神喰らいの蛇レイ・スカーレット

海水

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子供

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 黄金神族、神話の時代のホワイトランドを統べた全能の黄金の女神フィニカスを祖とする神々だ。
 何故か女神フィニカスは彼らを封印し、その後の黄金神族たちは各々が異なる時代に目覚めて、彼らの領域を統治している。
 神話で語られる黄金神族は、炎帝イグマルス、おどろの聖女エゼルフリダ、醜王ラカーン、獣騎士王ヴォルサクス、そして封印される前に戦争で負った毒牙で命を落とした最初の黄金神族、英雄テールの五人だ。
 炎帝と棘の聖女は五百年前に封印から目覚め、醜王は三十年前に覚醒した。獣騎士王は未だ目覚めず、封印以前に命を落としたテールは、子孫のテュルソン家が血脈を繋ぎハイランディア王国を統治している。
 そして、幾人かの黄金神族は自身の血を分け与えた眷属を持ち、彼らを象徴する金糸と太古の叡智の遺物の力を分け与えている。
 もし黄金神族に関わるなら、彼ら眷属を避けることは不可能だ。





 ノーディンガムを出発し、ホワイトランドにおける聖母教会の大修道院を目指して四日が経過した。道中は行商の馬車の護衛を担うことで移動の脚を補っていたが、ここに来てリナリアが高熱を出して途中の宿で休息をとることとなった。
 幸いなことに、行商の老人は私たちを置いて行っても構わないのに、共に大修道院を目指すという理由からリナリアが回復するまでは待つと快く言ってくれた。宿屋の女将も彼女の体調を気にかけてくれて、時折看病を私と交代してくれた。
 良心で動いてくれる人たちがいてくれると、世の中はまだ捨てた物ではないと思える。だが、

 ーー首を掻き切ってしまえば良いだろう? 事の犯人を追うのにあの小娘なんて居ても居なくてもかわらないぞ。

 相変わらずこの蛇は無粋極まりないことを唆してくる。この間のノーディンガムの一件で一度は主導権を奪えたことから、羽毛をひらひらと動かして私の視界に入り込んで好き勝手する。それでも完全に目を合わせてはやらないし、名で呼ぶなんてことは論外だ。
 近づけてくる顔を左手で押し退けて宿屋の外へと出る。一日中看病をしていた為、すっかり日没の時間になってしまった。川沿いの街道に面した宿なのですぐ目の前に穏やかに流れる川があり、桟橋には釣り道具が無造作に放置されている。桟橋の先端まで歩き、目を一度閉じてから開いて、足元で蜷局巻いて見上げている蛇を見下ろす。

『何か、前よりも小さくなってないかお前?』

 ーーそれはそうだろう。死んだお前を生き返らせてやったのだからな、俺も危なかったのだから身を削って頭を元通りにしてやったんだぞ。

『そいつはどうも。おかげでこの通り健康さ。お前も浅い場所まで来た以外は失った物が多いようで、私としても一安心だ。」

 ーーふん、お前は相変わらず信仰心も基本的な目を合わせることもしてくれない阿婆擦れのようだがな。だが、こうして浅いところまで来れたんだ。鱗ならいつでも貸してやるぞ。お互い死んだら困るだろう?

『今回ばかりはお前の唆しに譲歩しないといけないようだな。』

 ーーそうだ、あの小娘を守れるのはお前だけだ。子供が死ぬのは避けたいだろう? 俺だってそうだ。

 蛇の声色が急に変わり、怯えと後悔の混じった言い方だ。まあ私からしてみればそう思うのも納得だが。

 ーー剣と弩を持て、もう気づいているだろう。血の臭い、そして相変わらず黄金臭い奴だ。

『わかっている。鱗を貸せ、手抜きはできない相手だ。』

 蛇はニタリと笑うと私の身体に巻きついて一体化した。それと同時に私の一部の皮膚が硬い蛇の鱗に変わる。
 そして剣を抜いて背中の弩を手に取ってボルトを装填した瞬間、首に鋭い衝撃が走り、太い針が音を立てて桟橋の上に転がった。素早く飛んできた方へ、空中へとボルトを発射すると針を飛ばしてきた相手は滞空しながら軌道を屈折させて腰に差していた太刀を抜く。敵は菅笠を被り東方の着流しを纏った風貌で、悍ましいほど赤い血濡れの刃を掲げ、そのまま私の頭を叩き斬ろうと上空から振り下ろす。
 次のボルトを器用に装填しながら太刀を回避して弩を向けると、男は素早く太刀を斜めに斬り上げて私の愛用の弩を斬って破壊して見せた。仕方ないので、剣を上段に構えて次の太刀の振り下ろしを受け止める。そのまま相手の力が入りにくい方向へ、腕のスナップを活かして逸らし、よろめいた所の隙に左足の蹴りを胴体へ入れる。
 男はうめき声をあげて膝をついた。よく見ると手足には血濡れた包帯を巻いており、顔には髭の生えた面頬、目元までも血濡れた包帯を巻いて顔は全く確認できない。
 ホワイトランドで血濡れた東方の装いの剣客。間違いない、こいつは黄金神族の棘の聖女エゼルフリダの眷属である狂血過客きょうけつかかくの一人だ。きっと私が神狩りだと気づいて襲って来たのだろう。
 狂血過客はさっきの小競り合いで到底満足ができないようで、太刀を握り直して立ち上がり、切先を私に向けて構える。
 
「突然斬りかかりやがって、東方の剣客の格好をしてる割には随分と行儀が悪いじゃねえか。黄金神族の眷属の面汚しも甚だしい。名前くらい名乗ったらどうなんだ?」

「修羅。」

 狂血過客はそう短く呟くように名乗ると、太刀を上段に構える。

「そうかい、私はレイ・スカーレットだ。しがない神狩りの残り滓だ。この神狩りの名において、突然斬りかかって来た無礼極まりない黄金神族の眷属に、神狩りを執行する。」

 久しく言う神狩りの口上は思いのほか恥ずかしくもあり、思ってた以上に気合いも入る。一体いつ以来なのだろうか。もしかしたら師と共に戦っていたあの頃以来かもしれない。思えばあの時は••••••いや、今は考えるものでもないし、眷属相手に使うようではまだまだ未熟な証拠だ。
 剣を中段に構えて、狂血過客の修羅の如何なる太刀筋にも対応できるようにする。思えば太刀を相手にするのは初めてかもしれない。変態な職人のこだわりで鍛えられたあの剣の切れ味は蛇の鱗で受けたりしても大丈夫なのだろうか。

 ーーそれはさすがに心外だぞ。

 とりあえず蛇の批判は無視して、一歩踏み出した修羅の太刀筋に集中する。突きか、袈裟か、それとも胴か、切先の僅かな角度から次を予測し、剣を右手の義手の片手に持ち替える。太刀の切先は私の手首を狙っていた。
 そのまま手首を狙った刃が逸れるようにこちらの剣の刃を当てて、剣を両手に持ち直してから足腰の重心移動で勢いを殺さずに身体の回転の速度を乗せて首を狙って薙ぎ払う。ルーンソード特有の赤い粒子が斬撃の軌跡を作るが、虚しくも空を斬っただけだった。
 驚くことに修羅は身体を反って普通の人間ではあり得ない角度、背中と脹脛がくっつくほど身体が折りたたまれていた。そんな回避方法は誰が思いつくんだ。
 薙ぎ払った剣を身体に引き寄せて、次にどう転んでもいいように防御姿勢で修羅の動きを観察する。奴は私が攻めてこないことを良いことに冷静に立ち上がり、太刀を構え直す。
 そして次の瞬間には右足を振り上げて私に足の裏を向け、奴の足袋の踵から突如太く鋭利な血濡れた棘が突き出した。咄嗟に身体を反らしたおかげで棘が顔のすれすれを通過するだけで済んだが、修羅はさらに左足で片足立ちをしながら、右足を高く振り上げている不安定な姿勢のまま、太刀の切先で桟橋の板を擦りながら斬り上げる。
 刃は仰け反った私の胴体に直撃したが、身体中を覆っていた蛇の鱗が太刀の恐ろしく鋭い刃を通さなかった。

 ーー今のは死んでたな。どうだ? 良い加減俺を褒め称えたらどうだ?

『助かったとだけ言っておく。でもお前を褒め称えるのは気色悪いから絶対にやらん。』

 ーーけけけっ、それで良い。容易くやってもらってはつまらないからな。もっと鱗を活用しろ。

 蛇は私の左耳を舐めると、そっと後ろに消えた。戦っている最中にちょっかい出すんじゃないよ全く。
 修羅は太刀の刃を確かめて、私を斬ることができなかったことを訝しんでいた。正直、斬られなかったが勢いよく脇腹を殴られたので地味に痛い。右脇腹をさすりながら姿勢を正し、修羅にもう一度目を向けるともうすでに太刀を私に向けて振っていた。今度は袈裟に斬ろうとしているが、鱗で覆った左手で受け止めて刃を直接掴む。
 修羅は驚きのあまり面頬の下で声にならない声をあげるが、私は太刀の持ち手近くを剣で殴って奴の手から叩き落とした。奪った太刀を私の後方に投げ捨てるが、左手のひらで刃に触れていた部分の鱗が僅かに溶けていることに気がついた。血濡れの刃の血はただの血ではないようだ。おそらく毒の類かもしれない。
 武器を失った修羅は両手の甲の滲んだ包帯の下から太く鋭利な棘を生やし、姿勢を低くして私の懐目掛けて飛び込む。そんな隙だらけの攻撃、私に斬ってくれと言っているようなものだ。
 剣を持つ義手の右手首を軽く捻ると、ルーンソードの赤い粒子が義手の隙間に入り込み、今まで以上の力がみなぎる。刃を下に構えて、左手を柄に添えて最も破壊力が出る間合いまで修羅を引きつける。

「戦いをやめなさい!」

 突然、背後から女性の叫び声が聞こえたが、私の剣はすでに振り上げられていた。修羅の左腕が宙を舞い、斬撃が桟橋を真っ二つに、それも川と一緒に斬り裂いた。川の水が一瞬だけ割れ、壊れた桟橋の板がガラガラと音を立てて、次から次へと川に落ちていく。修羅は私のすぐ目の前でバランスを崩して倒れたため、私は奴の右腕を踏みつけてへし折り、使い物にならなくする。
 蛇がからからと嬉しそうに笑っていてうるさいが、戦いを止めようとした者が何者なのか振り返って確認すると、純白の巫女装束に金色こんじきの長く美しい髪と澄んだ金色こんじきの瞳の女性が、聖母教会の重装甲冑を身に纏った聖騎士たちに護られるように立っていた。左腕には“黒棘こくしの刻印”、そして神狩りであるならば一瞬でこの女性が神性を宿していることがわかる。そうこの女は••••••

「手遅れでしたか、本当に残念です。神狩り、たった今貴女に敗れた者は私の大切な部下の一人です。もし情けの心があるなら、どうかご慈悲を彼にお与えください。この女神フィニカスの娘エゼルフリダに免じて、どうか。」

 黄金神族、棘の聖女エゼルフリダ、どうしてこんな辺鄙な場所にこんな大物がいるのか甚だ疑問だが、黄金神族と直接対決を今するのは全く懸命な判断ではない。剣の血を払って鞘に収めると修羅から足を退けて、エゼルフリダが駆け寄れるように道を開ける。

 ーー気に食わねえ。レイ、なんでも良いから名を唱えろ。俺がこの目障りな女を丸呑みにしてやる。

『馬鹿蛇が、今のお前が仮に神性を取り戻して暴れても、黄金神族には赤子のように一捻りされるだけだよ。』

 エゼルフリダは修羅に駆け寄ると斬り落とされた彼の左腕を拾い上げて、涙を流しながら左手で金糸を操る。黄金神族の力、女神から受け継いだ万能の金糸の力だ。エゼルフリダは今まさに金糸で修羅の左腕を再び繋ぎ合わせている。その姿は筆舌しがたい程に美しく、まるで神話を描いた巨匠の名画のような光景だった。
 時間をかけてエゼルフリダは修羅の両腕の治癒を終えて立ち上がり、真っ直ぐな瞳で私を見つめる。修羅に関しては聖騎士の一人が彼を抱えて、近くに停車している聖母教会の馬車に運んで行った。

「結社を通じて、噂に聞いております。お会いできて光栄です、神狩りレイ・スカーレット。此度は我が眷属の狂血過客が一人、修羅が無礼を働きましたことお詫び申し上げます。」

 黄金神族とあろう者が神狩りの私に一礼をする。私も仕方なくそれに合わせる。正直、この場がどう転ぶのかが見当もつかない。

「私はすでにアンタの眷属を半殺しにしたが、アンタはまだ私に関わりたいのか? 私だって愛用の弩を壊されたり、脇腹を斬られたりしたんだ。もし私を結社の人間として見て願い事があるんなら、他を頼りな。これ以上の争いは御免だが、関わるのも願い下げだ。」

「そうですか、生憎ですが私は神狩りレイ・スカーレットと貴女の連れている少女に用がございます。是非、大修道院までご一緒に来ていただけませんでしょうか。」

 聖騎士を連れている時点で既に答えが出ているようなものだった。エゼルフリダは聖母教会と繋がりがある。結託している関係なのか、または彼女が聖母の信奉者なのか答えは見えてこないが、ここは応じるのが最も利口だろう。リナリアの体調の問題もある。意地を張ってこの提案に反発するよりも、ここは一度合わせておいて、都合が悪くなれば脱する算段を立てておこう。

「わかったよ。ちっぽけな神狩り一人で黄金神族に抗おうなんて馬鹿げた真似はしないさ。だが、リナリアが熱を出してそこの宿で寝込んでいる。大修道院を目指すにしても、彼女が回復してからだ。」

 エゼルフリダは少し考え込むような身振りをわざとらしく行い、それから私に微笑みを向ける。これは蛇の感情か、神狩り目線の私の感情かわからないが、彼女の微笑みを見ると酷い悪寒がする。

 ーーこの小娘の意地汚く包み隠して上辺だけの綺麗な振りには反吐がでる。レイと価値のない問答をしている方がはるかにマシだ。

 蛇は彼女に対しては酷い嫌悪感をむき出しにしていた。何一つ腹の内が見えないエゼルフリダとの対話は、まるで壁と話しているのではと錯覚する。

「では私が治しましょう。貴女たちと話したい事は、なるべく早ければ早いほど良いので、このまま出発して治癒をしながら大修道院へ行きましょう。」

 エゼルフリダは勝手に方針を決めると、屈強な聖騎士たちと真っ直ぐ宿屋の扉へ向かって歩き、そのまま中へと入る。案の定、女将の驚いた声が中から聞こえてきた。

 ーーおい、ぼけっとするな。リナリアに下手なことをされたら洒落にならないぞ。俺が手を出すならともかく、あのいけ好かない女に余計なことをされるのだけは御免だ。

『珍しく意見が合うな。エゼルフリダに対する感情は全く同じだ。』
 
 いつでも剣が抜ける姿勢で私も宿屋の中に戻り、二階のリナリアを寝かせている部屋へと行く。エゼルフリダに驚いた女将が廊下で立ち尽くしており、部屋を覗くとエゼルフリダがリナリアの頭に手をかざし、それに対してリナリアがうなされていた。

『おい蛇、力を貸せ。お前の睨みを私にも使わせろ。』
 
 ーーもちろんだ。

 蛇の威嚇の鳴き声と共に私は突き刺すような視線をエゼルフリダの背中に向ける。すると彼女は焦ったように立ち上がって振り向き、左腕から黒棘を放った。黒い茨が床を伝ってこちらに向かい、私は剣を抜いてそれを斬り落とす。
 ”黒棘の刻印”、エゼルフリダの左腕に刻まれた刺青のような太古の叡智の遺物で、棘おどろの聖女の名の由来となった彼女の力だ。

「はぁはぁ、蛇? い、いえ随分と、攻撃的な気配を突然出すのですね。」

 そう言いながら息が上がっている彼女を見るに、随分と取り乱しているようだ。

「アンタが勝手なことをして、リナリアを苦しませていたからな。少し威嚇をしただけだ。」

「まるで子を守る猛獣のようね。」

「否定はしない、子供を護るのは大人の義務だからな。」

 ーーどの口が言えたもんだか。

 蛇は自嘲するように呟いた。私を煽る普段とは違い、随分と大人しい様子で。

「ならば弁明させてちょうだい。この少女は疲労から熱を出しているだけでなく、悪夢を見ているわ。それも彼女自身を責めている悪夢よ。守るべきものを守れず、救うべきものを救えず、今となっては己を責めた結果の心身のバランスの乱れで熱をを出しているわ。目覚めれば治るものだけど、眠り続けている限りはこの苦しみは彼女を蝕み続けるわ。私の金糸でなら、それを癒すことができる。頭から悪夢を直接抜き出すのだから多少の苦しみはあるけど、それを乗り越えれば穏やかな眠りに身を任せられるようになるわ。」

 エゼルフリダは掌から美しい神秘的な金糸を出して私に見せる。神と神狩り、完全な水と油で信頼関係を持つのは夢のまた夢の話だが、今のところはこの女が嘘を言っているようには全く思わない。本当に仕方ない、外でのこの女の提案に既に応じたばかりで納得をさせられるのは癪だ。どこかで私たちにとって都合の良い条件を飲み込ませて帳尻合わせをするしかなさそうだ。
 あきらめて無言で部屋から離れ、下の階に降りる。一階の窓際に置かれた机の席に道中を共にした行商の老人が緊張した様子で座っていた。敬虔な聖母教会の信徒である老人は唐突な聖騎士と黄金神族エゼルフリダの訪問に驚いて、固まってしまったようだ。ひとまず、予定が大幅に変わったので、心優しいあの老人にも伝えねばならない。
 彼に一連の取引について説明すると、驚いた声をあげて、それから無礼がないか心配事を次から次へと呟き始めた。真面目で思いやりがあるこの人の事は素晴らしいと思うが、ここまで思い詰められると聖母様も困惑してしまいそうだ。
 私が少し老人を諌めている間、女将も上の階から降りてきて後頭部を掻きながら奥の台所へと消えた。あの態度を見るに、彼女はこの老人ほどの聖母教会の信奉者ではないのだろう。
 特に何もやることがなくなったので、私も適当な椅子に座って鞘から剣を抜き、ポーチから簡易の整備道具を出して手入れをする。血払いをしたが刃にはまだ血液がこびりついている。ルーンソードはただの鋼では造られていない。かつてのテオゴニアの遺物研究者と技師が技術を結集して作った神殺しのための特殊な剣だ。布を取り出して刃から綺麗に血を拭き取る。既に乾いて固まっているので、力を込めてようやく拭き取ることができた。
 だが、妙な臭いがして布の血を拭いた面を見ると、血の付いた部分がわずかに腐食していた。左手で受け止めた時もそうだったが、修羅の血にはかなり強い毒性がありそうだ。心配になり剣の表面を確認する。流石にテオゴニアの職人技の方が上回ったようで、特に何ともなさそうだった。念の為簡易的な磨き用のオイルで拭いておく。
 しばらく剣磨きの作業に徹していると、上の階からエゼルフリダと二人の聖騎士が降りてきた。騎士の一人は穏やかに眠っているリナリアを抱えている。私が視線を向けるとエゼルフリダがわずかに警戒した表情で身構える。だが彼女はすぐに蛇に睨まれたわけではないと気づいて姿勢を正して降りる。
 全く、何もかも勝手なことをしやがって。剣を鞘に戻し、エゼルフリダ達の前に立ちはだかる。

「リナリアを勝手に連れ出すつもりか? その子の面倒は私が見ているんだ。勝手な真似はやめて彼女を返してもらおうか。」

 騎士の一人が私の態度に堪忍袋の尾が切れたのか痛烈に批判してきたが、エゼルフリダは彼を諌めて大人しくリナリアを引き渡してくれた。額に手を当てると、もうすっかり熱は引いていて、リナリアの寝息はどこか心地よさそうだった。彼女を背負い、宿屋のカウンターへ向かう。
 ベルを鳴らすと、女将が奥から現れて私たちの様子を見て驚いた表情を浮かべた。

「宿代の勘定をしてくれ。短い間だったが、随分世話になってしまったな。」

「なんだい、あのお方のおかげでもう良くなったのかい。少しでもゆっくりして行っても良いと思うのに。」

 そう言いながら女将は飯代や部屋代を計算して私に合計を提示する。約二日間の滞在だったが、思ってたよりも高くついた気がする。まあ、最終的に悲鳴を上げるのは私の財布ではなく、パトロンのほうなのだが。
 リナリアを背負いながら、器用に財布から銀貨を出してカウンターに並べる。女将はそれを片端から集めて数えていく。
 
「なあ、アンタは神狩りなんだろう。」

 想定外の唐突な女将からの声がけに、銀貨を置く手が止まる。

「仮にそうだとしても、もう出ていくから迷惑にはならんさ。」

「図星だね。アタシは長くこの宿屋をやっていてね、自分の見たものしか信じない主義なのさ。噂で聞く神狩りは世界の敵の悪魔のようなカルトか何かかと思ったが、アンタを見ると全くそうは見えないね。同じただの人間で、子ども思いだ。」

「皆が私みたいな人間ではないぞ。」

「そりゃそうだ。だけど、今面と向かって話すアンタは優しい人間なのは間違いないって、アタシは思うんだよ。その子を連れて何をしようとしているかわからないけど、アンタがその子を護っているのは確かだろう? アタシも出て行った馬鹿息子がいるからわかるさ。アンタは母親の顔をしている。だから無駄に金色に光っている神様なんかに負けるんじゃないよ。」

「そう、そうか。ありがとう、それだけ言っておくよ。」

 複雑な気持ちで礼を言った後、女将に支払いを急かされ、リナリアを背負ったまま再び銀貨を並べて支払いを終える。既にエゼルフリダや老人は外で待機しているようで、建物の中には私たちだけが取り残されていた。
 エゼルフリダ、彼女だけは絶対に気を許してはいけない。何の企みがあるのか見当もつかないが、いざという時は手足を失ってでもリナリアを守ろう。もうこの右腕のような後悔は許されない。
 外に出る扉に手をかけると、リナリアが寝言なのか何かを呟いた。彼女には悪いが、気になって扉を開けるのを一旦やめて、彼女の寝言に耳を傾ける。

「••••••お、母様。リナリアは••••••必ず立派な王家の人間になります。だから••••••いつまでも見守っていてください。」

 ただ寝言を言うだけでなく、一粒の涙がリナリアの頬を伝っていた。彼女は母親のことをきっと夢に見ているのだろう。それも、死に別れてしまっている母親だ。

 ーーああ、だからこの小娘は死の臭いがするのか。よくある話だろう、子を産んだ母親が徐々に衰弱して死ぬなんてことは。俺としては生理的に嫌な感じがする小娘だが、の気の毒な娘だな。

『黙れ。』

 いつの間にか足元にいた蛇を踏みつけて、蹴り飛ばす。

『私としても、貴様の戯言には許容の限界があるぞ。もしこれ以上の下手なことを言ってみろ、私は神狩りだ。神狩りとして貴様に与えられる最上の苦しみを覚悟しておけ。』

 ーーレイ、俺はお前が気の毒で可哀想な奴だと思っている。お前こそが救われるべき人間だ。でも、ここ最近で一番まともに俺を見てくれたな、嬉しいよ。お前と俺は一心同体だ、だということだけは覚えておけよ。

 蛇は姿を消して、私は扉を開ける。いつの間にか外では雨が降っており、すぐ目の前で馬車が停まって扉を開けて待っていた。中ではエゼルフリダが座席に着いてこちらに微笑みを向けて手招きしている。
 そんな黄金神族は無視して、道中を共にした行商の老人の幌馬車に乗り込み、リナリアを寝かせる。彼女の頭は私の太腿の上に乗せて、身体が冷えないように私の外套を上にかける。

「爺さん雨の中悪いが、また頼むよ。」

 老人は快く返事をして馬を前進させる。
 それに続いて聖母教会の聖騎士たちが馬に乗って護衛するように幌馬車を囲い、真後ろにはエゼルフリダの馬車が着いて来ていた。
 神らしく、一人で寛いでいろ。
 ぐっすりと眠るリナリアの頭を撫でて、あんなに焦燥に駆られていたお姫様の可愛らしい寝顔を覗き込む。

「子守唄のひとつでもちゃんと覚えていればよかったな••••••。」

 何となく、首から下げて服の内に隠していたネックレスを外し、それに通していたリングを手に取る。燻んでいて、所々が赤黒く腐食しているように見える。ネックレスのチェーンは丸めて適当にポケットに押し込み、リング、指輪を左手の薬指にはめる。
 少し指が太くなってしまっただろうか。以前よりも少しキツく感じるが、その方が抜け落ち難いと思い、そのまま手をリナリアの肩の上に乗せる。
 不意にひどく感傷的になってしまっただけだ。ただそれだけなんだ。





第三話「子供」 完
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