猫の喫茶店『ねこみや』

壬黎ハルキ

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15 姿を見せなくなった常連客

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「にぅー」
「あら、マシロちゃんったら、今日は甘えん坊さんなのねぇ」

 マシロの鳴き声に、佐武江津子は頬を緩める。その隣で夫の義典が、カフェオレを飲みながら呆れたようなため息をついた。

「何が『甘えん坊さんなのねぇ』だよ……余所様の店で恥ずかしい限りだ」
「ふぅん? そーゆーあなたにだけは言われたくありませんけどね」

 猫なで声から一転、江津子は雰囲気をも冷たくさせる。

「私の目を盗んでクロベエちゃんに笑顔で手を振ったりしてるじゃないですか」
「なっ! あ、あれは別に、見上げてくるから義理でやってるだけだ」
「でしたら私も同じようなものですわ。もっとも私は、ちゃんと愛情を込めてあげてますけどね。義理とかなんとか言っているあなたと違って」
「な、なにおうっ? お、俺はだな――」
「はいはい。マシロちゃんがビックリするから、大人しくしてくださいな」
「最後まで言わせろぉー!」

 そんな佐武夫婦のやり取りを聞きつつ、猫太朗はコーヒーを淹れていく。これだけ見ればいつもの『ねこみや』の日々ではある。
 しかし、明らかに内側の雰囲気は違うと言えていた。

「お待たせしました。ホットコーヒーになります」
「ありがとう――ところでマスター?」

 コーヒーを受け取りつつ、江津子は目をスッと細くしてきた。

「最近新しく来るようになった常連さん、また来なくなったようですわね?」
「……えっ?」

 図星を突かれた猫太朗は呆気に取られる。どうしてそれを――そんな気持ちが狼狽えに現れてしまっていた。
 温かいコーヒーにミルクを注ぎながら江津子は笑う。

「私は朝早くにお散歩をするのが日課でしてね。スーツ姿のお嬢さんが、このお店に立ち寄って、マシロちゃんに挨拶していく姿を見てたんですよ」
「そ、そうだったんですか……気づかなかったですね」

 これは本心であり、猫太朗は普通に驚いていた。それは江津子も感じたのか、してやったりと言わんばかりにニヤリとする。

「まぁ、そのお嬢さんとマシロちゃんとの関係はともかくとして……私はその微笑ましい光景を見るのを、密かに楽しみにしてたんですよ。でも何日か前から、お嬢さんの姿をパッタリと見なくなったわ」

 目を閉じて淡々と語る江津子に、猫太朗は呆然としながら口を開く。

「……よく見てますね」
「えぇ。カミさんの悪いクセなんですよ」
「あなたには負けますけどね」
「な、なんだよぉ? そんなこと言わなくてもいいじゃないか」
「はいはい。すみませんでした」

 拗ねる義典を軽く流しつつ、江津子は再び猫太朗に視線を戻す。

「――どうやら、アタリのようですわね?」
「えぇ……そうなるかと」
「やっぱり」

 観念して頷く猫太朗に、江津子は子供のように笑った。そしてすぐさま、マシロに視線を下ろす。

「私もあくまで他人でしかないけど、気になってしまいましてねぇ。そのお嬢さんのお仕事がよっぽど忙しいのか、それとも見捨てたか――」
「にゃーっ!」
「あらら、怒らせちゃったのかしら?」

 突然マシロが叫びをあげ、前足で江津子の胸元をたしたしと叩きつける。明らかに不機嫌そうな様子を見せており、いつも落ち着いている彼女も、今回ばかりは普通に狼狽えていた。
 流石に見かねたのだろう。義典は深いため息をつき、妻に言った。

「おい江津子、今のは流石に軽率が過ぎるぞ」
「……そうですわね。ゴメンなさい、マシロちゃん」

 申し訳なさそうに江津子が頭を下げると、マシロはそそくさと江津子から離れてしまった。
 その反応に、江津子は少し寂しそうな表情を見せる。

「行っちゃったわね……」
「お気になさらないでください。猫はいつも気まぐれですから」
「そうそう。今度会いに来た時には、きっとまた懐いてくれるってもんだろう」
「あなたったら……そうだといいですけど」

 猫太朗や義典の言葉に、江津子も気持ちを割り切ることにした。小さなことをいちいち気にしても仕方がないと。

「しかしマスター。このタイミングでこーゆーことを言うのもなんだが――」

 するとここで義典が、軽く身を乗り出しながら切り出してくる。

「アンタも少なからず心配はしてるんだろう? ならばそのお嬢ちゃんに、連絡の一つでもしてみたらどうなんだい?」
「はぁ……」
「別に男女の関係を恥ずかしがるような年齢でもないでしょう。私らも別に、からかいで言ってるつもりはありませんからね」
「確かに。佐武さんのおっしゃっるとおりだと思います」
「だろ?」

 義典がニカッと笑う。それを見た江津子が、またこの人は調子に乗って、と言わんばかりのため息をついていたが、本人は気づいていない。

「ただ僕――知らないんですよね」

 困ったように苦笑する猫太朗。その言葉に佐武夫婦は、揃って目を見開いた。

「え、知らないって、まさか……」
「はい。連絡先とか住んでいるアパートとか、ホント何一つ知らないんです……」
「…………」

 義典は絶句してしまう。江津子も信じられないと言わんばかりの表情で、猫太朗を凝視していた。
 猫の繋がりで仲良くしていると思っていた。
 単なるマスターと客という他人同士の関係ではないのだろうと。
 だからこそ、当たり前にしていると思っていたことを、当たり前のようにしていなかったことに驚いたのだった。
 アンタ、今まで何をやってたんだ――そう言いたそうな表情をするのもまた、無理もない話だと言えるだろう。

「……まぁ、知らねぇもんは仕方ねぇわな」

 後ろ頭をガシガシと掻き毟りながら、義典はため息をついた。

「俺たちも所詮、老婆心でモノ言ってるだけに過ぎねぇし、これ以上引っ掻き回すのは止めといたほうが良さそうだ」
「そうですわね。少し入り込み過ぎてしまったかもしれませんわ」
「うむ。ただマスター、これだけは言わせてくれ」

 そして義典は、改めて猫太朗に対し、限りなく睨みに等しい表情を向ける。

「この店の営業に支障をきたすのだけは止めてくれよな? マスターのコーヒーを飲むのは、俺の楽しみの一つなんだからよ」
「――はい、ありがとうございます」

 猫太朗が見せたのは、いつものにこやかスマイルであった。それが果たして営業的なものなのか、それとも本心からなのかは、本人のみぞ知ることである。

「不本意ながら、私も夫の意見には同意しますわ」

 そう言いながら残りのコーヒーを飲む江津子に、義典が表情を歪める。

「おいおい、不本意ってのは余計だろう?」
「あなたにはこれくらい言うほうがちょうどいいんですよ」
「な、なんだよぉ……今日はいつになく厳しいこと言ってくるじゃないか」
「そうでもありませんけどね」

 そしてコーヒーを飲み終えた江津子は、ゆっくりと立ち上がった。

「さぁアナタ。もう飲み終わってるみたいだし、お会計済ませて帰るわよ」
「え、ちょ、まだお代わりを――」
「今日はもうおしまい!」
「そんなぁ~!」

 情けない声を上げる義典をスルーし、江津子は会計を済ませ、夫を引きずりながら店を後にする。その際にマシロが「にぅっ」と声を上げてきたのを見て、江津子が嬉しそうな表情を浮かべていた。
 最後の最後で客から笑顔を引き出すあたり、マシロもなかなかなものだと、猫太朗は思わず感心する。

(僕も、もう少しちゃんとしないとだな)

 店を出た夫婦を見送り、再びマイペースにくつろぎ始めた二匹の猫を見ながら、猫太朗は決意を固めたような表情を浮かべていた。
 すると――

「ん? 雨か……そういや天気予報で、小さい傘マーク出てたっけ」

 いつの間にか嫌な感じの黒雲が真上を流れてきていた。佐武夫婦も雨に降られてなければいいけどと思いながら、猫太朗はカップの後片付けに入る。

「ま、どうせすぐに止むだろ」

 猫太朗は軽い気持ちで予想を立てる。しかしその雨は弱まるどころか、夜になるにつれて凄まじい強さへと発展していくのだった。

 クロベエとマシロが、何かを暗示するかの如く、ずっと窓の外を見ていた――

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