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1章
1-1 落雷は異世界への招待状
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「山岡ァッ!! てめえ、何度やらかしたら気が済むんだ!!」
フロア中の空気を震わせるほどの怒声に、僕、山岡久一郎の身体は雷に打たれたようにビクッと跳ね上がり、そのまま椅子から転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がった。
「も、申し訳ありませんっ!」
カスタマーサポートのコールセンター。僕の失態はもはや日常茶飯事だが、今日のクレームはとりわけ執拗だった。僕の入力ミスが原因で、お客様の個人情報が別のお客様へ誤って通知されてしまったのだ。
電話口のお客様は冷たい声で「御社の個人情報管理体制について、然るべき機関にご報告させていただいてもよろしいですね?」と静かに繰り返し問いかけてくる。当然、僕一人で対応できるはずもなく、事態は雪だるま式に大きくなっていった。
「申し訳ありませんで済むか! これは重大なコンプライアンス違反だぞ! お前のせいで会社がどれだけのリスクを負うと思っているんだ! やる気無ぇなら辞めちまえよ、おい!」
体育会系出身の上司が顔を真っ赤にして、唾を飛ばしながら罵声を浴びせてくる。
(また、やらかしてしまった……。本当に、なんで僕はこうなんだろう。もうどうやって謝ったらいいのかも分からない……)
周囲の同僚たちの視線が痛い。「またアレかよ」「こっちの仕事まで遅れるんだから、いい加減にしてほしいよな」という囁き声がはっきりと僕の耳に届いた。
(ですよね……。誠にごめんなさい……)
キーボードを叩く音が僕を責め立てるように一段と大きく響く。このオフィスに僕の居場所はどこにもなかった。
四十歳、独身、雇止め確実な契約社員。それが僕の全てだった。身長は百八十センチと高めだが、年を重ねるごとに腹に贅肉がつき始め、今ではシャツの上からでもわかるほど体型がたるんでしまった。特別な才能もなく人並みの努力もできないまま、ただ漫然と日々を過ごすうちに、気づけばこんな中年になってしまっていた。
この歳になっても僕は童貞だった。同性に興奮を覚えることはずっと前から自覚していたものの、奥手で小心者な性格が災いし、誰かに告白する勇気もなければ、ましてや身体を重ねる度胸もなかった。世のゲイたちはいたるところでハッテンに励んでいるようだったが、僕はインターネットの動画で自身を慰めるだけの寂しい日々を送っていた。
(はぁ……疲れた……)
結局、終電間際まで事後処理に追われ、心身ともにヘロヘロの状態でオフィスビルを出た。生暖かい夜風が肌にまとわりついて気持ち悪い。空を見上げれば、僕の心みたいにどんよりと厚い雨雲が空を覆っている。
ザアアアアッ──
僕が空を見上げたのと同時に、バケツをひっくり返したような土砂降りが僕に直撃した。
(顔も頭も悪けりゃ、運まで悪いと……とほほ……)
コンビニへ傘を買いに行く気力も残っていなかった。
「……もう、どうにでもなーれ……」
僕は濡れるがまま重い足を引きずって駅へとトボトボと歩き始めた。スーツが雨を吸って、どんどん重くなっていく。まるで僕のこれまでの人生の重みみたいだ。
閑散とした公園を横切る。ブランコが雨に打たれて寂しそうにキィキィと揺れていた。
(……もう、全部……終わりにしちゃおうかな……)
全てがどうでもよくなった僕が天を仰いでそんなことを思った、その瞬間だった。
ピカッ!
視界の全てが真っ白に染まった。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!!
耳をつんざく轟音。天を裂く閃光が僕の身体を直撃した。凄まじいエネルギーが全身を駆け巡り、意識、そして存在そのものが白く焼き切れるような感覚。痛みも熱さも感じなかった。ただ、僕という存在がこの世界から消えていく──
◆ ◆ ◆
──次に目覚めたとき僕は広大な麦畑に横たわっていた。
「……ん……?」
頬を撫でる穏やかな風。土と甘い草の匂い。遠くから聞こえる鳥のさえずり。ゆっくりと瞼を開くと、視界に飛び込んできたのは雲一つない青空。
(……ここは、どこだろう……)
身体を起こして周りを見渡してみる。
見渡す限り、黄金色の麦畑が広がっていた。風に揺れる穂がキラキラと光を反射して、まるで絵画のように美しい。
(すごく長閑で良いところだけど……。僕はなんでこんな場所にいるんだっけ……?)
思い出せない。
何かすごく嫌なことがあったような気はするけれど、それが何だったのか頭に靄がかかったようにどうしても思い出せなかった。
(とにかく状況を確認しないと……。スマホは……財布は……って、あれ? ポケットに何も入ってない!? カバンも無いっ! ど、どうして……?)
状況が全く理解できないまま、僕はとりあえず畑の脇の一本道を歩き始めた。
その時だった。
「おい、そこのお前、待ちな」
道脇に立つ大きな木の陰から三人の男たちがヌッと姿を現した。彼らの姿を目にして、僕は思わず息を呑んだ。
(な、なんだこの人たち……!)
三人の男たちはまるで海外ドラマに出てくる悪役みたいにワイルドな格好をしていた。日に焼けた褐色の肌は汗と土埃にまみれてテラテラと光っている。金髪や赤毛の髪を無造作に伸ばし、鋭い眼光でこちらを睨みつけている。無駄な肉が一切ない引き締まった腹筋。動くたびにムキッと盛り上がる胸や腕の筋肉が僕の視線を釘付けにした。
(ウホッ! いい男……!)
海やプールとは無縁の陰キャ人生を送ってきた僕にとって、筋肉質なイケメンの上裸を“生”で見るのは初めての体験だった。
(これは……ドラマの撮影現場に迷い込んじゃったとか……!?)
手には錆びた剣や棍棒みたいな小道具まで持っている。間違いない。
僕はあまりにも格好良い彼らにすっかり見惚れてしまい、ゴクリと生唾を飲み込んだ。そしてそのドラマの登場人物のような彼らを、ほんの少しでも間近で見ようと思わず一歩足を踏み出した、その時だった。
「へへっ、いいカモがいるじゃねえか。金目のモンは全部置いていきな」
男たちはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、僕をじりじりと取り囲んだ。
(カネメノモン……???)
状況を飲み込めず僕の思考は完全にフリーズした。
男の一人がチッと舌打ちをする。
(あ、もしかしてこれって強盗のシーン……!? どうしよう、金目の物どころか何も持ってないのに……!)
僕が思考を巡らせていると、男の一人が苛立ったように僕の胸ぐらを掴み、力任せにスーツのジャケットを引き裂いた。バリッという乾いた音とともに安物の生地が無残に裂けた。
(ひっ!? い、いきなり服を!?)
「おい、聞いてんのか! 早く金目の物を出せってんだよ!」
(あっ、あっ、ちょ、やめっ、やめて……)
男は僕の服をビリビリと暴力的に引き裂き、あっという間に下着一枚の惨めな姿にされてしまった。ワイシャツのボタンが弾け飛び日に当たったことのない毛深く白い腹が露わになった。中年太りで弛んだ腹肉がブルルンと揺れる。
「チッ、何も持ってねえのかよ、使えねぇオッサンがッ!」
「こいつひょろいクセに腹だけは出てやがる。だらしねえ身体だぜ」
男たちの侮蔑に満ちた言葉が僕の心に突き刺さった。
(うっうっ……。生まれてきてしまって誠にごめんなさい……)
「へっへっへっ。金がねえなら体で払ってもらおうか。こいつケツは使えそうだな」
その言葉を聞いた瞬間、僕の思考回路は激しくショートした。
(ふぁっ!? 体で払う……? ケツ……!?)
男たちの逞しい手が僕のだらしない尻を鷲掴みにした。その肉感的な感触を確かめるようにいやらしく揉みしだかれる。
(え、え、え、これってもしかして……ドラマじゃなくて、“大人の動画”の撮影現場だった!? ど、どど、どうしよう……! 僕みたいな醜いおっさんが出演しちゃったら、低評価の嵐で大炎上しちゃう……!)
僕の脳内がパニックを起こしていた、その時だった。
「そこまでだ、賊ども!」
凛とした、力強さに満ちた声が響き渡り、男たちの動きがぴたりと止まる。僕も声のした方を見た。
道の向こうから、一頭の美しい白馬に乗った一人の騎士がこちらに向かって来ていた。
キラキラと光を反射するプラチナブロンドの短髪。それは一本一本が光を吸い込んでは淡く輝くような深みのある色合いだった。彫りの深い顔立ちはまるでゲームのキャラクターのように整っている。目尻に刻まれた細かな皺や、口元や顎のラインに沿ってきれいに整えられた髭が、なんとも言えない大人の色気を醸し出していた。
(うわ、この人……めちゃくちゃ格好良い!! 海外の俳優さんかな……。いかにも主役って感じだ)
ただそこに立っているだけなのに、その場を支配するような凄みがあった。歴戦の強者だけが纏うことを許される、ピリッとした緊張感が空気を震わせている。凍てついた湖の底みたいな深い青色の瞳と目が合った瞬間、僕の心臓がドクンッと大きく跳ね上がった。
(あ……ああ……! まさに本物の“イケオジ”……。僕の理想そのものだ……!)
さっきまで僕の心を占めていた悪役俳優たちの逞しい肉体なんて、もうどこかに吹っ飛んでしまった。彼の内側から滲み出ているような、円熟した男だけが持つ圧倒的なオーラ。僕が夢に見た、いや、僕の貧相な想像力じゃ逆立ちしたって思い描けないほど理想の“旦那様”が、そこに立っていた。
「ちっ、騎士か! だが一人だけだ、やっちまえ!」
悪役俳優の一人がいかにもなセリフを吐いて斬りかかる。主役のイケオジ騎士は馬からひらりと飛び降りた。まるで踊るように軽やかに。その動きの一つ一つがめちゃくちゃ様になっている。
イケオジ騎士が腰の剣を抜く。太陽の光を反射した剣がキラリと光った。
悪役たちの錆びた剣が振り下ろされるが、彼はそれを紙一重でひょいとかわしていく。まるで事前に打ち合わせでもしていたかのような、完璧な殺陣だ。彼は決して刃を使わず、剣の柄や峰の部分、あるいは盾の角を巧みに使って、一人また一人と悪役たちを的確に打ちのめしていく。悪役たちは迫真の演技で次々と地面に崩れ落ちていった。
静寂が戻った平原で、イケオジ騎士は剣を鞘に収め、僕の方へとゆっくりと歩み寄ってきた。
「大丈夫か?」
彼の声は見た目と同じく低く落ち着いていた。
「あ、えと……はい、おかげさまで……」
彼は自分が羽織っていた紅いマントを外し、その逞しい腕でそっと僕にかけてくれる。
(ひゃっ! なんて優しい人なんだろう……! それに、このマント、すごくいい匂い……)
「ひどい目に遭ったな。……怪我はないか?」
「あ、はい! 大丈夫です! それより、僕、カメラとかに映り込んじゃってませんか!? すみません、いつの間にか迷い込んでしまったみたいで……! あと、よろしければ、サインください……!」
僕が頬を赤くしながら矢継ぎ早に捲し立てると、目の前のイケオジ騎士は眉間に深い皺を寄せ、心底困惑したような顔で僕をじっと見つめた。
「……カメラ? サイン……?」
「はい! いやぁ、すごい迫力でした! まるで本物みたいで! ……ところで、ここはいったいどこですか? こんなに広い麦畑、日本にあったんですねぇ」
「……ここは、エルドリアの近郊だが」
「エルドリア? それって、どこでしたっけ? ……あれ、そういえば、僕たちって、今、何語で話してるんだろう……? あれれ……? わ、わけが分からなく……」
「……やはり、頭を打っているようだな。気の毒に」
イケオジ騎士は深いため息をつくと、僕に言った。
「ひとまず、俺たちの詰所に来るといい。エルドリアの町はすぐそこだ」
彼はそう言うと、混乱している僕の前に手を差し伸べてくれた。その手は大きく、分厚く、骨張っていた。僕は少し躊躇したが、意を決してその手を掴んだ。
「乗れ」
彼は僕を軽々と自分の馬の後ろに乗せてくれた。
(うわぁ……すごい……。背中、広くて硬い……)
さっきまで自分がどこにいて、何が起きているのか分からなくてパニックになりかけていた僕の心が、彼の鎧越しの硬くて広い背中に触れていると、不思議とすーっと落ち着いていくのを感じた。
(こんな素敵な人に助けてもらえて……ムフ、ムフフ……もしかしたらここは天国なのかも……)
こうして孤独なポンコツおじさん山岡久一郎は、どこまでも続く長閑な麦畑でイケオジ騎士と出会い、新たな人生の第一歩を踏み出すことになったのだった。
フロア中の空気を震わせるほどの怒声に、僕、山岡久一郎の身体は雷に打たれたようにビクッと跳ね上がり、そのまま椅子から転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がった。
「も、申し訳ありませんっ!」
カスタマーサポートのコールセンター。僕の失態はもはや日常茶飯事だが、今日のクレームはとりわけ執拗だった。僕の入力ミスが原因で、お客様の個人情報が別のお客様へ誤って通知されてしまったのだ。
電話口のお客様は冷たい声で「御社の個人情報管理体制について、然るべき機関にご報告させていただいてもよろしいですね?」と静かに繰り返し問いかけてくる。当然、僕一人で対応できるはずもなく、事態は雪だるま式に大きくなっていった。
「申し訳ありませんで済むか! これは重大なコンプライアンス違反だぞ! お前のせいで会社がどれだけのリスクを負うと思っているんだ! やる気無ぇなら辞めちまえよ、おい!」
体育会系出身の上司が顔を真っ赤にして、唾を飛ばしながら罵声を浴びせてくる。
(また、やらかしてしまった……。本当に、なんで僕はこうなんだろう。もうどうやって謝ったらいいのかも分からない……)
周囲の同僚たちの視線が痛い。「またアレかよ」「こっちの仕事まで遅れるんだから、いい加減にしてほしいよな」という囁き声がはっきりと僕の耳に届いた。
(ですよね……。誠にごめんなさい……)
キーボードを叩く音が僕を責め立てるように一段と大きく響く。このオフィスに僕の居場所はどこにもなかった。
四十歳、独身、雇止め確実な契約社員。それが僕の全てだった。身長は百八十センチと高めだが、年を重ねるごとに腹に贅肉がつき始め、今ではシャツの上からでもわかるほど体型がたるんでしまった。特別な才能もなく人並みの努力もできないまま、ただ漫然と日々を過ごすうちに、気づけばこんな中年になってしまっていた。
この歳になっても僕は童貞だった。同性に興奮を覚えることはずっと前から自覚していたものの、奥手で小心者な性格が災いし、誰かに告白する勇気もなければ、ましてや身体を重ねる度胸もなかった。世のゲイたちはいたるところでハッテンに励んでいるようだったが、僕はインターネットの動画で自身を慰めるだけの寂しい日々を送っていた。
(はぁ……疲れた……)
結局、終電間際まで事後処理に追われ、心身ともにヘロヘロの状態でオフィスビルを出た。生暖かい夜風が肌にまとわりついて気持ち悪い。空を見上げれば、僕の心みたいにどんよりと厚い雨雲が空を覆っている。
ザアアアアッ──
僕が空を見上げたのと同時に、バケツをひっくり返したような土砂降りが僕に直撃した。
(顔も頭も悪けりゃ、運まで悪いと……とほほ……)
コンビニへ傘を買いに行く気力も残っていなかった。
「……もう、どうにでもなーれ……」
僕は濡れるがまま重い足を引きずって駅へとトボトボと歩き始めた。スーツが雨を吸って、どんどん重くなっていく。まるで僕のこれまでの人生の重みみたいだ。
閑散とした公園を横切る。ブランコが雨に打たれて寂しそうにキィキィと揺れていた。
(……もう、全部……終わりにしちゃおうかな……)
全てがどうでもよくなった僕が天を仰いでそんなことを思った、その瞬間だった。
ピカッ!
視界の全てが真っ白に染まった。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!!
耳をつんざく轟音。天を裂く閃光が僕の身体を直撃した。凄まじいエネルギーが全身を駆け巡り、意識、そして存在そのものが白く焼き切れるような感覚。痛みも熱さも感じなかった。ただ、僕という存在がこの世界から消えていく──
◆ ◆ ◆
──次に目覚めたとき僕は広大な麦畑に横たわっていた。
「……ん……?」
頬を撫でる穏やかな風。土と甘い草の匂い。遠くから聞こえる鳥のさえずり。ゆっくりと瞼を開くと、視界に飛び込んできたのは雲一つない青空。
(……ここは、どこだろう……)
身体を起こして周りを見渡してみる。
見渡す限り、黄金色の麦畑が広がっていた。風に揺れる穂がキラキラと光を反射して、まるで絵画のように美しい。
(すごく長閑で良いところだけど……。僕はなんでこんな場所にいるんだっけ……?)
思い出せない。
何かすごく嫌なことがあったような気はするけれど、それが何だったのか頭に靄がかかったようにどうしても思い出せなかった。
(とにかく状況を確認しないと……。スマホは……財布は……って、あれ? ポケットに何も入ってない!? カバンも無いっ! ど、どうして……?)
状況が全く理解できないまま、僕はとりあえず畑の脇の一本道を歩き始めた。
その時だった。
「おい、そこのお前、待ちな」
道脇に立つ大きな木の陰から三人の男たちがヌッと姿を現した。彼らの姿を目にして、僕は思わず息を呑んだ。
(な、なんだこの人たち……!)
三人の男たちはまるで海外ドラマに出てくる悪役みたいにワイルドな格好をしていた。日に焼けた褐色の肌は汗と土埃にまみれてテラテラと光っている。金髪や赤毛の髪を無造作に伸ばし、鋭い眼光でこちらを睨みつけている。無駄な肉が一切ない引き締まった腹筋。動くたびにムキッと盛り上がる胸や腕の筋肉が僕の視線を釘付けにした。
(ウホッ! いい男……!)
海やプールとは無縁の陰キャ人生を送ってきた僕にとって、筋肉質なイケメンの上裸を“生”で見るのは初めての体験だった。
(これは……ドラマの撮影現場に迷い込んじゃったとか……!?)
手には錆びた剣や棍棒みたいな小道具まで持っている。間違いない。
僕はあまりにも格好良い彼らにすっかり見惚れてしまい、ゴクリと生唾を飲み込んだ。そしてそのドラマの登場人物のような彼らを、ほんの少しでも間近で見ようと思わず一歩足を踏み出した、その時だった。
「へへっ、いいカモがいるじゃねえか。金目のモンは全部置いていきな」
男たちはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、僕をじりじりと取り囲んだ。
(カネメノモン……???)
状況を飲み込めず僕の思考は完全にフリーズした。
男の一人がチッと舌打ちをする。
(あ、もしかしてこれって強盗のシーン……!? どうしよう、金目の物どころか何も持ってないのに……!)
僕が思考を巡らせていると、男の一人が苛立ったように僕の胸ぐらを掴み、力任せにスーツのジャケットを引き裂いた。バリッという乾いた音とともに安物の生地が無残に裂けた。
(ひっ!? い、いきなり服を!?)
「おい、聞いてんのか! 早く金目の物を出せってんだよ!」
(あっ、あっ、ちょ、やめっ、やめて……)
男は僕の服をビリビリと暴力的に引き裂き、あっという間に下着一枚の惨めな姿にされてしまった。ワイシャツのボタンが弾け飛び日に当たったことのない毛深く白い腹が露わになった。中年太りで弛んだ腹肉がブルルンと揺れる。
「チッ、何も持ってねえのかよ、使えねぇオッサンがッ!」
「こいつひょろいクセに腹だけは出てやがる。だらしねえ身体だぜ」
男たちの侮蔑に満ちた言葉が僕の心に突き刺さった。
(うっうっ……。生まれてきてしまって誠にごめんなさい……)
「へっへっへっ。金がねえなら体で払ってもらおうか。こいつケツは使えそうだな」
その言葉を聞いた瞬間、僕の思考回路は激しくショートした。
(ふぁっ!? 体で払う……? ケツ……!?)
男たちの逞しい手が僕のだらしない尻を鷲掴みにした。その肉感的な感触を確かめるようにいやらしく揉みしだかれる。
(え、え、え、これってもしかして……ドラマじゃなくて、“大人の動画”の撮影現場だった!? ど、どど、どうしよう……! 僕みたいな醜いおっさんが出演しちゃったら、低評価の嵐で大炎上しちゃう……!)
僕の脳内がパニックを起こしていた、その時だった。
「そこまでだ、賊ども!」
凛とした、力強さに満ちた声が響き渡り、男たちの動きがぴたりと止まる。僕も声のした方を見た。
道の向こうから、一頭の美しい白馬に乗った一人の騎士がこちらに向かって来ていた。
キラキラと光を反射するプラチナブロンドの短髪。それは一本一本が光を吸い込んでは淡く輝くような深みのある色合いだった。彫りの深い顔立ちはまるでゲームのキャラクターのように整っている。目尻に刻まれた細かな皺や、口元や顎のラインに沿ってきれいに整えられた髭が、なんとも言えない大人の色気を醸し出していた。
(うわ、この人……めちゃくちゃ格好良い!! 海外の俳優さんかな……。いかにも主役って感じだ)
ただそこに立っているだけなのに、その場を支配するような凄みがあった。歴戦の強者だけが纏うことを許される、ピリッとした緊張感が空気を震わせている。凍てついた湖の底みたいな深い青色の瞳と目が合った瞬間、僕の心臓がドクンッと大きく跳ね上がった。
(あ……ああ……! まさに本物の“イケオジ”……。僕の理想そのものだ……!)
さっきまで僕の心を占めていた悪役俳優たちの逞しい肉体なんて、もうどこかに吹っ飛んでしまった。彼の内側から滲み出ているような、円熟した男だけが持つ圧倒的なオーラ。僕が夢に見た、いや、僕の貧相な想像力じゃ逆立ちしたって思い描けないほど理想の“旦那様”が、そこに立っていた。
「ちっ、騎士か! だが一人だけだ、やっちまえ!」
悪役俳優の一人がいかにもなセリフを吐いて斬りかかる。主役のイケオジ騎士は馬からひらりと飛び降りた。まるで踊るように軽やかに。その動きの一つ一つがめちゃくちゃ様になっている。
イケオジ騎士が腰の剣を抜く。太陽の光を反射した剣がキラリと光った。
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静寂が戻った平原で、イケオジ騎士は剣を鞘に収め、僕の方へとゆっくりと歩み寄ってきた。
「大丈夫か?」
彼の声は見た目と同じく低く落ち着いていた。
「あ、えと……はい、おかげさまで……」
彼は自分が羽織っていた紅いマントを外し、その逞しい腕でそっと僕にかけてくれる。
(ひゃっ! なんて優しい人なんだろう……! それに、このマント、すごくいい匂い……)
「ひどい目に遭ったな。……怪我はないか?」
「あ、はい! 大丈夫です! それより、僕、カメラとかに映り込んじゃってませんか!? すみません、いつの間にか迷い込んでしまったみたいで……! あと、よろしければ、サインください……!」
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「……カメラ? サイン……?」
「はい! いやぁ、すごい迫力でした! まるで本物みたいで! ……ところで、ここはいったいどこですか? こんなに広い麦畑、日本にあったんですねぇ」
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「エルドリア? それって、どこでしたっけ? ……あれ、そういえば、僕たちって、今、何語で話してるんだろう……? あれれ……? わ、わけが分からなく……」
「……やはり、頭を打っているようだな。気の毒に」
イケオジ騎士は深いため息をつくと、僕に言った。
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「乗れ」
彼は僕を軽々と自分の馬の後ろに乗せてくれた。
(うわぁ……すごい……。背中、広くて硬い……)
さっきまで自分がどこにいて、何が起きているのか分からなくてパニックになりかけていた僕の心が、彼の鎧越しの硬くて広い背中に触れていると、不思議とすーっと落ち着いていくのを感じた。
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