玉座の檻

萌於カク

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踏みつけられた銀時計

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 アミーユ・ル・レルシュは、士官学校を卒業し、三年ぶりに自宅に帰ってきた。サロンからは、楽しげな一家だんらんの声が聞こえてくる。
 
 懐かしいはずの我が家が、アミーユにとっては、足をすくませるものでしかなかった。アミーユの柔らかく巻いた金髪は不安に震え、碧がかった青い目は緊張に揺れていた。

♰♰♰

 アミーユにとって父母とは、遠くから眺めるだけのものだった。
 伯爵の父は立派で、伯爵夫人の母は美しい。幼い心に敬慕の対象となった。その父母の光景に、弟のゲイルが加わった。

 二つ歳下のゲイルが生まれてから、留守がちだった父母はゲイルにつきっきりになった。ゲイルが何かするだけで一喜一憂した。立つだけで喜び、熱を出すだけで騒いだ。

 なのに、アミーユが父母に寄っていけば、いつも「あとでね」と素っ気なく拒絶された。

 父母に笑いかけられることも、頬ずりされることも、ゲイルだけに与えられるものだった。
 ゲイルが転べば父母は駆け寄ったが、アミーユが転んでも気が付くことすらなかった。

 使用人が、母親に、アミーユが転んで怪我をした報告をしたときのことである。
 母親は、何の気まぐれか、アミーユににっこりとほほ笑んだ。
 
 ―――あら、アミーユ、泣かなかったのね。良い子ね、えらいわ!

 そのときの言葉とほほ笑みが、アミーユに強く作用した。
 母上が僕にほほ笑んでくださった! 
 良い子でいれば、僕を見てほほえんでもらえる!
 
 アミーユは6歳で寄宿舎付きの幼年学校に入った。
 幼年学校ではトップの成績を保ってきた。もともとの能力もさることながら、人一倍努力をした。
 しかし、アミーユの勝ち取った賞状やメダルは棚に飾られることもなく、暖炉の上に並ぶのはゲイルの絵や工作ばかりだった。

 ゲイルが幼年学校ではなく、王都の貴族学校に自宅から通学することを知ったときには、ショックを受けた。
 自分は遠くに追いやったのに、ゲイルは手元に置いておくのか。憤りと悲しみとに交互に襲われた。しかし激情を抑え込んで、何とか自分を宥めた。

 父上と母上が俺に厳しくなさるのは、俺は後継者として強くあらねばならないからだ、甘えてもいいゲイルとは違う。俺は決して愛されていないわけではないのだ。

 15歳で士官学校に上がるころには、父母が自分には一滴の愛情も抱いていないことがわかってきた。もう愛されたいなどと思うのはやめた。しかし、そう心に決めること自体が愛されたいという欲望を捨てきれないということだった。

 それでも俺は後継者だ。俺の存在をいつまでも無視し続けるわけにはいかない。
 父上も母上も、いずれ俺を受け入れなければならないときが来るはずだ。
 
 アミーユは、歯を食いしばって武芸に学業に励んだ。
 そして、ついにそのときが来た、今や父母も俺を受け入れざるを得まい。

 アミーユは、手のひらの丸いものをぎゅっと握った。
 父上も母上も、すでに俺の評判を聞きつけているに違いない。
 レルシュ伯の息子は、このたび王立軍第一師団第一隊長として迎えられることになった、と。

 アミーユは、サロンの入り口の前で、くじけそうになる自分を奮い立たせた。
 俺は、もう、一人前の軍人だ。親の庇護など必要としない。今日はそれを宣言する日だ。

 しかし、もしも、あなたたちが俺に少しでも情愛を与え直すというのであれば、俺にもあなたたちを受け入れる寛大さはある。

「ただいま戻りました」

 アミーユはドアを開け放ち、威勢の良い声を上げた。

 金髪碧眼の近寄りがたい美貌のアミーユは、めったに笑うことがなかったが、そのときは精一杯の笑顔を浮かべていた。

 一家の団らんはアミーユの出現に凍り付く。

 伯爵とゲイルの楽し気な会話は途絶え、夫人の笑みは引っ込む。

 団らんの温かな空気が、自分の出現で、またしても冷え切った。これまで何度も経験してきたこと。アミーユの唇の端がわなないて、笑みを上手に作れなくなってしまう。

 自分と家族との間の見えない壁。その壁の向こうに入りたくて、温かい空気に包まれたくて、柔らかな笑顔を向けられたくて、ずっともがいてきた。もがきあぐねて、やがて、もがくことにつかれて諦めた。

 しかし、いまだ拒絶に傷つくアミーユがいた。鼻の奥にツンとくる痛みがある。
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