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私はひと口頬張った。
バナナがとろりと甘い。ブルーベリーも程よく火が入り、ソースみたいに甘酸っぱい。
これにシロップをたっぷりかけたら、どれだけ美味しいのだろう。
だけれど、私は立ち上がる。
「……えっと、あの、……帰りますっ」
カバンから財布を取り出し、一万円札をひっぱりだした。
それをテーブルに置いて、駆け出そうとしたのに、手が握られる。
大きな手だ。
でも、とても、冷たい。
「ま、まだ、残ってますよ」
お兄さんが、強くも優しく握って離さない。
「いやですっ」
ふりほどけないとわかって、とっさに口から出た言葉に、私は戸惑う。
戸惑いながらも、勢い余って、言葉がつづく。
「……すごく今、幸せだから……!」
お兄さんの目は優しい。
「……この気持ちのまま、……消えたいんですっ!」
笑顔と悔しさと悲しさが胸に込み上げる。
一瞬ゆるんだ手から、私はとっさに離れた。
背を向け、椅子を蹴り、ドアに向かって走りだす。
涙でぐしゃぐしゃの顔になった私の肩がつかまれた。
「……ひゃっ!」
ぐるりとテーブルの方へ向き直され、ぐっと上から肩が押される。
膝に椅子が当たり、かくりと曲がって、腰をおろしてしまった。
そのままぐっとテーブルまで押し出され、ぴったりとハマってしまう。
「だめだよ」
背後から冷たい声が聞こえる。
怒ったような声にも聞こえるし、感情がない声にも聞こえる。
「僕は別に、今は昨日死んだ誰かの生きたかった明日だ、なんていわない。だって、死んだ人は、明日も昨日もないからね」
すっと膝を落としたお兄さんは私の顔をのぞきこむ。
ぬぐっても溢れる涙がとめられず、ずぶ濡れの顔面を下に向けているのに、わざわざ見てくるなんて、なんて意地悪な人なのだろう。
「……ほら、痛いの痛いの、飛んでけー……だよ」
お兄さんは大きな手でポンポンと私の頭をなでて、ぽーいとどこかへその手を伸ばす。
「泣くってことは、どこかが痛いってことでしょ?」
──そうだ。
私は、痛かったんだ。
でも、どこが痛いのだろう。
心かもしれないが、心のどこがいたいのだろう。
わからないけれど、全部かもしれない。
いつもの日々が、とても、痛かった。
朝の通勤も、電車も、会社のドアも、机も、パソコンも、何もかもが痛かった──
「……ずっと、痛かった、です」
顔をくしゃくしゃにしてしゃくりあげる私の頭をまたお兄さんはポンポンとなでる。
「痛いの、痛いの、飛んでけー……富士山の頂上に飛んでけー」
何度も、何度も、お兄さんは痛みを飛ばしてくれた。
最初は富士山、次はアルプス、ヒマラヤ、キリマンジャロに、最後はエベレストだった。
「これだけ遠くに飛ばせば、今日までの痛みは帰ってこれないと思う」
自信満々のお兄さんに、私はふっと笑いが込み上げた。
痛い痛いと思っていたけれど、大泣きしたのも久しぶりだ。
少しだけ、心がほぐれて、軽くなった気さえする。
「また痛い日がきたら、ホットケーキを食べるといいよ」
お兄さんは、そっと焼きたてのホットケーキを乗せてくれた。
少し焦げたバナナからとっても甘い香りが、つまった鼻にも届いてくる。
「そしたら僕やクサ婆、ビスケットのこと、思い出せるでしょ?」
こくりとうなずいた私に、お兄さんは「ふふ」と笑う。
クサ婆から差し出されたテッシュで顔を拭い、鼻をかんだ。
まだ涙が少し止まらないけれど、私は焼きたてのホットケーキを食べるため、フォークを手に取った。
これは食べ切らなきゃいけない。
食べなきゃいけない。
だって、お兄さんやクサ婆、ビスケットさんを思い出せるから。
何もかけずに、ひと口。
トロッとしたバナナがケーキに馴染んで、とても美味しい。
お兄さんから差し出されたシロップをたっぷりとかけ、またひと口。
「……おいしい」
つい、顔がほころんだ私の頬をクサ婆がぷにっと押した。
「いい顔ね。たーんとお食べよ? あ、あたしに何も入ってないホットケーキ1枚ね」
「わたしにもいただけますかな」
「はいはい。僕も食べよ。ゆーちゃんがおいしそうに食べてるから、僕も食べたくなっちゃった」
みんな、にこにこと笑いながら、私を見つめてくれている。
少し恥ずかしいけれど、それも楽しい時間にちがいない。
腕時計が目に入る。
時間を見ないように、私はホットケーキに視線を戻した。
バナナがとろりと甘い。ブルーベリーも程よく火が入り、ソースみたいに甘酸っぱい。
これにシロップをたっぷりかけたら、どれだけ美味しいのだろう。
だけれど、私は立ち上がる。
「……えっと、あの、……帰りますっ」
カバンから財布を取り出し、一万円札をひっぱりだした。
それをテーブルに置いて、駆け出そうとしたのに、手が握られる。
大きな手だ。
でも、とても、冷たい。
「ま、まだ、残ってますよ」
お兄さんが、強くも優しく握って離さない。
「いやですっ」
ふりほどけないとわかって、とっさに口から出た言葉に、私は戸惑う。
戸惑いながらも、勢い余って、言葉がつづく。
「……すごく今、幸せだから……!」
お兄さんの目は優しい。
「……この気持ちのまま、……消えたいんですっ!」
笑顔と悔しさと悲しさが胸に込み上げる。
一瞬ゆるんだ手から、私はとっさに離れた。
背を向け、椅子を蹴り、ドアに向かって走りだす。
涙でぐしゃぐしゃの顔になった私の肩がつかまれた。
「……ひゃっ!」
ぐるりとテーブルの方へ向き直され、ぐっと上から肩が押される。
膝に椅子が当たり、かくりと曲がって、腰をおろしてしまった。
そのままぐっとテーブルまで押し出され、ぴったりとハマってしまう。
「だめだよ」
背後から冷たい声が聞こえる。
怒ったような声にも聞こえるし、感情がない声にも聞こえる。
「僕は別に、今は昨日死んだ誰かの生きたかった明日だ、なんていわない。だって、死んだ人は、明日も昨日もないからね」
すっと膝を落としたお兄さんは私の顔をのぞきこむ。
ぬぐっても溢れる涙がとめられず、ずぶ濡れの顔面を下に向けているのに、わざわざ見てくるなんて、なんて意地悪な人なのだろう。
「……ほら、痛いの痛いの、飛んでけー……だよ」
お兄さんは大きな手でポンポンと私の頭をなでて、ぽーいとどこかへその手を伸ばす。
「泣くってことは、どこかが痛いってことでしょ?」
──そうだ。
私は、痛かったんだ。
でも、どこが痛いのだろう。
心かもしれないが、心のどこがいたいのだろう。
わからないけれど、全部かもしれない。
いつもの日々が、とても、痛かった。
朝の通勤も、電車も、会社のドアも、机も、パソコンも、何もかもが痛かった──
「……ずっと、痛かった、です」
顔をくしゃくしゃにしてしゃくりあげる私の頭をまたお兄さんはポンポンとなでる。
「痛いの、痛いの、飛んでけー……富士山の頂上に飛んでけー」
何度も、何度も、お兄さんは痛みを飛ばしてくれた。
最初は富士山、次はアルプス、ヒマラヤ、キリマンジャロに、最後はエベレストだった。
「これだけ遠くに飛ばせば、今日までの痛みは帰ってこれないと思う」
自信満々のお兄さんに、私はふっと笑いが込み上げた。
痛い痛いと思っていたけれど、大泣きしたのも久しぶりだ。
少しだけ、心がほぐれて、軽くなった気さえする。
「また痛い日がきたら、ホットケーキを食べるといいよ」
お兄さんは、そっと焼きたてのホットケーキを乗せてくれた。
少し焦げたバナナからとっても甘い香りが、つまった鼻にも届いてくる。
「そしたら僕やクサ婆、ビスケットのこと、思い出せるでしょ?」
こくりとうなずいた私に、お兄さんは「ふふ」と笑う。
クサ婆から差し出されたテッシュで顔を拭い、鼻をかんだ。
まだ涙が少し止まらないけれど、私は焼きたてのホットケーキを食べるため、フォークを手に取った。
これは食べ切らなきゃいけない。
食べなきゃいけない。
だって、お兄さんやクサ婆、ビスケットさんを思い出せるから。
何もかけずに、ひと口。
トロッとしたバナナがケーキに馴染んで、とても美味しい。
お兄さんから差し出されたシロップをたっぷりとかけ、またひと口。
「……おいしい」
つい、顔がほころんだ私の頬をクサ婆がぷにっと押した。
「いい顔ね。たーんとお食べよ? あ、あたしに何も入ってないホットケーキ1枚ね」
「わたしにもいただけますかな」
「はいはい。僕も食べよ。ゆーちゃんがおいしそうに食べてるから、僕も食べたくなっちゃった」
みんな、にこにこと笑いながら、私を見つめてくれている。
少し恥ずかしいけれど、それも楽しい時間にちがいない。
腕時計が目に入る。
時間を見ないように、私はホットケーキに視線を戻した。
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