end of souls

和泉直人

文字の大きさ
33 / 40
幕間 白い騒動3

金の使いどころ

しおりを挟む
  パチン!

  静かな空間に指を弾く音が響く。
  残響の中、音も無く一人の女性が現れる。

  「グレイ=ランフォード。何用で?」

  ケルベロス指令部、エントランス。
  ここ最近対応してくれるあの女性職員だ。

  「金を引き出したい」

  当然ケルベロスにも給料の概念はある。
  そしてそれはもれなく高額だ。
  持ち歩いたり、自宅に保管する事は不自然で不可能だ。
  よってこの指令部に、生活費を除いてほとんどを預けている。
  『子犬』の頃から給料は与えられている。
  拠点とする場所、俺にとってはあのアパートだが、そこに馴染む為の経費という形で。
  もし『黒犬』になれなかった場合、返済義務を負う事になる。

  「いかほど?」

  「一千万」

  無表情だった女性職員の片眉が跳ねる。
  俺の預金は立て込んだ任務の手当てもあり、かなりの金額があるが、それでも大金には違いない。

  「随分と大金ね。理由を聞いても?」

  「言う義務は無いはずだ」

  訝しむ職員の言葉にぴしゃりと返す。
  まだはらわたが煮えくり返っている。

  「少し待って」

  女性職員は軽く頷いて、再び奥へ戻った。
  あのチンピラどもも、金貸しも、ステラの元夫ジョージも、どいつもこいつもくそったれだ。
  あんな連中にサラの人生を狂わせてたまるか。
  ややあって、トレイに札束を載せた職員が戻った。

  「確認を」

  トレイを受付カウンターに置いて、こちらへ滑らせる。
  一万オーラムの紙幣、百枚の束が十。
  一つ一つ、端をパラパラと弾いて中身を確認する。

  「確認した」

  頷いて、持参した麻袋につっこむ。

  「グレイ=ランフォード。派手な動きはしないように」

  女性職員が静かに言った。
  思わず睨み付ける。

  「どうせ『耳』が監視してるんだろう? 事が済んだらそいつの報告を聞け」

  苛立ちまぎれに言い放つ。

  「確かに。それでも冷静な判断と行動を」

  無表情で忠告してくる。
  俺は一度深呼吸をして、怒気を吐き出す。

  「ああ。……ありがとう」

  多少冷えた頭で、応える。
  麻袋を肩に担いで、指令部を後にする。
  あの後、サラが目を覚ますまで俺は彼女の側にいた。
  ステラが引き留めたのと、俺自身の意思からだ。
  ベッドの側に椅子を置き、苦しそうに眉間に皺を寄せるサラの寝顔を見つめた。
  そして目を覚まして開口一番、彼女は消え入りそうな声で言った。

  「嫌だよ。こんなの、嫌……」

  うっすら涙を浮かべて。
  アメシストの瞳に影を落として。
  この表情だ。
  六年前、ジョージがまだ居た頃、サラはよくこんな沈んだ表情をしていた。
  奴は酒を飲んで、暴れ、金をせびってわめいていた。
  俺の部屋にも響くほどに。
  そんな事がある度に、ステラはサラを室外に逃がし、俺に保護を求めた。
  やむなく受け入れたが、十二才の少女とは思えないほどに暗い雰囲気を纏っていた。
  当時は辛気くさくて、面倒でたまらなかった。
  訓練は苦しかったし、馴染む為の日銭稼ぎとの両立でかなり疲れていたから。
  だが、今は違う。
  サラの目尻からとうとう涙が流れ落ちた。
  胸が痛む。
  そっと指先で水滴を拭ってやると、その手が取られた。
  細い、ガラス細工の様な繊細さを感じる、冷たい手だった。

  「大丈夫だ。なんとかなる」

  その手を握り返して、できる限り柔らかい口調で言ってやる。
  だがこのままではどうにもならない。
  奴らの言う通り、捺印されてしまっている以上は法的な拘束力が生じてしまう。
  ジョージを捕らえて証言を取ったとしても、今の法では無効にできない。
  それに訴えている間に、返済期限を迎えてしまう。
  俺がこれから行う方法は、きっと危険で、間違ってる。
  下手を打って俺の身分がバレたら、ケルベロスに消されかねない。
  しかし俺の手を両手で握って、幼子の様に泣いたサラを見たら……もう動かずにはいられない。
  彼女が泣き疲れて眠るまで、ずっと手を握った。
  その翌日の夜、期限が残り一日となった今、俺は『テレンス=ビッグス』の屋敷に侵入した。
  素人の群れなど居ないも同然で、気づかれる事も無く、あっさりと入れた。
  奴の寝室兼仕事部屋に潜む。
  テレンスが何やらぶつぶつと呟きながら室内に入って、無駄に派手な机の前に置かれた椅子に粗雑な動きで座った。
  それを見届けて、動く。
  背後から右手で口を塞いで俺の腹に頭を押し付けて、固定する。
  同時に左手のナイフを喉元に突きつける。

  「!」

  びくっとテレンスの肩が跳ね、もがこうとしたが、

  「動くな」

俺の言葉と、喉に押し付けられた刃の感触に、動きを止めた。

  「両手を机の上に出せ。大きな声を出せば殺す。大きな物音を立てても殺す。解ったか?」

  少し声を変えるくらいは訓練されている。
  普段とは違う声で告げる。
  テレンスは両腕を机の上に静かに置き、小さく、何度も頷いた。

  「よし」

  口を塞いでいた右手を離す。

  「てめぇ、何もんだ。こんな事して……!」

  すぐに、小声だが悪態が飛び出す。
  それをナイフを押しつける強さを増して、遮る。

  「死にたいのか?」

  「ぐっ」

  続いて耳元で囁いた俺の言葉に、喉の奥で息を詰まらせた。
  テレンスは中年で、茶色の髪を真ん中分けにした小男だった。

  「いいか。お前は今、俺に命を握られてる」

  奴の頭髪から整髪油の不愉快な臭いが、覆面越しに届く。
  テレンスがまた小さく、何度も頷いた。

  「ジョージ=ポッターの証文を出せ。静かにな」

  テレンスは無言で頷き、左手を動かして、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。
  あの『アニキ』が持っていたのは写しだ。
  これが原本のはずだ。
  奴自身の前に置かせ、左手を再び机の上に置かせた。

  「元金は五百万オーラム。利子を含めて六百万オーラム。間違いないな?」

  「あ、ああ」

  俺の問いに小声で答えた。
  右肩にぶら下げていた麻袋から、札束を取り出す。
  一つ、また一つと。
  合計六つ。

  「こ、これは?」

  不安げにテレンスが呟く。

  「金だ。見慣れてるだろ? 確認しろ」

  積み上がった札束を右人差し指で、とんとんと叩いて命令する。
  それを見て、テレンスが札束を手に取って確認していく。

  「確かに揃ってるな?」

  「そ、揃ってる」

  ごくり、と生唾を飲み下して答える。

  「じゃあこの借金は終わりだ。そうだろ?」

  ナイフの押しつける力を緩めてやる。
  テレンスはガクガクと頷く。

  「あんた、なんでこんな事……」

  「余計な詮索はしない方がいい。ほら、証文に返済完了の印を押せ」

  言われるがまま、テレンスは押印した。

  「ちゃんと写しの方にも押して、ステラ=ブライトに届けろ。見てるからな」

  俺は念を押す。

  「わかった。必ずだ」

  もうすっかり従順になったテレンスに、更に言葉を続ける。

  「それと。もう二度とジョージ=ポッターに金を貸すな」

  そして札束をもう一つ机の上に投げる。

  「へ? こいつは……」

  「契約の金だ。お前は商売人だろう? 意味が解るはずだ」

  呆気にとられるテレンスに囁く。
  受け取る以上、契約を違える事は許さないという事だ。

  「解った。契約だ」

  怯えが引き、ゆっくりと一回頷く。
  だがまだ安心できない。
  俺は残りの札束全部、三つを机に置く。
  その上に右手を乗せて、

  「お前、娼館と何か別口で契約してるんじゃないか?」

囁けば、テレンスは分かりやすく動揺した。
  不愉快極まりないが、サラの価値はかなりのものだろう。
  今後難癖を付けて、手に入れようとするかもしれない。

  「これで黙らせろ。あの母子に近づけさせるな。お前が関係してなくても、何かあればお前を殺す。文字通り死ぬ気でやれ」

  ぽん、と三つ重ねた札束を叩く。
  テレンスは頷くしかない。  

  「それともう一つ。ジョージ=ポッターの居場所を言え。どうせ身柄は押さえてるんだろ?」

  身柄を押さえ、支払い能力無しとみたから、サラを連れて行こうとしたはずだ。

  「それは……」

  テレンスは吐いた。
  ジョージはこいつらに捕まって、しばらく監禁されていた事、サラを差し出すからと命乞いをして解放された事。
  ……腐ってやがる。

  「まだ首都に居ると思うか?」

  「たぶんな。どこかで酒でも引っかけてんじゃないか?」

  あまりのクズっぷりに目眩すら覚える。

  「よし。用事は終わりだ。この金を無かった事にしたり、契約を破ったりすれば……解るよな?」

  再びナイフを喉元に強く押しつけて告げる。

  「おまえの手下は俺に気づきもしなかった。お前自身もな。いつでも、どこでも、俺はお前を殺せる。忘れるな」

  「勿論だ。死にたくはねぇ」

  テレンスは再び震えだした。
  俺はそれを聞き届け、その場を去る。
  充分恐怖は植え付けた。
  次は……。
  ジョージ=ポッターはあっさり見つかった。
  ステラと同じ赤茶色の髪をボサボサに、顔に数発分の殴打の跡がある。
  テレンスの部下がやったらしい。
  奴の言う通り、安酒を瓶ごとあおって、千鳥足でふらふらと通りを歩いてやがる。
  後ろから尾行し、やがて路地裏にさしかかる。
  ここは物陰が多い。
  一気に距離を縮め、背後から左手で口を塞ぎ、右手で髪を掴んで隘路へ引きずり込んだ。
  暴れて酒瓶を取り落とすが、俺は爪先で受け止めて派手な音が鳴るのを防ぐ。
  ごろごろと転がる酒瓶を尻目に、俺はジョージを壁に押し付ける。

  「暴れるな。首をへし折るぞ」

  本当は脅しじゃなく、実行したかった。
  だがクズでもステラの元夫で、サラの父親だ。
  ぐっと堪える。
  膝裏を蹴りつけて、跪かせる。
  
  「んー! んー!」

  それでも腕を振り回して暴れるので、

  どすん

脇腹を爪先で蹴る。
  肋骨は折らないように、力加減に細心の注意を払う。

  「ぐぅっ!」

  くぐもった悲鳴が塞がれた口から漏れる。

  「暴れるな。わめくな。振り向くな。解ったら壁を二回叩け」

  掴んだ髪を少し引っ張ってやる。
  その痛みに反応したのか、ジョージは壁を二回叩いた。
  俺は口を塞いだ左手を離す。

  「なんだてめ……!」

  がん!

  途端に喚こうとするジョージの顔面すれすれの壁に、踵蹴りを叩きつける。
  ジョージが身を震わせる。

  「おい、ジョージ=ポッター。お前頭が悪いのか? 次はその頭を砕く」

  ああ、くそ、本当にやってしまいたい!
  ジョージはようやく理解した様だ。
  動きを止めた。

  「借金の話か? もう終わっただろ?」

  名を呼ばれた事で、借金関連だと解った様だ。
  髪を掴んだまま、額を壁に押し付けてやる。

  「ああ、終わったな。胸くそ悪いやり方でな」

  軽くジョージの頭を後ろに引いて、壁にぶつける。

  「いでっ! な、なんだよ、ちくしょう!」

  「うるせぇ。誰が喋って良いって言った? 黙ってろ」

  もう一度顔面すれすれに踵蹴り。
  今度こそ黙った。

  「ジョージ=ポッター。今から俺が言う事をよく聞け。これはお願いじゃない。命令だ。解ったら壁を二回叩け」

  ジョージは無言で壁を二回叩く。

  「お前はもう二度とこの街で金を借りられない。俺が手を回したからな」

  本当は手を回したのはテレンスの一件のみで、他にも金貸し業者は存在するのだが、ハッタリで充分だ。

  「なっ!?」

  驚きの声をあげるが、すぐに口を閉じた。

  「それからな。今後この街でお前を見かけたら、一発殴れってあの連中に言っておいた」

  「はぁっ!?」

  こいつもハッタリだが、

  「解るか。俺はそのくらい影響力があるんだ。お前を今殺さないのはただの気まぐれだ」

右手でナイフを抜いて、こうして刃の腹で頬を撫でれば通じるはずだ。

  「おい。解ったら壁を二回だ」

  頬の冷たい感触に恐れをなしたか、間をおかず壁を二回叩いた。

  「もうこの街にお前の居場所は無い。さっさと出ていかないと、一日と持たずボロ雑巾にされるぞ」

  ぶるっとジョージが震える。

  「解ったのか?」

  壁を二回叩く。

  「それとな。万が一お前がとち狂ってこの街に戻ったら……」

  かつっ!

  壁に当てたジョージの指と指の間に、ナイフを突き立てた。

  「ひぃっ!」

  これには相当肝を冷やしたらしい。
  一瞬ではない震えが、ジョージの身体に広がっていく。

  「戻ったら、すぐに見つけて指を一本一本切り取ってその口に突っ込むぞ」

  脅しじゃない。
  たぶんやってしまうだろう。
  そのくらいに俺の頭は怒りで煮えている。

  「解ったか?」

  ナイフで脅された反対の手で、壁を二回叩いた。

  「よし」

  俺はジョージを壁から引き剥がし、通りの方へ向き直らせる。

  「振り向かずに走るんだ。ひたすらに。城門の外まで」

  命令して髪を離した後、チクリ、とナイフの先端でジョージの背中を突いた。

  「ひぃあぁっ!」

  脱兎のごとくとはこの事か、全速力で走り抜けて行った。
  これで片付いた、か。
  いきなり全部片付いたら、ステラもサラも妙に思うだろうが、なんとか誤魔化すしかない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます

天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。 王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。 影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。 私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。

教養が足りない、ですって

たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリーゼは、公爵家の長男アレクシスとの婚約披露宴で突然婚約破棄される。理由は「教養が足りず、公爵夫人として恥ずかしい」。社交界の人々の嘲笑の中、エリーゼは静かに会場を去る。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

断罪後のモブ令息、誰にも気づかれずに出奔する

まる
ファンタジー
断罪後のモブ令息が誰にも気づかれないよう出奔して幸せを探す話

処理中です...