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4. 変わらない選択肢。

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 軽く食事を終え、エリィは身支度を整えて玄関ホールへの階段を階段を下りた。そこには待ち構えていたようにエリィ専属執事のシャロムが鞄を携えて待っている。エリィが歩みを進めるとシャロムは黙したままスッとエリィの後ろに続いた。
 
 シャロムは王家から派遣された有能な執事である。エリィが婚約をした8つの頃からずっと傍を離れずに仕えていた。表向きには未来の王太子妃の護衛兼、病弱なエリィを心配しての王子の好意・そして見合いの席での無礼の詫びと言う風になってはいる。が、実際の所は違う。エリィがヴィスタに強請ったのだ。あの時の言葉を言質として。

「贅沢させてくれるって言いましたわよね?なら、私専属の執事を付けてくださいな。もちろんイケメンで。ああ、もちろんお給金は王子様の私財より捻出してくださいましね?」

 そう言ってニッコリ妖精のように笑って見せたエリィにヴィスタは逆らうことが出来なかった。
 エリィにとってイケメン執事は憧れである。前世では病院から終ぞ出ることが叶わなかったために、執事喫茶に行くと言う夢が果たせないままだった。だが、エリィは転生した。そうして、贅沢をさせてやると言う権力者もいる。執事を付けてもおかしくない立場がある。なら、強請らない方がもったいない。飛び切り有能で、飛び切りの美丈夫を条件に付けるのも当たり前だろう。

 シャロムは黒髪、黒目で大人の色気を醸し出す最高の執事だった。護衛としての腕も、執事としての能力も申し分ない。表情が無い時は少し近寄りがたい雰囲気なのだが、笑う時は少し目を細めてとても優し気な微笑みを見せるのだ。その笑顔は心なしかセシルに少しだけ似ているのもポイントが高い。もちろん執事の選定にエリィもちゃっかり加わっていたからの決定であった。
 それに、だ。シャロムはもちろんというか、やっぱりと言うか。攻略対象の一人なのだ。シャロムはどこに出てくるんだろうと思っていたら、まさか王家から選出された執事候補の一人とは流石のエリィも予想外だった。ゲーム内ではなぜエリィに専属の執事がいるのかどうかは明かされてはおらず、まるで忍者のように余り姿を見せないで陰からエリィを守る護衛執事のような感じであった為、開発会社の趣味でとってつけたようにできたキャラだと思っていた。まさかエリィがあんなにも幼いころから一緒に居るとは想定外であったし、あのキャラが笑うなどそれこそ想像など出来ないぐらいだったのだ。それぐらいゲームの中でのシャロムは寡黙・根暗・冷徹といったクーデレを貫き通していた。どこで間違ったのだろうと考えてみると、やはり……最初からとしか思えない。

 配属された初日より、常に目立たぬように控えていたシャロンにエリィは抱きかかえて運ばせること言う役目を無理やりに与えた。もちろん、個人的理由があってだ。恐らくゲーム内の本来のエリィはそのようなことをしなかったのだろう。これは一重に前世の記憶を持つ今のエリィの煩悩によるところが大きい。
 いや、だって、ね?ドレスを着た幼女がパリッとしたお仕着せに身を包んだ美青年の従者の腕にちょこんと座る様にして常に移動って……夢でしょ?っと、あの時のエリィはヨシュアに力説していた気がする。8歳と言えば幼女から少し出ている気もしないが、エリィは譲らなかった。そのしょーもない行為に反対をしたヴィスタに”知ってるでしょ?どうせ死ぬんだから死ぬまでは好きにさせて”と言い放てばヴィスタはもう言い返すことが出来なかったのだ。

 シャロムは現在28歳。成人してすぐにエリィの専属となり、エリィが幼い頃はそれこそ体の弱い彼女の足となっていた。どこに行くのもエリィを大事そうに抱きかかえていくと言う過保護執事っぷりであったのは、未だエリィのまわりに居た者たちの記憶に新しい。実際の所は過保護でもなんでもなく、それがエリィの指示だけだったわけだが。今でこそ抱きかかえて移動するような事は無くなったが、常に側に居るのは変わってはいない。

「今日はちょっと冷えるわね」

 玄関扉の外に出て、春先にしては予想外の肌寒さにエリィはブルっと身震いをして身を縮め込ませる。それも一瞬の事で、すぐにシャロムによって暖かい外套を掛けられる。

「ありがとう。助かるわ」
「いえ」

 エリィが礼を言うと、シャロムはとんでもないと言った面持ちで一歩下がり頭を下げた。個人的にもっと仲良くしたいとエリィは思っているのだが、何故か最近のシャロムはいつもこうやって一歩引いた姿勢を崩さない。執事としては当たり前の事なのだろうが、もう少し、こう……執事を愛でたい身としては些か不満が残る。また抱きかかえて運ばせるか……などと不埒な妄想をエリィが始めたのを見破ったのか、形の良い綺麗な手がエリィの前に差し出された。

「遅かったな、早く馬車に乗れ。……っていうか、その何か企んだような顔やめろ」

 その声の主の方に顔を向けると、いかにも待ちくたびれたと言う感じで少し不機嫌そうなヴィスタがいた。その表情の割には優し気な手つきで優雅にエリィを馬車へとエスコートする。

「人聞きの悪いことおっしゃらないでくださいます?」
「どうせろくなことを考えていないだろう?」
「ぐぬぬ」
「否定しないのか……」

 柳眉を釣り上げて睨むエリィに、ヴィスタは呆れたように半眼になる。そうして軽く口論しながら馬車に乗り込むと、くすくすと楽しむような小さな笑い声がした。エリィが顔を上げるとそこには彼女の大好きな優しい顔があった。

「兄さま!」
「今日は少し顔を出すところがあってね。途中までは一緒にいくよ」
「本当に?嬉しいわ。兄さま大好きっ」

 エリィはさも当然のようにセシルの隣に座ると、その腰に手を回してギュッと抱きついた。そうすればセシルの大きい手がエリィの髪を優しく撫で始める。
 
「ちょっと待て、リズ。一緒に行く私には何も言う事が無いのか?」
「頼んでおりませんが?」

 間髪入れずにエリィが素気無く返答すると、ヴィスタは不機嫌さをさらに増した顔でドスンと大きな音を立てて座った。それを確認すると、シャロムが静かに扉を閉める。そうしてシャロムが御者の隣に落ち着くと馬車は静かに走り始めた。
 
 
 今日セシルは何でも他国の使者を伯爵と共に郊外まで出迎えに行く役を仰せつかったらしい。そこで、学園に向かう途中にある伯爵の家に出向くという事だった。仏頂面のヴィスタを完全放置して、エリィはセシルと他愛ない話に興じる。そうして15分ほど経ったところだろうか、馬車は伯爵家の玄関前にゆっくりと速度を落として止まった。玄関先には既に伯爵や従者たちがセシルを今か今かと待っていたようであった。

「わざわざ屋外でお待ちいただいているとは、丁寧なご対応ありがとうございます」

 馬車を下りるとセシルは直ぐに伯爵に優雅に感謝の意を表す。いつでもどの身分の者に対しても奢らず丁寧に対応するセシルは、エリィの自慢の兄だ。セシルと離れることは名残惜しくはあったけれども、伯爵に堂々と礼をしているセシルの姿を見れば誇らしくもあった。エリィがそんなセシルに見惚れていると、セシルはそれに気がついた様に振り返り、「遅刻してしまうよ、お行き」と小さくエリィに耳打ちをした。その囁き声にいつもの3倍以上興奮したのは言うまでもない。
 エリィは挨拶もそこそこに離れることを伯爵に丁寧に詫びて馬車へと乗り込もうとした。と、そこで死角に隠れるようにして、存在を消しているヴィスタに気が付いた。そこでエリィはピンときて馬車の扉に手を掛けたまま伯爵を振り返る。

「そういえば、伯爵様。アイリス様はもう学園へお行きになられました?もしよかったらご一緒致しますが」

 そうエリィが問えば、伯爵は恐れ多いと言った感じで恐縮して頭を下げた。

「エイリーズ様、ありがとうございます。娘は本日は既に家を出ておりまして。折角お誘い頂いたと言うのに申し訳ございません」
「あら、残念ですわね……」

 残念そうな声を出しながらも馬車の隅に隠れているヴィスタにニヤリと笑って見せると、明らかにヴィスタは苦虫をかみつぶしたような顔でエリィを睨んでいた。
 伯爵家のアイリス嬢と言えば、熱心なヴィスタファンで有名である。どのくらい熱心かと言えば、毎日のようにヴィスタの所へやってきては「側室でいいのです!召し上げてくださいませ!」とヴィスタの足に泣いて縋ってみたり、ヴィスタの居ない隙にこっそりヴィスタの席に座り、机に頬ずりした後、机の隅にヴィスタへの愛のポエムを綴ってみたり。食堂でヴィスタが使ったスプーンを権力を笠に着て、片づけようとする食堂のおばちゃんから取り上げ、持ち帰ってヴィスタコレクションとして保管したり……。まぁ所謂ストーカーもどきの変態令嬢だ。
 怒っても宥めても一向に態度を変えないアイリスをヴィスタは特に苦手としていた。虫よけとしての仕事を果たせと何度もエリィはヴィスタから詰られたものだが、放置状態である。理由を問えばエリィはいつも満面の笑みで答える。「だって楽しいから」、と。

 アイリスが居なかったことをとても残念そうに伯爵に別れを告げ、馬車へと腰を落ち着けて窓の外に視線を向ければ、伯爵は深々と頭を下げてみせた。どうも伯爵にはそこにヴィスタが居た事を知っていたようだった。
 エリィはヴィスタの代わりに頭を軽く下げて挨拶をすると、再び馬車は動き出す。学園まではあと20分ほど馬車に乗らなくてはならない。その間はヴィスタと二人きりだ。……何か忘れているような気がしたが、エリィはすぐに考えるのをやめ、窓の外の景色をボーっと眺めた。

「いい加減兄離れしたらどうだ、リズ」

 憮然とした面持ちで腕を組みながら、ヴィスタは口を開いた。口元に充てていた扇子をパチンパチンと開いたり閉じたりしながら、エリィはチラリとヴィスタを一瞥して、再び視線を窓の外に戻した。

「何故離れればいけないのです」

 ヴィスタの言葉を聞き入れるようなそぶりは全く見せず、エリィは冷たく、そして素っ気なく言葉を返した。するとヴィスタは腹に据えかねるように舌打ちを一回する。

「外聞が悪いだろう」
「家族ですから、問題はありませんわよね」
「問題あるだろう。いつまでもそのままだと、この先子供じみた女だと侮られるぞ」
「別に侮られたっていいではありませんか」
「次期王妃の自覚を持てと言ってるんだ」
「関係ありませんわね」
「どうしてそう投げやりなんだ。私の婚約者であることは事実だろうが」

 噛みつくように、幾分身を乗り出してヴィスタが言えば、エリィは鬱陶し気にヴィスタに視線を投げた。そうして呆れたように大きくため息を吐く。

「どうしてか、と聞かれたら答えは一つですわね」
「なんだ」
「死ぬからです」

 そんな簡単なこともわからないのかといった調子でエリィが言えば、ヴィスタは言葉に詰まったように口を閉じた。何度もそれとなく注意していると言うのに、ヴィスタはエリィに本気で次期王妃役を押し付けようとしているのが見て取れた。だからこそ、そろそろはっきり言っておかねばと、エリィは思っていたところだったのだ。

「何年先かわからない、来るかどうかも分からないことを嘆いて自棄になっても仕方ないだろう」
「嘆いても自棄になってもおりません。確実に死ぬから死ぬと申し上げているのです」

 ヴィスタの言葉にエリィがピシャリと言い返すと、ヴィスタは何とも言えない悲しそうな顔をして乗り出していた体を椅子に戻し、背中を背もたれに預けるようにして深く腰を掛けた。

「確かにリズの体が弱い事を知って居る。だが、私があらゆる手を尽くそう。心の臓の病が治った例は無くはない」
「何度も申し上げておりますように、それは不要ですわ。無意味です。無駄なお金を使うことはございません」
「なぜ、そんなに悲観的なんだ。私だけでない。お前の大好きな兄のセシルも、ヨハンも、私の父上や母上ですら、皆リズの病が治ってほしいと願っているのだぞ」

 感情的になら無いように押さえているのか、少し低めの声でボソリとヴィスタ言った。エリィはその言葉をとてもうれしく思う反面、無駄に希望を植え付けようとする健康な彼を妬ましくも感じる。だが、この運命はどうやっても変えることが出来そうもなかった。試しに学園に入学しないでノエルと会わないようにする選択肢は取れないかと頑張ってはみたものの、結局徒労に終わり、今はこうして諦めたように通える時は毎日学園に通っている。どんなに違った選択肢を選んでみようが、選択肢以外の事をしてみようが、結果は何も変わらなかった。それはつまり、エリィには運命を変えることなどできない事を確認しただけの作業に他ならなかった。決まっている結果はどんなルートを通ろうともそこへ収束するのだ。だとしたら、病を治そう、未来を変えようとすることは時間の無駄にしかならない。限られた残りの時間を無駄な時間に割きたくはないというのが本音だ。

「殿下」
「ヴィスタと呼べ」
「いいえ、殿下。真面目な話ですので一回しか言いません。ですから、これから言う事を|理解して(わかって)下さい」
「……」

 ヴィスタは返事をしなかったが、エリィは沈黙は肯定として口を開いた。

「私は死ぬことを理解しわかって居るわけではないのです。ただ、知って居るのです。ですから、未来に繋がる事は全て無意味だと思っております。殿下も#私の死__ソレ__#を期待しての婚約だった筈です」
「それは……!」

 幼い日のあの話を持ち出せば、ヴィスタは少し青ざめて目を見開き唇をかみしめた。そんな彼の表情にエリィは言いすぎたことを少し悔やんだ。幼い日のヴィスタは深く考えもせずに、己の考えがとてもいいアイデアだと思っていたのだろう。自分を煩わせる日常から逃げ出したかっただけの、自分本位な子供の無垢な残酷さ。それぐらいはエリィも理解していた。だからきっちりと自分の失言のしっぺ返しは受けてもらった。それなのに、今その話題を持ち出すのは、エリィの狡さである事は言うまでもない。
 ヴィスタの心配する気持ちは嬉しがったが、その彼の唯一の弱点である罪悪感を利用してでも、エリィは残り少ない時間を有効に使える自由が欲しかった。

「外面の為に王妃教育もきっちり受けましたし、義務は果たしました。それ以外の事で私に干渉をしないでいただきたいのです」
「リズ……」
「……学園にもうすぐ尽きますわ。この話はここで御終いに致しましょう」

 エリィが一方的に話を打ち切ると、ヴィスタは悔しそうに唇をかみしめたまま、膝の上でこぶしを握っていた。流石に少しきつく言いすぎたと、エリィはヴィスタにかける言葉をあれこれ考え、気まずい雰囲気を破るために口を開いた。

「ヴィスタ様、私は……」

 そう言いかけた時、エリィはその手首をつかまれ、強引に引き寄せられた。とっさの事で混乱したまま顔を上げると、エリィはヴィスタの腕の中にいて、見上げた視線のすぐ先のいつもよりも数段と近い位置に彼の綺麗な顔があった。その瞳には悲し気な色が濃く浮かび、その瞳を覗いてしまったエリィは罪悪感からか黙ったまま視線をそらした。

「リズ。私が酷いことをしたのは重々わかっている。それでも私はリズを私の妃に迎え入れたい」
「ご冗談が過ぎますわ」
「冗談などではない」
「リズ。私を愛してくれ」

 ヴィスタはエリィをそのまま座面に押し倒して、その上から覆いかぶさる様にエリィの頭を抱え込んだ。そうして発せられたその真剣な声色にビクンとエリィは心臓の跳ね上がる気がした。ズキンと刺さるような痛みにエリィは慌てた。

 ヴィスタはそのまま、異変に気付くことなく梃子でも動く様子がなかった。エリィはなんとかその腕から逃れようと体をよじってもがく。そうやって抵抗するたびに、エリィの心臓は悲鳴を上げるように跳ね上がり体を指すような痛みが走った。まるでパニック状態に陥ったかのように、声を上げようにも上手く息が吸えない。呼吸をするだけで激しく胸が痛み、その痛みが恐ろしくてうまく息が吸えなくなっていたのだ。
 ”ガタン”と、いつもより大きな振動と共に馬車が停止すると、ヴィスタは「すまない」と小さく謝ってエリィの体を解放した。エリィは脂汗を浮かべながら逃げるように馬車の扉を開ける。すると、その開けた先には怒ったような顔のヨシュアが立っていた。

「エリィ、僕を置いて行っただろ?学園に行こうと思ったらもう皆行った後で焦ったん……」
「ヨシュア、苦しい……助けて」

 ヨシュアの言葉を遮り、エリィはそうかすれた声で言った。そのまま両手で胸を押さえながらヨロヨロと馬車を下りようとする。そんな様子に異変を感じたのか、ヨシュアが慌てて腕を伸ばしながら馬車に近づくのを見て、エリィは安心したかのように、馬車から落ちる形でヨシュアの方に体を投げ出して意識を失った。

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