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第3話:名前も知らないのに
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引っ越して3日目。
段ボールの山に囲まれながら、私はスーパーのチラシをにらんでいた。
「卵が……1パック128円……?やっす……」
東京では見たことない価格に、思わず小さく声が出た。
冷蔵庫は空っぽ、コンロもまだ未使用。
よし、今日はちゃんと料理しよう——と意気込んで、近くのスーパーまで歩くことにした。
風が気持ちいい午後。
田んぼの中の一本道を歩いていると、どこからか焼きたてのパンの香りがふわっと流れてきた。
「……パン屋さん?」
少し角を曲がると、小さな看板が道端に立っている。
《Bakery TSUKI》 本日限定:くるみバターと塩メロンパン!
吸い寄せられるように、その小さなパン屋のドアを開けた。
——カランコロン。
懐かしい音と同時に、あの香りがぐっと濃くなる。
木の棚に並ぶ焼きたてのパン。お店の奥には、カフェスペースまである。
「……ここ、可愛い」
そう呟いたときだった。
「おや、また会いましたね」
聞き慣れた低い声に、びくっとして振り向くと——
レジ前に立っていたのは、あの駅で隣に座っていた彼だった。
……スーツじゃ、ない。
白いTシャツに、ネイビーのカーディガン。ラフなのにどこか品があって、前よりずっとリラックスした笑顔をしている。
「えっ……え!? あ、あのときの……!」
「パン、お好きですか?」
「だ、だいすきです……けど、ここにいるなんて、びっくりしました」
「僕のほうこそ。この辺、あんまり人来ないのに。嬉しい偶然ですね」
彼が手に持っていたトレイには、くるみパンとミルクフランス。
そのチョイスが、なんだか妙に可愛い。
「パン、おすすめあります?」
「うーん……これですかね」
そう言って彼が指さしたのは、まるでスーツを着た人が選びそうにない、
“はちみつバターとチーズの甘じょっぱいやつ”。
「……可愛いの選ぶんですね」
「えっ。そ、そうですか? いや、えっと……実はこれ、ちょっとハマってて……」
急に照れて、視線を逸らした彼の頬がほんのり赤くなる。
……あれ。やばい。
この人、ギャップすごい。
駅で見た“完璧スーツの王子”じゃなくて、今目の前にいるのは、
ちょっと天然で、ちょっと可愛くて、それでいて優しさがにじみ出る人。
「……そのパン、私も買ってみます」
「ほんとですか? じゃあ……感想、あとで聞いてもいいですか?」
「え?」
「……連絡先、聞いてもいいですか?」
その言い方は、さらっとしてるのにどこか真剣だった。
遊びでも気まぐれでもなくて、「また会いたい」ってちゃんと思ってくれてるのが伝わってきた。
「……はい」
私はスマホを取り出しながら、心臓がバクバクしてるのをなんとか隠そうとする。
彼は自分のスマホに私の連絡先を入力しながら、
「ありがとうございます」と、優しい声で言った。
名前も、仕事も、まだ何も知らない。
でも、こうして一歩だけ彼の世界に入った気がして——
なぜだか少し、嬉しかった。
段ボールの山に囲まれながら、私はスーパーのチラシをにらんでいた。
「卵が……1パック128円……?やっす……」
東京では見たことない価格に、思わず小さく声が出た。
冷蔵庫は空っぽ、コンロもまだ未使用。
よし、今日はちゃんと料理しよう——と意気込んで、近くのスーパーまで歩くことにした。
風が気持ちいい午後。
田んぼの中の一本道を歩いていると、どこからか焼きたてのパンの香りがふわっと流れてきた。
「……パン屋さん?」
少し角を曲がると、小さな看板が道端に立っている。
《Bakery TSUKI》 本日限定:くるみバターと塩メロンパン!
吸い寄せられるように、その小さなパン屋のドアを開けた。
——カランコロン。
懐かしい音と同時に、あの香りがぐっと濃くなる。
木の棚に並ぶ焼きたてのパン。お店の奥には、カフェスペースまである。
「……ここ、可愛い」
そう呟いたときだった。
「おや、また会いましたね」
聞き慣れた低い声に、びくっとして振り向くと——
レジ前に立っていたのは、あの駅で隣に座っていた彼だった。
……スーツじゃ、ない。
白いTシャツに、ネイビーのカーディガン。ラフなのにどこか品があって、前よりずっとリラックスした笑顔をしている。
「えっ……え!? あ、あのときの……!」
「パン、お好きですか?」
「だ、だいすきです……けど、ここにいるなんて、びっくりしました」
「僕のほうこそ。この辺、あんまり人来ないのに。嬉しい偶然ですね」
彼が手に持っていたトレイには、くるみパンとミルクフランス。
そのチョイスが、なんだか妙に可愛い。
「パン、おすすめあります?」
「うーん……これですかね」
そう言って彼が指さしたのは、まるでスーツを着た人が選びそうにない、
“はちみつバターとチーズの甘じょっぱいやつ”。
「……可愛いの選ぶんですね」
「えっ。そ、そうですか? いや、えっと……実はこれ、ちょっとハマってて……」
急に照れて、視線を逸らした彼の頬がほんのり赤くなる。
……あれ。やばい。
この人、ギャップすごい。
駅で見た“完璧スーツの王子”じゃなくて、今目の前にいるのは、
ちょっと天然で、ちょっと可愛くて、それでいて優しさがにじみ出る人。
「……そのパン、私も買ってみます」
「ほんとですか? じゃあ……感想、あとで聞いてもいいですか?」
「え?」
「……連絡先、聞いてもいいですか?」
その言い方は、さらっとしてるのにどこか真剣だった。
遊びでも気まぐれでもなくて、「また会いたい」ってちゃんと思ってくれてるのが伝わってきた。
「……はい」
私はスマホを取り出しながら、心臓がバクバクしてるのをなんとか隠そうとする。
彼は自分のスマホに私の連絡先を入力しながら、
「ありがとうございます」と、優しい声で言った。
名前も、仕事も、まだ何も知らない。
でも、こうして一歩だけ彼の世界に入った気がして——
なぜだか少し、嬉しかった。
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