end of souls

和泉直人

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一章2

召集

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  ヴェルナーと昼食、アパートの共用キッチンでステラとサラと夕食、今日はタイミング良く知人と食事ができた。
  夜も更け、ランプの灯を消そうとした頃合いだった。

  しゅる……

  微かな音が窓から聞こえた。
  紙と木が擦れる音。
  目をやれば、窓の隙間から黒い紙きれが差し込まれている。
  気配は無かった。

  「郵便配達員メッセンジャーは『耳』がやるとは聞いてたが、ここまで気配を隠せるのか」

  口に出すつもりは無かったが、あまりに見事過ぎて感嘆が漏れた。
  俺とて気配を探る訓練を、うんざりするほど繰り返した身だ。
  例え眠っていたとしても、壁や窓越しだとしても、張り巡らせた神経の網にかかる。
  その網を容易に破られた訳だ。

  はぁ……

  小さくため息が漏れる。

  「上には上が居るものだ」

  俺に『牙』としての訓練を施した男の言葉。
  『確かに』と胸内で呟いて、俺は紙切れを手に取る。
  真っ黒に染められたそれには、何も書かれてはいない。
  当然だ。
  届いた時点で召集がかかった事を意味するから。

  「いいか。『仕事』をする時は『心を冷やせ』」

  思い出される言葉。
  冷静に、冷徹に、不測の事態にも動揺せぬように、『冷えた心』で事に当たる。
  すぅっと、昼間の『ニチジョウ』で感じた楽しさや暖かさが遠ざかる。
  がさり、と艶の無い黒髪をかき上げる。
  先ほど消そうと思っていたランプの火屋ほやを軽く上げ、黒い紙きれに火をつけて、小さい暖炉へ放り込む。
  そしてクローゼットへ向かい、扉を開ける。
  淡い色の麻製を中心とした簡素なシャツ、ズボン、カーディガンと、『普段着』が数セット収まっている。
  だが今はこれらの出番は無い。
  クローゼットへ右足を踏み入れ、爪先を外側へ動かす。
  『そこ』はクローゼットの内壁だが、凹む。
  次に左手で頭上、扉が合わさる部分を押す。
  凹む。
  右の人差し指を天井の穴に差し込み、下方向へ引く。
  すると音も無く、天井が『降りて』きた。
  内壁全てがずり落ちた様な形だ。
  その空間に、俺の装備が収まっていた。
  これも『工房』に作らせた、決まった手順でしか団服を始めとした装備を取り出せない仕掛けだ。
  まず『普段着』を黒い『仕事着』へ着替える。
  手早く装備を身に着けながら取り出していく。
  黒革の手袋を、ぎゅっと一握りした後に黒いコート、団服を纏う。
  前をきっちりと閉めると、高い襟で口元まで隠れる。
  空っぽになった仕掛け棚を押し上げて元の位置へ戻す。
  そして今度こそ、ランプを消した。
  暗闇に溶け込んだ真っ黒な俺自身を確認する様に、まばたきを数回。
  俺は窓を開け、外へ出る。
  出がけに足で窓を閉め、右上の蝶番ちょうつがいを爪先で押し上げる。
  これで施錠ができる仕掛け。

  ふっ!

  短く息を吐いてから、アパートの軒を軽く掴んで、窓枠を蹴って屋根の上へと立つ。
  ほぼ同時に走り出し、路地の影へ飛び降りる。
  ゴムの靴底アウトソールと訓練された走法で、音は無い。
  街の影を縫って、城壁を二つ踏み越えて、俺は『王宮区画』、それも中心部とも言える王宮の裏口にたどり着いた。
  『ケルベロス』の司令部は、王宮自体からは離れているもの、敷地内に存在する。
  王宮の裏口には、当然衛兵が四、五人立っている。
  が、前触れも無く現れた俺の姿を見るなり、無言で道を空けた。
  俺も無言で通り抜ける。
  右手に、夜中にも関わらずきらびやかで、高く大きい王宮が見える。
  それとは逆の方向へ。
  すぐに見える、『ケルベロス』の司令部。
  二階建てで質素ながら、どこかどっしりとした印象を受ける建物だ。
  並列して、丸い屋根を持つ建物も目に入る。
  俺がこれでもかと汗を流した『訓練所』だ。
  司令部の玄関には光量を抑えたランプが二つ。
  照らし出された取っ手を引き、扉を開ける。
  中はいつも通り薄明るく、ひやりと冷たさを感じる空気が満ちていた。
  気配こそ薄いが、十数人の存在を感じ取る。
  国王からの命令の伝達、こちらからの報告書の作成及び提出を行う職員達だ。
  情報処理担当とはいえ、一通り以上の訓練は受けている、と聞いている。
  聞いている、とは、ほとんど顔を合わせないので、知る事自体が困難な為だ。
  厚い、赤い絨毯を踏みしめ、二階へ。
  十メートル程の廊下の右手にいくつかのドア、左手にガラスの窓、正面に一回り大きなドア。
  重厚な存在感を感じる。
  ドアの大きさから来るのではない。

  「グレイです」

  ドア越しに声をかけると、

  「入れ」

  バスの男声が返ってくる。
  俺はドアを開ける。
  存在感の出所、それはこの人だ。
  こちらに背を向けてなお、俺を圧する。
  百九十センチメートルはある長身にも関わらず、見るものにひょろ長い印象を持たせない筋肉質のがっしりとした体躯。
  纏う団服は、深紅。
  その背の『ケルベロス』の刺繍は、全て金糸だ。
  その意味は、

  「要件をお聞きします、『長官』」

  『ケルベロス』の全てを統括する者だという事だ。
  『長官』が振り向く。
  白髪混じりの赤毛をオールバックに撫で付け、右目にモノクルを装着したその顔は、威厳と自信に満ちた堂々たる歴戦の戦士と解る。
  左の額から頬にかけて、垂直で真っ直ぐな傷跡が走る。
  左目はその傷跡の道中にあり、失明している。

  「まずはこれに目を通せ」

  彼の執務机に差し出されたのは、十数枚の紙の束。
  恐らく『耳』からの報告書。
  俺に剣を始めとした、『牙』の訓練を施したのは『長官この人』だ。
  あの訓練を思い出すと、嫌な汗が背に浮かぶ。
  促されるまま、報告書を手に取る。
  まず目についたのが、『アルザス教』という文言。
  ここから速読へ入る。
  パラパラと次々に紙をめくり、一分ほどで最後のページを読み終える。
  俺の速読能力ではこの程度だ。
  『上には上が居る』からな。

  「百年前の『セーベルニーチの南進』の英雄を担ぎ上げた新興宗教?」

  セーベルニーチ帝国。
  マグダウェル公国の北方の広大な領土を持つ帝国であり、虎視眈々と南の肥沃な平原を狙って、度々南へ進軍した過去を持つ。

  「しかしマグダウェル公国この国は『信教の自由』があるでしょう?  何が問題で?」

  報告書の内容はこうだ。
  マグダウェルの北西部から発祥とおぼしき『アルザス教』なる新興宗教が、平民を中心として爆発的に広まっている。
  その教義は『人間は絶対的に平等である』、『全ての人間に成功の機会がある』。
  とはいえそれは精神面に留まり、反乱・暴動などの具体的かつ武力的な動きは無いという。
  『アルザス』は、平民出身でありながら百年前の『南進』で大きな武功を挙げ、上級騎士の位に昇格を果たした英雄の名だ。
  平民の成り上がりの英雄は、実に崇拝対象としてふさわしいのだろう。

  「問題は『リーノロス教』を信奉する地方領主の反発だ」

  リーノロス教、この大陸に多くの信徒を持つ、長い歴史を持つ宗教だ。
  地方領主の中には熱心な信徒もおり、領土内で『主神リーノロス』以外を崇める事を禁ずる者も居ると聞く。
  国是の『信教の自由』に反するが、実質おとがめ無しでまかり通っている。
  それほどに信徒が多く、権力の深くまで食い込んでいるのだ。

  「特に北西部で、アルザス教徒に対する弾圧があるようだ。次に起こるのは弾圧を受けた側からの反発」

  長官は言葉を切った。
  受けた側からの反発、すなわち武力的行動へ至る危険性。

  「もちろん我が王も手をこまねいてはいない。すでに使者を送り、弾圧と信教の強制を止めるよう命令を下した」

  「なら……」

  我々が動く必要は無いのでは、と続ける前に、

  「『神殿騎士団』が動いた」

  長官がぴしゃりと俺の言葉を遮った。

  「何の名分で!?」

  さすがに俺も驚きを禁じ得ない。
  リーノロスの神殿騎士団、彼らは主神リーノロスの忠実なるしもべ、教義と信徒を守る『神の腕』。
  などと謳っているが、つまるところリーノロス教を後ろ楯にした武装勢力だ。
  裏では黒い噂が絶えない。
  曰く、異教を信じる部族を、居住地ごと焼き尽くした。
  曰く、紛争地帯に介入し、両勢力を著しく痛めつけてリーノロス教へ恭順させた。
  曰く、いずれの戦闘行為においても、略奪や虐殺を行った。
  『神の名の下に』。
  要するにならず者の集まりで、くそったれ共だという事だ。

  「マグダウェル公国こちらとしても内政干渉だと介入を拒んだし、撤退を要請した」

  長官は深いため息を一つ。

  「だが彼らの返答は『神の名の下に、信徒子らを、いずれ来る異教徒の害から守るのだ』と、独善的なモノだった」

  読めた。
  リーノロス教自体がすでに一国家級の影響力を持つが、マグダウェル公国内では他国に比して、弱い。
  反乱の抑止を建前に居座り、地方から影響力を強めていくつもりだ。
  今の教皇は欲深く、特に権力への執着が強い。

  「自分の領土内の民を弾圧までする、リーノロスに心酔した領主なら、感涙にむせびながら大歓迎するでしょうね」

  「その通りになるだろう。だがそうなっては困る」

  俺の言葉に大きく頷く長官。

  「……して、どう手を打つおつもりで?」

  嫌な予感しかしないが、尋ねずとも聞かされるのだ。

  「神殿騎士団奴らを秘密裏に止めろ」

  無茶をおっしゃる。
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