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夢と、現実と
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───柔らかい春の匂いだ。
地面を踏むたびに青臭い若葉の香りが舞い上がる。さらに膝丈ほどに伸びた白い花はまるで絨毯のように広がり、服が花に掠れると甘酸っぱい匂いで胸がいっぱいになる。
風はひと肌のように優しい。
「アレッタ、やっぱりここだったか」
振り返ると彼がいる。顔はよく見えないが、間違いなく彼だ。
彼女はいつもの場所に腰を下ろし、飛び去る風を撫でてみる。
そんな彼女の横に彼も同じように腰掛けた。苔むした切り株だ。ふわりとして座り心地がいい。
羽が擦れる音が響いた。
アレッタが音に視線を飛ばすと、彼の羽が陽に透けていた。
美しい12枚の羽が雪の結晶のように煌めきながら優雅にはためいている。
彼女自身の羽はまだ2枚。それも少し灰色がかって、お世辞にも綺麗とは言えない。
「また、羽を見ているな」
「だって、綺麗なんだもの」
一段と大きく羽ばたかせてから、彼は光の奥へと閉まってしまった。
「隠さなくてもいいじゃない」
「もう、明日には無くなるものだ」
ふたりともに雲のない空を見上げた。
ただ青く染まった空は、のっぺりと視界の端から端をつなぎ、ここが世界だと言い切っている。
だが世界はこれだけではない。
明日には彼はヒトの世界へと行ってしまう。
アレッタはただ日差しを睨んだ。まだ高くある陽がそのまま止まればいいと睨んだのだ。
「……明日にならなきゃいいのに」
俯いた彼女の頬に何かが触れる。
彼の人差し指だ。
細く長い指の腹は、彼女の頬を撫でた。
目尻から優しく頬をなぞり、顎へと落とす。
「泣かないんだな」
「今、貴方の指が泣いてくれました」
アレッタが微笑むと、彼の口元も緩む。
彼は彼女の顔を手のひらで覆った。それは彼女の顔を忘れないようにするためなのか、感触を覚えていたいからか。
きっとどちらでもある。
彼女も彼の手を取り、その温もりを忘れないよう、頬に刻む。
「アレッタ、約束しよう。再び会えるおまじないだ。
さ、左手を出して────
───…………ふぁ……」
言いかけた言葉を飲み込み、目を開いた。
レースの天蓋がかかっている。天蓋のシワを辿るように左に視線を投げると、見慣れない女……ネージュがいる。
「アリー、起きた?」
出会った時と格好が違う。白色の服には変わりはないが、胸元が大きく開き、刺繍があしらわれたコルセットがある。
より強調された胸の大きさにアレッタは圧倒されながら、ゆっくりと起き上がった。
体の痛みがないことに疑問を持ちながら全身を見回すが、かすり傷すら残っていない。
服も袋を被ったぐらいの粗末なものだったが、今はシルクで作られたフリルたっぷりのネグリジェである。
「着替えはあたしがしたわ。安心して」
ありがとうと返したとき、不意に目に入った左手首の青い輪にアレッタは釘付けになった。
「……消えていない」
小さな指で痣をなぞる。確かにある約束の印にアレッタは目を細めた。
「ソレ、魂に刻んであるんだよ」
仮面の男だ。さらに後ろには赤髪の男がいる。
赤髪の男は長髪の髪を襟足で一本に縛り、ほつれ毛ひとつない髪は几帳面であると伝えてくる。その彼はメガネをついと直し、アレッタのベッド横に立つと、
「貴様、一度死んでいると思えっ!」
唐突に怒鳴られた。
あまりの衝撃にアレッタは固まってしまうが、容赦なく赤毛の男は声を投げつける。
「傷口に泥など塗るなっ! 雑菌が入り、肉が腐って死ぬ!!
走り過ぎだっ! 幼児の体はそんなに耐えられない! そのまま弱って死ぬ!!
石を体で受けるなっ! 骨など簡単に折れる! 臓器に骨が刺さって死ぬ!
自分の腕より太いものを持つなっ! 筋がやられて死ぬ!
貴様は神の加護のおかげで、見た目の年齢よりかなり強化されてはいるが、それでもヒトはヒト!!!
俺がいなかったら、すでに貴様は悪霊だっ! よく覚えておけっ!!!!!」
指差し言われたことを噛み締めながら、アレッタは顔を青く染め、表情を固く結んだ。
悪霊になっては意味がない───
この世界には『天界』という天使と精霊が住む世界と、今いる『ヒトの世界』、そして『魔界』という魔族が住む世界が存在している。天界は言ってのとおり、ヒトがいう天国のこと。魔界は地獄である。
ヒトの世界に住む者が死ぬと、死を受け入れたものが天界、または魔界へと向かう。これは生前の罪の内容で行き先が異なる。
ただ死を受け入れられない者もいる。
それが悪霊だ。
現世に縛られ、生きたかったと懇願する魂は欲深い魔界よりも、神に近い天界を恨み、襲ってくるのだ。
その悪霊を退治していたのが、アレッタである。
このアレッタのヒト堕ちの刑だが、単純な話、7日間を生き抜けずに死んでしまうと悪霊となる。これは決まりであって、例外はない。
彼女は自分の行動の危うさに、死んだ目をしながら落ち込むが、
「元はと言えばエイビス、彼女を迎えに行ったんじゃなかったんですかっ?」
いきなりの飛び火に、エイビスは全身を震わせ驚きながらも、
「確かに僕はヒト堕ちの天使を拾いに行ったよ。
でもすぐに死にそうな子はいらない。
だから僕は君を歓迎するよ、アレッタ」
男は赤毛の男の小言を遮るようにアレッタの横へと立つと、手袋越しに彼女の頬を優しく撫でた。
「名前、まだだったよね? 僕はエイビス。この館の主人。怒りっぽい彼はフィア。
アレッタ、7日間、よろしくね」
撫でられる大きな掌の感触に懐かしさが蘇る。
懐かしいという気持ちに、アレッタは目を瞑った。
それは夢のあの人はもういないということだ。だから懐かしむのだ。
彼女は手首を撫でながら、小さく息を吐き出す。思い出だけを漉しとるように、悲しい気持ちを押し出していく。
ふと見上げると、エイビスと目があった気がする。アレッタはエイビスに向かってにっこりと微笑んだ。
「これは大切な方との思い出なのです」
そう。とでも言うように、彼は肩を持ち上げ、
「さ、アレッタ、お風呂に入ってきたらいいよ。スッキリする。
ネージュ、アレッタをお風呂に入れてあげられる?」
ネージュはエイビスに大きく頷き返し、すぐさまアレッタを抱え上げた。
「ちょ、ネージュ、私は歩ける」
「いいの、いいの!
小さいアリーのお世話ができる日が来るなんて、あたし、幸せっ」
ネージュははしゃぎながら廊下へと飛び出し、鼻歌を歌いながらお風呂場へと足を向けた。
逃れられない「オフロ」に、アレッタは想像ができない。
どうか、優しいものであるように。そう願わずにはいられなかった。
地面を踏むたびに青臭い若葉の香りが舞い上がる。さらに膝丈ほどに伸びた白い花はまるで絨毯のように広がり、服が花に掠れると甘酸っぱい匂いで胸がいっぱいになる。
風はひと肌のように優しい。
「アレッタ、やっぱりここだったか」
振り返ると彼がいる。顔はよく見えないが、間違いなく彼だ。
彼女はいつもの場所に腰を下ろし、飛び去る風を撫でてみる。
そんな彼女の横に彼も同じように腰掛けた。苔むした切り株だ。ふわりとして座り心地がいい。
羽が擦れる音が響いた。
アレッタが音に視線を飛ばすと、彼の羽が陽に透けていた。
美しい12枚の羽が雪の結晶のように煌めきながら優雅にはためいている。
彼女自身の羽はまだ2枚。それも少し灰色がかって、お世辞にも綺麗とは言えない。
「また、羽を見ているな」
「だって、綺麗なんだもの」
一段と大きく羽ばたかせてから、彼は光の奥へと閉まってしまった。
「隠さなくてもいいじゃない」
「もう、明日には無くなるものだ」
ふたりともに雲のない空を見上げた。
ただ青く染まった空は、のっぺりと視界の端から端をつなぎ、ここが世界だと言い切っている。
だが世界はこれだけではない。
明日には彼はヒトの世界へと行ってしまう。
アレッタはただ日差しを睨んだ。まだ高くある陽がそのまま止まればいいと睨んだのだ。
「……明日にならなきゃいいのに」
俯いた彼女の頬に何かが触れる。
彼の人差し指だ。
細く長い指の腹は、彼女の頬を撫でた。
目尻から優しく頬をなぞり、顎へと落とす。
「泣かないんだな」
「今、貴方の指が泣いてくれました」
アレッタが微笑むと、彼の口元も緩む。
彼は彼女の顔を手のひらで覆った。それは彼女の顔を忘れないようにするためなのか、感触を覚えていたいからか。
きっとどちらでもある。
彼女も彼の手を取り、その温もりを忘れないよう、頬に刻む。
「アレッタ、約束しよう。再び会えるおまじないだ。
さ、左手を出して────
───…………ふぁ……」
言いかけた言葉を飲み込み、目を開いた。
レースの天蓋がかかっている。天蓋のシワを辿るように左に視線を投げると、見慣れない女……ネージュがいる。
「アリー、起きた?」
出会った時と格好が違う。白色の服には変わりはないが、胸元が大きく開き、刺繍があしらわれたコルセットがある。
より強調された胸の大きさにアレッタは圧倒されながら、ゆっくりと起き上がった。
体の痛みがないことに疑問を持ちながら全身を見回すが、かすり傷すら残っていない。
服も袋を被ったぐらいの粗末なものだったが、今はシルクで作られたフリルたっぷりのネグリジェである。
「着替えはあたしがしたわ。安心して」
ありがとうと返したとき、不意に目に入った左手首の青い輪にアレッタは釘付けになった。
「……消えていない」
小さな指で痣をなぞる。確かにある約束の印にアレッタは目を細めた。
「ソレ、魂に刻んであるんだよ」
仮面の男だ。さらに後ろには赤髪の男がいる。
赤髪の男は長髪の髪を襟足で一本に縛り、ほつれ毛ひとつない髪は几帳面であると伝えてくる。その彼はメガネをついと直し、アレッタのベッド横に立つと、
「貴様、一度死んでいると思えっ!」
唐突に怒鳴られた。
あまりの衝撃にアレッタは固まってしまうが、容赦なく赤毛の男は声を投げつける。
「傷口に泥など塗るなっ! 雑菌が入り、肉が腐って死ぬ!!
走り過ぎだっ! 幼児の体はそんなに耐えられない! そのまま弱って死ぬ!!
石を体で受けるなっ! 骨など簡単に折れる! 臓器に骨が刺さって死ぬ!
自分の腕より太いものを持つなっ! 筋がやられて死ぬ!
貴様は神の加護のおかげで、見た目の年齢よりかなり強化されてはいるが、それでもヒトはヒト!!!
俺がいなかったら、すでに貴様は悪霊だっ! よく覚えておけっ!!!!!」
指差し言われたことを噛み締めながら、アレッタは顔を青く染め、表情を固く結んだ。
悪霊になっては意味がない───
この世界には『天界』という天使と精霊が住む世界と、今いる『ヒトの世界』、そして『魔界』という魔族が住む世界が存在している。天界は言ってのとおり、ヒトがいう天国のこと。魔界は地獄である。
ヒトの世界に住む者が死ぬと、死を受け入れたものが天界、または魔界へと向かう。これは生前の罪の内容で行き先が異なる。
ただ死を受け入れられない者もいる。
それが悪霊だ。
現世に縛られ、生きたかったと懇願する魂は欲深い魔界よりも、神に近い天界を恨み、襲ってくるのだ。
その悪霊を退治していたのが、アレッタである。
このアレッタのヒト堕ちの刑だが、単純な話、7日間を生き抜けずに死んでしまうと悪霊となる。これは決まりであって、例外はない。
彼女は自分の行動の危うさに、死んだ目をしながら落ち込むが、
「元はと言えばエイビス、彼女を迎えに行ったんじゃなかったんですかっ?」
いきなりの飛び火に、エイビスは全身を震わせ驚きながらも、
「確かに僕はヒト堕ちの天使を拾いに行ったよ。
でもすぐに死にそうな子はいらない。
だから僕は君を歓迎するよ、アレッタ」
男は赤毛の男の小言を遮るようにアレッタの横へと立つと、手袋越しに彼女の頬を優しく撫でた。
「名前、まだだったよね? 僕はエイビス。この館の主人。怒りっぽい彼はフィア。
アレッタ、7日間、よろしくね」
撫でられる大きな掌の感触に懐かしさが蘇る。
懐かしいという気持ちに、アレッタは目を瞑った。
それは夢のあの人はもういないということだ。だから懐かしむのだ。
彼女は手首を撫でながら、小さく息を吐き出す。思い出だけを漉しとるように、悲しい気持ちを押し出していく。
ふと見上げると、エイビスと目があった気がする。アレッタはエイビスに向かってにっこりと微笑んだ。
「これは大切な方との思い出なのです」
そう。とでも言うように、彼は肩を持ち上げ、
「さ、アレッタ、お風呂に入ってきたらいいよ。スッキリする。
ネージュ、アレッタをお風呂に入れてあげられる?」
ネージュはエイビスに大きく頷き返し、すぐさまアレッタを抱え上げた。
「ちょ、ネージュ、私は歩ける」
「いいの、いいの!
小さいアリーのお世話ができる日が来るなんて、あたし、幸せっ」
ネージュははしゃぎながら廊下へと飛び出し、鼻歌を歌いながらお風呂場へと足を向けた。
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