石の王冠は誰のもの

阿山ナガレ

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第5話

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 クッキーの最後の欠片を咀嚼し終え、アクサナが箱の表面に手を添える。そのすべすべした触感を楽しむように、白い陶製の表面を何度も撫でまわしながら口を開いた。

「で、これが凄いと、何か良いことでもあるの?」

 その問いかけに答えることなく、サーシャがロッシュをキッと見据えて問いかけた。

「店長さん、『力魔法で分子を動かしてる』って言いましたよね?」

「ですです」

「どうやって力魔法の標的指示を与えてるんですか? それと、与える運動量の調整はどのような魔法式で行っているのか知りたいです」

 常に優しく微笑みを絶やさなかったロッシュだったが、その表情が僅かに曇ったように見えた。彼女の質問に驚いたのだ。サーシャはこの技術の根幹となる問題に即座に気付き、そこについて質問をしてきたのである。
 ロッシュの述べた僅かな言葉から推測し、その魔法の実用化にあたって最初に問題となりうる術式について導き出したのは、彼女の魔法への深い理解と膨大な知識故であろう。魔法開発職を目指すだけあって、サーシャの魔法開発に臨む姿勢は、学生にしては相当に高度なものである。
 その質問ひとつだけで、ロッシュは彼女の研究員としての優秀さを感じ取ることができた。彼は感心し、小さく息を吐いて、それに答えた。

「ああ、それはですねえ――」

 そこからのロッシュは、特に楽しそうな様子だった。

「チェカの発展型分子構造管理式を応用して、第二式の分母にヴェイリス法を代入するんです。あと、運動量については、フォガティの熱魔法の法則を利用して――」などと、高等魔法の専門用語を織り交ぜながら、早口でまくしたてた。ぽかんとした表情を浮かべるアクサナをよそに、サーシャは黙ってそれを聞いていた。
 そして、彼がひとしきり喋り終わると、サーシャは深く頷き、すぐさま口を開いた。

「ああ、なるほど。そうか、ヴェイリス法なら分子間の距離も自動で割り出せるのか……。なら、シルヴァンの方程式も使ってるんですよね? 出力の調整にはアンジェリス値を使うんでしょうか?」

 ロッシュはまたも目を丸くした。彼が話したのは、あくまでも技術の概要部分だけだったのだが、サーシャはそこから話を発展させ、自力でこの技術の細部まで推測することができたのである。
 彼は小さく微笑み、そして拍手を贈った。

「御明察だね。その通りだよ」

 そして彼はさらにこの技術の細部について話を進めていく。それはこれまでの魔法技術とは一線を画するものであったのだが、サーシャは驚異の理解力でそれを咀嚼して己が知識へと昇華させていった。

 そして十五分程経過したとき、いよいよ彼女はそのオーブンに使われている仕組みのすべてをインプットし終えた。一度背中をぶるっと震わせると、その感動を歓声に乗せて表現した。

「凄いです! こんな方法があったなんて……!」

 感動に打ち震えるサーシャをよそに、ロッシュは何の気なしに軽々しく笑った。

「やっぱり、誰でも考え付くよねえ、これくらいは」

「いや、何言ってるんですか!? そもそも、チェカの第二式にヴェイリス法の代入なんて、カテゴリー違いもいいところです! 誰も思いつきませんよ!」

 驚くべき新技術を開発しておきながら、まだへらへらと笑う店主に対し、サーシャがヒートアップして詰め寄った。いつの間にか傍らで雑誌を読み耽っていたアクサナが、彼らの様子が変わったことに気付いて顔を上げた。

「あ、終わったの? つーか、あたしには二人が何言ってるかすら分からんのだけど」

「魔法式の話ですよ」

「いあ、それはなんとなく分かるんだけどさ……」

 アクサナがぽりぽりと頭を掻いた。
 この世界では、魔法はすべて一定の法則式に基づいて発動される。その式に基づいて作られた『呪文』を唱えるか、または道具に刻むことによって、超自然的な力を利用した魔法が発動するのである。特に道具に刻まれることを想定した術式のことを『魔法式』と呼び、現在、この国においては、この『魔法式』を開発・改良することが魔法開発の主流となっている。

「んで、今の話の何がどう凄かったの?」

 魔法のことなどさっぱり興味の無いアクサナが、あくび混じりに口を開いた。サーシャがすぐさまそれに答える。

「分かりやすく言うと、“水魔法の式に光魔法と土魔法を掛け合わせて、それを力魔法に使った”ってところです。四属性の掛け合わせってだけで凄いんですけど、もっと凄いのは、水魔法を触媒にして光魔法と力魔法を合わせたことなんですよ。光と力の合成は、絶対に不可能だと言われてたんですが、店長さんはそれをやってのけたんです」

 滔々と語るサーシャだったが、アクサナは眠そうな顔で小首を傾げた。

「全然、分かりやすくないんだけど……」

 サーシャはこれ以上無いほどに分かりやすく解説したつもりだったが、アクサナには全く伝わっていないことに、彼女は肩を落とした。そして、ひとつ小さく息を吐くと、さらに話のランクを落として、その結論のみを限りなく分かりやすい形で伝えた。

「要は、“店長さんは凄い!”ってことです」

「いやあ、全然凄くはないんだけどねえ。すでにあったものを組み合わせただけですし」

 なおもへらへらと笑う店主に、サーシャが吠えかかる。

「いい加減に自覚してください! その組み合わせ方が神掛かってるんですよ!」

 アクサナは話を理解することを諦めた様子で、そのオーブンを棚から引っ張り出し、カウンターの上に置いた。棚の下段は翌日入荷の商品のために開けておかなければならないので、彼女にとってはそっちの方が優先だ。そしてその小箱をぽんぽんと叩き、はにかんだ。

「まあ、つまりは、“この箱が凄い”ってことでOK?」

「ん、まあ、そういうことです。お分かりいただけましたか?」

 その言葉にアクサナはうんうんと頷き、ロッシュに対して口を開いた。

「じゃあ、店長、これ十万くらいで売っちゃおうよ。何か凄いらしいし」

「高すぎませんかねえ?」

 サーシャが慌ててそれを制止する。

「いや、全然分かってないでしょ!? 世紀の大発明なんです! 十万でも安すぎるんですよ!!」

 アクサナが目を丸くし、少し驚いた様子で言った。

「えー? じゃあ十五万? オーブンにしちゃ高くね?」

 ロッシュが笑ってそれを訂正する。

「いえ、やっぱり二万くらいでいいですよ。材料費はそれほど掛かってませんから」


 (分かってない。やっぱり分かってない、この人たち……)

 どうにもペースが掴めず、サーシャは髪を掻きむしった。そして、なおも売価の話に終始する二人を見て、「ぐぬぬ……」と一声唸った。

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