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23 身勝手な父親
しおりを挟む思えば、いつかは瓦解する時が来ていた。それが予想以上に早まっただけだと、今となってはそんな気がしている。
母親を亡くして以来、父親は家の中で笑うことはなくなった。
「兄さんがいると知ったのは、母の葬儀の時だった。顔も知らない兄を、父は泣きながら恨んでたんだよね」
アイツのせいで、俺の幸せはメチャクチャになった――事あるごとにそう呟いていたのを、莉子は思い出す。
もはや口癖になっていたといっても、過言ではないだろう。
莉子の中でも印象に残っている父の姿であったが、思い出す度に深いため息しか出てこないのが正直なところだ。
「もっともそれは、単なる逆恨みに過ぎなかったんだけど」
「まぁ、よくある話よね」
「そう言ってくれて助かります」
やや表情を引きつらせるめいに、莉子が苦笑する。
「なんてゆーか……不甲斐ない自分を必死に見て見ぬフリしようとしている。私から見る父はそんな感じでした」
「軽蔑していた、ということかしら?」
「……かもしれません」
めいの質問に、二秒ほどの間を空けて莉子が頷く。
「まぁ、いずれにしても――『今となっては』が付きますけどね」
「その気持ちは分からなくもないわ。私も両親とは上手くいってなかったから、尚更というかね」
「え、そうなんですか?」
「色々あったのよ。ホント、色々とね……」
目を見開く莉子に、めいは視線を斜め上に向けながら、ため息をつく。それ以上のことは語ろうとしなかった。
そんな彼女の反応に、莉子が妙に気になっていたその時、猫太朗が口を開いた。
「それで、莉子。父親のほうは、それからどうなったんだ?」
「え? あぁ、うん。そうだね……」
急にふられた莉子は戸惑いながらも、逸れかけた話を元に戻す。めいの言ったこともまだ気になってはいたが、とりあえずそれは置いておくことにした。
「さっきも言ったけど、私は高校を卒業して家を飛び出した。父とはそれ以来、ずっと顔を合わせていなかったし、会って話し合うつもりもなかった。けど……」
莉子が俯き、表情からも笑みが消える。
「ちょうど今から一年くらい前だったかな? 父の知り合いを名乗る人から、私のところに連絡が来たの」
「連絡?」
「うん――病気が進行していて、もう長くないって」
それを聞いた猫太朗は、目を見開きながら呆気に取られる。めいも同じように驚いており、思わず身を乗り出す勢いで尋ねた。
「病気って……じゃあ、お父さまは……」
「えぇ。亡くなりました」
小さな笑みを浮かべながら莉子は頷く。めいは思わず両手で口元を抑えるが、猫太朗は腕を組んだまま、わずかに眉をピクッと動かすのみであった。
流石に異様な空気になったのか、動き回っていた猫たちもピタッと止まり、三人の様子をキョロキョロと見渡している。
「今の話の流れだと――」
ここで猫太朗は、気になっていたことを口に出す。
「父親が病気ってことを、莉子は知らなかったように聞こえるけど?」
「うん。私にもずっと黙ってたみたい。病気自体は数年前からかかってたって、その時初めて知ったよ」
莉子の表情に小さな笑顔が戻る。悲しみを隠す様子もなく、本当に思い出話として語っている様子であった。
「こればかりは流石にスルーすることもできなくて、私は入院している父の元へ駆けつけたんだ。一発ガツンと言ってやろうかなと思ってね。まぁ……実際、ベッドの上の父を見た瞬間、そんな気はすぐに失せちゃったんだけど」
数年ぶりに見たその姿は、思わず言葉が出なくなるくらいに弱弱しかった。体も折れそうなくらい細く、いつどうなっても不思議ではないほどであり、溜め込んでいた熱い何かが、スッと体から抜けてしまった。
「私の気持ちも粗方ぶつけてはみたけど、父はひたすら謝るばかりでね……そうでもしないと保ってられないんだなぁって感じだったよ」
「……相当だな」
「うん。ホントそう」
思わず口から出てしまった猫太朗の言葉に、莉子は苦笑しながら同意する。
「まぁでも、実の父親ではあるし、最後くらいは看取ってやるかとは思ったんだ。バイトのシフトも調整して、毎日お見舞いには言ったんだけど……」
「けど――何かあったのか?」
猫太朗が首を傾げながら尋ねると、莉子が再び表情を曇らせながら俯く。
「お父さん……最後の最後で、私のこと認識しなくなっちゃったんだ」
最後の何日かは、ずっと息子を恨み続けたことを後悔していた。涙を流しながら呟いていた。
息子に会いたい――猫太朗に会って謝りたい。本当に済まなかった、と。
傍に娘の存在に目を向けないどころか、そこにいることに気づく素振りすら見せることもなく。
そして娘には一言もないまま――涙ながらに息を引き取った。
「まぁ、そりゃー元々はねぇ。親子の仲も良くなかったってもんでしたよ?」
頬杖を突きながら、莉子は忌々しそうに笑う。
「それでも最後くらいは娘としての努めを、と思ったけど……来るんじゃなかったって本気で後悔するとは、流石に思わなかったなぁ」
「そこまで、だったの?」
「えぇ。そこまで、ですよ」
恐る恐る尋ねるめいに、莉子は力強く頷きを返す。心からの本音であると、しっかり伝えたいと言わんばかりの勢いで。
「まぁ、それについては、別にもういいんです。両親とは最後まで分かり合えることはなかった……これが導き出された結論ということですから」
「莉子さんは、それでいいの?」
「それ以外に言えることなんてありませんし、自分の中では納得してますので」
「そう……ならもう、何も言わないわ」
「どーも」
莉子の吹っ切れている様子を確認しためいも、少しだけ安心した様子を見せる。話の区切りはひとまずついたが、もう一つ気になっていることがあった。
「ところで莉子さんは、どうして猫太朗さんがやってる喫茶店のことを?」
「あぁ。それは父の葬儀で知ったんですよ。遠い親戚の方が来てくださって、兄とこの喫茶店のことを聞いたんです。なんでも常連さんらしくて」
「……常連?」
猫太朗は首を傾げる。記憶を辿ってみるが、遠い親戚の人に心当たりがない。
「ちなみにそれ、名前とか分かる?」
「うん。確か『佐武』って言ってたかな。気立てがいいオバサンだったよ」
「佐武……そーゆーことか」
まさかの事実に、猫太朗は驚かずにはいられない。佐武江津子が、自分の遠い親戚にあたる人だったとは。
(そういえば、莉子の存在を匂わせてたのも、江津子さんだったっけか……)
あくまで噂で聞いたような素振りを見せていたが、全ては本人が仕組んでいたことだったというわけだ。
穏やかでいながら抜け目がない人だとは思っていたが、どうやら予想以上の人だったらしいと、猫太朗は苦笑する。
「――それで兄さんのお店に興味を持って、こうして来たってワケ。猫ちゃんもいるって聞いたから、尚更ね」
「なるほど。それで今に至るってことか」
「うん。そんな感じ」
兄妹の間に、穏やかな空気が生まれる。ようやく知りたいことを全て知って、互いに満足したところであった。
その時――くぅ、と可愛らしい音が鳴り響く。
何事かと視線を向けると、めいが顔を真っ赤にして、腹を抑えていた。
「……すみません」
「いいですよ。ちょうど夕飯時ですし、僕の奢りでナポリタンでも出しましょう」
「ええっ、ホントですか!?」
めいは一瞬にして表情を輝かせ、勢いよく立ち上がる。それに対して猫太朗は、いつもの優しい笑みを浮かべながら頷いた。
そしてその視線を、妹にも向ける。
「莉子も一緒に、ね?」
「え、私も?」
「詳しい話を聞かせてくれたお礼……じゃあ、ダメかな?」
「……うん、ありがとう、兄さん」
それまで漂っていた神妙な空気は、もう完全に吹き飛んでいた。ようやくいつもの暖かな『ねこみや』の中で、三人は笑顔を見せる。
数十分後――二人の女性が幸せそうにパスタを頬張っていた。
その様子を猫太朗は勿論のこと、二匹の猫たちもまた、穏やかな表情で見守っていたのだった。
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