4 / 40
序章終
後始末
しおりを挟む
俺は少し迷った。
この身にまとうロングコートは、『ケルベロス』の者、中でも『牙』にとって、ただの衣服以上の意味を持つ。
しかし目の前で、地面に座ったまま自分の手首を撫でながら震え続ける女には、きっと必要だ。
さっと脱ぎ、女の肩に優しくかける。
「っ!」
女は一瞬身体をこわばらせたが、
「もう大丈夫だ」
繰り返した俺の言葉に、ありがとう、とまた囁いてコートごと自らの肩を抱いた。
生地は最上級品、仕立ても一流。
ひとりひとりにオーダーメイドで与えられるこの『団服』は、身につけていれば王城の門番も無言で通す。
この国で最も強力な部類の通行証であり、最も確かな身分証であり……鎖でもある。
この『団服』を紛失した者は、『消される』。
記録からも、この世からも。
他者の手に渡れば、王の安全も脅かされる結果にも繋がりかねない代物であるから、当然と言えば当然ではある。
つまり、『団服を管理できない者は力不足であり、不要』という事だ。
まあ、今のところ前例は無い。
「グレイ」
隊長の声が背後から聞こえた。
気配から察するに、部下を一人同行させている。
「お疲れさん。しっかり見届けた、ぞ……って、おい」
鼻歌でも歌いそうな軽い口調から、急激にトーンが下がる。
『団服』をかけられた女を見たからだろう。
「あまり怖い声を出さないで。怯えてしまう」
俺は肩越しに、半顔振り向いて隊長に言う。
隊長の顔は、短い間だが、これまで見てきたどの表情よりも険しかった。
『団服』の重みを知る者ならば当然の反応だが。
「……毛布だ。かけてやれ」
一秒ほど目を閉じ、開いて、側の部下から差し出される毛布を手ずから渡してきた。
「ああ、ちょうど欲しいと思っていたんですよ」
俺は隊長へ向き直りながら立ち上がり、笑顔を向ける。
「ありがとうございます」
毛布を受け取る。
何か、いや確実に説教の類いを言いたげな、苦い表情。
しかし民間人、しかもたったの今まで人質だった女性の手前だ。
隊長は視線を俺から外し、
「人質にされた民間人を、実にスマートに奪還したな」
おどけた口調で言った。
だが、馬鹿でも皮肉と解る。
俺は毛布を女にかけると同時に、コートを手品の様に抜き、再び身にまとう。
「『人数は十人よりは多い』……なるほど、『敵』とは言っていない」
俺にも思う所くらいあるんだよ。
『出てこなければ小屋に火を放つ』、恐らく本気だった。
この女が居るという『確かな情報』を持ちながら。
「目標は全て達成しました」
俺は努めて無表情で無感情に隊長に告げた。
隊長と俺の視線がしっかりと合う。
数秒の沈黙。
「隊長! 遅れました!」
そこに割って入ってきた大声は、リッグス。
おまえさんの声量は、それが標準なのかね。
聞くたび耳が、物理的に痛い。
彼が押さえ込んでいた首領を、別の隊員が連行して行くのがちらっと見えた。
リッグスは自分の正面に、大盾を地面に立て、大剣を突き立てた。
『爪』の『やすめ』の姿勢。
それを見、隊長は小さくため息をつき、
「『爪』第三団アルファ部隊長、ダン=ウエイドが見届けた」
宣言した。
「リッグス=バルカニアス、グレイ=ランフォード。たった今から立派な『黒犬』だ」
隊長の所作・口調は馬車内の様な明るいものに戻っていた。
『黒犬』とは『子犬』と反対語、つまり正式な『ケルベロス』の一員を指す言葉だ。
ただ、この軍事大国のマグダウェル公国の中でも、不気味な存在感と影響力を持つ『ケルベロス』を指す際に好んで使われる言葉でもある。
侮蔑と嫌悪と……畏怖の念をこめて。
「バッカス。お前の装備はこっちで片付ける。初仕事だ。その女性をエスコートしろ」
隊長は馬車内の様に、表情を大いに緩めてリッグスに命じる。
「はっ!」
リッグスもまた、高らかな応答の声と共に踵を返す。
「バッカス?」
俺は隊長の口にした名前に違和感を抱き、尋ねる。
「ああ、奴の愛称だ」
毛布に身を包んだ女性に、おっかなびっくりといった様子で接触を試みるリッグスを見やりながら、隊長が答える。
「あいつ、どんだけ酒飲ませてもザルでな。酒の神様と、名前の略からつけたんだ」
つまんねぇ奴だよ、と大げさに肩をすくめて隊長が付け加える。
「なるほど」
『爪』の基本は大規模な団体行動だ。
隊員間のみならず、隊長とのコミュニケーションも盛んなのだろう。
「……グレイ。さっきのは、『長官』には報告しないでおく。説明も面倒だしな」
やっと女性を立たせ、馬車の方へ誘導し始めたリッグスを目で追いながらポツリと言う。
尋ねる必要も無い。
『団服』を、一時と言えど民間人に預けた事。
「助かります」
俺がもし隊長の指揮下であったら、山ほど始末書と反省文を書く羽目になっていただろう。
「撤収だ。五分後には馬車が出る。マラソンしたくなきゃ、急げよ」
俺の肩を軽く叩いて、隊長が馬車へ向かう。
すぐに行動を開始する。
地面に置いたショートソードを回収し、腰のポーチから黒いぼろ布を取り出して刃を拭う。
この一対の剣は左右全く同じ造りで、差が無い。
どちらをどちら側の鞘へ納めても問題無い。
しっかり血を拭えたのを確認し、逆手で握り、同時に鞘へ納める。
音はしない。
そう工夫されているのだ。
剣身が短いのも、太ももに鞘を配置しているのも、順手でも逆手でも抜けるようにとの工夫だ。
「……」
俺はぐるりと、さっきまで己がいた『戦場』を見渡す。
いくつも転がった死体。
過去見慣れた光景であり、将来見慣れていくであろう光景でもある。
『ケルベロス』の『牙』、グレイ=ランフォード。
これが俺の名だ。
この身にまとうロングコートは、『ケルベロス』の者、中でも『牙』にとって、ただの衣服以上の意味を持つ。
しかし目の前で、地面に座ったまま自分の手首を撫でながら震え続ける女には、きっと必要だ。
さっと脱ぎ、女の肩に優しくかける。
「っ!」
女は一瞬身体をこわばらせたが、
「もう大丈夫だ」
繰り返した俺の言葉に、ありがとう、とまた囁いてコートごと自らの肩を抱いた。
生地は最上級品、仕立ても一流。
ひとりひとりにオーダーメイドで与えられるこの『団服』は、身につけていれば王城の門番も無言で通す。
この国で最も強力な部類の通行証であり、最も確かな身分証であり……鎖でもある。
この『団服』を紛失した者は、『消される』。
記録からも、この世からも。
他者の手に渡れば、王の安全も脅かされる結果にも繋がりかねない代物であるから、当然と言えば当然ではある。
つまり、『団服を管理できない者は力不足であり、不要』という事だ。
まあ、今のところ前例は無い。
「グレイ」
隊長の声が背後から聞こえた。
気配から察するに、部下を一人同行させている。
「お疲れさん。しっかり見届けた、ぞ……って、おい」
鼻歌でも歌いそうな軽い口調から、急激にトーンが下がる。
『団服』をかけられた女を見たからだろう。
「あまり怖い声を出さないで。怯えてしまう」
俺は肩越しに、半顔振り向いて隊長に言う。
隊長の顔は、短い間だが、これまで見てきたどの表情よりも険しかった。
『団服』の重みを知る者ならば当然の反応だが。
「……毛布だ。かけてやれ」
一秒ほど目を閉じ、開いて、側の部下から差し出される毛布を手ずから渡してきた。
「ああ、ちょうど欲しいと思っていたんですよ」
俺は隊長へ向き直りながら立ち上がり、笑顔を向ける。
「ありがとうございます」
毛布を受け取る。
何か、いや確実に説教の類いを言いたげな、苦い表情。
しかし民間人、しかもたったの今まで人質だった女性の手前だ。
隊長は視線を俺から外し、
「人質にされた民間人を、実にスマートに奪還したな」
おどけた口調で言った。
だが、馬鹿でも皮肉と解る。
俺は毛布を女にかけると同時に、コートを手品の様に抜き、再び身にまとう。
「『人数は十人よりは多い』……なるほど、『敵』とは言っていない」
俺にも思う所くらいあるんだよ。
『出てこなければ小屋に火を放つ』、恐らく本気だった。
この女が居るという『確かな情報』を持ちながら。
「目標は全て達成しました」
俺は努めて無表情で無感情に隊長に告げた。
隊長と俺の視線がしっかりと合う。
数秒の沈黙。
「隊長! 遅れました!」
そこに割って入ってきた大声は、リッグス。
おまえさんの声量は、それが標準なのかね。
聞くたび耳が、物理的に痛い。
彼が押さえ込んでいた首領を、別の隊員が連行して行くのがちらっと見えた。
リッグスは自分の正面に、大盾を地面に立て、大剣を突き立てた。
『爪』の『やすめ』の姿勢。
それを見、隊長は小さくため息をつき、
「『爪』第三団アルファ部隊長、ダン=ウエイドが見届けた」
宣言した。
「リッグス=バルカニアス、グレイ=ランフォード。たった今から立派な『黒犬』だ」
隊長の所作・口調は馬車内の様な明るいものに戻っていた。
『黒犬』とは『子犬』と反対語、つまり正式な『ケルベロス』の一員を指す言葉だ。
ただ、この軍事大国のマグダウェル公国の中でも、不気味な存在感と影響力を持つ『ケルベロス』を指す際に好んで使われる言葉でもある。
侮蔑と嫌悪と……畏怖の念をこめて。
「バッカス。お前の装備はこっちで片付ける。初仕事だ。その女性をエスコートしろ」
隊長は馬車内の様に、表情を大いに緩めてリッグスに命じる。
「はっ!」
リッグスもまた、高らかな応答の声と共に踵を返す。
「バッカス?」
俺は隊長の口にした名前に違和感を抱き、尋ねる。
「ああ、奴の愛称だ」
毛布に身を包んだ女性に、おっかなびっくりといった様子で接触を試みるリッグスを見やりながら、隊長が答える。
「あいつ、どんだけ酒飲ませてもザルでな。酒の神様と、名前の略からつけたんだ」
つまんねぇ奴だよ、と大げさに肩をすくめて隊長が付け加える。
「なるほど」
『爪』の基本は大規模な団体行動だ。
隊員間のみならず、隊長とのコミュニケーションも盛んなのだろう。
「……グレイ。さっきのは、『長官』には報告しないでおく。説明も面倒だしな」
やっと女性を立たせ、馬車の方へ誘導し始めたリッグスを目で追いながらポツリと言う。
尋ねる必要も無い。
『団服』を、一時と言えど民間人に預けた事。
「助かります」
俺がもし隊長の指揮下であったら、山ほど始末書と反省文を書く羽目になっていただろう。
「撤収だ。五分後には馬車が出る。マラソンしたくなきゃ、急げよ」
俺の肩を軽く叩いて、隊長が馬車へ向かう。
すぐに行動を開始する。
地面に置いたショートソードを回収し、腰のポーチから黒いぼろ布を取り出して刃を拭う。
この一対の剣は左右全く同じ造りで、差が無い。
どちらをどちら側の鞘へ納めても問題無い。
しっかり血を拭えたのを確認し、逆手で握り、同時に鞘へ納める。
音はしない。
そう工夫されているのだ。
剣身が短いのも、太ももに鞘を配置しているのも、順手でも逆手でも抜けるようにとの工夫だ。
「……」
俺はぐるりと、さっきまで己がいた『戦場』を見渡す。
いくつも転がった死体。
過去見慣れた光景であり、将来見慣れていくであろう光景でもある。
『ケルベロス』の『牙』、グレイ=ランフォード。
これが俺の名だ。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。
愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます
天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。
王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。
影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。
私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。
教養が足りない、ですって
たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリーゼは、公爵家の長男アレクシスとの婚約披露宴で突然婚約破棄される。理由は「教養が足りず、公爵夫人として恥ずかしい」。社交界の人々の嘲笑の中、エリーゼは静かに会場を去る。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
思いを込めてあなたに贈る
あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる