one day only ~1日だけのカフェで

yolu

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 出てきたお兄さんの格好は、白いシャツに黒いズボン。
 黒い腰巻きのエプロンを巻きながら、わたわたとリボン結びに苦戦してる。
 思わずジッと眺めていると、お兄さんの顔ががばりと上がる。

「あっ! ……あ」

 お兄さんは私の顔を見て、少しだけくしゃりと顔を歪めて、すばやく後ろを向いた。
 すぐに鼻をかみ、咳払いを何度かすると、ゆっくりと振り返り、私に会釈をした。

「……あー、こんばんは。えっと、いらっしゃいませ」

 もう一度ぺこりと頭を下げたお兄さんは、私より少し年上ぽい。鼻の先が赤い。少し目も赤いかも。花粉症だろうか。
 春以外でも秋口の植物の花粉はあるし、私も秋口は目の痒みと鼻水が出る時期がある。
 ちょうどそんな季節だしなと、体を戻し、テーブルを見て思う。

 お兄さんの顔をどこかで見た気がする。
 口元のほくろ、垂れ目な雰囲気、黒髪のショートヘア……
 いや、逆に言えば、どこにでもいる顔なのかも。
 だけど、声は聞いたことのない声だった。
 父親に似た掠れた声だが、嫌いじゃない声だ。

「ちゃんと、エプロンしてから出なさいって言ったでしょ」

 そう言ってお兄さんのお尻をカウンターからパシリと叩いたのはクサ婆だ。

「あ、すいません……」
「まったく。身なりはしっかりしなさいっていっておいたのに」
「あ、でも、ほら、急だったし……」
「言い訳しないの。接客!」

 お兄さんはおぼつかない手つきで、トレイに乗せたお冷とタオルを私のそばへ置いてくれた。

「あ、お冷と、おしぼりです。お使いください」
「……あ、ありがとうございます」

 相手の緊張につられて私も緊張してしまう。
 手持ちぶたさできょろきょろと視線を回していると、お兄さんが慌ててカウンター戻り、何かを取り出し、また戻ってくる。

「あ、はい、どうぞ」

 そっと手渡されたのは、メニュー表だ。
 革張りのメニュー表を開くと、左にdrink、右にfoodと書かれている。
 だが、大きな空白の中央にある文字は、

『スタッフ おまかせ』

 これのみである。
 値段の欄も、

『お客様 おまかせ』

 これだけだ。

「……お、おまかせ……?」

 私がつぶやいた声を聞いて、お兄さんは慌てて私に言った。

「あ、リクエストあれば、それ、用意します。あ、えっと、でも一応うちでは、1日店員がお客さんに『おまかせ』を出すって決まりがあって。……あ、でも! それ、強制じゃないので」

 あまりの力説具合に吹き出してしまった。
 お兄さんは私の笑い声を聞いて、どっと疲れが出たのか、へろりと肩の力を脱力させる。

「……はぁ……すいません。本当に、こういうの慣れてなくて……」
「いえ、私も接客とか苦手で。ぜんぜん大丈夫です。……えっと、でも、この値段は?」
「あ、それはお客さんまかせ、って意味なので、いくらはお客さんが決めていいんです。もちろん、払わない、って選択も大丈夫です」

 なるほど。
 だから1日だけのカフェ、なんだろうか。
 かなりコンセプトとして面白いカフェだ。
 でも、採算に合わなそう。

 素人なのに変な心配をしつつ、私はお兄さんを見上げて、注文する。

「じゃあ、『おまかせ』でお願いします」

 メニュー表をお兄さんはそっと受け取り、お兄さんもメニュー表を見る。
 小さく頷くと、パタンと閉じた。

「かしこまりました。今から準備しますね」

 その目はとても真剣で、とても、力強い。
 私は少し気圧されながら、動くお兄さんを目で追っていた。
 お兄さんはシャツの袖をくるくると巻き上げ、腕を出すと、ガス台の近くに鉄のボウルを用意し、そこへ粉を目分量で入れていく。
 足元付近に冷蔵庫があるのか、そこから卵と牛乳が出てきた。
 もう一つ、バターも出てくるが、少し大きめに切ったサイコロ状のバターは、電子レンジへ投入される。

「僕、これは得意なんです」

 にかっと笑った顔が優しい笑顔で、なぜか胸に迫ってくる。
 なぜだろう。

 彼は丁寧に卵を割り、粉の中に牛乳を注いだ。
 泡立て器でゆっくり丁寧に混ぜ、液体の落ち具合を確かめてから、もう一度、牛乳を足すと、電子レンジから、すっかり溶けたバターを生地のなかへ混ぜ込んでいく。

「……よいしょ。これ、バターを最後にいれると、しっとりふわふわのホットケーキができるんですよ。ね、得意っぽいでしょ?」

 パンケーキと言わないんだ。というのにも驚いたし、お兄さんの得意料理がホットケーキなのも驚いてしまう。
 カウンターに生地の入ったボウルを置いたお兄さんに、奥からクサ婆が声をかけた。

「これ、使うでしょ」

 何かに肉球をさしてしゃべっている。

「いいんですか? すごく嬉しいですっ」

 お兄さんがニッコニコの顔で私の元に運んできたのはホットプレートだった。
 テーブルの中央に置かれたホットプレートは長方形で、オシャレな仕様のものではなく、ごくごく一般的なホットプレートだ。
 お兄さんはホットケーキの生地を持ってくると、そのままホットプレートをオンにした。

 生地の横には、焼くためのバターが置かれている。
 私の元には、大きめのお皿と、ナイフとフォークが置かれる。
 シロップと生クリーム、チョコソースもある。生のフルーツも小ぶりのボウルに入れられてあり、トッピングだけでもお腹がいっぱいになりそうだ。

「このフルーツは食べるときにトッピングにしてもいいし、一緒に焼いてもいいので。言ってくださいね」

 すごく、懐かしい、そんな気がする。
 黙ってじっと眺めていると、

「あ、ホットケーキ、……その、お嫌いですか?」

 お兄さんの質問に、私は俯いたままになる。
 答えがわからない。

 いつからか、全く食べなくなった。
 理由は覚えていない。
 でも、食べるのが嫌いなわけじゃない。
 ただ、家から消えた食べ物だ。

 私が答えに迷っているのがわかってか、お兄さんは苦く笑いながら、

「僕は、好きで」

 あたたまったホットプレートにバターを溶かすと、家庭用のお玉で生地をすくって、ホットプレートに流していく。

「僕、ホットケーキ屋さんになりたかったんです」

 お兄さんが落とす生地はまっすぐに落ち、きれいな丸が描かれた。
 それが4つ、白い丸になる。

「さあ、ひっくり返すタイミングが大事よねっ」

 そういってホットプレートを覗き込むのはクサ婆だ。

「わたしは少しカリッとしているほうが好きですね。食感がちがうのは面白いので」

 なぜか案内人のビスケットさんまで席にいる。

「なんで、みんな、ここに……?」
「なんでって、ホットケーキよ?」
「みなさんで召し上がるほうが、ずっと美味しい食べ物ですよ、ね、ヨモギさん」

 お客さんと一緒に食べる?

 目を丸くしていると、お兄さんが顔をほころばせた。

「僕も一緒に食べる方が美味しいと思うんです。えっと、由奈さんは、その、どう、ですか?」

 私はフライ返しでひっくり返されるホットケーキを眺めながら、うんと唸る。
 喉の奥で詰まっている気がする。
 何か、忘れてしまった何かがある。
 楽しいことのはずなのに、楽しかったことが思い出せない。

「……楽しいんだと、思うんです。でも」
「でも?」

 お兄さんが焼けた1枚を私の皿へ乗せてくれた。

「なんで楽しかったのか、わからなくて……」
「なら、今日が楽しければいいんじゃないかな」

 お兄さんの砕けた言葉と、『今日が楽しければいい』というフレーズに、ぐんと私の心は跳ね上がる。
 腕時計は、あと、30分ある。
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