝袋から抜け出した。
「ふうあぁぁぁ……ん? ここは……」
辺りを見渡すこの老人、寝ぼけた様子ですら怖い。主に顔が。
「……そうだった。確か、ここに泊まらせてもらっていたんだったな」
老人は頭をかきながらその言葉に確認を取るようにうなずいた。毛布から体を出すと、黄色いダウンジャケットを着ていることがわかる。
その後、老人はそばに置いてあった黒いバックパックに手を伸ばす。その時、目の前にいる人物に目を合わせた。
老人の座るソファーの前には、壁にもたれかかる人影があった。
その人影の見た目は、こたつの毛布なみに分厚い上着を何枚も重ね着しており、その上にマフラー、手袋、ニットキャップと、完全防寒の先を行っていた。もはや暑苦しいといえるその格好のせいで、中身はどんな姿になっているのかを見るのは不可能だ。
男女すらわからないこの人物のことを、これから“コート人間”と呼ばせてもらう。
コート人間はうずくまった姿勢のまま、左手で何かをかかえ、右手で何かを振っていた。
その右手を懐に入れようとすると、懐から何かが落ちた。
それを拾い上げようと左手を伸ばしてしまい、
抱えていた何かが、一気にこぼれた。
床に落ちたのは、大量のカイロだ。どれも開封ずみ。
カイロを目にして呆然としているコート人間の右手に持っているものも、カイロだった。
コート人間は急ぐ様子もなく、ゆっくりとした動きでカイロを拾い上げていく。
1枚、1枚、ゆっくりとした動作で、1枚、1枚――
最後の1枚を拾ったのは、コート人間ではなく、老人だった。
「だいじょうぶか?」
バックパックを背負った老人は、拾ったカイロをコート人間に差し出した。
「……」
コート人間は何もいわずにうなずいて、カイロを受け取った。
「そういえば……“タビアゲハ”はどこにいったんだろうか」
「……?」
「おまえさん、知っているか? 俺と一緒にここに来た、黒いローブを着た子だが」
「……」
コート人間は右手を車掌室の出口を指差した。
「ああ、外にいるんだな。ありがとう」
「……」
立ち去って行く老人をコート人間は目で追いかけ、またカイロを落とした。
駅のホームには、ひとつの人影がベンチに座っていた。
黒いローブを身にまとい、フードを深く被っているために顔がよく見えない。しかし、コート人間とは違って防寒着と呼べるものはローブをのぞいて見当たらない。ローブの裾からはみ出た、影のように黒い手とその先の指に生えているとがったツメ。その手を見ると、女性的な印象が強い。
その背中には、黒いバックパックが背負われていた。老人のものよりも、少しだけ古めのバックパックだ。
そのローブの人物は、辺りを見渡していた。何かを探すわけでもなく、ただ、その周辺の景色を見ているだけだ。時々、フードからはみ出ている口元が緩む。
「タビアゲハ、そこにいたか」
老人の声に、ローブの人物は顔を振り返った。
「ア、“坂春”サン。オハヨウ」
タビアゲハと呼ばれたローブの人物は、震えているような奇妙な声を出した。人間ではない、しかし、はっきりとした声で。
「ナンダカ、イツモヨリ早起キダネ」
「ただ昨日は早く寝ただけだ。ノートパソコンの充電が切れていたからな」
坂春がタビアゲハの隣に座り、一息つくと、タビアゲハが肩をつついてきた。
「坂春サン、昨日カラ気ニナッテイタケド……アノ人……私タチヲ泊メテクレタ人ッテ、ドウシテ震エテイルノ?」
駅員室の方向を見て首をかしげるタビアゲハに、坂春もアゴに手を触れる。
「よくわからないが……あれだけ厚着をするぐらいだから、よほどの寒がりなんだろうな」
「ソウナンダ……ソレジャア、何カ温カクナル方法トカアルノカナ?」
「あれ以上は思いつかないな。普通、あんなに防寒した上にカイロを大量に抱えていると熱中症になりそうなものだが……」
“坂春”と呼ばれた老人は、大きく伸びをして立ち上がった。
「ちょっといつものを買ってくる」
「イツモノ眠気覚マシ?」
「ああ、今日の朝はやけに冷えるからな」
坂春が駅から立ち去るのを見届けた後、タビアゲハは景色の観察を再開した。
駅から出てきた坂春は道なりに進み、1台の自動販売機を見つけた。
駆け足で自動販売機の前に立ち、小銭を入れる。
小銭を入れたあと、数あるボタンのひとつに指を当てる……
「――っ!!」
あやうく、缶コーヒーの“つめた~い”と書かれたボタンを押すところだった。
坂春はホッと透明な湯気を吐くと、今度は“あたたか~い”と書かれたボタンを指に当てる。
確認のうなずきを入れて、ボタンを押しこむと、ガコンという音が聞こえてきた。
「くすくすくす……」
坂春が取り出し口から缶コーヒーを取りだそうとすると、後ろから静かな笑い声が聞こえてきた。
「……」
不愉快よりも、どこで笑っているのかが気になる様子で、坂春は後ろを振り向いた。
「あら、ごめんなさい。自分もよくしていたことだから、つい思い出し笑いしたわ」
後ろにいたのは、老婆だ。飾りすぎない花柄のセーターにシンプルな卵色の長スカート、白い唾帽子にシワだらけだが優しい笑みは、絵に描いたような貴婦人のようだ。
貴婦人は坂春の背負っているバックパックを指差した。
「……あなた、旅行者?」
「まあ、そうとも言えるかもしれんな」
坂春は缶コーヒーを片手で取ると、もう片方の手を缶コーヒーにそえる。
「それが、どうかしたか?」
「いえ、私もちょっとした旅行者だったから……」
再び静かな笑い声を出す貴婦人。しかし、先ほどとは違って、本心から笑っているとはいえない。
「そうか、それじゃあお互い、気をつけてな」
両手に缶コーヒーを持ったまま、坂春は駅に向かって歩き始めた。
「あ、あの! 待って!!」
それを、貴婦人は引き留めた。
「あ……あの……“変異体”――」
そして、胸を抱えてしゃがみ込んだ。
「! おい! だいじょうぶか!?」
慌てて駆け寄った坂春に対して、貴婦人は息を整えながら「だいじょうぶ……だいじょうぶ……」と、口に出していた。いや、坂春に対してではないようだ。
「……だいじょうぶ。もう落ち着いたわ」
貴婦人は、ゆっくりと、立ち上がる。
「心臓が悪いのか?」
「ええ、でもだいじょうぶよ。あの人を見つけるまで死ぬにも死にきれないわ」
「あの人?」
「……私の娘の夫。あの人は、自分の姿が変わっても、娘と別れてしまっても、病で倒れた娘のために最後まで薬を確保し続けてくれたの」
貴婦人は、ポケットからスマホを取り出し、写真を見せた。
「あの人が娘と別れる前の写真よ」
写真に写っている男。その右腕は、巨大な刃物のようになっていた。
「……いや、見ていないな」
坂春はその刃物に注目しながらも、特に珍しくもない顔で答えた。
「……よかったあ」
胸をなで下ろし、スマホをポケットに戻す貴婦人に、坂春は首をかしげた。
「よかった? この男を探しているんじゃあなかったのか?」
「いや、よかったって思っているのは、変な目で見られなかったって意味よ。ほら、“変異体”って、元人間なのに、みんなに嫌われているじゃない?」
「……ああ、変異体を探していると言ったら、偏見の目で見られるんじゃないかって思ったのか」
「ええ……でも、勇気を出して言えてよかったわあ。まるで、もう温かいのに寒いと思い込んでコートを着続けていたみたいね。今までの私って」
その後、坂春が駅に戻ると、タビアゲハは駅内の様子を眺めていた。
駅員室に入ると、コート人間は相変わらずカイロを振っていた。
坂春はベンチに腰掛け、缶コーヒーのふたを開ける。
それぞれの静かな時間が、わずかに流れる。
心地よい冷風とともに。
「坂春サン、モウソロソロ行ク?」
駅員室に入ってきたタビアゲハに、一息つき終えた坂春は「そうだな」とバックパックの中に空き缶を入れ込み、立ち上がる。
「昨日は泊めてくれてありがとうな」「マタ、合エルトイイネ」
ふたりはコート人間に向かって礼を告げると、駅員室から立ち去った。
「……」
コート人間は何かを言いたそうに、何も言わず口を開けて見送った。
しばらくして、駅の中で何かが倒れる音がした。
駅員室にいたコート人間は、その音とともに胸に抱えた大量のカイロを落とした。
それを拾おうとはせず、コート人間は駅員室の出口からのぞいた。
駅の入り口で、誰かが倒れていた。
貴婦人だ。胸を押さえて、小刻みに震えている。
寒がっていると、勘違いしたのだろうか。
コート人間は貴婦人をじっと見続けると、
自分のたくさんのコートを脱ぎ始め、それを貴婦人に着せ始めた。
すべてのコートを脱ぎ終えても、自分の手袋、ニットキャップをさらに脱ぎ、
貴婦人にひたすら、着せ続ける。
「ああ……あなたなのね……」
貴婦人が、か細い声でコート人間の右腕をなで始めた。
その腕の肌は、編み目状になっており、中身はなかった。
すべてのコートを脱いだ彼は、
全身の肌が網戸の網で出来ていた。
毛の1本もない、人のシルエットをした網だ。
貴婦人の探していた、右腕が刃物の男ではない。
「間違いないわ……こうやって……必死に……最後まで……」
貴婦人の最後の言葉とともに、一滴の涙が流れた。
その涙は頬を下りていき、
貴婦人の着ていたセーターのサマーニットの生地にしみこんだ。
冷えていく貴婦人の頬に手を当て、
網の人物は、駅の出口の先を見つめた。
もう、防寒着も、大量のカイロも、
必要なかった。
夏の朝の冷風が、体の中をすり抜けていった。
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