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第四章 本当の親子
125 執事見習いのお坊ちゃま
しおりを挟む――では、ユグラシア様。明日の午後に、メイベルを迎えに行かせますので。
セアラがそう言って、娘とともに神殿を早々に去った翌日、宣言どおりメイベルが魔法陣に乗って迎えに現れた。
そして一行は、あっという間に目的地に到着。
その光景にマキトたちは、思わず揃ってポカンと呆けてしまうのだった。
「……すんごい豪華な家だな」
「お庭も広いのです」
「ん。探検するだけでも絶対に一苦労」
マキトに続き、ラティとノーラが深い息を吐きながら視線を動かす。
ほんの少し周りを見渡してみただけでも、壮大な敷地だということが分かる。貴族の屋敷がどれほどの基準かをよく理解していないマキトですら、目の前の屋敷は途轍もないレベルだと、無意識に思えてしまうほどだった。
やがて転移し終えた魔法陣は消え失せると同時に、どこに隠れていたのか、数多くの執事やメイドの恰好をした人たちが、まるで道を作るかの如く綺麗にピシッと整列していった。
「アリシア様とユグラシア御一行様。ようこそおいでくださいました!」
先頭に立つ老執事が声を上げた次の瞬間、並ぶ執事とメイド全員による、ようこそおいでくださいましたの声が綺麗に揃えられて放たれる。
それはまさに『声の衝撃』であった。
敵意がないと分かるだけに、ただ素直に驚くことがしかできない。
マキトたちは勿論、ラティたち魔物も警戒こそすれど、ただ身構えることしかできないのだった。
「だ、大丈夫だからね? ただ私たちを歓迎してくれてるだけだから」
「そうよ。魔物ちゃんたちも落ち着いてね」
アリシアとユグラシアが宥めるも、マキトやノーラ、そして魔物たちの落ち着きが戻るには、もう少し時間が必要であった。
メイベルに続く形で、マキトたちは屋敷の中へと入っていく。
「――お帰りなさいませ、お嬢様」
玄関を潜り抜けたロビーにて、執事服に身を包み、メガネをかけた爽やかそうな青年が出迎える。その姿にメイベルは、思わず目を見開いた。
「フェリックス? 休暇で実家に帰ってたんじゃなかったの?」
「奥様から緊急招集がかかりましたので――そちらが、此度のお客様ですね?」
「え、えぇ……」
戸惑いながら頷くメイベルの脇をスッと音もなくすり抜け、フェリックスはマキトたちの前に立ちながら一礼する。
「初めまして皆さま。私は執事見習いのフェリックスと申します。まだ未熟者ではございますが、なにとぞお見知りおきくださいませ」
「「あ、いえ、どうも」」
その丁寧な挨拶に、マキトとアリシアは思わず背筋を伸ばしてしまった。ノーラは相変わらずの無表情ではあったが、どこか物珍しそうにフェリックスのことを見上げていた。
そしてユグラシアもまた、相変わらずの落ち着いた笑みを保っていた。
「こちらこそ、歓迎痛み入ります。ところで、セアラさんは――」
「執務室においでです。私がご案内いたしましょう」
ふんわりとした笑みを浮かべ、フェリックスが踵を返し、屋敷の最奥へあるセアラの執務室へ向けて歩き出そうとした。
その時――
「わひゃあぁっ!?」
フェリックスは絨毯で滑り、盛大に転んでしまった。
ズデーン、という鈍い音がロビーに響き渡る。真正面から派手に倒れ、長身の青年が顔を絨毯にピッタリと付けたまま、ぴくぴくと痙攣していた。
その突然過ぎる展開に、別の意味でマキトたちは呆気に取られてしまった。
「あぁ、もう、フェリックスってば、また……」
メイベルが頭を抱えながら視線を逸らす。
そして――
「メイベル様ぁっ!」
玄関の扉がバァン、と派手に開けられ、老執事が姿を見せる。そして倒れているフェリックスの姿を見た瞬間、ピシッと表情が固まった。
「……やはり今の叫び声は」
「うん。爺やの想像どおりとでも言っておこうかな」
メイベルが『爺や』と呼ぶ老執事は、表情を直しながら無言で歩き出す。そこに倒れていたフェリックスが、ようやく立ち上がった。
「うぅ……い、いだい」
「痛いではないわ、この青二才が!!」
スパーン、と景気のいい音が鳴り響く。老執事がフェリックスの頭に、平手を思いっ切り叩き落としたのだった。
再び涙目になりながら、フェリックスは頭を押さえ振り向く。
そこには鬼のような表情を浮かべ、体中から禍々しいオーラを噴き出した老執事が君臨していた。
――あっ、ヤバい。
フェリックスが思わずそう感じた時には、もう手遅れであった。
「よりにもよってアリシア様やユグラシア様の前で、なんという無様な姿を……少しは恥を知ったらどうなのだ、この大バカモノめがあぁーっ!!」
「ひいぃっ!!」
老執事の凄まじい叱責が降り注ぎ、フェリックスは完全に涙目となり、無意識にその場に正座までしてしまう。そのままギャアギャアと言葉になっていないようでなっている怒鳴り声が、ひたすらぶつけられていくのだった。
さっきまでの立ち振る舞いはどこへ消えたやら。もはや今のフェリックスは、完全に泣きべそかいて縮こまっているだけの情けない男でしかない。怒るのに疲れてきたらしい老執事が、小さなため息をついただけでビクッと背筋を震わせ、両方の目から涙を湧き上がらせている。
「な、何なんだ、これ?」
「物凄いおじーちゃんなのです」
「ん。パワフル」
『びっくりしたねー』
「キュウッ」
またしても呆然とするマキトたちに、メイベルがため息をつきながら言う。
「彼……フェリックスはね、私の親戚なのよ。しかもヴァルフェミオンに所属していた先輩でもあったの」
「へぇー、そうだったんだ」
「ビックリなのです」
驚きを隠せないマキトたちに、メイベルは人差し指で軽く頬を掻いた。
「まぁ、でも卒業はできずに自主退学したんだけどね。ヴァルフェミオンの厳しい環境に耐え切れず、留年までした上で」
エリートを育てる魔法学園の名門ともなれば、決して珍しいことではない。毎年のように何百人もの脱落者が出ていることも確かであり、フェリックスも至ってありふれた事例の一つと言える。
しかしそれも、名家の者となれば、仕方がないでは済まされない。
一つのしくじりから、評判に大きく左右されてしまうことは避けられず、留年なんてすれば、名家の顔に泥を塗ったも同然と見なされるのだ。
フェリックス自身も、それについては心得ていた。
しかしそれでも落ちこぼれと化して、おめおめと逃げ帰ってきてしまった。
本当ならば、そのまま行方不明にでもなってほしかった。しかし学園側がそれを許してくれなかった。家庭から生徒を預かっている立場として、たとえ脱落者でもちゃんと実家に五体満足で送還させる――それだけは、昔からずっと徹底されてきたことであった。
無論、フェリックスも例外でなく、泣き崩れた顔のまま実家に現れた。
退学を推奨する旨が書かれた通知書とともに。
「あくまで退学は、彼が自分から申し出る形式を取らされたのよ。処分よりも自主的なほうが、お互いのイメージにもいいからってね」
それも学園側の一方的な都合に過ぎない。しかも学園に家柄も何も通用せず、素直に従う他ないのであった。
これもまた、魔法学園の脱落者における昔からの恒例な姿であり、今更誰が文句を言ったところで『仕方がない』の一言で片づけられてしまう。
例外は存在しない。たとえどんな生徒であろうとも。
「フェリックスの結果を隠しとおすことは不可能だった。彼の母親である、私の伯母がそれを見かねて、この本家で執事見習いをさせることにしたの。彼の根性を叩き直すために」
「名家としてのメンツを保つ――まぁ、よくある話と言えるわね」
淡々と語るメイベルに、第三者の声が続いた。同時にロビーの奥から、一人の女性が静かにゆっくりと歩いてくる。
「おぉ、これはこれはディアドリー様」
「伯母様!」
老執事が一礼し、メイベルが目を見開きながら彼女を出迎える。ディアドリーと呼ばれた女性は小さなため息をつき、跪いているフェリックスを見下ろした。
「またこの子がドジを踏んだみたいですが……」
そしてディアドリーは、老執事に視線を向け、スッと細い目で睨みつける。
「いくらなんでも、少し厳しくし過ぎではございませんこと?」
「いえ、これも全ては、ご子息を更生させるために……」
「確かに私もそれを願いましたけど、ここまでやれとは言ってませんよ。もはや躾を通り越した『いじめ』ではございませんか。成長するどころか、追い詰める結果にしかならないと、私は思いますけど?」
「そ、それは……」
ディアドリーの眼力に、老執事がここに来て初めて押される。それを逃すまいと言わんばかりに、ディアドリーは目を光らせた。
「別に叱るなとは言いません。厳しくするのも大いに結構。しかしもう少し、この子のことをちゃんと見てあげてくださいな。あなたもたくさんの者を育ててきた経験があるのなら、私の言いたいことも分かりますよね?」
「……はい。承知いたしました」
「分かれば結構です」
にこやかな笑みを浮かべ、ディアドリーは頷く。そして未だ跪いたまま呆然と見上げてくるフェリックスに視線を向ける。
「さぁ、帰りますよフェリックス。今日のお仕事はおしまいです」
「え、は、母上?」
「早く立ち上がりなさい」
促されるがままに立ち上がったフェリックスの手を取り、ディアドリーはそのまま息子とともに、玄関から外へと姿を消す。
大きな扉が閉まると同時に、残された老執事は深いため息をついた。
「全く……肝心の母親があの様子では、先が思いやられるというモノですな」
そして老執事は、振り返りながら姿勢を正しつつ、マキトたちに頭を下げる。
「お客様方、見苦しい姿をお見せしてしまって、申し訳ございません」
「気にしなくて大丈夫よ。お母さんの部屋へは私が案内するから、爺やも仕事に戻ってちょうだいな」
「メイベル様……承知いたしました」
老執事はすぐに引き下がった。メイベルが一度言い出したら聞かないことはよく分かっていたからだ。
やがて老執事も玄関から外へと出ていき、マキトたちとメイベルだけとなる。
ここでマキトが、顔をしかめながら閉められた扉を見つめていた。
「なーんか変な感じだったなぁ……あのオバサンと、お坊ちゃま執事」
「ん。ノーラも思った。妙に空々しい的な」
「あまり関わりたくないのです」
「キュウ」
『たしかにねー。ぼくもいやだったよ』
ノーラや魔物たちも頷く。特に根拠はなく、本当になんとなくそう思っただけに過ぎなかったが、考え過ぎだとは何故か思えなかった。
(野生の勘ってヤツかな? 会ってすぐさまそう思っちゃうなんてねぇ……)
マキトたちの凄さを少しだけ感じた気がしたメイベルは、気を取り直すべくコホンと咳ばらいをして、改めて彼らを屋敷の奥へ案内し出すのだった。
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