3 / 6
第3話:名前も知らないのに
しおりを挟む
引っ越して3日目。
段ボールの山に囲まれながら、私はスーパーのチラシをにらんでいた。
「卵が……1パック128円……?やっす……」
東京では見たことない価格に、思わず小さく声が出た。
冷蔵庫は空っぽ、コンロもまだ未使用。
よし、今日はちゃんと料理しよう——と意気込んで、近くのスーパーまで歩くことにした。
風が気持ちいい午後。
田んぼの中の一本道を歩いていると、どこからか焼きたてのパンの香りがふわっと流れてきた。
「……パン屋さん?」
少し角を曲がると、小さな看板が道端に立っている。
《Bakery TSUKI》 本日限定:くるみバターと塩メロンパン!
吸い寄せられるように、その小さなパン屋のドアを開けた。
——カランコロン。
懐かしい音と同時に、あの香りがぐっと濃くなる。
木の棚に並ぶ焼きたてのパン。お店の奥には、カフェスペースまである。
「……ここ、可愛い」
そう呟いたときだった。
「おや、また会いましたね」
聞き慣れた低い声に、びくっとして振り向くと——
レジ前に立っていたのは、あの駅で隣に座っていた彼だった。
……スーツじゃ、ない。
白いTシャツに、ネイビーのカーディガン。ラフなのにどこか品があって、前よりずっとリラックスした笑顔をしている。
「えっ……え!? あ、あのときの……!」
「パン、お好きですか?」
「だ、だいすきです……けど、ここにいるなんて、びっくりしました」
「僕のほうこそ。この辺、あんまり人来ないのに。嬉しい偶然ですね」
彼が手に持っていたトレイには、くるみパンとミルクフランス。
そのチョイスが、なんだか妙に可愛い。
「パン、おすすめあります?」
「うーん……これですかね」
そう言って彼が指さしたのは、まるでスーツを着た人が選びそうにない、
“はちみつバターとチーズの甘じょっぱいやつ”。
「……可愛いの選ぶんですね」
「えっ。そ、そうですか? いや、えっと……実はこれ、ちょっとハマってて……」
急に照れて、視線を逸らした彼の頬がほんのり赤くなる。
……あれ。やばい。
この人、ギャップすごい。
駅で見た“完璧スーツの王子”じゃなくて、今目の前にいるのは、
ちょっと天然で、ちょっと可愛くて、それでいて優しさがにじみ出る人。
「……そのパン、私も買ってみます」
「ほんとですか? じゃあ……感想、あとで聞いてもいいですか?」
「え?」
「……連絡先、聞いてもいいですか?」
その言い方は、さらっとしてるのにどこか真剣だった。
遊びでも気まぐれでもなくて、「また会いたい」ってちゃんと思ってくれてるのが伝わってきた。
「……はい」
私はスマホを取り出しながら、心臓がバクバクしてるのをなんとか隠そうとする。
彼は自分のスマホに私の連絡先を入力しながら、
「ありがとうございます」と、優しい声で言った。
名前も、仕事も、まだ何も知らない。
でも、こうして一歩だけ彼の世界に入った気がして——
なぜだか少し、嬉しかった。
段ボールの山に囲まれながら、私はスーパーのチラシをにらんでいた。
「卵が……1パック128円……?やっす……」
東京では見たことない価格に、思わず小さく声が出た。
冷蔵庫は空っぽ、コンロもまだ未使用。
よし、今日はちゃんと料理しよう——と意気込んで、近くのスーパーまで歩くことにした。
風が気持ちいい午後。
田んぼの中の一本道を歩いていると、どこからか焼きたてのパンの香りがふわっと流れてきた。
「……パン屋さん?」
少し角を曲がると、小さな看板が道端に立っている。
《Bakery TSUKI》 本日限定:くるみバターと塩メロンパン!
吸い寄せられるように、その小さなパン屋のドアを開けた。
——カランコロン。
懐かしい音と同時に、あの香りがぐっと濃くなる。
木の棚に並ぶ焼きたてのパン。お店の奥には、カフェスペースまである。
「……ここ、可愛い」
そう呟いたときだった。
「おや、また会いましたね」
聞き慣れた低い声に、びくっとして振り向くと——
レジ前に立っていたのは、あの駅で隣に座っていた彼だった。
……スーツじゃ、ない。
白いTシャツに、ネイビーのカーディガン。ラフなのにどこか品があって、前よりずっとリラックスした笑顔をしている。
「えっ……え!? あ、あのときの……!」
「パン、お好きですか?」
「だ、だいすきです……けど、ここにいるなんて、びっくりしました」
「僕のほうこそ。この辺、あんまり人来ないのに。嬉しい偶然ですね」
彼が手に持っていたトレイには、くるみパンとミルクフランス。
そのチョイスが、なんだか妙に可愛い。
「パン、おすすめあります?」
「うーん……これですかね」
そう言って彼が指さしたのは、まるでスーツを着た人が選びそうにない、
“はちみつバターとチーズの甘じょっぱいやつ”。
「……可愛いの選ぶんですね」
「えっ。そ、そうですか? いや、えっと……実はこれ、ちょっとハマってて……」
急に照れて、視線を逸らした彼の頬がほんのり赤くなる。
……あれ。やばい。
この人、ギャップすごい。
駅で見た“完璧スーツの王子”じゃなくて、今目の前にいるのは、
ちょっと天然で、ちょっと可愛くて、それでいて優しさがにじみ出る人。
「……そのパン、私も買ってみます」
「ほんとですか? じゃあ……感想、あとで聞いてもいいですか?」
「え?」
「……連絡先、聞いてもいいですか?」
その言い方は、さらっとしてるのにどこか真剣だった。
遊びでも気まぐれでもなくて、「また会いたい」ってちゃんと思ってくれてるのが伝わってきた。
「……はい」
私はスマホを取り出しながら、心臓がバクバクしてるのをなんとか隠そうとする。
彼は自分のスマホに私の連絡先を入力しながら、
「ありがとうございます」と、優しい声で言った。
名前も、仕事も、まだ何も知らない。
でも、こうして一歩だけ彼の世界に入った気がして——
なぜだか少し、嬉しかった。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!
夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」
婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。
それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。
死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。
……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。
「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」
そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……?
「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」
不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。
死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!
お前は要らない、ですか。そうですか、分かりました。では私は去りますね。あ、私、こう見えても人気があるので、次の相手もすぐに見つかりますよ。
四季
恋愛
お前は要らない、ですか。
そうですか、分かりました。
では私は去りますね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる