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5. 状況証拠って怖い☆

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 結局、エリィが寝台から体を起こせるようになったのは、あの日から3日後だった。発作自体は直ぐに収まったものの、直後に高熱を出して寝込んでしまい、意識朦朧とした3日を送った。時々うっすらと意識が覚醒して目を開けるたび、側にはヨシュアかセシルのどちらかが座っていた。それを見るたびにエリィはホッとして意識を手放す、という事を繰り返して3日目。スッキリと朝の光で目が覚めた。

「良く寝たわ~」

 あれだけ苦しかったのが嘘のように体が軽い。軽く伸びをしてみると、寝過ぎたせいで少し背中が凝って痛かったが、どこも痛まず、心臓もピクリとも騒いだりしない。

「今なら屋敷の周りを万歳三唱しながら走っても大丈夫な気がするわ……」
「大丈夫なわけないだろ」

 上機嫌で独り言をつぶやいていたと言うのに、その言葉を容赦なく否定する声が横からかかる。気が付いたら寝台の横にヨシュアが立っていた。その顔は少し精彩を欠き、目の下にはうっすらと隈があった。

「あら、ヨシュア。おはよう」

 わざとらしく笑みを作って見せると、ヨシュアは怒ったような、嬉しいような、口元をピクピクさせた変な表情をしてみせた。腕を組んだまま、人差し指をトントンとせわしなく動かしているさまは、まさにイラついているという表現そのものである。

「私の目ざめを素直に喜んでもよくってよ?」

 両頬に手を当てながら可愛らしく見上げてみるエリィを、ヨシュアは一睨みした後「はぁぁ……」と深い息を吐いてみせた。そうして、椅子にどっさりと腰を下ろす。

「えっと、迷惑かけちゃったわね。ごめんね、びっくりした?」
「するにきまってんだろ。僕を置いてくし、倒れるし」
「私もまさか発作が起きるとは……」
「それだけじゃないだろ」
「え?」
「馬車から出てきたエリィは、髪は乱れてたし、靴は片方しか履いてなかったし」
「え……え~っとぉ」

 ヴィスタに「愛してくれ」って迫られてました!などと言えるはずもなく、エリィは視線を泳がせる。発作が起きたのと、ヴィスタから逃げ出すのに必死で自分の身なりに気を回していなかった事が悔やまれた。恐らく顔を抑えられている時に髪が乱れ、抱きつかれてもがいてるときに靴が脱げてしまっていたのだろう。そんな乱れた格好で馬車の外に出れば、何かあったと思われても仕方が無いという事に気が付いた。

「何もなかったよ。うひっ♪」

 ”うふっ”っとかわいこぶって笑って誤魔化そうとしてみたが、残念ながら失敗したようだった。慣れないことはするもんじゃないとエリィは少しだけ反省する。そんなエリィの言葉にヨシュアは誤魔化されることなく、厳しい視線を向けていた。

「殿下に何された?」
「いや、だから大したことは何も」
「言いたくないのか、それとも言えないのか」
「え?」
「あの野郎……」
「まって、まって、ヨシュア。誤解、誤解」

 下手に誤魔化そうとしたために大事になりそうな気配を感じて、エリィは慌ててヨシュアに詳細を話す。いささか気恥ずかしい思いをしたものの、エリィが必死に話せばヨシュアは不審そうな顔をしながらも納得したようだった。

「んで、殿下はいらっしゃってるの?」

 エリィが発作や寝込んだ時は、まるで家族のようにヴィスタは侯爵家に入り浸るのは当たり前になっていた。だからこそ、エリィはヴィスタの姿が無いのが不思議だった。いつもならエリィが目を覚ますと何で気づくのか首をかしげる程早く駆けつけてくるのに、今こうしてヨシュアと話していても一向にやってくる気配が無い。不思議そうに首をかしげて見せるエリィにヨシュアはちょっとだけ黒い笑顔を見せた。

「出禁になった」
「え?」
「ちなみに今は城で謹慎中」
「は?」

 既に大ごとになっていたようである。

「お、大ごとになってる?」
「それはもう」

 ヨシュアは更に黒い笑みを深め、その笑顔にエリィは顔を青ざめさせる。そんなエリィの頭を黒い笑みを浮かべたままヨシュアは撫でた。そして、エリィが寝込んでいる間の顛末をニヤニヤしながら話したのだ。



 あの日、学園の玄関前でエリィが「助けて」と言いながら胸元を抑えてヨシュアの腕に飛び込んだのを目撃したのはヨシュア一人ではない。なにせ、朝の通学時間である。しかも、密かにファンの多い侯爵令嬢の馬車の到着を待っていた令息も数多い。その上、ヨシュアファンの令嬢たちもエリィの到着を待つヨシュアを遠巻きに見ていたのだ。
 そこへいつも通り……ではなく、速度を殆ど落とさず馬車が走り込み、急停車をした。いつもの侯爵家の馬車ならそんな優雅ではない止まり方はしない。まずそこから不審に思って皆眉をひそめた。手綱を握っているのもいつもの御者ではなく、エリィの執事で、その表情は焦りがあったようにも見えた。
 そうして直ぐに開け放たれた馬車の扉から現れたエリィの姿と、発作を起こして倒れる様子を多くの生徒が見ていた。ピリリとした緊張が走ったその直ぐ後、何事かとすっとぼけた顔をしてエリィの後から出てきたヴィスタに、一斉に軽蔑の眼差しが贈られたのは言うまでもない。
 意識を失ったエリィはそのままヨシュアに抱かれて医務室に運ばれ、ヴィスタは学長室に連行された。それからすぐ義父ヨハンが馬を飛ばしてエリィを迎えにやってきて、そのすぐ後に王妃が直々にヴィスタを引き取りに来た。その時の王妃はと言えば、普段の優し気な雰囲気は欠片もなく、話しかけるのも戸惑うほどの怒気を纏っていたという。

 そうして、ヴィスタは1週間の謹慎と公式の場への出席3カ月禁止を言い渡された。その上、晴れて侯爵家への出入り禁止と、結婚するまでエリィと2人きりでの接近禁止を勝ち取った()と言うわけである。

「わ~お……」
「まぁ、自業自得だろ。迫ったこと自体は王子も認めたからの処罰だし」
「でも、ちょっと厳しすぎない?」
「僕はお見舞いに来られた王妃様に”このままだと姉が死んでしまいます”ってちょっと涙を浮かべて言ってみただけ。主に暴れたのは兄さんと学園のみんな、かな」
「え?」
「流石に朝の登校時間帯にいくら婚約者と言えど不謹慎すぎるし、エリィが可哀想だと」

 あまりの話の展開に、流石のエリィも顔をしかめるしかなかった。ヴィスタがもう少し空気を読んで自分の保身に走ってくれれば、そして馬鹿正直に”迫った”などと言わなければここまで大ごとにならなかっただろう。自業自得と言えば自業自得なのだが、エリィも絡んでいる一件であるから寝覚めが悪い。この国の王子だと言うのに、学園内で社会的評価が酷いことになってるのは間違いなさそうだ。立派な地位がある分、滅多なことでは社会的抹殺までにはならないのは救いかもしれない。そう心配しつつも、ヴィスタの気持ちが重くて、離れられる事にホッとする自分もいることは否定できなかった。

「と、言うわけでさ、王妃様からもお詫びの手紙と贈り物が届いてるから。大丈夫そうならお返事は差し上げた方が良いよ」

 それだけ言うと、ヨシュアはあくびをかみ殺し「寝る」と一言告げてから部屋を出て行った。





*****************





 翌日の事だった。学園の同級生を代表して幾分緊張気味な顔でお見舞いにやってきたのは、公爵家令息のフィリオールだった。彼は厳しい所もある反面、心配性で面倒見がいい生徒会長だ。本来なら王子であるヴィスタが生徒会長を、彼・フィリオ―ルが副会長をやるはずだったのだが、ヴィスタの”私は公務で忙しい”という我がままがまかり通ってしまったため、フィリオ―ルが生徒会長となった。そして副会長にはヨシュアが着任した。

 ちなみに彼も攻略対象である。

「エイリーズ嬢、気分はどうだい?」

 優しい香りの小さなブーケを差し出しながらフィリオールが言うと、エリィはそれを受け取りながら微笑む。フィリオールはいつもそうやって、エリィが学園を欠席すると小さなブーケと授業の写しを携えてお見舞いにやってくる。いや、エリィだけではない。学園の誰が休んでいても同じことをする。言うなれば、クラスのオカン的存在だ。

「フィリオール様、ありがとうございます。もう学園へ行っても大丈夫なのですが、家族が許してくれませんの」
「侯爵も心配しておられるのだろう?仕方ないさ。本当ならここへは女生徒に来てもらうべきだったのだろうが……」

 気まずそうに言うフィリオ―ルの言葉に、エリィは少し顔をしかめた。お堅い方に分類されるフィリオ―ルですら、状況証拠の身での憶測を鵜呑みにしてこの調子だと、学園でどんな噂が蔓延しているかわかったものではない。

「お気遣い頂き、ありがとうございますわ。でも、皆様が思ってるようなことは無かったんですのよ?」

 あえてヴィスタとの話題を出して、やんわりと否定し、くすくすと笑う。派手に否定して回るよりも、こちらの方がヴィスタの評価を回復するには効果がある気がした。人騒がせな登場の仕方をして大事にしてしまったのはエリィなのだ。それでヴィスタの評価が必要以上に、そして不当に低くされるのは申し訳なかった。

「エイリーズ嬢は、相変わらずお優しい」
「嫌ですわ、お信じになられてないですわね?本当の事ですのに。ふふふ」

 口元を手で隠して楽し気に笑って見せると、フィリオ―ルは少し緊張を解いた様に寝台横の椅子に座った。そうしていつものように、携えてきた授業の写しを広げて簡単に授業の説明をする。フィリオ―ルは教師の雑談などもよく覚えていて、それらも全部エリィに話して聞かせた。彼の話し方はとても上手で、エリィはいつも最後まで退屈せずに聞けるのだ。こうやって家庭教師のように寝台で勉強を教わるのはもう何回になるのか覚えてないぐらいだ。公爵家嫡男として優秀な彼は、王妃教育の勉学部分で躓きそうになっていたエリィを助けてくれたことが何度もあった。エリィがその終了期間よりも大分早く、立派に王妃教育を全て修めることが出来たのも彼のお蔭と言っても過言ではない。

 本日の授業部分をキッチリ全て説明し終わると、フィリオ―ルは静かに教本を閉じて小さく息を吐いた。いつも疲れを感じさせないキリッとした雰囲気の彼がため息をつくのは珍しく、エリィは少しだけ首をかしげて彼の顔を覗き込んだ。その顔は昨日のヨシュアのように少し疲れが浮かび、薄く隈が出来ていた。

「昨日はよくお休みになれませんでした?少しお疲れに見えますわ」
「……参ったな。自己管理がなって無いと思われてしまうかな」
「あら、たまにはそう言うお顔も素敵ですわよ。人間臭くて」

 エリィが頬に人差し指を当て、小首をかしげて笑って見せると、フィリオ―ルもつられたように笑った。そして再び小さくため息をつくと頼りなさ気に肩を落としてみせる。初めて見せる彼の気弱な仕草に、エリィもどうしたものかと眉を少し下げた。

「申し訳ない。昨日知らせを受けた後、【明日エイリーズ嬢になんて言葉を掛けようか】なんてあれこれ考えてしまってね。結局気の利いたこと一つ言えなかった自分を情けなく感じてしまったんだ」
「まぁ、私のせいですわね?ご心配をお掛けしてしまい、心苦しい限りですわ」
「いや、もう少し僕もあなたの弟君のようにセンス良く振る舞えたら、といつも思うよ」
「いいえ、こうやって優しい香りのブーケを用意するのも、フィリオ―ル様のセンスの良さを十分に表している、と思っておりますのよ」
「……あなたが喜んでくれたのなら、僕は嬉しいよ」

 照れたように頭をかきながらフィリオ―ルが言った。そして照れたのを恥じたのか、誤魔化す様に彼は立ち上がる。

「随分と長居してしまってすまないね。疲れたろう?」
「いいえ、ちっとも」
「明日は……」
「ちゃんと参りますわ」
「それじゃあ明日、教室で会えるのを楽しみにしているよ」
「はい、私も。……あ、フィリオ―ル様?」

 部屋を出ていこうとするフィリオ―ルをエリィが呼び止めると、少し驚いた様に振り返った。

「どうかしたかい?」
「あのっ、本当に殿下とは何もなかったのです。だから……」
「ああ……わかっているよ。大丈夫、僕から皆に伝えておく。気にせず明日は学園に来るといい」

 その言葉でエリィは少し胸を撫で下ろした。信頼が厚いフィリオ―ルの言葉ならば、皆信じてくれるだろうし、何よりも彼自身がその話が沈静化するように動いてくれるだろう。少し肩の荷が下りたようでホッとして小さく息を吐くと、その様子にフィリオ―ルはくすりと笑ってみせた。

「僕を頼りにしてくれて嬉しいよ。……それじゃ、また教室で」

 そう言って、フィリオ―ルは今度はエリィの返事を待たずに部屋を出て行った。颯爽と歩く姿は、もう普段通りのフィリオ―ルに戻っており、その背中はとても頼もしくエリィには思える。ヴィスタの事や、これからの学園での自分を見る目など不安なことがエリィにはいくつかあったが、フィリオ―ルが居れば大丈夫な気がして、エリィも小さく笑みをこぼした。

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