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36 エピローグ(前編)~本当の居場所
しおりを挟むざっ、ざっ、ざっ――
朝の早い時間帯に、箒の擦れる音が響き渡る。胸元に『SAIONJI』と刺繍されたエプロンを身に付ける女性は、実に晴れやかな表情をしていた。
「めいさーん、おはようございまーすっ♪」
「あ、莉子さん。おはよう」
小さなリュックを背負って出勤してきた莉子に、めいは笑顔を浮かべる。
「久しぶりによく晴れましたよねー」
「ホント。ここのところ雨続きだったから、凄く気持ちいいわ」
二人してクスクスと笑い合うその姿も、早朝の恒例となっていた。そんな二人を見るために、わざわざ遠回りしてくるサラリーマンの姿もいたりするのだが、今のところ当の二人は、それに全く気づいていない。
「それにしても……」
莉子がまじまじとめいの姿を見つめる。
「めいさん、すっかりそのエプロンが板につきましたよねー」
「あら、それは嬉しいわね」
頬に手を当てながら微笑むめいは、なんというか大人の余裕を感じられた。莉子も同じ大人のはずなのだが、何故か敵わないとしか思えなかった。
「でも莉子さんだって、よく似合ってるわよ?」
「めいさんには勝てませんって。ここ最近、お客さんの数がグッと増えたのがいい証拠じゃないですか」
腰に手を当てながら、莉子が呆れたようにため息をつく。
「なんてゆーか……めいさんの表情、日が経つごとに明るく輝いてきてますもん」
「そ、そうかなぁ?」
「間違いありませんって。同じ女として断言します!」
そう強く言いたくなるくらいに、莉子から見ても明らかにこの数週間で、めいは大きく変わっていた。
現にエプロンを着て箒を持って店の前に立つ彼女の姿は、すっかり喫茶店の従業員となっている。少し前までスーツを着て、朝早くから電車通勤していたキャリアウーマンだったと言われても、割と本気で信じられないほどに。
加えて、めいの表情が明らかに潤うようになった。
社畜時代は姿勢も含めて疲れ切っていたため、鳴りを潜めていたが、本来はかなり整った容姿であることも発覚した。
それ故に、今の彼女は『美人』という言葉に相応しい姿となり、彼女を見たくて訪れる男性客も増えた。そして生き生きと接客する姿に惚れ、アタックを仕掛けるも撃沈するシーンが絶賛続出中だったりする。
そしてショックを受けた傷を、二匹の猫が癒すというサイクルが出来上がり、再び訪れたいという気持ちにさせるのだ。
めいの存在が『ねこみや』を大きく変えていっている。
それほどまでの結果を出していることを、当の本人は今のところ、まだ自覚はしていないのだった。
「そのくせ兄さんとは、進展があるようで全然ないんだから、ホントにもう……」
「な、ちょっ、莉子さんっ!」
やれやれと肩をすくめる莉子に、めいは思わず声を荒げてしまう。しかしその勢いはすぐに萎んでしまい、頬を赤らめながら身をよじらせる。
「べ、別に私は、その……猫太朗さんとは……」
「はいはい。そーゆーのは別にいらないですから。てゆーかそれ、まさか本気で言ってるんじゃないですよね? 兄さんと寄り添いたくはないってことですか?」
「いや、それはそれで大歓迎というか、むしろそうなったら嬉しいし……」
「なーんだ。ちゃんと気持ちはあるんじゃないですか」
「だ、だからぁ!」
「式のスピーチは任せてくださいね♪」
「うぅ~」
ニヤニヤと笑う莉子に、めいは押されっぱなしであった。打開策も完全に見失ってしまっており、まさに成すがままである。
聞き慣れたカランコロンという音が鳴り響いたのは、その時であった。
「めいさーん、掃除終わりましたか……って、莉子。来てたのか」
「おはよう兄さん。今日はいい天気だねー」
「あぁ、おはよう」
なんてことない兄妹の挨拶を交わしたところで、猫太朗はめいの様子に気づく。
「……めいさん、どうかしました?」
「ひゃあっ!?」
まさに話していた対象の人物に声をかけられ、思わずめいは飛び上がる勢いで驚いてしまった。
当然、それを突然見せられた猫太朗は、呆気に取られる。
「あの……大丈夫ですか?」
「え、あ、いや、その、あの、えっと……」
しどろもどろに視線を逸らすめいの姿に、猫太朗はコテンと首を傾げる。すると莉子が人差し指をピンと立て、ウィンクしながら言った。
「もうすぐ本格的な夏じゃない? だからウチも期間限定メニューみたいなのを考えたら面白いよね、みたいなことを話してたんだ♪」
「あぁ。それ結構いいね。ちょっとばかし考えてみようか」
「やったー♪ 私も少し考えてみるよ」
「うん。よろしくー。じゃあ莉子は荷物置いてきてくれ。フロアの掃除頼むわ」
「りょーかい!」
ピシッと敬礼をした莉子は、そのまま入り口のドアをくぐっていく。その去り際に振り向き、めいに向けてニコッと笑ってみせた。
誤魔化してくれたのだとようやく悟り、めいもありがとうと会釈で返す。
それを見ていた猫太朗は何のことだか分からなかったが、とりあえず気にしなくていいかと割り切った。
「にゃあっ」
「にぅ」
そこにクロベエとマシロが、開いた入り口の扉から顔を出していた。その可愛らしさにめいは思わず表情を綻ばせる。
「あら、おはよう。ちょっと待っててねー、すぐ朝ごはん出してあげるから」
「めいさん。外の掃除はもういいので、この子たちを」
「分かりました」
めいは箒を持って店内に戻る。猫たちも嬉しそうに後をついていった。
その後ろ姿は、どこまでも自然な形に見えており、まるで最初からずっとそうだったのではとすら思えるほど。
それくらい、めいはこの『ねこみや』に馴染んでいるのだった。
(この『ねこみや』は……めいさんにとって、本当の居場所になれたのかな?)
猫太朗はそんなことを考えながら、『本日の日替わりメニュー』と書かれた小さな黒板を、外に設置する。
空を見上げると、雲一つない青空の中を、太陽が眩しく輝いていた。
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