4 / 7
メテル・アヌンナキの獣 その1
しおりを挟む目を覚ますと、木製の玩具のようなカタカタ音と揺れを感じた。次に頭が柔らかくて温かい物の上に乗っていて、状況を確認しようと横向きに寝ている体勢から仰向きになると、超至近距離にレイの顔があった。
驚いてしばらく動くことができなかったが、私は馬車の上でレイに膝枕をされながら寝ていたのだとわかった。
熱を出してしまい、迷惑をさぞかけてしまっただろう。彼女を起こさないようにそっと膝枕から抜け出して、自分の上に掛かっていたレイの外套を彼女の肩に掛ける。
ふと、レイの左手の鈍く光る物が目に留まり、注視してみると、彼女の左手薬指に指輪がはまっていた。
驚いて、その場でひっくり返りそうになったが、きっと私に付きっきりで看病をしていたはずのレイを起こしてしまうわけにもいかないので、なんとか踏ん張った。
左手の薬指の指輪••••••大きな主語かもしれないが、女性であれば誰もが憧れる指輪だろう。今まで彼女の指になかった物が急に現れて、何が起きたのか、寝起きの頭では全然考えることができなかった。そもそも初めから指輪をしていなかったのだろうか? だんだん自分自身の記憶の曖昧さに不安が募っていく。いや、いちいち人の薬指に指輪があるかないかを確認して、よく記憶はしないだろう。
そういえば、レイが私の前で眠っているのは初めてだ。初めて会った日から、ずっと美人だとは思っていたけど、案外子供のようなあどけない寝顔をしている。
レイ、以前に彼女について直接いろいろ聞いたが、レイのことがわかったようで本質的には何もわからず、答えを絶妙にはぐらかしているのか、そうではないのかも判断がしずらい。大事なのは人としての信用だ。大人の彼女に、私の胸の内が見透かされてしまうことがしばしばあり、仮に彼女に隠そうとしてもいつの間にか暴かれてしまっているだ。出会ってから一週間も経過していないのに、私の日々の行動癖や食の好き嫌い、さらに寝相のパターンまで彼女は把握しているのだ。
正直、これは内心不公平に感じているし、完全敗北を味わっている気分だ。今ならお父様の勝負癖が理解できる。何事も勝負として、王たる者の体裁と誇りをかけるあの闘志に火が灯っており、ヴォルフ・ガンク・ゴデッソン国王陛下の娘だと実感する。そうであれば、今彼女が寝ている間に何かとっておきのレイの秘密を探ろう。
手始めに、さっき目に留まった薬指の指輪を凝視する。もしかしたら意外な家系がわかるかもしれない、何かメッセージや人物を象徴する紋章が彫られているかもしれない。力無く床に垂れ下がった左手の指輪を注視し、レイの秘密のヒントを探る。
しかし、そこには燻んだ輝きと、赤黒い腐食の痕跡のみが指輪に刻まれていた。この赤黒い痕跡はまさか••••••
ーーほう、小娘は知っているのか。
レイの左手に二本角の羽毛の蛇が巻きついていて、私に向けて歪んだ笑みを浮かべてこちらを見ていた。
驚きと恐怖で思わず立って後退りしてしまい、そのままバランスを崩して尻餅を着く。大きな音を立てて、レイを起こしてしまったかと思ったが、レイは相変わらず座った姿勢のまま眠っており、蛇は彼女の腕に巻き付いてこちらを見ていた。
ーーこんなことは初めてだ、レイ以外の存在が俺に干渉できたのは。それに、お前は随分とレイとは異なる俺の姿を想像するんだな。レイの頭が半分抉れた時のやつだ。何処の文明の、どんな俺だったかはすっかり忘れてしまったなあ。レイは知っているのに、名を与えてくれないんだぜ。
蛇、レイの内に潜む蛇と私は対話しているようだ。それも蛇にとって初めての事態のようだ。
驚きと恐怖で腰が抜けて立つことができない。それもただ蛇が怖いとか単純なものではなく、本能的に恐れなければいけない強迫観念に近い何かが頭の中で響いているのだ。
『蛇!? レイの言っていた蛇がお前なの!?』
ーーおいおい、お姫様とあろうお方が随分と蔑みの心を込めた第一声を浴びせてくれるな。まあいいさ、俺もお前が最初から生理的に嫌いだからな。お前は黄金臭い。昨日のあの女よりも酷い臭いを常に放ってる。
いきなり臭いと言われたものだから思わず自分の体臭を気にしてしまうが、”黄金臭い”と言ったそもそもの意味がわからない。それに昨日に同じ臭いの女が現れているようだ。
『黄金臭いってどういう意味? 同じ臭いの人が昨日現れたってどういうこと?』
ーーなんだ、気づいていないのか。黄金神族、棘の聖女エゼルフリダがすぐ後ろの馬車に乗ってるぜ。お前とレイに大修道院に来て欲しいんだと。それにしても、よくよく考えてみれば不思議だな、レイもお前の異常なまでの神性に気づいていないんだ。お前の血に黄金臭い奴らの血が混じっているのは確かで、その力は世界を揺さぶることができそうなほどなのに、お前自身はか弱くて情けない生き物なのだからな。惜しいよ、丸呑みにできればその力は俺の物で失った何かを取り戻せそうなのになあ。
『ふざけたことを言わないで、誰が蛇の言うことなんて信じるの。』
ーーああ、質問してきた分際で愚かなことこの上ない。折角、俺が丁寧に答えたのに。レイ以外に話せる相手が、よりにもよって固定観念の豚だとはな。
『ぶ、豚ですって。今すぐ訂正しなさい!』
蛇は意地悪い笑みを浮かべ、大口を開けて二本の鋭い牙を見せた。そして牙の先端から何やら液体を飛ばし、それが私の右足にかかる。
ーー愚豚女、不毛な時間はこのくらいにして話を戻そうぜ。知ってるんだろう、”瘴気魔”をよ。俺もレイも血眼で探しているんだ、なんでもいいから吐けよ。
液体の掛けられた私の右足がみるみる赤黒く染まって肉が溶け落ち、骨が剥き出しになる。酷い痛みと臭いで、喉が裂けそうなくらいの絶叫の叫び声をあげてしまう。
ーーおい、その程度で苦しむな。再現を見せつけてやってるだけだというのに、情けない。
ついに骨も崩れ、完全に右足は折れてしまった。残された足首から下の自分の足を見て、恐ろしさから呼吸が詰まってしまう。その間にも赤黒いものが私の右足から上に侵食をしているというのに。
もしかしたら蛇がこれを止める術を持っているのではという望みに賭けて、力を振り絞って口を開く。
『ゴ、ゴデッソン家は王国の地下深くに現れる瘴気魔と代々戦ってきた! 私の叔父上も名誉の死を遂げたんだ! ああ、赤黒い痕は瘴気に侵された証よ。それに私は、私は••••••』
眠ったまま、呼吸も感じさせず静止したレイに目を向ける。彼女にはきっと聞こえていないはずだ。蛇に黄金臭いと言われたとき、動揺で迂闊な質問を蛇に投げかけて、その後にあまりにも見苦しい否定をした。知っているのだ。蛇がそう言った理由も、私が真に背負う使命も。
元々、いつかはホワイトランドに来る運命にあった。それがまさか、女神フィニカスの子である炎帝イグマルス率いる炎帝軍の侵略で王国が壊滅し、ノーデン人の人攫いに無理やり連れて来られるとは思ってもいなかった。きっと運命は動いている。攫われた国民たちを取り戻したい気持ちは本当だ。だが、運命はおそらく私にそんな道草を食う行為を許さないのだろう。
腹を括って蛇を睨む。決して口外してはならぬ、二千年以上も紡いだ遺志をこの蛇に聴かせるのだ。こいつもちっぽけな存在だと自覚をきっとするだろう。
『嗚呼、蛇よ。邪な蛇よ。ゴデッソン家のことを何も知らぬお前に、私の運命は計り知れぬ。リナリア・セレナ・ゴデッソンは、女神フィニカスに血を分け与えれた者の子孫にして、女神フィニカスが最後に予言した、”魔王ダハーカ”を討ち滅ぼす者だ。』
蛇は嗤った。私のことを嗤い、そして深呼吸を一度してレイの腕から離れた。先ほどよりも大きくなり、私の顔のすぐ前まで詰め寄って、深淵のような眼でこちらを覗き込む。
ーーなるほど、おかげで記憶を取り戻せたよ。お前が俺に干渉できる理由もわかったし、嫌悪感も理解できた。なあ女神フィニカス、歪な生まれのお前の気色悪い生き汚さにはもはや関心するよ。瘴気魔の起源も、そういえば魔王だったなあ。こいつはレイにとって良い土産話になる。愚豚女、ますますお前が嫌いになったぜ。お前が今一番望まないことを、俺が叶えてやるよ。
蛇はそう言うと、大口を開けて私の顔に喰らい付いた。牙の鋭い痛みと毒の焼ける苦しみに悶え、のたうちまわっていると、いつの間にか右足の感覚が戻り、顔を覆っていた手を離すことができた。すべて幻視と幻視痛だったようだ。そして、先ほどまで眠っていたレイは目覚め、酷い汗をかきながら私のことを、複雑な感情を抱いた目で見つめていた。
蛇め、全てを暴露したな。
微妙な空気のまま、私たちは一度も言葉を交わすことなく大修道院へと到着した。ホワイトランド中部の東側、山岳地帯の山の上に築かれた歴史ある巨大な石造りの建築だ。大聖堂の尖塔は一際高く、居住区画は非常に広い面積で設けられている。そして何より特徴的なのは学校が併設されていることだろう。私と近い年齢の者や、その他には老齢の者までもが学びを得るために平民から上級貴族という幅広い身分で入り乱れている。まあ、今回私とは全く縁がないのは確かだろう。
馬車は巨大な谷を跨ぐ大石橋を渡り、馬車寄せで停止した。レイに続いて私も降り、行商の老人に礼を言う。
「ここまで、ありがとうございました。」
「ここまで、ありがとな。」
こんな状況で偶然、レイとほぼ同時に感謝を述べてしまった。綺麗に重なった声を聞いて、お互いの間に非常に気まずい空気が流れる。
老人が柔らかい笑顔を私たちに向けて、荷を下ろすために修道院内の別の場所へ向かうとのことで決まってはいたが、ここでの別れとなった。
しばらくまた沈黙が流れたが、レイがそれを破ってくれた。私について来いとだけ言い、馬車寄せよりも奥の屋根の下を通り抜けて、景色を展望できる広場のような場所へと向かった。この間、私たちの後ろの馬車から降りた巫女装束の金髪、金眼の女性と聖騎士たちが何やら声をかけるタイミングを伺っていたようだが、レイにそこから動くなと命令口調で牽制されてしまい、少々気の毒に見えた。
そんな感じで、私たち二人だけで展望広場へとやってきた。レイは腰の高さくらいの石の塀に腰掛けて、私のことをまっすぐ見る。
「全くもって想定外の事態だ。蛇に関しては私が念入りに蹴り飛ばしておいたが、お互いに詳しく話さなければならないことがたくさんあるようだな。まあ、これだけは先に言っておく。私はお前を必ず守る。だから、神狩りに狩られるかもしれないという心配は一切しなくていいぞ。」
「うっ、どこまで蛇から聞きましたか。そ、それと勝手に蛇と話してしまい、申し訳ありません。」
「女神やら、魔王やらな。多分あいつが聞いたこと大体全部だ。」
「••••••はい。もう何も言うことはないと思います。レイは、レイは瘴気魔のことを知っているんですか? その指輪に、それに蛇が瘴気魔を追っていると言っていて。」
レイは風に吹かれる長い髪を掻き上げ、細い棒状の紙をポケットから取り出して口に咥えると、右手の義手の人差し指と親指を器用に擦って先端に火をつけた。彼女は息を深く吸うと、それを手にとって口から離してから煙を吐いた。
「珍しいだろう、昔に東の果てまで行った時に買った物の残り物だ。まだしけてなくて良かったよ。」
レイはもう一度それを吸うと、煙を吐きながら石の塀の外、崖下にそれを投げ捨てた。
「大修道院であまり吸いすぎると何か言われそうだ。••••••この指輪を見てのとおり、昔結婚してたんだよ。そんなに複雑な話じゃない、瘴気魔に私が住んでいた村ごと滅ぼされてね、私はその復讐に燃えているわけだ。」
レイは左手をひらひらと動かして、私に指輪を見せる。
「それに魔王ダハーカとやら、神狩りとして長らくホワイトランドにいるが、女神フィニカスがそのような存在と戦っていたなんて聞いたことがない。」
「それは、そうでしょう。秘匿されてきた歴史なのだから。」
レイに牽制された巫女装束の女性が、先ほどの聖騎士ではなく和装の人間を男女一人ずつ引き連れて立っていた。彼らは血濡れの包帯を手足に巻いており、それぞれ異なる菅笠を被っている。女性の方は茅葺き屋根のような菅笠を、もう一方で男性は頭全体が隠れる大型の物を被っている。それぞれの武器も血濡れた十文字槍と大刀となっており、禍々しさが際立つ。
「来るなと言っただろう。それに狂血過客を二人も引き連れて来て、随分と警戒しているな。」
「それもそうでしょう。魔王を知る少女と眷属を容易く下した神狩り相手に、あのような無防備も同然の者たちを連れて行くなんてするわけがないでしょう。私たちがここに呼んだのは、急遽招集された円卓会議のためよ。肝心の招集をしたイグマルスお兄様が明日までは到着しなさそうなのが問題だ。」
彼女は黄金神族、間違いない。きっと私が熱を出して眠っている間に、レイとの接触があってこのような事態になったのだろう。そして黄金神族で女性は一人だけ、間違いなく彼女は棘の聖女エゼルフリダだ。
想像していたよりより大きくないと思ったことは死んでも言わないでおこう。
ーー愚豚女。
『ねえ、お前はいつもそうやってレイに干渉をしているの?』
蛇の姿は見えないが、奴の声ははっきりと聞こえる。
ーーくっくっく、お前の臭いも存在も気色悪いが、レイ以外に干渉できる珍獣をせっかく見つけたんだ。それも、とてつもない力を秘めている。いつかお前を喰らって、その力を奪ってやる。
『レイがそんなことをさせるはずがないわ。』
ーーどうかな? あいつと俺は一心同体だ。同じことを考えることもある。あいつには無性に神を殺したくなる生粋の神殺しの異常性がある。俺も神を食うのは好きだ、奴らはご馳走だからな。
『それは、あなたが唆しているからではないの。蛇は邪な存在、ずっと昔からそう言われているわ。』
ーーお前には理解のできない怪物だよ、俺たちは。
ついに羽毛の蛇は私の目の前に現れた。理屈はわからないが空中からぶら下がって、四枚の翼を広げる。また、私の顔に噛みついてこの干渉から追い出すつもりね。今度はそうはいかないわ。
蛇の首に両手で掴み掛かり、引き摺り下ろそうと強く引っ張る。
ーー愚豚女、てめえふざけるな! その汚い手を俺の身体から離せ!
噛みつけない蛇は口をより大きく開ける。こいつは毒を吐くことができたんだ! 思い切り蛇の首を捻って、毒の射撃を躱す。それからは無我夢中で上顎と下顎を掴み、あの時顔に噛みついた仕返しと言わんばかりに口を裂いてやろうと上下の顎を引っ張る。
『どうかしら、気に入った? お前はおしゃべりが大好きだものね!』
蛇は苦しみの悲鳴をあげて、身体をのたうち回らせる。
ーー貴様、それ以上はよせ! 金糸が••••••金糸を使うな! それ以上はレイが死ぬぞ!
かつてないほど必死な蛇の言葉に反応してしまい、一瞬手を緩めた瞬間に奴の身体が私に打ちつけて、私は干渉から弾き出された。
尻餅をついて倒れた瞬間、目の前では異様な光景が広がっていた。
まず、十文字槍を背負った女性の狂血過客が私に向かって突出していて、右足をレイの剣で地面に叩きつけられていた。彼女の踵からは血濡れの太い棘が飛び出していた。そしてレイは狂血過客の足を止めた後なのか、口と鼻から血を吹き出して、その場で膝を着いていた。
棘の聖女エゼルフリダに目を向けると、もう一人の狂血過客が彼女を守るように大刀を構えて立ち、エゼルフリダは明らかに私に対して穏やかではない視線を向けていた。
「羅刹、一度下がりなさい。」
エゼルフリダがそう命じると、羅刹と呼ばれた狂血過客の女は無言で下がった。そのままレイはも剣を自分の身体に引き寄せて、切先を地面につけ、杖にようにして立とうとするが、再び血を吐いてバランスを崩してしまう。剣を落とし、両手を地面に着いて彼女がギリギリの状態だとすぐにわかった。
「リナリア、説明しなさい。貴女はたった今、女神フィニカスと同じ金糸の力を発動して神狩りを殺しかけたわ。たとえ末裔でも、”大金環”を持たぬ貴女がそれを扱うのはあり得ない。貴女は何者なの。」
エゼルフリダは私に向けて、強い語気で言い放つ
••••••っそんなのは私が知りたいわ! 生まれた時には女神の予言で魔王を倒す存在と言われ、あの蛇には世界を揺らせる力があると言われ、そして今、その力は女神と同じ者だと黄金神族に言われた。きっと私を攫うように人攫いに命じた暗躍者はそれをとっくに知っていたはずだ。そもそもこの力が本当なら、あの時に炎帝軍を退けてやれたはずよ!
言葉を詰まらせていると先ほどまで瀕死に近い状態だったレイが、もう立ち上がって顔の血を拭った。
「あああ! くそ蛇め!」
彼女はそう叫ぶと、今まで溜まっていた鬱憤が爆発したのか剣を拾って振り向き、両手持ちで頭の上に掲げるような構えから、大きく振り下ろして地面に叩きつけた。凄まじい音を立てて地面が石の塀の断崖の方へ向かって割れ、続いて大きな崩れる音が山の下の方から聞こえた。きっとどこかの崖がこの衝撃で崩落したに違いない。神狩りの持つルーンソード、その桁外れの破壊力に膝が笑い、腰が完全に抜けて、もう立てそうになかった。
「リナリア! お前は悪くない! 挑発した蛇が悪いんだ、わかったな! そしてこの血はあいつが負傷したせいで起きた出血だ。あいつが自然治癒した今はもうなんともない。」
レイが私に向かってそう言った瞬間、大修道院の兵士と聖騎士たちがレイが地面を叩き割った音を聞いて駆けつけた。そして彼らはエゼルフリダに気づくと、その場で跪いた。
エゼルフリダは彼らのそんな様子を見ると、私たちに背を向けてこの場から立ち去った。
「羅刹、夜叉、行きましょう。ああ、それとレイ・スカーレット、この件は明日の円卓議会で追加の議題とさせてもらうわ。」
そう言い残してエゼルフリダと狂血過客たちはこの場から姿を消したのだった。
意外だったのは黄金神族が関わっていたからなのか、レイによる破壊の痕跡などが兵士たちからは一切追及されず、私たちもこの場を離れることができたことだ。何となく、そうしない理由もわかる気がする。
ひとまず私たちは一番近い井戸へと行った。汲み上げた水でハンカチを濡らして、それをレイに渡す。
彼女の顔はまだ血まみれだったため、とりあえずはそれを綺麗にするために来たのだ。
「本当に今は大丈夫なの? あの時は剣も握れないほど苦しそうだったけど。」
「ああ、不思議なことにな。それにしても、私の死のシナリオがここで増えるとは想定外だった。”蛇に干渉できる者が、蛇に特殊な方法で致命的な傷を負わせると、私が死にかける。”超限定的で起きる可能性が最も低いが、以前のようなギリギリの蘇生もきっと性質上できないだろうから、最も警戒するべき攻撃だとアイツと話し合って決めたよ。」
そう言いながらレイは濡れハンカチで顔の血を拭う。
「それで今は蛇が治ったから、レイも治ったということなのよね。」
「まあ、より近い表現をするなら、無かったことになっただな。蛇の傷が治ると、そもそもの因果関係がなくなるようだ。その分、本来はアイツの傷だから蛇側は完治まで少しの弱体化を被るわけだが。そして私は何も無かったかのように元気になるわけだ。まあ、何の役に立つかさっぱりわからない仕組みだがな。」
顔の血を大体拭い終わったレイは私にハンカチを返却し、私はハンカチを水に浸して染み込んだ血を落とす。
「それで、リナリアさんよ。黄金神族曰く、女神フィニカスと同じ力を持ってるようじゃねえか。ゴデッソン家が黄金神族の末裔、いや、その力に金糸と考えると最早お前は黄金神族だ。それ以上の可能性を秘めていることも加味してな。」
「どうして、突然私に金糸が顕現下のでしょうか。」
「思いつくのは、エゼルフリダが金糸でお前を回復させたことぐらいだ。直接肉体が金糸の影響を受けて••••••そうだな、東方の言い方をすればチャクラが開いた状態なんだろう。それで蛇に掴み掛かった時に無意識に発動して私ごと内臓を八つ裂きにしやがったな。」
レイは眉間に皺をよせて、私を睨む。
「わ、私のことは悪くないと言ってのに、やっぱり根に持ってるじゃないですか••••••。」
「ああ。」
レイがそう短く返事をした後、彼女の後ろから中年ぐらいの男が早歩きでこちらに向かって来る。長い黒髪を編み込んで後ろに流し、顔には特徴的な刺青を入れている。この特徴は間違いなくノーデン人だ。
彼は途中で桶を拾い上げてこちらに一直線に向い、レイに接近すると桶を振りかぶった。
「レイ! 後ろ!」
私が警告した時にはもう既に遅く、レイが振り向くと同時に桶が顔面に直撃し、殴られた勢いで彼女は空中で一回転して倒れた。
「レイ・スカーレット、このボケナスがあー!!!なに神聖な大修道院を破壊してくれとんじゃ! むしゃくしゃしてやる事にも限度ってもんがあるだろうが!」
男がそう叫ぶと、レイを殴った桶を投げ捨てて、彼女の胸元を掴んで持ち上げた。肝心のレイは殴られた衝撃で意識が飛んだようで、白目を剥いたまま口から涎を垂らしていた。
一応、様子を見たところはこの男性は敵ではなさそうだ。何というか、あれの半分ぐらいは私のせいでもあるけど、実際に破壊行為に及んだのは彼女なので、こういう怒られ方をされても文句は言えないと思う。
「おっと、お嬢さん驚かせてすまないな。俺はノーデン王ラグナルよりノーディングランドを預かっているグンナルだ。ハーヴィから俺が留守の間のノーディンガムの騒ぎを聞いているし、今日のここでの騒ぎも聞いて、今すっ飛んで来たところだ。まあ俺も円卓会議に呼ばれた人間だ。」
「はっ!?」
レイは意識を取り戻してグンナルの顔を見る。
「なんだ、グンナルか。人の頭を鈍器で突然ぶん殴りやがって、相変わらず荒い奴だ。」
「ほう、開口一番に相変わらずの生意気な口をきくな。」
グンナルは少しレイを持ち上げてから、突然手を離して彼女を地面に叩き落とす。彼女は痛がる声を上げて、後頭部をさすりながら身体を起こす。
「お前も来い、ハイランディアからはテュルソン家が来るはずだったが、エグバード卿が結社の者として代理で出席する。もうそろそろ到着する頃合いだから出迎えに行くところだ。黄金神族どもはどうせ勝手にしているだろうからな、せめて人間同士の間でも今回の円卓会議の見解の共有とこの島の秩序の方針を一致させておきたい。」
「私に政治に関われと? そんなことができる人間だと思うか?」
「初から期待しとらん、お前はたった一人で、その行動ひとつで情勢をかき乱す影響力がある。立場も、その内に宿している力もな。」
グンナルは手で着いて来るように示し、私たちの先を行く。彼に着いて行くと、途中で見覚えのある人物が仁王立ちで私たちを待っていた。黄金神族とは異なる金髪で美しい青い瞳の男、ハーヴィだ。
「ハーヴィ殿!」
「ようリナリア、数日ぶりだな。後に俺たちも出発したが、まさか同じくらいの到着になるとはな。あと、まだ芳しい情報はノーデンからは届いていない。」
彼を加えて四人で先ほどの馬車寄せの方へ向かう。大人たちはそれぞれ他愛もない世間話を交わし、時折各地の情報交換をしながら歩く。私はどこか蚊帳の外のまま、彼らに着いて行く。蛇がまた話しかけて来るのではないかと思ったが、この間にアイツが干渉してくることはなかった。
馬車寄せに到着すると、相変わらず展望広場の方は封鎖されていて、レイは露骨に気まずそうに目を逸らす。ハーヴィもグンナルもそれを見てレイに対して非常に批判的な視線を向けている。
ちょうどその瞬間、遠くから何か大きな物音がした。レイが地面を叩き斬った時の音とよく似た音だ。目の前に彼女がいるから、レイの仕業では言うまでもないだろう。
そのレイが何かを察知して、大修道院の入り口となる大橋の方へ走り出し、ハーヴィとグンナルがそれに続いて私は彼の後に遅れて着いて行く。橋の対岸側では大きな土煙が上がっており、金属の衝突音と男性の怒号がかなりの距離があるにも関わらず聞こえた。
そして土煙の中から何かが飛び出して、勢いよくこちらに向かって突進してくる。馬の数倍はある大型で四足歩行の、体毛はなく、頭はまるで狼のような形状だが、不揃いの牙がびっしりと生えた口は気色悪く走っているだけで何本も抜け落ちているが、時折開く口の中にもびっしりと生えている。何より異形なのは、その怪物の四肢は明らかに人の手足と全く一緒なのだ。
「ハーヴィ! グンナル!どっちでもいい、リナリアをここから遠ざけて守れ! 奴は外なる神、メテル・アヌンナキの獣だ!」
レイの言葉にハーヴィは背負っていた斧槍を手に取り、グンナルは背負っていた円い木盾と腰の手斧を抜いて構えて私の前に立つ。レイは再び剣を抜き、切先を怪物に向けながら上段に構える。
よく見ると、怪物の後ろから剣を持った男性が力無く馬に乗っていた。
「レイ・スカーレット! エグバード卿を救ったら、このお嬢ちゃんと一緒に下がるぞ!」
「ああ、それで頼むぞグンナル。」
ついに怪物が目前に迫り、レイに向かって飛びかかる。手足で叩き潰すように襲いかかるが、レイはそれを受け流して怪物の右肘に突き刺す。怪物はそれを嫌がり、右手で薙ぎ払うが、レイはそれを屈んで回避する。その隙を見逃さなかったハーヴィは頭に目掛けて跳躍から斧槍の刃を振り下ろすが、怪物は目にも止まらぬ速度で回避し近くの建物の屋根の上に乗っていた。
グンナルはエグバード卿の乗っている馬の手綱を掴み、馬を落ち着かせる。彼は馬上で気を失っているようで、頭から血を流していた。
「よし、お嬢ちゃん行くぞ!」
「わかりました!」
彼と共にその場を離れると同時に聖騎士たちも現場に急行し、彼らの何人かが私たちの護衛についてくれた。ふと、振り返ってレイが無事か確認してみると、彼女は余裕そうに右手に持つルーンソードをくるりと回して持ち直し、剣から出た赤い粒子が彼女の義手に吸い込まれていた。気のせいだろうか、遠目ではあったがレイの表情からは緊張や険しさを感じず、それどころか少し笑みを浮かべていて、それは蛇の言っていた彼女の元来の気質なのだろうか。レイの表情は、獲物を見つけた捕食者のような顔であった。
第四話「メテル・アヌンナキの獣 その1」完
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
男女比1対5000世界で俺はどうすれバインダー…
アルファカッター
ファンタジー
ひょんな事から男女比1対5000の世界に移動した学生の忠野タケル。
そこで生活していく内に色々なトラブルや問題に巻き込まれながら生活していくものがたりである!
ダンジョン作成から始まる最強クラン
山椒
ファンタジー
ダンジョンが出現して数十年が経ち、ダンジョンがあることが日常となっていた。
そんな世界で五年前に起きた大規模魔物侵攻により心に傷を受けた青年がいた。
極力誰とも関わりを持たずにいた彼の住んでいる部屋に寝ている間にダンジョンが出現し、彼はそこに落ちた。
そのダンジョンは他に確認されていない自作するダンジョンであった。
ダンジョンとモンスターにトラウマを抱えつつもダンジョン作成を始めていく。
ただそのダンジョンは特別性であった。
ダンジョンが彼を、彼の大事な人を強くするダンジョンであった。
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
美醜逆転世界の学園に戻ったおっさんは気付かない
仙道
ファンタジー
柴田宏(しばたひろし)は学生時代から不細工といじめられ、ニートになった。
トラックにはねられ転移した先は美醜が逆転した現実世界。
しかも体は学生に戻っていたため、仕方なく学校に行くことに。
先輩、同級生、後輩でハーレムを作ってしまう。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる