one day only ~1日だけのカフェで

yolu

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 風に流されるように、いつもなら右に行く道を、今日は左に向いた。
 こちら側にもコンビニはあるから、そこで時間を潰そうか。
 そう思ったのは、いつもじゃないことをすることで、これからの時間を肯定できそうな、そんな気がしたからかもしれない。

 今日は冷えている。
 私は夏物スーツのせいで肌寒い思いをしながら、街灯が照らす真っ黒な地面を見つめながら歩いていく。
 歩幅は狭い。足取りも重い。
 背は丸く、猫背なのがわかる。
 胸に抱えた通勤カバンが重いせいだ。
 どこかへ放り投げたくなる。
 だけど、個人情報が満載すぎる。
 ……バレてもいいか。
 でも三日後の先方との打ち合わせで使うデータがある。
 これだけは、壊したい。かも。
 小さなメモリーカードだが、それを石で粉砕するのを想像したら、少しだけ元気がでた。
 コンビニで缶チューハイでも買っちゃおうか。
 口元をゆるませながら、カバンを抱え直したけれど、顔を上げて歩く気分にはなれなかった。
 別に下を向いていなきゃいけない、なんて、決まりはないのに。

 頬をなでる風の冷たさにも慣れてきた頃、街灯を何本すぎただろうかと考えた。
 もうそろそろコンビニかと考えたとき、ふんわりと、花の香りが鼻をくすぐる。

「……あ、バラか」

 つい声に出てしまって、手で口を押さえた。
 声が出たのは懐かしい匂いのせいだ。
 いや、今も庭を覗けばバラがあるのだと思う。母はバラが好きだから、家の中にも飾ってある。
 あったはずだ。いつもあったから。
 だけど、思い出せない……

 最近の家のなかのすらイメージができない自分に、情けなさのため息を大きくついて、かわりにバラの香りを肺いっぱいに吸い込んだ。
 これが最後のバラの匂いだ。

「いい匂い……」

 少しだけ心が明るくなる。
 これは、私への最後のご褒美だ。
 そのまま明るい方へと顔を向ける。
 コンビニに着いたからだ。

「……は?」

 駐車場の白線が見えた気がして顔を上げたのに、目の前には真っ白な洋館が建っている。

「……はぁ?」

 今までこんな洋館、見たことがない。
 これほど大きく素敵な建物なら、見つけていないはずがない!

 ……いや、気づかないのは、あり得る、か。

 家の中に飾ってあるバラすら気づかないのだから、建物すら素通りしていたのかもしれない。

 目的地はコンビニだからこそ、それ以外は無視して今まで歩いていたと思えば納得もする。

 ずっと、横を見る余裕もなかったなんて……

 私はせっかくだからと足を止めた。
 白い鉄門は私よりも背が高く、その柵の隙間から洋館をじっと眺めてみる。

 まず目に入ったのは、洋館を包み込むように広がるバラたちだ。
 夜露に濡れ、砂糖菓子のように煌めいてる。
 高貴な香りも、この数多のバラからだろう。
 すんすんと鼻を鳴らしながら、もう一歩だけ門へ近づいた。

 鉄門から洋館の大きな扉までの間に石畳がある。
 バラの影で見えなかったが、そこには足元を照らすようにランプが置かれ、とてもオシャレで可愛らしい。ちらちらと淡い光が揺れていて、キャンドルが灯してあるのだろうか。

 洋館の大きな木製のドアには筆記体で『one day only』とある。
 お店の名前だろうか。
 意味は、たぶん、──1日だけ。
 その下には、『open』の看板が下がっている。
 バーかなにかかと目を凝らせば、横に添えられているイラストはコーヒーカップの絵だ。

 私はカバンに手を入れた。
 お店の内容を知りたかったが、知ることは出来ないで終わるようだ。
 今も家で一人でブルブル震えているスマホを思い、最後は一人にさせてごめんね。と、なんとなく心で謝った。

 しかしながら、すごく、気になる。
 こんな夜中にカフェがやってる?
 しかも、住宅街のど真ん中で?
 ここは何時までやってるの?
 むしろ、いつからやってたの??

 疑問符が絶えないなか、つい鉄門に手をかけてしまった。
 きいと軽い音を立てて、鉄門が左右に分かれて開いていく。

「え、あ、っと!」

 転ばないように足を踏ん張ったが、体はすっぽりと中へ入ってしまった。
 それならと、数歩近づいた。
 やはり、洋館の扉には、『open』の看板がある。

 ……入ってみようか?

 いや、こんな高級そうな、しかも夜中にやっているカフェなど、一見さんは不可に決まっている。
 それに、時間だって少ないし。
 私はすぐに踵を返した。
 が、真後ろに何かが立ってる──!

「……ひっ」

 のけぞるように立ち止まって、私は息を飲む。
 だが、目の前にある腰丈ほどのそれは、まじまじと見れば、なんてことはなかった。
 会釈をしている黒い燕尾服を着た猫の置物だったからだ。

 見たことがないだろうか。
 芝生の上に置かれた実物大の犬のオブジェを。

 私は田舎の叔父の家に行くときによく見ていた。
 広い庭で芝生があり、そこにポツリと置かれた犬のオブジェ。
 見る度に、犬を飼ってるんだと思ってじっと眺めては、置物なんだと何度落ち込んだことか。
 本物に見間違う躍動感と、丁寧なカラーリングでふわふわな毛並みが表現されて、とてもリアル。

 今目の前にあるのは、その置物の、茶色長毛猫執事版だ。
 燕尾服を着こなした二本足で立つ猫のオブジェとは、これもまたオシャレだと感心してしまう。
 暗かったせいで見過ごしていたなんて……
 私はついそれに会釈をしながら通り過ぎる。
 だが、なぜか手がこちらへこない。

「いらっしゃいませ」

 陶器の猫の頭がもたげ、私の手をしっかりと掴んでいた。
 黄金色の目が大きく開き、ちらりと光る。

「ご案内します。こちらへどうぞ」

 私は引っ張られ、転がるように歩きながら戸惑っていた。
 置物がしゃべって、動いている!?

「……へ?」

 手のひらにあるその手を軽く握る。
 3回握ったけれど、どう握っても、猫の手だ。
 柔らかく、しっとりとした肉球と、ふわふわの手の甲……であっているのだろうか。
 どう握っても、猫の可愛らしい手でしかない。

 やっぱり、陶器じゃない……!

「わたくしの手、お気に召しましたか?」
「え、あ、あ……」

 うまく答えられない。
 後ろ姿を見れば、燕尾服の合間からしっぽがでている。
 ズボンに穴があり、そこからきつねのような黄金色の毛で、太く長いしっぽが揺れている。
 どこからどう見ても、二本足で歩く立派な執事猫だ。

「え……ちょ、あ、あの、」
「そんなに驚くことですか? ここでは普通のことですよ」

 そう言われ、私の混乱は一瞬にして消え去った。
 そっか。これが普通だよね。
 なに驚いてるんだろ。

「ご案内させていただきましたのは、執事のビスケットでございます。以後、よしなに」

 ドアノブを下げ、白い木の扉を開けてくれた。
 ガランとドアベルが鳴る。
 開かれた店内に、私は言葉を失なった。

「わぁ……」

 なぜなら、憧れの洋館カフェだったからだ。

 革張りの椅子、猫足の木のテーブルが並び、右側にはカウンターがある。
 天井にはシャンデリアが下がり、奥の壁には鏡が嵌め込まれ、ちらちらと揺れる光の波が鏡に反射し、店内を淡く明るく染めている。
 カーテンのない大きな窓は木枠で、さらにその窓の上にはステンドグラスでバラが描かれ、昼間に見たらさぞ美しいはずだ。

 ぐるりと見回したが、店内には私だけだった。
 店内に音楽は流れておらず、私の足音がカツンカツンと響き渡る。ほこりの落ちる音さえ聞こえてきそうだ。

 このお店の空気を柔らかくしたのは、「よいしょ」というおばあちゃんの声だった。
 その声とは裏腹に、カウンターに飛び乗ったのは、鯉柄の着物を着こなしたサビ柄猫だ。
 背中を小さく丸めて、にっこりと微笑み、

「いらっしゃいな」

 さっき聞こえたおばあちゃんの声だ。
 ぺこりと頭を下げて出迎えてくれた。
 とととと軽い足取りで、私の前に走ってくると、一度お辞儀をしてくれる。

 ずんぐりと丸いフォルムに、少し垂れた目がとてもかわいいその猫は、私の前をゆっくりと歩きだした。

「こちらの席へどうぞどうぞ」

 案内され、小さい手でさされた場所に、私は腰を下ろす。
 そこは店内の中央に位置したテーブル席だった。
 四人がけの席のようで、少し広めに感じる。
 見上げると、中央のシャンデリアの真下だ。
 チラチラと光の雨が降っている。

「あたしは店主のヨモギです。みんなはクサ婆って呼ぶけど、好きに呼んでくれて構わないわ。ねえ、あなたのお名前は?」

 クサ婆は年齢の割に身軽な動きでテーブルに乗ると、私の顔を覗き込んでくる。

「え、あ、由奈、です」
「由奈ちゃんね。ほら、ほっぺたがかたいわ~。もっと笑わないと~」

 しっとりとした肉球で頬をはさまれる。
 もみもみと頬をほぐしながら、クサ婆は説明しだした。

「ここは1日だけの喫茶店よ。店員も1日だけの店員なの。だから、粗相があっても大目に見てくださいませね」

 クサ婆は、とととと再びカウンターを走り抜け、すとんと身軽に着地を決めると、厨房とカウンターを仕切るカーテンをめくって中へと入っていった。

 小さく声が聞こえる。
 裏で何か声かけをしているようだ。
 クサ婆がわーわーしゃべっているのがわかる。
 なにか返事が聞こえるが、スタッフさんは数人いるよう。
 出る人を選んでいるのだろうか?

 変わったカフェだなぁと、他人事のように思いながら、光の雨を手のひらで受けてみる。

 光が積もったらどれだけ綺麗だろう……
 私が死んだら、そんな魂になれるんだろうか……

 チラチラと肌に落ちる光を眺めながら待っていると、お兄さんが押されたのか、つんのめりながら出てきた。

(いってらっしゃい!)
(がんばって!)
(できるって)

 その人への声掛けらしく、スタッフさん同士、仲がいいのが感じられる。
 そういうお店って、何かしら美味しかったり、居心地がよかったりして、また来たいお店になるよね。

 『また』という言葉に、私はふっとまた鼻で笑ってしまう。
 私にはもう『また』はないんだった。

 腕時計は進んでいる。
 あと55分。
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