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メテル・アヌンナキの獣 その2
しおりを挟む”太古の叡智の遺物”、神狩りといえばこの存在は欠かせないものだ。人には過ぎた代物だが、神格と戦うにはこれ以上の物はない。と言っても、一概に異物は兵器ではない。石切りを効率的にするコーティング剤など特に革新的とも思えたりするが、一度武器に転用すれば斬れぬ物が無いと見紛うほどの剣を作り出せたりする。
神狩りは本文の悪神や荒神を狩るだけでなく、遺物の破壊や回収の使命も受け持っていた。寧ろ大体の仕事が遺物関連のものだった。手に余る物か、それとも富を与える物か、もしくは破壊不可能であれば永遠に封印するのか、様々な決断をしてきた。
だから、これはあくまで私個人の見解だが、遺物は神が人に与えた支配や繁栄の神器でもあり、人がその手で作った神殺しの兵器でもあるのだろう。特に、今まさに私たちの目の前にいる”外なる神”が生み出した怪物を殺すために、その力は必要だ。
メテル・アヌンナキの獣が屋根の上から降りて、四つん這いの姿勢のまま私と正面から向き合う。昔、師匠と旅をしていた頃にこいつと交戦したことがある。生きた人間と別の生き物が継ぎ接ぎにされ、正気を失ったまま荒れ狂うのだそうだ。奴は突然誕生する。言い伝えでは、メテル・アヌンナキが天界から玩具のように選ばれた生き物の四肢や首を捥いで、その時の気分で組み合わせた完成品を、また人間界に解き放つのだそうだ。随分と外道で迷惑極まりない神だ。
獣が姿勢を低くしたかと思うと、もうすでに私の目の前に詰め寄って鋭い爪の手を振り上げていた。五指の人の手の形をしている。後ろに跳び退いて、どこに隙があるのかよく観察する。肝心の蛇が負傷で本調子ではないため、私の自力が試される戦いになるだろう。
私が回避や受け流しから剣で何度も斬り付けているが、あまり深く入らない。皮膚の質や厚みが複雑化してあまり重くない一撃では通りが悪そうだ。硬いものが斬れても、こういう特殊な弾性があったりするものとはあまり相性はよくない。それに、こいつは凄まじい速さで傷を修復しやがる。
ハーヴィが周囲の荷馬車を踏み台にして獣の背に飛び乗ると妙な悲鳴をあげた。彼はそのまま引き攣った顔で獣の頸目掛けて斧槍を突き刺すが、獣は背中を波打たせてハーヴィを弾き飛ばした。偶然にも彼は私のすぐ近くに落ちて来て、上手く受け身を取りながら立ち上がった。
「無事か?」
「この程度なら何ともない。あいつの背中は気持ち悪かったなあ。いくつもの生き物の背骨が無理やりくっつけられたような見た目だった。」
「メテル・アヌンナキの獣だ、どれだけの生き物を吸収合体したのかは計り知れない。」
「ああ、あとそういえば一個収穫があったぜ。刺突なら、あの手応えが気持ち悪い皮膚もよく通る。ただ、硬いからそれなりに力がいるぜ。」
「そいつは僥倖だな。あとは傷の修復さえどうにかすればいい。」
「傷を焼いて潰す作戦はどうだ? ちょうどバケモンの向こう側の荷馬車に油瓶があった。武器に火をつければ、傷つけた後に焼く二度手間は要らなそうだぞ。」
「一旦はそれで行こう。神が干渉で無尽蔵な修復力を与えてなければ、有効打になるはずだ。」
二人で左右に分かれ、獣の注意を分散させる。こいつの知能はかなり高そうだ。明らかに危険度を察知して動いている。さっきのハーヴィの一連の攻撃で、今は警戒の比重が少し彼に寄っている。だが、こいつは迷わず最初に私を攻撃した。私が神狩りだとわかっていたのか?
じりじりと様子を伺っていると、獣が咳をした。そして病が重そうな老人のように連続で咳をして、最後の咳と共に赤い炎を吐いた。炎はハーヴィの方へ燃え広がり、彼は慌てて走ってさっき獣が乗っていた建物へよじ登った。
「おい、どういう冗談だこいつは! レイ、この炎は間違いないよな!」
「ああ、業火だ! こいつは炎帝軍の火の騎士以上の存在が融合しているのは間違いなさそうだ!」
獣は業火を吐き終えると標的を私でもハーヴィでもなく、リナリアたちが逃げた方角へと駆け出した。
まずい、あの最初の衝突の瞬間は見間違いでは無かったか。奴は私を攻撃した後、一瞬だけリナリアを見ていたのだ。奴の狙いはリナリア、なぜ狙われるのかは今となっては心当たりしかない。
「ハーヴィ、私が奴を追う! 油瓶を持ってきてくれ!」
「業火を吐く奴に効くのか!?」
「知るか! とにかく持って来い!」
獣は大修道院の玄関口の鉄格子の門に衝突する。中の聖騎士たちが巨大な怪物がぶつかった音で狼狽えていた。彼らに怪物と戦う経験があるとは到底思えない。
獣は業火を纏った牙で門に齧りつくと、鋼鉄を業火で融解させて大きな穴を開ける。
まずいまずい、これ以上進ませるわけにはいかない。
『蛇! 力を貸せ。私をあの獣の背中まで運び、お前は首に巻きついて動きを抑えろ!』
ーーおい流石に扱いが荒っぽくないか? 俺はまだ重症患蛇なのだが。
『後であの獣の核はくれてやる。悪くない提案だろう? かなりの力を吸収できるはずだ。』
ーー案外••••••悪くないかもしれないな。傷もすぐに完治するかもしれん。それなら俺に名を与えろ。
意外と早く納得をしてくれたため、私は目を閉じて、この干渉状態のまま蛇に力となる名を唱える。
『古き神の一柱の”蛇影単語”よ、忌々しい外なる神の異形を葬るため、この私に力を貸したまえ。』
その場で膝をついて屈むと、私の影が広く円形に広がる。そしてその中から人間一人がちょうど乗れるほどの影の大蛇が頭で私を持ち上げた。私は左手で蛇の頭頂部にしがみつくと、蛇は影の中から身体を伸ばして一気に獣まで距離を詰める。
蛇が口を開けると同時に私は跳躍し、剣を両手持ちで切先を獣の背中の中心に向けて飛び掛かった。蛇は獣の首に巻き付いてそのまま叩きつけ、私の剣はそのまま根元まで獣の体に突き刺さした。
そのまま剣に力を込める。義手の増幅された腕力とルーンソードの切れ味で弾性のある皮膚ごと背中を思い切り斬り裂く。
獣は絶叫し、蛇影を爪で切り裂こうとするが蛇影は一瞬で獣の影に入り込んで姿を消した後、獣の死角の影から飛び出し、体当たりで獣を門の壁面にめり込ませる。
獣はぴくりとも動かなくなり、ようやくハーヴィが後から駆けつけて彼は終わってしまったことに愚痴を溢した。
「さては俺に油瓶を拾いに行かせて手柄を独占する算段だったな。」
「んな訳あるか。今のうちにこいつの身体を焼き斬るぞ。傷は深いが、治癒されてはたまったもんじゃない。」
ハーヴィから油瓶を受け取り、蓋を取って剣にかけようとした瞬間、蛇が私の腕に巻きついた。
『どういうつもりだ、蛇よ。』
ーーレイ、急いで離れろ! こいつに火は効かん、じきに爆発する!
蛇がそう言った瞬間、獣が口から僅かに炎を吐いた。まずい、やはり業火の力が・・・・・・
「まずいハーヴィ、退避するぞ! 蛇影、私たちを遠ざけろ!」
蛇影は飛び出すとハーヴィと私に軽く噛み付いて獣が空けた門の穴を通り、できる限り距離を離す。聖騎士たちは蛇に驚いて、こちらに剣を向け、ハーヴィは動揺のあまり絶叫していた。
そして獣は身体中から業火を噴き出して爆発した。爆心地の門が熱で溶け落ちるのが見え、爆発の衝撃で聖騎士達はひっくり返っている。
赤く燃え上がる炎の中からゆっくりと動く存在がいる。蛇影に降ろしてもらい、私たちはその存在と対峙する。
先程のメテル・アヌンナキの獣だが、全身に業火を纏い、そして鋼鉄の門と融合して硬い鎧が全身を覆っていた。
「こいつは火が効くとは到底思えんな。」
「良い作戦だと思ってたんだがな。」
ハーヴィは油瓶を投げ捨て、斧槍を構える。
正直こうなると、蛇影の力だけでどうにか出来る気がしない。かくなる上は、蛇が本調子ではないため私の身も削ることになるかもしれないが、あれを使わざるを得ないか。
蛇にそう伝えようと思った矢先、何者かが門の上から飛び降り、持っていた大刀で目にも留まらなぬ速度で獣の四肢を背後から斬りつけた。
そのままの勢いで私たちの元まで駆け寄り、特徴的な頭を覆う大きな菅笠と和装から、狂血過客だとわかった。
「お前は・・・・・・。」
「俺は夜叉だ、覚えておけ。」
夜叉は大刀を構え直す。自身の身の丈と同じぐらいの刃を振り回すのは相当な筋力と技量がないとできないだろう。もしかすると、狂血過客の中では頭ひとつ抜けた実力者かもしれないな。
「俺たちの血の腐食なら生身の箇所に効いた。問題は鋼鉄の鎧だ。あれが邪魔であまり生身に腐食が通らん。」
「それなら、隙があれば私の剣で粉砕できるかもしれない。さっきまでは変な質の皮膚に苦戦していた。斬れる物になったなら、叩き斬るさ。」
相容れない者同士だが、ここは臨時で手を組むしかない。
狂血過客が登場したからか、聖騎士たちは私たちよりも後ろに下がり、突破された時の最後の壁としての防衛に徹した。無駄に私たちと前衛を張られるよりは邪魔にならないので、内心助かる。
「なら、俺があの化け物の気を引こう。」
ハーヴィは自身満々でその場で屈伸をしながら、笑っていた。
「大丈夫なのか?」
「心配には及ばない。俺はノーデン最強の戦士だからな。」
そう言うと突出して拾い上げた瓦礫の破片を投げ、それは獣の頭に直撃した。獣の注意はハーヴィに向き、奴は彼に向かって飛び掛かった。
ハーヴィ・ヤヴンハール、彼の伝説はかねがね聞いている。大陸のシテ王国でのカール三世の防衛軍を打ち破って降伏させ、神狩りでも手練れだったコンスタンティヌス殿と一騎打ちをし、驚くことに打ち破っている。他にも近年のノーデンの内乱における英雄として彼は何度も詩となっている。彼は一騎当千の怪物なのだろう。
彼が作ってくれた隙を無駄にするわけにはいかない。
剣を構えて、獣の側面に入る。私のその様子を見たハーヴィは獣の正面へと回り込み、振り下ろされた爪を斧槍で受け止める。動きが一瞬だけ止まった、本当にありがたい。
蛇影を足元から出して跳躍し、落下の勢いを剣に乗せながら縦一文字に振り下ろす。獣の胴体の鎧が砕け散り、さらに追い討ちをかけるように蛇影が頭突きを当てて獣は壁面に叩きつけられた。夜叉はそれを見逃さずに血濡れの大刀で鎧が壊れた箇所を斬る。妙な揮発する煙が傷口から出て、獣の身体が部分的に溶け落ちた。
「いいぞ! 効いている!」
「俺の血刃は修羅と羅刹のものとは違う。あの未熟者共とは格が違うのだ。次は脚を狙え、動きを奪って一気に殺すぞ。」
夜叉は狂血過客の中では随分とお喋りなようだ。
獣が立ち上がろうとする。なら、脚を奪うなら今のうちが間違いなく良いだろう。
蛇影の頭にしがみつき、右手に持った剣に力を込める。蛇影が立ち上がったばかりの獣の脚をそれぞれ縫うようにぐるぐると周回する。私は順々に四本の脚の鎧を、義手による人の力では出ない腕力とルーンソードの斬れ味で破壊する。そして夜叉は四本の脚の鎧が壊れたのと同時に、大刀を抜刀術のように構える。私は蛇影を自身の影に仕舞うと、予測できる太刀筋の範囲から逃れる。
脚の鎧が壊された獣は私に注意を向けて、口を開ける。こいつは業火を吐くつもりだな。
緊急回避のために再び蛇影で移動しようとした矢先、獣がバランスを崩して私のすぐ頭上に業火を吐いた。幸いなことに、髪が焦げたりすることはなかった。
獣は業火を吐き終えてそのまま倒れた。夜叉によって四肢を斬られ、傷口は腐食してもう立つことも出来なさそうだった。
「全く、手こずらせやがって。この面子じゃなかったら、もっと骨が折れただろうな。」
ハーヴィはそう言いながら獣の頭を斧槍でぶん殴る。私の剣とは違って、彼の武器では鎧の破壊は到底出来なさそうだ。ハーヴィに見せつけるようにルーンソードで獣の頭鎧を砕く。
ハーヴィが何か言いたげな顔で私を見るので、私は剣を見せつける。
ーーレイ、とどめを刺す前に俺に喰らわせろ。この苦労が報われないと、困るのは俺もお前も一緒だぞ。
『わかったよ、少し時間稼ぎするから胴体の傷から中に入って喰らって来い。』
影蛇が身体を小さくして私の影からこっそりと飛び出し、獣の胴傷に向かう。
「おい夜叉、メテル・アヌンナキの明らかな襲撃だが、奴との間に何かあったのか?」
「さあな、だが今回の議題にそれに関連した件があるのは確かだ。有力者たちはお前にその件の依頼をするつもりだ。」
「さっきから思っていたが、随分と話すな。それに、今言った内容はお前の主君に対してかなりグレーな行動じゃないか?」
「俺は最古参だ、エゼルフリダも俺の意見には逆らえん。なんたって俺はかつての教育係だったのだからな。元々の忠誠は女神フィニカスにある。」
夜叉の言葉や態度には不思議と敵対者の雰囲気はなかった。それどころか彼は思わぬ過去を語った。元々女神に仕えていた、黄金神族の眷属か••••••。
「さてと、そろそろとどめを刺そう。正直お前たち二人と戦えて光栄に思うぞ。」
らしくない男だ。ハーヴィならまだしも、敵対するべき存在の私に対してもそのように評するなんて。
夜叉が大刀を構えた瞬間、何がか上から獣に目掛けて降ってきた。その衝撃で私たち三人は吹き飛ばされ、石畳の地面の上を転がった。
ーーし、死ぬかと思ったぜ。ちょうど食事を終えられたから良かったが、考えられる中で一番最悪な奴が来たぞ。
『無事で何よりだよ、蛇野郎。』
身体を起こして落ちてきた存在に目を向けると、そこに大男が獣の上に乗っていた。私の三倍はあろう体躯で手足は長く、腰巻きに胸当て、鶏冠の付いた兜、まるで古代の重装歩兵のような装いだ。そしてそいつはそれぞれの刃の長さが異なる二又槍を獣に突き刺していた。
大男が右手で槍を握りしめると、二又の刃の間から赤い炎が吹き出し、メテル・アヌンナキの獣を焼いた。そしてそれは塵も残さず完全に焼き尽くしたのだ。業火の炎、間違いない、あの槍は太古の叡智の遺物の”業火”そのもので、その持ち主はこの世でただ一人、黄金神族の炎帝イグマルスだ。彼が槍を引き抜くと、二又の刃はひとつの業火の刃に変わっていた。
「炎帝イグマルス、到着は明日だとフォボスから送られた伝書鳩で知ったが、随分速いじゃないか。」
夜叉はそう言いながら立ち上がる。炎帝はそれに対して思ってたよりも美しい顔をこちらに向ける。だが表情は険しく、冷酷な印象を感じる。
「夜叉か、久しいな。相変わらず不遜な態度の男だ。」
「おい、そいつはないだろう。戦いの基本を全ての黄金神族に教えた男だぞ俺は。」
おい待てと思わず言いたくなることばかりが明らかになっていく。夜叉は黄金神族を鍛えた男だったのか。
夜叉はそのまま炎帝と少し世間話を始める。
「おいレイ、俺たちはこの辺で撤退しよう。俺も炎帝とはあまり関わりたくないぜ。」
「ああ、私もそうしたい。」
ハーヴィと共にこそ泥のようにその場から離れる。視界から彼らが見えなくなったところで共に駆け出し、後ろで待機していた聖騎士たちを掻き分けてそのまま大修道院の建物の中に入る。
長い廊下を真っ直ぐ進み、途中で遭遇した衛兵を一人捕まえて、リナリア達が向かった先を聞いた。運良く、その兵士は彼らを医務室に案内した張本人で、私たちも彼の案内で医務室へと向かった。
「おおっ、五体満足で戻れたのかお前ら。」
木製の背もたれの無い椅子にグンナルは腰掛けていて、第一声が五体満足で現れたことの関心とは、ノーデン人という奴は相変わらずだ。
「グンナル、お前一人なのか?」
ハーヴィが彼に問いかけると、グンナルはすぐにそれを否定した。
「エグバード卿は今は眠っている。幸いなことに命に別状は無さそうだ。良かったなレイ、お前のパトロンが死なずに済んで。」
「それもそうだが、リナリアはどこに行った。彼女は無事なのか? なぜお前と一緒にいない!」
グンナルに詰め寄ると、彼は慌てて後退りしながら立ち上がり、椅子を倒して転びかけた。
「おいおい、ちょっと待て。ちゃんと一緒にいる。怪我の有無にかんして無事かどうか説明すれば、もちろん無事だ。だが、それ以外の意味で言えば、正直意味不明なことが起きて無事とは言い難い。そこのベッドだ。あと大声はここで出すなよ。」
グンナルを押し除けて、彼が指差すベッドへ行く。そこには布団に包まった何かが小刻み震えていた。
「リ、リナリアなのかお前は?」
布団の塊は小さなか細い声で「はい」と答えた。この声は聞き覚えのある少女の声だ。
「どうして隠れる。とりあえず、何かあったなら私に見せてみろ。女同士でしか、できない相談もあるだろう。」
彼女が被っている布団を掴むと、剥がされないと彼女は引っ張る。何か、反抗期を相手している気分で、昔の自分も思い出して腹立たしく感じる。
少しだけムキになって無理矢理布団をひっぺ返すと、布団の下からはいつもの金髪ではなく、美しいくらいに赤い頭髪が現れ、不安そうな翠の瞳で私たちを見つめていた。
「・・・・・・誰だお前。」
「うわああああああ! 返してええええ!」
リナリアの声の赤毛の少女は、泣きそうな顔で私から布団を取り戻そうとするが、私の右腕の義手の握力で掴んだ布団を奪い返せるわけもなく、呆然と力強く布団を掴む私と、リナリアのような少女が布団を取り戻そうとする滑稽な状況が続いていた。
そこでグンナルが大きな咳払いをし、私たちは彼の方を見る。
「レイ、俺が証人として保証するが、その少女は間違いなくリナリアだ。彼女と共にエグバード卿を医務室に連れて行く最中に、突然頭髪の色が変わったんだ。」
うむ・・・・・・間違いなく、蛇と取っ組み合った時の覚醒が原因だよな。だが、金糸が覚醒したなら黄金神族に近づいたと思うのが妥当だから、元の髪色の方が相応しそうに思うのだが。
「リナリア、赤髪と翠眼と聞いて何か心当たりはないか?」
「父上も母上も金色の髪色で元の黒い瞳でした! 全然思い当たる節はありません!」
「隔世の覚醒だと考えるのが今は妥当だ。私も、昔とある国の王族で数世代ぶりに先祖の神の力に目覚めた者と会った事がある。その時は珍しい依頼でな、師匠が相談役となって力の扱いについて教えることになった。お前にも、先祖の王族の起源とかにそんな容姿の記録があればと思ったんだがな。」
リナリアは震えるのをやめて、布団の中から出て来る。
「その可能性は・・・・・・かなり高いと思います。でも記録を追うならどのみち白鯨海を越えて王国に行かなければならないですよね。」
「お前の血はホワイトランドに所縁あるはずだ。まずはこの大修道院の書庫に歴史書でもないか調べてみるのも手だろう。」
彼女と相談話を続けていると、隣の寝台から呻き声が聞こえた。どうやらエグバード卿が意識を取り戻したようだ。
リナリアに彼の側のカーテンを開けてもらうように頼む。
「エグバード卿、安静に。ここは大修道院の医務室だ。」
グンナルがすぐに身体を起こそうとする彼を支え、水の入ったコップを渡す。エグバード卿は彼に感謝を述べながら受け取って、一口水を口に含んだ。
「本当にありがとう。命を救われてしまったな。またお前にもな、レイ・スカーレット。」
「久しぶりだな、チュオウルフ。資金援助については本当に助かっているよ。」
「なに、聖母様の教えの下の信念に従っているだけだ。エズメラルダの様子はどうだ?」
「相変わらずじゃじゃ馬だよ。快適にあそこで過ごしてもらうのも一苦労だ。」
「ははは、その様子だと。割と力技で居させているようだな。」
リナリアが困惑したように、ベッド越しの私たちの会話を聞いている。
「そうだ、紹介が遅れた。エグバード卿、彼女はクリフォート王国の王女リナリアだ。リナリア、彼は私にあの家と資金援助をしてくれているハイランディア王国の大貴族のチュオウルフ・エグバード卿だ。彼はエズメラルダの父だ。」
再び水を飲もうとしていたエグバード卿は思わず水を吹き出し、グンナルは驚きで仰け反っていた。その横で、ハーヴィが小さく言い忘れたと呟いている。
「レイ・スカーレット! クリフォート王国の王女とはどういうことだ!」
これまでの数日間の出来事を、エグバード卿にできる限り噛み砕いて説明する。彼はかなり難しい表情を浮かべ、ベッドの上で頭を抱えて、それから腕を組んで壁に寄りかかり、後頭部を軽くぶつける。
「考えられることは山ほどある。最も疑わしくは、醜王ラカーンだろう。それにしても、よくお前が円卓議会に呼ばれたな。常に居所が不明の人間のくせに。」
「ああ、それは狂血過客に襲われた挙句、棘の聖女に選択肢を限定された結果だな。」
「ノーディンガムであの大暴れをしたのが原因だろ。あの後の事態の沈静化は大変だったんだぞ。」
ハーヴィは何か埋め合わせをしろと言わんばかりの態度で言い放った。
それよりも、炎帝が現れたことが問題だ。いや、円卓会議が招集されているのだから居てもおかしくないのだが、リナリアが問題だ。彼女は間違いなく炎帝に対する憎悪を抱いている。もしも出逢えば、どんな行動を起こすかいくつか想像がつくし、最悪の結末もいくらでも起こり得る。今すぐこの大修道院から逃亡して、チュオウルフの言った醜王の手がかりを頼りに地道に黒幕と目的を暴くしかないだろう。
「リナリア、ちょっと一緒に来い。」
私がそう声をかけるとリナリアは困惑しながらベッドから降りて、私と共に医務室の外へと出る。
「本当は修道院から旅の援助を受けたかったんだがな、ちょっと状況が変わって色々都合が悪くなったから今すぐ脱出するぞ。お前は••••••そこまで容姿が変わっていればコソコソしなくても良さそうだな。」
「都合が悪くなったって何が起きたの?」
「外なる神だ。太古に星界から降臨した存在、そいつがお前を狙っていた。こうなってしまえば、次々と刺客が送られてくる可能性も高い。」
嘘は言っていない、実際にその可能性もある。だが、これだけ黄金神族と眷属が集っていれば撃退するのはもう容易だろう。
リナリアは妙に黙り。静かに私の後をついて来ている。二人で修道院の中央通路に出ると、出口へと向かって進む。さっきまで避難していたであろう修道士や修道女たちが妙に早歩きで進む私たちを眺めているが、黄金神族たちに見つかるよりは遥かにマシだ。
さっきまで獣と戦っていた門まで戻って来たが、都合の良いことに炎帝も夜叉もいなかった。そのまま壊れた門を防衛する聖騎士たちの間を抜け、大橋を目指す。放置された物資を積んだ馬車の横を通ると、何かを漁る物音が聞こえた。なんとなく其方を見てしまい、そこにいる者としっかりと目が合った。
特徴的な菅笠の下の彼女の顔はさっきまでは血の滲んだ包帯で覆われていたはずだが、包帯を取り払って口に塩漬けの肉を頬張っていた。東方系の女性の顔だが、顔は痣だらけで非常に痛々しい。
「見たな!」
こいつは、羅刹! なんでこんな場所で盗み食いをしているのかはさっぱりわからないが、見つかりたくない相手に見つかってしまった。
羅刹は十文字槍を素早く構えて突きを放つ。正直こいつ程度に負けるとは全く思わないし、動揺で全く洗練のされてない動きだ。鱗で覆った足で槍先を蹴り飛ばし、一気に詰め寄って一本背負いで投げて押さえつける。
「何してんだお前は。」
「我々は狂血病に身体を蝕まれている身だ。血肉になる物を摂取しなければ身体の腐食による全身の出血を起こしてしまうのだ!」
「随分、気の毒な身体だな。」
「エゼルフリダ様だけが我々を受け入れてくれたのだ。路上で朽ち果てるだけの我々に手を差し伸べ、命を救ってくださった! 冒涜的な神狩りごときが、容易く彼女と言葉を交わせるとは思うなよ!」
「落ち着け、見なかったことにしてやるよ。お前も何も見なかった、いいな? 合意してくれるのであれば手を離すぞ。」
羅刹は苦悶に満ちた表情を浮かべながら頷くと、私はゆっくりと手を離す。羅刹は腕を押さえながら立ち上がり、槍を拾い上げる。
「食事を続けてどうぞ。リナリア行くぞ。」
羅刹は私たちを警戒してこちらを睨んでいたが、リナリアの容姿を見た瞬間に目を大きく見開いた。
「リナリア・スカーレット!? そんな、ありえない赤毛の巫女の••••••いや、まさかそんな。」
こいつ、一体何を言い出すんだ。どうしてリナリアが私と同じ名を持つことになるんだ。
「貴女、私のこの髪の何を知っているの?」
リナリアが羅刹に問うが、彼女は顔を布で覆うと布の下に指を入れて甲高い音を鳴らす。まずい、合図の指笛を出されてしまった。剣を抜いて構えると、すでに大刀の刃が私の顎下に突きつけられていた。
「夜叉、さっきまでは共に戦えて光栄だと言ってたよな。」
「可愛い妹分を虐め、リナリア・スカーレットをお前が連れているとなると、この対応は妥当だと思うがな。」
「羅刹に関しては偶然そうなっただけだ。それよりもリナリアについてお前は何を知っている。」
「実は見た目の特徴と、我が主人たちが探していたことぐらいしか知らん。動くなよ、じきにエゼルフリダ様たちが来るはずだ。剣を置き、両手を上げろ。」
夜叉がそう告げた瞬間、エゼルフリダが黒棘と共に現れ、その後から炎帝が業火と共に現れた。最悪だ、想定外の事態だったとはいえ、炎帝までもが現れてしまった。リナリアが彼を視界に入れた瞬間、彼女の目の色が変わった。変色という意味ではなく、彼女の感情的にという意味だ。
エゼルフリダもイグマルスも、リナリアを見た瞬間に驚きのあまり固まっていた。
「炎帝イグマルス!!!」
リナリアがそう叫んで左手を伸ばすと彼女の金糸が発動し、辺りを黄金の輝きで包む。私たちは金糸の輪で囲われて、全員が太古の叡智の遺物の力や眷属の力を封じられてしまった。
ーーおい、どうするんだ。右腕が使い物にならなくなったぞ。
『くそっルーンソードも役に立たない!』
リナリアは金糸を操り炎帝から”業火”の槍を奪うと、彼を拘束して地面に叩きつけた。
なんて力だ、だがこのままだとまずい。金糸の力が暴走していて••••••
ついに立ってられなくなり私を含めて全員が地面に叩きつけられた。羅刹が悲鳴をあげて、身体中から出血している。夜叉も血を流しているが、羅刹の元へ行こうと這いつくばったまま気合いで匍匐前進していた。
「神狩り! お前の力が頼りだ! この女神と同等の力には、お前の蛇だけがこれを覆せるはずだ!」
エゼルフリダが壮絶な表情で叫ぶ。間違いなく、このままだと全員が押し潰されて地面に叩きつけられたトマトのようになってしまう。
ーーレイ! 黄金神族に言われるのは癪だが、全くその通りだ! あの名を唱えてくれ、さっき獣を喰らったばかりだから黄金神族に一捻りされるような俺ではない。神の力を使わなければ全滅するぞ!
やるしかない。あの力を扱うのはいったい、いつ以来になるのだろうか。あの時は師匠が共にいてくれたか、彼の教えが良かったから制御ができた。どんな神よりも強大なそれは、度々危険視されて来た。もし、女神フィニカスに立ち向かうには、この力を使う以外はありえないだろう。
『始まりの陽と共に堕天され、やがて陽となるが、万物と共にカタチを失う。涙の時代を怒りで焼き尽くし、人の創造、新たな陽の糧を己の身より捧げ、天地の理を定めた。有翼蛇、我に力を与えたまえ。』
唱え終えた瞬間、蛇が背後から私に覆い被さった。上顎の頭蓋が私の頭を兜のように覆い、左右の羽毛の翼が目の前で交差する。まるで私の身体を守る鎧だ。尾を引き摺りながら立ち上がり、ルーンソードを拾って私に巻き付いた金糸を断ち切る。
立てる••••••有翼蛇の加護のおかげで、女神の力に抗えている。
私を再び拘束しようとする金糸を剣で斬り続け、リナリアへの道を切り拓く。遥か遠い地で最高神として崇拝される有翼蛇の加護は、全能の女神フィニカスの力にも抗えるようだ。
ついにリナリアの元に到着し、ルーンソードに力を込めて彼女の左手から放たれ続ける金糸を断ち切った。そのまま彼女を左腕で抱き寄せる。
「リナリア、深呼吸をしろ。心を鎮めるんだ。憎悪では何も晴らすことができない。復讐をしても、憎悪からは何も生まれないんだ。」
リナリアのことを強く抱きしめる。彼女も私の背中に手を回し、羽毛を握りしめる。彼女が発動していた金糸が消えていく。炎帝は槍を拾い上げて立ち上がり、夜叉とエゼルフリダは羅刹に駆け寄る。
「••••••して。」
「なんだ?」
「どうして私にそう説く貴女が一番辛そうなんですか? ごめんなさい、今、見えて、見えてしまって。そう、ですよね。貴女が辛くないはずなんてないのに! マリーは、マリーは貴女といるべきだったのに!」
リナリアは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、嗚咽まじりに泣き叫びながら私の胸元に顔を埋めた。
お前は人に同情している場合ではないだろう。炎帝と出会ってしまったからには、明日の円卓会議で気が済むまで侵略の件の話をするしかない。
私の胸元で泣き叫ぶ彼女の頭をそっと撫でる。
「おい馬鹿、羽毛をぐちゃぐちゃにするなよ。」
ーー私の背後で、蛇が心底嫌そうな顔をしていた。
第五話「メテル・アヌンナキの獣 その2」完
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