ヒト堕ちの天使 アレッタ

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3日目は釣り日和【おやつの時間】

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 帰り道のほうが早いと感じることはないだろうか。
 行くときは目的地がどこかと探しながらのため、時間がかかっているように感じる。
 だが帰りは目的地が見えているからか、行きよりもずっと早くに着いたと思える、そんな体感時間の差だ。

 アレッタも、速い帰り道を体験していた。
 風が耳元で鳴り、頬が一気に冷えていく。
 景色の色は横に流れ、混ざりあい、ただの緑の帯に見えるほどだ。
 これはネージュがアレッタを抱え、屋敷まで走っていることによる。

 風になったアレッタは、到着と同時に大きく息を吸い込み、背伸びをした。

「ネージュが走ると、風がすごく冷たい」
「そうかもしれないわね」

 荷物を抱えているフィアとエイビスも同じく到着した。
 エイビスは釣り道具の片付けへ、フィアはキッチンへと足を進めるので、ふたりは身軽なままフィアの後ろについて屋敷へと入るが、すぐにフィアからエプロンが手渡され、ネージュとアレッタはそれぞれにエプロンをつけ、手洗いを始めた。その後ろではフィアが材料を次々に取り出し、ボウルや泡立て器など、お菓子作りに必要な準備に取り掛かっている。

「今回、使う材料はそれほど多くないんだ。
 ……そうだ、アレッタ、チョコを食べてみるか?」

 アレッタが何度も頷いたのを確認し、製菓用のチョコレートを口の中へと放り込んだ。
 ネージュも手を伸ばしてきたので乗せてやると、ニコニコ顔で口に含む。

 だがお互いに無表情だ。

 まるで、美味しくない。
 むしろ、苦い。
 なんとか飲み込めたが、これが『女の子なら誰もが好きなお菓子』とは到底思えない……

 むくれたふたりの顔に笑いながら、フィアはチョコレートの袋を掲げた。

「これは製菓用のチョコなんだが、今回はそれほど甘くないのを使おうと思う。
 市販のチョコレートはもっと甘いぞ。今日は残念だったな」

 アレッタは心底残念がりながらも、チョコに興味をしめすエンにそれを差し出した。
 だが、その手がぱちりと叩かれる。

「フィア、叩くことないじゃない」
 ネージュはアレッタの手をさするが、フィアは大きく首を振った。

「エンはチョコを食べられないからな。中毒症状がでる。子供だから危ないんだ」
 この言葉に、アレッタは目を見開き、再び涙をにじませた。またエンに悲しいことをしてしまうところだったからだ。アレッタはエンを抱きかかえ、頬ずりをしながら、「もっとエンのこと、勉強するからな」何度何度も呟いている。
 フィアはそんなアレッタを見下ろし、言葉をつなげるが、

「……とはいうんだが、それはこの世界の猫の話なんだ。
 ブロディは魔界の魔獣だから、もしかしたら、中毒は起こさないかもしれない……
 ……よし、食わせてみよう」

 チョコを差し出してきたフィアに、

「だ、だめだ!!!!」

 アレッタはエンを抱え直して頭に乗せると、降りないように言いつけた。エンはわかったらしく、しっかりとアレッタの頭につかまり、小さく鳴いて返事をする。
 その2人のやりとりに、フィアは残念そうに眉をあげ、ひと息つくと、シャツの腕をまくり、腰にいつものエプロンを巻きつけた。

「では、中にいれるガナッシュを作ろう。焼きあがったときにガナッシュが溶けて、これがうまいんだ」

 フィアの指示で、ふたりはチョコレートを湯せんで溶かしたり、生クリームを温めたり、バターを混ぜたりと、甘い香りに包まれながら、ゆっくりとお菓子作りはすすんでいく。
 その香りとともにアレッタのはしゃぐ声、そしてネージュの笑い声、これは今までにない音だ。
 エイビスはそれをダイニングのテーブルごしに聞いていた。
 自身でいれたのか紅茶をすすり、新聞を読みながら時折ちらりと仮面が揺れて、なんとも優雅な休日のお父さんだ。
 となれば、フィアは母親だろうか。
 あれこれと手際の悪いふたりをフォローしながら、厳しくも褒めてやらせる姿勢は素晴らしい。

 アレッタとネージュはフィアママの指導のもと、焼き型に生地を絞り出す作業へと入っていた。
 ネージュが生地をしぼり、その中に凍らせたガナッシュをアレッタが入れていく。

「ネージュ、生地は型の半分だといっただろ」
「わかってるわよ!」
「ネージュ、こぼれてる……」
「……スプーンですくえば同じよ」

 いびつに流し込まれた生地の中に、アレッタはぽとりとガナッシュを落し、スプーンで生地を馴染ませていく。

「この生地だけでもおいしそうだ」

 涎でいっぱいのアレッタの頭をフィアは掴み、

「飲み込め」

 アレッタは言われるがまま、ゴクリと飲み込んだ。

 全て入れ終えると、フィアは慣れた手つきでオーブンにそれをしまい、ダイヤルを少し回して頷いた。

「よし、あと10分くらいで焼きあがる。お茶を入れるから座ってろ」

 フィアの言葉通りに、アレッタはダイニングテーブルへと歩き出した。後ろを振り返ったアレッタは、目を輝かせながらネージュを見上げ、飛び上がった。

「ネージュ、あと10分で焼きあがるぞっ!」
「そうね」

 微笑んだネージュがアレッタの頭を優しく撫でる。

 瞬間、何かが窓に当たった。
 唐突に窓ガラスが砕け散る。
 激しいガラスの崩れる音が鳴り響き、白く光る鋭利な雨が降る。
 アレッタが身構えたとき、ネージュが素早く抱き寄せた。



「……私のアレッタ…」



 耳元の言葉と、胸部の熱に、アレッタの思考は固まった。

 空気が止まる。
 音がしない。

 手を伸ばすが、その手は伸びていかない。

 目に入ったのは、赤だ。


 赤……


 アレッタの足はもつれ、床へと崩れた。
 体温が一気に下がり、顎が震え、目も霞む。


 だが、ただただまっすぐ歩くネージュから目を離せない。



 もう一度、名を、呼びたい────



 アレッタの願いは虚しく、唇は揺れただけだった。

 エイビスとフィアが叫んでいるが、耳に栓でもしたように、何も聞こえない。
 ごわごわとした音のなか、アレッタの瞼は重く閉じたのだった。
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