義理兄と妹〜愛という名の罪〜

ぱんだちゃん

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第一章:移り住んだ先に

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 山を越え、谷を抜け、細い道をくねくねと進んだ先に、私たちの新しい家があった。

 「着いたよ。真帆、降りられる?」

 母の声にハッと顔を上げる。車の窓の外には、昔ながらの瓦屋根と木造の大きな家。庭には紫陽花が咲き、鳥のさえずりが静けさの中に響いている。

 「……ここが、これからの家か」

 思わずぽつりと呟いたその声は、私の右隣に座っていた彼にも届いたらしい。

 「気に入らない?」

 低く落ち着いた声。振り返れば、メガネ越しに私を見つめる悠真さんの瞳。義理の兄、綾瀬悠真。母の再婚相手の連れ子で、私より七歳年上。

 東京では、あまり多くを語らない人だった。

 「ううん……ただ、ちょっと不思議な感じ。こういう田舎に住むなんて、想像もしてなかったから」

 私が笑って答えると、彼は少しだけ視線を逸らし、頷いた。

 「静かなところだ。……仕事にはちょうどいい」

 悠真さんはフリーのエンジニアで、どこにいても仕事ができるらしい。東京にいた頃は家にこもってパソコンに向かっている姿ばかり見ていた。そんな人が、こんな自然に囲まれた場所でどんなふうに過ごすのか、少し想像がつかなかった。

 

 家に入ると、ふわりと木の香りが鼻をくすぐる。

 築六十年という古民家だったが、内装はリフォームされていて清潔感がある。広い土間と縁側、畳の香り。東京のマンションにはなかった“余白”が、ここにはある。

 「真帆の部屋は、悠真の隣にしておいたわよ。あんたも心配でしょ?」

 母が軽く笑いながら言い、私は内心ちょっとだけ動揺する。

 別に、心配なんてされたくない年齢だ。それに、義理の兄と部屋が隣なんて、ちょっと気まずい。

 ……だけど、ほんの少しだけ、安心した気持ちもあったのは事実だ。

 

 引っ越しの荷解きは一日がかりだった。夕方には汗だくになり、私はTシャツ一枚で縁側に座っていた。

 夕焼けが空を染め、蝉の声が響く中、悠真さんが麦茶を持って現れた。

 「飲むか?」

 「ありがとう」

 無言で並んで腰かけ、二人で麦茶を口に運ぶ。沈黙が気まずいと感じないのは、彼がそういう空気を作ってくれるからだ。

 「……東京、戻りたい?」

 突然の問いかけに、私は少し考えてから答えた。

 「ううん。最初は戻りたいって思ってたけど……こうやって風を感じてると、案外、悪くないなって思うの。……なんか、深呼吸できる感じ」

 「そうか」

 彼はふっと微笑んだ。

 普段、表情をあまり変えない人なのに――その一瞬の微笑みは、夕陽に照らされて眩しく見えた。

 

 夜、ふと目が覚めてしまった。

 見慣れない部屋。虫の声と風の音が、都会の騒音の代わりに耳に届く。私は布団の中で寝返りを打ち、隣の部屋の方をぼんやりと見た。

 襖一枚隔てた先に、悠真さんが眠っている。

 東京では、彼のことをこんなふうに意識したことなんてなかった。だけど、ここでは何かが違う。

 静かで、近くて、息遣いすら届きそうな距離。

 ……眠れないまま、私はいつまでも天井を見つめていた。

 

 翌朝、台所で母と一緒に朝食を作っていると、背後から足音がした。

 「おはよう」

 まだ髪が濡れている悠真さんが、白シャツのボタンを留めながら現れた。寝起きのせいか、いつもより少しだけ柔らかい空気をまとっている。

 「お、おはよう。今日は早いんだね」

 「こっちでの仕事のリズム、慣らさないと。東京みたいに夜型だと……虫に起こされる」

 彼が小さく笑って、私は思わず吹き出した。

 「虫に負けるエンジニアって新しいかも」

 そう言うと、彼はメガネをクイッと上げながらも、ちょっとだけ口元を上げて応えた。

 この家での生活は、まだ始まったばかり。だけど、その朝の笑顔が、なぜか強く胸に残った。


その夜、私はひとり、眠れずにいた。

 窓の外では虫の声が静かに響いている。カーテンの隙間から差し込む月明かりが、畳の上を淡く照らす。

 新しい生活に胸が高鳴っていたはずなのに、眠りは浅く、心はどこか落ち着かなかった。

 ――となりの部屋に、悠真さんがいる。

 襖一枚隔てただけの距離。東京にいた頃は、彼の部屋に入ったことなど一度もなかった。けれどこの家に来てから、彼の存在を前よりずっと身近に感じてしまう。

 たとえば、あの夕方。麦茶を手渡してくれた手の熱。
 たとえば、朝、シャツの襟元から覗いた鎖骨と濡れた髪の色。

 それらが頭に残って、私の心をざわつかせる。

 カタン、と襖の向こうで音がした。私は思わず息をひそめる。

 「……っ」

 開け放たれた窓から夜風が入ってきて、浴衣の裾がふわりと揺れた。
 廊下を歩く気配。誰かが風呂場の方へ向かっている。

 時計を見れば、もう午前一時を過ぎていた。
 こんな時間に?と思ったその瞬間、私は音の主が誰かに気づく。

 ――悠真さん、だ。

 月明かりに照らされた廊下に、一人の影が現れた。

 腰にバスタオルを巻いただけの姿。濡れた髪から水滴がこぼれ、引き締まった胸板を静かに伝っていく。

 ……思わず、息を呑んだ。

 眼鏡を外したその横顔は、いつもの知的で冷静な表情とはまるで違って見えた。無防備で、艶があって、まるで別人のような――。

 「……真帆?」

 気づけば、私は廊下に立っていた。

 襖を少し開けてのぞくだけのつもりだったのに、身体が勝手に動いていたのだ。

 悠真さんが立ち止まり、私を見つめる。

 「……起きてたのか?」

 「……う、うん。ちょっと、寝苦しくて……ごめんなさい、見ちゃって……」

 私が目をそらすと、彼は困ったように息をついた。

 「いや、こっちこそ。裸で歩いてる俺が悪い」

 濡れた髪をかき上げ、少し笑うその姿に、胸の奥がじんと熱くなる。

 「……真帆」

 ふいに名前を呼ばれ、私は顔を上げる。

 「どうして……そんな顔してる?」

 「……え?」

 「熱があるみたいな目をしてた。何か、あったのか?」

 彼の目は、真剣だった。

 私は、ふるふると首を振った。けれど本当は、たまらなかった。

 この距離、この空気、この静寂の中に漂う、彼の匂いと体温。

 「……悠真さん、って」

 言葉が止まる。

 彼が、私に近づいてくる。

 バスタオル一枚のまま。濡れた髪が滴り落ちるほど近くに。私は、何も言えなくなる。

 「真帆、ダメなら、止めて」

 その声は、いつもの冷静な彼のものではなかった。
 喉の奥から絞り出すような、熱を帯びた声。

 私の肩に手が触れた。ひやりとした水滴が、浴衣の襟元に落ちてくる。

 私は、首を横に振らなかった。

 触れてほしいと思ってしまった。

 ――義理の兄なのに。

 ――ダメなことだって、わかってるのに。

 彼の手が、私の頬をなぞる。
 次の瞬間、そっと唇が触れた。

 乾いた唇。だけど、その熱は確かだった。

 「……んっ」

 浅いキスのあと、彼は私を見つめたまま言った。

 「もう、やめるなら……今だ」

 私の中に、迷いはあった。だけど、彼の手が私の指を絡めてくると、それはゆっくりと消えていった。

 「……やめないで」

 その言葉が出た瞬間、彼の表情がわずかに緩んだ。

 そして次の瞬間、私は抱き寄せられていた。

 濡れた肌が浴衣越しに触れ合い、背中を撫でられるたびに身体が跳ねる。

 「……真帆、柔らかい……」

 その声に、熱が集まっていく。

 私たちはそっと廊下を抜け、彼の部屋へと足を踏み入れた。

 月明かりの中、畳の上で、ふたりの距離はゆっくりと――確かに、近づいていった。

 キスは次第に深くなり、指先が肌をなぞりはじめる。

 彼の手は丁寧で、優しくて、でもどこか苦しげだった。

 私はただ、その手に身を委ねた。

 ――それが、すべての始まりだった。

朝から空はどんよりと重く、風がざわざわと木々を揺らしていた。

 夕方には雨が本格的に降り出し、夜には遠くで雷が鳴りはじめる。古い家のガラス窓が音を立て、私はふと外に目を向けた。

 「……降ってきたな」

 声をかけたのは、悠真さんだった。珍しくリビングに現れ、彼はソファに腰を下ろす。白いTシャツに黒のジャージ姿。眼鏡をかけていない彼の横顔を見て、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。

 昨夜、私たちは確かに――キスをした。

 たったそれだけのはずなのに、心の中では何度も、何度もあの時の感触がよみがえっていた。

 「停電、しないといいけど……」

 台所で母が心配そうに呟いたその時、まるでその言葉を待っていたかのように――家全体がすっと闇に包まれる。

 「……うそ、停電?」

 私が思わず声を上げると、母も台所から出てきた。
 「懐中電灯、どこだったかしら……」

 「お母さん、落ち着いて。俺、取ってくる」

 すぐに悠真さんが立ち上がった。
 懐中電灯やランタン、モバイルバッテリーなどを自分の部屋から取りに行こうとする彼に、私も反射的に声をかける。

 「一緒に行く。足元、暗いし……」

 「真帆……ありがとう。でも気をつけてな」

 彼の部屋に行くのは、ほんの短い時間のはずだった。

 母には「懐中電灯を探してくるね」と声をかけて、私は彼の後ろをそっとついていく。月明かりだけが頼りの廊下。足音をひそめて歩くたび、昨夜の記憶がふと蘇ってくる。

 

 彼の部屋に入ると、懐中電灯と一緒に、暖かい色味のランタンも用意されていた。私はそれを手に取り、部屋の中にふわりと明かりが灯る。

 「真帆、これをリビングに持ってって。母さんに」

 「うん!」

 私はすぐに母のもとへランタンを届けた。
 母は「助かったわ、ありがとうね」と微笑み、台所の片付けを再開した。

 「……これで少しは安心だな」

 リビングに戻った悠真さんがそう呟く。家全体はまだ真っ暗だけれど、ほんのり灯る明かりと、雨の音が静かに包んでいる。

 「じゃあ、俺は部屋でスマホの充電だけしてくる」

 「……わたしも、一緒に行っていい?」

 少しの沈黙のあと、彼は静かに頷いた。

 

 再び彼の部屋に戻ると、窓の外では雨音が強くなっていた。

 「さっきの……昨日のこと、だけど」

 私は、ずっと聞きたかったことを口にした。

 「後悔、してない?」

 「してない。でも……迷いは、ある」

 悠真さんがこちらを見つめる。
 「真帆は?」

 「……私も、後悔してない。むしろ……もう少し、ちゃんと触れてほしいって思ってる」

 その瞬間、彼の瞳に火が灯るような感覚がした。

 私はゆっくりと彼に近づいていく。
 触れたい、触れてほしい――その気持ちだけが身体を動かしていた。
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