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幕間 白い騒動3
金の使いどころ
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パチン!
静かな空間に指を弾く音が響く。
残響の中、音も無く一人の女性が現れる。
「グレイ=ランフォード。何用で?」
ケルベロス指令部、エントランス。
ここ最近対応してくれるあの女性職員だ。
「金を引き出したい」
当然ケルベロスにも給料の概念はある。
そしてそれはもれなく高額だ。
持ち歩いたり、自宅に保管する事は不自然で不可能だ。
よってこの指令部に、生活費を除いてほとんどを預けている。
『子犬』の頃から給料は与えられている。
拠点とする場所、俺にとってはあのアパートだが、そこに馴染む為の経費という形で。
もし『黒犬』になれなかった場合、返済義務を負う事になる。
「いかほど?」
「一千万」
無表情だった女性職員の片眉が跳ねる。
俺の預金は立て込んだ任務の手当てもあり、かなりの金額があるが、それでも大金には違いない。
「随分と大金ね。理由を聞いても?」
「言う義務は無いはずだ」
訝しむ職員の言葉にぴしゃりと返す。
まだはらわたが煮えくり返っている。
「少し待って」
女性職員は軽く頷いて、再び奥へ戻った。
あのチンピラどもも、金貸しも、ステラの元夫ジョージも、どいつもこいつもくそったれだ。
あんな連中にサラの人生を狂わせてたまるか。
ややあって、トレイに札束を載せた職員が戻った。
「確認を」
トレイを受付カウンターに置いて、こちらへ滑らせる。
一万オーラムの紙幣、百枚の束が十。
一つ一つ、端をパラパラと弾いて中身を確認する。
「確認した」
頷いて、持参した麻袋につっこむ。
「グレイ=ランフォード。派手な動きはしないように」
女性職員が静かに言った。
思わず睨み付ける。
「どうせ『耳』が監視してるんだろう? 事が済んだらそいつの報告を聞け」
苛立ちまぎれに言い放つ。
「確かに。それでも冷静な判断と行動を」
無表情で忠告してくる。
俺は一度深呼吸をして、怒気を吐き出す。
「ああ。……ありがとう」
多少冷えた頭で、応える。
麻袋を肩に担いで、指令部を後にする。
あの後、サラが目を覚ますまで俺は彼女の側にいた。
ステラが引き留めたのと、俺自身の意思からだ。
ベッドの側に椅子を置き、苦しそうに眉間に皺を寄せるサラの寝顔を見つめた。
そして目を覚まして開口一番、彼女は消え入りそうな声で言った。
「嫌だよ。こんなの、嫌……」
うっすら涙を浮かべて。
アメシストの瞳に影を落として。
この表情だ。
六年前、ジョージがまだ居た頃、サラはよくこんな沈んだ表情をしていた。
奴は酒を飲んで、暴れ、金をせびってわめいていた。
俺の部屋にも響くほどに。
そんな事がある度に、ステラはサラを室外に逃がし、俺に保護を求めた。
やむなく受け入れたが、十二才の少女とは思えないほどに暗い雰囲気を纏っていた。
当時は辛気くさくて、面倒でたまらなかった。
訓練は苦しかったし、馴染む為の日銭稼ぎとの両立でかなり疲れていたから。
だが、今は違う。
サラの目尻からとうとう涙が流れ落ちた。
胸が痛む。
そっと指先で水滴を拭ってやると、その手が取られた。
細い、ガラス細工の様な繊細さを感じる、冷たい手だった。
「大丈夫だ。なんとかなる」
その手を握り返して、できる限り柔らかい口調で言ってやる。
だがこのままではどうにもならない。
奴らの言う通り、捺印されてしまっている以上は法的な拘束力が生じてしまう。
ジョージを捕らえて証言を取ったとしても、今の法では無効にできない。
それに訴えている間に、返済期限を迎えてしまう。
俺がこれから行う方法は、きっと危険で、間違ってる。
下手を打って俺の身分がバレたら、ケルベロスに消されかねない。
しかし俺の手を両手で握って、幼子の様に泣いたサラを見たら……もう動かずにはいられない。
彼女が泣き疲れて眠るまで、ずっと手を握った。
その翌日の夜、期限が残り一日となった今、俺は『テレンス=ビッグス』の屋敷に侵入した。
素人の群れなど居ないも同然で、気づかれる事も無く、あっさりと入れた。
奴の寝室兼仕事部屋に潜む。
テレンスが何やらぶつぶつと呟きながら室内に入って、無駄に派手な机の前に置かれた椅子に粗雑な動きで座った。
それを見届けて、動く。
背後から右手で口を塞いで俺の腹に頭を押し付けて、固定する。
同時に左手のナイフを喉元に突きつける。
「!」
びくっとテレンスの肩が跳ね、もがこうとしたが、
「動くな」
俺の言葉と、喉に押し付けられた刃の感触に、動きを止めた。
「両手を机の上に出せ。大きな声を出せば殺す。大きな物音を立てても殺す。解ったか?」
少し声を変えるくらいは訓練されている。
普段とは違う声で告げる。
テレンスは両腕を机の上に静かに置き、小さく、何度も頷いた。
「よし」
口を塞いでいた右手を離す。
「てめぇ、何もんだ。こんな事して……!」
すぐに、小声だが悪態が飛び出す。
それをナイフを押しつける強さを増して、遮る。
「死にたいのか?」
「ぐっ」
続いて耳元で囁いた俺の言葉に、喉の奥で息を詰まらせた。
テレンスは中年で、茶色の髪を真ん中分けにした小男だった。
「いいか。お前は今、俺に命を握られてる」
奴の頭髪から整髪油の不愉快な臭いが、覆面越しに届く。
テレンスがまた小さく、何度も頷いた。
「ジョージ=ポッターの証文を出せ。静かにな」
テレンスは無言で頷き、左手を動かして、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。
あの『アニキ』が持っていたのは写しだ。
これが原本のはずだ。
奴自身の前に置かせ、左手を再び机の上に置かせた。
「元金は五百万オーラム。利子を含めて六百万オーラム。間違いないな?」
「あ、ああ」
俺の問いに小声で答えた。
右肩にぶら下げていた麻袋から、札束を取り出す。
一つ、また一つと。
合計六つ。
「こ、これは?」
不安げにテレンスが呟く。
「金だ。見慣れてるだろ? 確認しろ」
積み上がった札束を右人差し指で、とんとんと叩いて命令する。
それを見て、テレンスが札束を手に取って確認していく。
「確かに揃ってるな?」
「そ、揃ってる」
ごくり、と生唾を飲み下して答える。
「じゃあこの借金は終わりだ。そうだろ?」
ナイフの押しつける力を緩めてやる。
テレンスはガクガクと頷く。
「あんた、なんでこんな事……」
「余計な詮索はしない方がいい。ほら、証文に返済完了の印を押せ」
言われるがまま、テレンスは押印した。
「ちゃんと写しの方にも押して、ステラ=ブライトに届けろ。見てるからな」
俺は念を押す。
「わかった。必ずだ」
もうすっかり従順になったテレンスに、更に言葉を続ける。
「それと。もう二度とジョージ=ポッターに金を貸すな」
そして札束をもう一つ机の上に投げる。
「へ? こいつは……」
「契約の金だ。お前は商売人だろう? 意味が解るはずだ」
呆気にとられるテレンスに囁く。
受け取る以上、契約を違える事は許さないという事だ。
「解った。契約だ」
怯えが引き、ゆっくりと一回頷く。
だがまだ安心できない。
俺は残りの札束全部、三つを机に置く。
その上に右手を乗せて、
「お前、娼館と何か別口で契約してるんじゃないか?」
囁けば、テレンスは分かりやすく動揺した。
不愉快極まりないが、サラの価値はかなりのものだろう。
今後難癖を付けて、手に入れようとするかもしれない。
「これで黙らせろ。あの母子に近づけさせるな。お前が関係してなくても、何かあればお前を殺す。文字通り死ぬ気でやれ」
ぽん、と三つ重ねた札束を叩く。
テレンスは頷くしかない。
「それともう一つ。ジョージ=ポッターの居場所を言え。どうせ身柄は押さえてるんだろ?」
身柄を押さえ、支払い能力無しとみたから、サラを連れて行こうとしたはずだ。
「それは……」
テレンスは吐いた。
ジョージはこいつらに捕まって、しばらく監禁されていた事、サラを差し出すからと命乞いをして解放された事。
……腐ってやがる。
「まだ首都に居ると思うか?」
「たぶんな。どこかで酒でも引っかけてんじゃないか?」
あまりのクズっぷりに目眩すら覚える。
「よし。用事は終わりだ。この金を無かった事にしたり、契約を破ったりすれば……解るよな?」
再びナイフを喉元に強く押しつけて告げる。
「おまえの手下は俺に気づきもしなかった。お前自身もな。いつでも、どこでも、俺はお前を殺せる。忘れるな」
「勿論だ。死にたくはねぇ」
テレンスは再び震えだした。
俺はそれを聞き届け、その場を去る。
充分恐怖は植え付けた。
次は……。
ジョージ=ポッターはあっさり見つかった。
ステラと同じ赤茶色の髪をボサボサに、顔に数発分の殴打の跡がある。
テレンスの部下がやったらしい。
奴の言う通り、安酒を瓶ごとあおって、千鳥足でふらふらと通りを歩いてやがる。
後ろから尾行し、やがて路地裏にさしかかる。
ここは物陰が多い。
一気に距離を縮め、背後から左手で口を塞ぎ、右手で髪を掴んで隘路へ引きずり込んだ。
暴れて酒瓶を取り落とすが、俺は爪先で受け止めて派手な音が鳴るのを防ぐ。
ごろごろと転がる酒瓶を尻目に、俺はジョージを壁に押し付ける。
「暴れるな。首をへし折るぞ」
本当は脅しじゃなく、実行したかった。
だがクズでもステラの元夫で、サラの父親だ。
ぐっと堪える。
膝裏を蹴りつけて、跪かせる。
「んー! んー!」
それでも腕を振り回して暴れるので、
どすん
脇腹を爪先で蹴る。
肋骨は折らないように、力加減に細心の注意を払う。
「ぐぅっ!」
くぐもった悲鳴が塞がれた口から漏れる。
「暴れるな。わめくな。振り向くな。解ったら壁を二回叩け」
掴んだ髪を少し引っ張ってやる。
その痛みに反応したのか、ジョージは壁を二回叩いた。
俺は口を塞いだ左手を離す。
「なんだてめ……!」
がん!
途端に喚こうとするジョージの顔面すれすれの壁に、踵蹴りを叩きつける。
ジョージが身を震わせる。
「おい、ジョージ=ポッター。お前頭が悪いのか? 次はその頭を砕く」
ああ、くそ、本当にやってしまいたい!
ジョージはようやく理解した様だ。
動きを止めた。
「借金の話か? もう終わっただろ?」
名を呼ばれた事で、借金関連だと解った様だ。
髪を掴んだまま、額を壁に押し付けてやる。
「ああ、終わったな。胸くそ悪いやり方でな」
軽くジョージの頭を後ろに引いて、壁にぶつける。
「いでっ! な、なんだよ、ちくしょう!」
「うるせぇ。誰が喋って良いって言った? 黙ってろ」
もう一度顔面すれすれに踵蹴り。
今度こそ黙った。
「ジョージ=ポッター。今から俺が言う事をよく聞け。これはお願いじゃない。命令だ。解ったら壁を二回叩け」
ジョージは無言で壁を二回叩く。
「お前はもう二度とこの街で金を借りられない。俺が手を回したからな」
本当は手を回したのはテレンスの一件のみで、他にも金貸し業者は存在するのだが、ハッタリで充分だ。
「なっ!?」
驚きの声をあげるが、すぐに口を閉じた。
「それからな。今後この街でお前を見かけたら、一発殴れってあの連中に言っておいた」
「はぁっ!?」
こいつもハッタリだが、
「解るか。俺はそのくらい影響力があるんだ。お前を今殺さないのはただの気まぐれだ」
右手でナイフを抜いて、こうして刃の腹で頬を撫でれば通じるはずだ。
「おい。解ったら壁を二回だ」
頬の冷たい感触に恐れをなしたか、間をおかず壁を二回叩いた。
「もうこの街にお前の居場所は無い。さっさと出ていかないと、一日と持たずボロ雑巾にされるぞ」
ぶるっとジョージが震える。
「解ったのか?」
壁を二回叩く。
「それとな。万が一お前がとち狂ってこの街に戻ったら……」
かつっ!
壁に当てたジョージの指と指の間に、ナイフを突き立てた。
「ひぃっ!」
これには相当肝を冷やしたらしい。
一瞬ではない震えが、ジョージの身体に広がっていく。
「戻ったら、すぐに見つけて指を一本一本切り取ってその口に突っ込むぞ」
脅しじゃない。
たぶんやってしまうだろう。
そのくらいに俺の頭は怒りで煮えている。
「解ったか?」
ナイフで脅された反対の手で、壁を二回叩いた。
「よし」
俺はジョージを壁から引き剥がし、通りの方へ向き直らせる。
「振り向かずに走るんだ。ひたすらに。城門の外まで」
命令して髪を離した後、チクリ、とナイフの先端でジョージの背中を突いた。
「ひぃあぁっ!」
脱兎のごとくとはこの事か、全速力で走り抜けて行った。
これで片付いた、か。
いきなり全部片付いたら、ステラもサラも妙に思うだろうが、なんとか誤魔化すしかない。
静かな空間に指を弾く音が響く。
残響の中、音も無く一人の女性が現れる。
「グレイ=ランフォード。何用で?」
ケルベロス指令部、エントランス。
ここ最近対応してくれるあの女性職員だ。
「金を引き出したい」
当然ケルベロスにも給料の概念はある。
そしてそれはもれなく高額だ。
持ち歩いたり、自宅に保管する事は不自然で不可能だ。
よってこの指令部に、生活費を除いてほとんどを預けている。
『子犬』の頃から給料は与えられている。
拠点とする場所、俺にとってはあのアパートだが、そこに馴染む為の経費という形で。
もし『黒犬』になれなかった場合、返済義務を負う事になる。
「いかほど?」
「一千万」
無表情だった女性職員の片眉が跳ねる。
俺の預金は立て込んだ任務の手当てもあり、かなりの金額があるが、それでも大金には違いない。
「随分と大金ね。理由を聞いても?」
「言う義務は無いはずだ」
訝しむ職員の言葉にぴしゃりと返す。
まだはらわたが煮えくり返っている。
「少し待って」
女性職員は軽く頷いて、再び奥へ戻った。
あのチンピラどもも、金貸しも、ステラの元夫ジョージも、どいつもこいつもくそったれだ。
あんな連中にサラの人生を狂わせてたまるか。
ややあって、トレイに札束を載せた職員が戻った。
「確認を」
トレイを受付カウンターに置いて、こちらへ滑らせる。
一万オーラムの紙幣、百枚の束が十。
一つ一つ、端をパラパラと弾いて中身を確認する。
「確認した」
頷いて、持参した麻袋につっこむ。
「グレイ=ランフォード。派手な動きはしないように」
女性職員が静かに言った。
思わず睨み付ける。
「どうせ『耳』が監視してるんだろう? 事が済んだらそいつの報告を聞け」
苛立ちまぎれに言い放つ。
「確かに。それでも冷静な判断と行動を」
無表情で忠告してくる。
俺は一度深呼吸をして、怒気を吐き出す。
「ああ。……ありがとう」
多少冷えた頭で、応える。
麻袋を肩に担いで、指令部を後にする。
あの後、サラが目を覚ますまで俺は彼女の側にいた。
ステラが引き留めたのと、俺自身の意思からだ。
ベッドの側に椅子を置き、苦しそうに眉間に皺を寄せるサラの寝顔を見つめた。
そして目を覚まして開口一番、彼女は消え入りそうな声で言った。
「嫌だよ。こんなの、嫌……」
うっすら涙を浮かべて。
アメシストの瞳に影を落として。
この表情だ。
六年前、ジョージがまだ居た頃、サラはよくこんな沈んだ表情をしていた。
奴は酒を飲んで、暴れ、金をせびってわめいていた。
俺の部屋にも響くほどに。
そんな事がある度に、ステラはサラを室外に逃がし、俺に保護を求めた。
やむなく受け入れたが、十二才の少女とは思えないほどに暗い雰囲気を纏っていた。
当時は辛気くさくて、面倒でたまらなかった。
訓練は苦しかったし、馴染む為の日銭稼ぎとの両立でかなり疲れていたから。
だが、今は違う。
サラの目尻からとうとう涙が流れ落ちた。
胸が痛む。
そっと指先で水滴を拭ってやると、その手が取られた。
細い、ガラス細工の様な繊細さを感じる、冷たい手だった。
「大丈夫だ。なんとかなる」
その手を握り返して、できる限り柔らかい口調で言ってやる。
だがこのままではどうにもならない。
奴らの言う通り、捺印されてしまっている以上は法的な拘束力が生じてしまう。
ジョージを捕らえて証言を取ったとしても、今の法では無効にできない。
それに訴えている間に、返済期限を迎えてしまう。
俺がこれから行う方法は、きっと危険で、間違ってる。
下手を打って俺の身分がバレたら、ケルベロスに消されかねない。
しかし俺の手を両手で握って、幼子の様に泣いたサラを見たら……もう動かずにはいられない。
彼女が泣き疲れて眠るまで、ずっと手を握った。
その翌日の夜、期限が残り一日となった今、俺は『テレンス=ビッグス』の屋敷に侵入した。
素人の群れなど居ないも同然で、気づかれる事も無く、あっさりと入れた。
奴の寝室兼仕事部屋に潜む。
テレンスが何やらぶつぶつと呟きながら室内に入って、無駄に派手な机の前に置かれた椅子に粗雑な動きで座った。
それを見届けて、動く。
背後から右手で口を塞いで俺の腹に頭を押し付けて、固定する。
同時に左手のナイフを喉元に突きつける。
「!」
びくっとテレンスの肩が跳ね、もがこうとしたが、
「動くな」
俺の言葉と、喉に押し付けられた刃の感触に、動きを止めた。
「両手を机の上に出せ。大きな声を出せば殺す。大きな物音を立てても殺す。解ったか?」
少し声を変えるくらいは訓練されている。
普段とは違う声で告げる。
テレンスは両腕を机の上に静かに置き、小さく、何度も頷いた。
「よし」
口を塞いでいた右手を離す。
「てめぇ、何もんだ。こんな事して……!」
すぐに、小声だが悪態が飛び出す。
それをナイフを押しつける強さを増して、遮る。
「死にたいのか?」
「ぐっ」
続いて耳元で囁いた俺の言葉に、喉の奥で息を詰まらせた。
テレンスは中年で、茶色の髪を真ん中分けにした小男だった。
「いいか。お前は今、俺に命を握られてる」
奴の頭髪から整髪油の不愉快な臭いが、覆面越しに届く。
テレンスがまた小さく、何度も頷いた。
「ジョージ=ポッターの証文を出せ。静かにな」
テレンスは無言で頷き、左手を動かして、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。
あの『アニキ』が持っていたのは写しだ。
これが原本のはずだ。
奴自身の前に置かせ、左手を再び机の上に置かせた。
「元金は五百万オーラム。利子を含めて六百万オーラム。間違いないな?」
「あ、ああ」
俺の問いに小声で答えた。
右肩にぶら下げていた麻袋から、札束を取り出す。
一つ、また一つと。
合計六つ。
「こ、これは?」
不安げにテレンスが呟く。
「金だ。見慣れてるだろ? 確認しろ」
積み上がった札束を右人差し指で、とんとんと叩いて命令する。
それを見て、テレンスが札束を手に取って確認していく。
「確かに揃ってるな?」
「そ、揃ってる」
ごくり、と生唾を飲み下して答える。
「じゃあこの借金は終わりだ。そうだろ?」
ナイフの押しつける力を緩めてやる。
テレンスはガクガクと頷く。
「あんた、なんでこんな事……」
「余計な詮索はしない方がいい。ほら、証文に返済完了の印を押せ」
言われるがまま、テレンスは押印した。
「ちゃんと写しの方にも押して、ステラ=ブライトに届けろ。見てるからな」
俺は念を押す。
「わかった。必ずだ」
もうすっかり従順になったテレンスに、更に言葉を続ける。
「それと。もう二度とジョージ=ポッターに金を貸すな」
そして札束をもう一つ机の上に投げる。
「へ? こいつは……」
「契約の金だ。お前は商売人だろう? 意味が解るはずだ」
呆気にとられるテレンスに囁く。
受け取る以上、契約を違える事は許さないという事だ。
「解った。契約だ」
怯えが引き、ゆっくりと一回頷く。
だがまだ安心できない。
俺は残りの札束全部、三つを机に置く。
その上に右手を乗せて、
「お前、娼館と何か別口で契約してるんじゃないか?」
囁けば、テレンスは分かりやすく動揺した。
不愉快極まりないが、サラの価値はかなりのものだろう。
今後難癖を付けて、手に入れようとするかもしれない。
「これで黙らせろ。あの母子に近づけさせるな。お前が関係してなくても、何かあればお前を殺す。文字通り死ぬ気でやれ」
ぽん、と三つ重ねた札束を叩く。
テレンスは頷くしかない。
「それともう一つ。ジョージ=ポッターの居場所を言え。どうせ身柄は押さえてるんだろ?」
身柄を押さえ、支払い能力無しとみたから、サラを連れて行こうとしたはずだ。
「それは……」
テレンスは吐いた。
ジョージはこいつらに捕まって、しばらく監禁されていた事、サラを差し出すからと命乞いをして解放された事。
……腐ってやがる。
「まだ首都に居ると思うか?」
「たぶんな。どこかで酒でも引っかけてんじゃないか?」
あまりのクズっぷりに目眩すら覚える。
「よし。用事は終わりだ。この金を無かった事にしたり、契約を破ったりすれば……解るよな?」
再びナイフを喉元に強く押しつけて告げる。
「おまえの手下は俺に気づきもしなかった。お前自身もな。いつでも、どこでも、俺はお前を殺せる。忘れるな」
「勿論だ。死にたくはねぇ」
テレンスは再び震えだした。
俺はそれを聞き届け、その場を去る。
充分恐怖は植え付けた。
次は……。
ジョージ=ポッターはあっさり見つかった。
ステラと同じ赤茶色の髪をボサボサに、顔に数発分の殴打の跡がある。
テレンスの部下がやったらしい。
奴の言う通り、安酒を瓶ごとあおって、千鳥足でふらふらと通りを歩いてやがる。
後ろから尾行し、やがて路地裏にさしかかる。
ここは物陰が多い。
一気に距離を縮め、背後から左手で口を塞ぎ、右手で髪を掴んで隘路へ引きずり込んだ。
暴れて酒瓶を取り落とすが、俺は爪先で受け止めて派手な音が鳴るのを防ぐ。
ごろごろと転がる酒瓶を尻目に、俺はジョージを壁に押し付ける。
「暴れるな。首をへし折るぞ」
本当は脅しじゃなく、実行したかった。
だがクズでもステラの元夫で、サラの父親だ。
ぐっと堪える。
膝裏を蹴りつけて、跪かせる。
「んー! んー!」
それでも腕を振り回して暴れるので、
どすん
脇腹を爪先で蹴る。
肋骨は折らないように、力加減に細心の注意を払う。
「ぐぅっ!」
くぐもった悲鳴が塞がれた口から漏れる。
「暴れるな。わめくな。振り向くな。解ったら壁を二回叩け」
掴んだ髪を少し引っ張ってやる。
その痛みに反応したのか、ジョージは壁を二回叩いた。
俺は口を塞いだ左手を離す。
「なんだてめ……!」
がん!
途端に喚こうとするジョージの顔面すれすれの壁に、踵蹴りを叩きつける。
ジョージが身を震わせる。
「おい、ジョージ=ポッター。お前頭が悪いのか? 次はその頭を砕く」
ああ、くそ、本当にやってしまいたい!
ジョージはようやく理解した様だ。
動きを止めた。
「借金の話か? もう終わっただろ?」
名を呼ばれた事で、借金関連だと解った様だ。
髪を掴んだまま、額を壁に押し付けてやる。
「ああ、終わったな。胸くそ悪いやり方でな」
軽くジョージの頭を後ろに引いて、壁にぶつける。
「いでっ! な、なんだよ、ちくしょう!」
「うるせぇ。誰が喋って良いって言った? 黙ってろ」
もう一度顔面すれすれに踵蹴り。
今度こそ黙った。
「ジョージ=ポッター。今から俺が言う事をよく聞け。これはお願いじゃない。命令だ。解ったら壁を二回叩け」
ジョージは無言で壁を二回叩く。
「お前はもう二度とこの街で金を借りられない。俺が手を回したからな」
本当は手を回したのはテレンスの一件のみで、他にも金貸し業者は存在するのだが、ハッタリで充分だ。
「なっ!?」
驚きの声をあげるが、すぐに口を閉じた。
「それからな。今後この街でお前を見かけたら、一発殴れってあの連中に言っておいた」
「はぁっ!?」
こいつもハッタリだが、
「解るか。俺はそのくらい影響力があるんだ。お前を今殺さないのはただの気まぐれだ」
右手でナイフを抜いて、こうして刃の腹で頬を撫でれば通じるはずだ。
「おい。解ったら壁を二回だ」
頬の冷たい感触に恐れをなしたか、間をおかず壁を二回叩いた。
「もうこの街にお前の居場所は無い。さっさと出ていかないと、一日と持たずボロ雑巾にされるぞ」
ぶるっとジョージが震える。
「解ったのか?」
壁を二回叩く。
「それとな。万が一お前がとち狂ってこの街に戻ったら……」
かつっ!
壁に当てたジョージの指と指の間に、ナイフを突き立てた。
「ひぃっ!」
これには相当肝を冷やしたらしい。
一瞬ではない震えが、ジョージの身体に広がっていく。
「戻ったら、すぐに見つけて指を一本一本切り取ってその口に突っ込むぞ」
脅しじゃない。
たぶんやってしまうだろう。
そのくらいに俺の頭は怒りで煮えている。
「解ったか?」
ナイフで脅された反対の手で、壁を二回叩いた。
「よし」
俺はジョージを壁から引き剥がし、通りの方へ向き直らせる。
「振り向かずに走るんだ。ひたすらに。城門の外まで」
命令して髪を離した後、チクリ、とナイフの先端でジョージの背中を突いた。
「ひぃあぁっ!」
脱兎のごとくとはこの事か、全速力で走り抜けて行った。
これで片付いた、か。
いきなり全部片付いたら、ステラもサラも妙に思うだろうが、なんとか誤魔化すしかない。
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