猫の喫茶店『ねこみや』

壬黎ハルキ

文字の大きさ
8 / 37

08 それから、一ヶ月

しおりを挟む


「――あなた、そろそろ帰らないと。雨が降ってきているわ」
「おぉ、いつの間に」

 そんな佐武夫婦の会話を聞きながら猫太朗は動く。そして予想どおり、伝票を持った江津子が歩いてきた。

「ご馳走さま。お会計をお願いするわ」
「はい、ありがとうございました」

 にこやかな笑みで伝票を受け取り、会計を済ませる。釣り銭とレシートを渡したところで、猫太朗は優しい口調で声をかけた。

「まだ降り始めたばかりですが、お気をつけて」
「ありがとう。近所だから大丈夫よ。傘もちゃんと持ってきているからね」
「はぁ、参ったもんだなぁ。俺はてっきりいらないと思ってたが……」
「だから私の言ったとおりになったじゃありませんか」
「全くだ」

 ため息をつく江津子に、義典は悪びれもなくニカッと笑う。しかし江津子はそれに対して怒ったりすることはない。仕方がない人ですねと言わんばかりに、苦笑を浮かべるだけであった。

「さ、早く帰るぞ」
「偉そうに言わないでくださいな――では、失礼します」

 江津子がペコリと頭を下げると、猫太朗も改めてにこやかな笑みを見せる。

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「にゃあっ」
「にぅっ」

 そして猫太朗も頭を下げると同時に、足元から二匹の猫が鳴き声を上げた。
 クロベエとマシロ――この店の看板猫である可愛らしい存在に、佐武夫婦は頬を緩めながら手を振り、カランコロンと音を立てながら店を出ていった。

「――ふぅ」

 猫太朗は小さなため息をつき、空いた食器とカップを片付ける。店の中は再び、彼と二匹の猫のみとなった。
 それ自体は別に珍しくもなんともないのだが、彼らは妙に寂しく思っていた。

「めいさん……なんかちっとも来なくなっちゃったな」
「にゃあ」

 独り言のように呟く猫太朗に、クロベエが鳴き声を上げる。マシロはトコトコとガラス戸へと歩いていき、外を覗き見る。待ち人が来ないかどうかを、毎日のように確かめているのだ。
 それがもう、一ヶ月も続いていた。

「相当仕事が忙しいってところか……無茶してなけりゃいいけど……」

 脳裏に浮かぶのは、初めて会った彼女の顔。あれも相当に疲れ切っていた。本人曰く起きた『奇跡』によって笑顔を浮かべてはいたが、如何せんそれは表面上のものでしかない。

(いや……そもそも僕が、ここまで考える必要は、どこにもないんだけどな)

 コーヒーカップを洗い終わったところで、猫太朗は改めて思う。
 めいとはあくまで赤の他人同士。薄情かもしれないが、彼女がどんな目にあっていようが、それはめいの問題であって自分には一切関係のない話なのだ。
 それ自体は決して間違ってはいないだろう。むしろ正しいとさえ言えるはずだ。
 しかし――それでも猫太朗個人の中で、大いに彼女のことが気になってしまっていることは否定できなかった。
 マシロを快く預かっていることがいい例だろう。
 そうでなければ、他人の猫を呑気に店に置いておくなどするわけがない。

(自分で言うのもなんだけど、僕は基本的にお人好しなんかじゃないし)

 これは全くもってそのとおりだと言える。
 以前、近所で猫を飼っている常連客が引っ越すということで、最後に猫を連れ、別れの挨拶に来たことがあった。しかしその客は、猫がクロベエと遊んでいる隙を突いて帰ったのだ。
 迷惑料と称して代金を多めに支払い、その猫を置き去りにした状態で。
 その際、猫太朗はすぐに動いた。
 とある『伝手』を利用し、客の引っ越し先を突き止め、またペットを飼っていたという証拠も込みで、丁重に届けたのだった。
 あくまで『迷子の飼い猫をわざわざ送り届けた心優しいマスター』を装い、周りの人々に印象づかせる形を取った。それは大成功となり、その飼い主がやらかしたことも明らかとなり、新生活早々白い目を向けられることとなる。
 その飼い主や猫がその後どうなったのかは、猫太朗も全く知らないままだ。
 ついでに言うと知るつもりもない。
 確かに猫は大好きだが、全ての猫に対して味方するわけでもない。クロベエ以外の飼い猫の面倒を見るつもりなんてなかったし、これからもその気持ちが変わることもないと思っていた。
 そう――めいとマシロが現れるまでは。

(めいさんとマシロに関しては、何故か突っぱねる選択肢がなかった。気がついたら引き受けていた……ホントどうかしてるよなぁ、僕も)

 思わず自虐的な笑みを浮かべてしまうも、全く嫌気がさしていないのも確かだ。その証拠に、しょんぼりとしているマシロを見て、まだ営業中だけど少し構ってやろうかなとさえ思えてくるほどだ。
 幸い、今のところ客は来ていないし、少し遊んでも問題はないだろうと。

「マシロー、おいでー」

 猫太朗がカウンターから歩いてくると、マシロが振り向く。しかしそのままそっぽを向き、彼とは違う方向へと歩き出してしまった。

「にゃ」

 クロベエが猫太朗を見上げながら鳴き声を出す。傍から見れば、残念だったなと言っているようであった。
 そんな見透かしてきている様子の黒猫に、猫太朗は苦笑しながら肩をすくめる。
 お前には敵わないなと――そんな想いを乗せながら。

「――にぅっ!」

 すると突然、マシロが鳴き声を上げた。同時に勢いよく駆け出し、一直線に入り口の扉へと突進していく。
 そのまま突き破ろうとするような勢いだったが、寸前で綺麗に停止する。
 見事なブレーキに思わず猫太朗が感心してしまう中、マシロは扉の外へ向けて鳴き声を上げ始めた。

「にぅっ、にぅーっ!」
「ん、どうした?」

 あからさまに様子がおかしい――そう思いながら猫太朗も、入り口に近づいて外を見てみる。
 するとそこには――

「……めいさん!」

 ここ一ヶ月、まともに姿を見せなかった女性の姿が、そこにあった。
 思わず驚きながら扉を開けると、相手もその音に気づいたのか、俯いていた顔をゆっくりと上げる。

「…………」

 猫太朗は言葉が出なかった。
 疲れ果てているなんてものではない。本当にこの人は生きているのだろうかと、そう尋ねたくなるくらいに、生気を失ったような表情をしていた。フラフラと体を揺らしている状態も、そう思わせる要因となっている。
 一ヶ月ぶりとかそういう考えは、猫太朗もとうに吹き飛んでしまっていた。

「……まだ、やってますか?」

 どんよりとしたか細い声が聞こえてきた。猫太朗は一瞬たじろぐも、すぐさま頷きを返す。

「えっと、はい……やってますけど……」
「良かった……」

 戸惑いながら答えるめいに、ようやく小さな笑みが零れる。しかしそれは、あくまで今の時点で見せられる笑顔でしかなかった。
 一ヶ月前に振りまいていた明るさは、欠片も見られない。

「にぅ?」

 店に入ろうとするめいを、マシロがジッと見上げる。最初に見せていた勢いは、すっかり鳴りを潜めてしまっていた。それだけ、疲れ切った姿のめいに、驚いているのだろう。

「……マシロ」

 めいも小さな白い子猫の存在に、ようやく気付いた。無意識に口から零れ出た呼び名に対し、マシロの目がしっかりと輝き出す。

「にぅっ!」
「マシロ……マシロっ!」

 肩にかけていた鞄を放り捨て、めいがしゃがんだ瞬間、マシロがめいの胸元に勢いよく飛び込む。
 ギュッと力強く抱きしめられる子猫は、彼女のスーツに顔を埋めていた。

「にぅ~」
「マシロ。久しぶりだね、来れなくてごめんね、元気そうだねっ!」

 言いたいことが自然と口から連射の如く発せられる。そんなめいに苦笑しつつ、猫太朗は放り出された鞄を拾った。

「めいさん。ひとまず、カウンターの席へどうぞ」
「あ……はい。すみません、お見苦しいところをお見せしてしまって……」
「いえ、お気になさらないでください。あぁ、それから――」

 何かを言いかける猫太朗に、めいは思わずコテンと首を傾げた。
 すると――

「お帰りなさい、めいさん」

 猫太朗が優しい笑顔で、そう言ってきたのだった。
 店の暖かい雰囲気も相まってなのか、その光景が凄まじく、キラキラと輝いているように見えてならなかった。
 抜け殻のような気持ちが満たされてゆく。
 吹きすさぶ荒野のような肌寒さが、じんわりとした暖かさに包まれてゆく。
 驚きを一気に飛び越し、心の奥から気持ちがこみ上げてきていた。

「――はい、ただいまですっ」

 そのこみ上げた気持ちが雫となって目から浮かび上がっていたが、めいはそれを拭う余裕もなく、ただ嬉しさの笑顔を見せるのだった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活

まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳 様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。 子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開? 第二巻は、ホラー風味です。 【ご注意ください】 ※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます ※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります ※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます 第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。 この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。 表紙イラストはAI作成です。 (セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ) 題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...