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第五章 ミナヅキと小さな弟
第百三話 迷子のドラゴンさん
しおりを挟むあれから更に数日が過ぎた。ラステカの町では特に何事もなく、平穏な日々が流れている。
しかしそんな中、アヤメは――
「うぅ……ぎもぢわるい……」
ぐったりとソファーに項垂れる日々を送っていた。どんよりとした表情が四六時中抜け落ちない状況であり、何もやる気が出なくなっている。
「典型的なつわりね。これでも割と軽いほうよ」
自宅へ往診に訪れたモニカが、検温の結果をシートに記入しながら語る。
「酷い人はキッチンに漂う匂いだけでも吐いちゃうからね。そこに気力が低下してイライラが募るを繰り返す。でもアヤメさんの場合、気分は低下していても、ちゃんとご飯と食べることが出来ているから、そこについては安心だわ」
モニカが微笑みながらそう言うと、アヤメも力が出ないなりにフッと笑う。
「そりゃあ強くて元気な子を産みたいですからね。少しでもしっかり食べないと」
言葉そのものに覇気はない。しかしハッキリとした意志は感じられる。強がりなどではなく、心からそう思っているからそう言っているのだ。
そしてそれは彼女の表情にも表れている。
否――彼女の目の輝きが、否定させないという気持ちを打ち込んできているように思えてならなかった。
「……アヤメさん、きっと強いお母さんになるわね」
思わず抱いた驚きを苦笑で誤魔化しつつ、モニカが言うと――
「それはどーもです」
ボフッとソファーに身を沈めながら、アヤメはニヤッと笑うのだった。
◇ ◇ ◇
一方その頃――ミナヅキはリュートとスラポンを連れて、農場へ向かっていた。
遠くから牛の鳴き声が聞こえてくる中、リュートはスラポンを抱きかかえながら浮かない表情を見せる。
「おねーちゃん、ホントに大丈夫かな?」
アヤメが気分悪そうにしていた姿を目の当たりにした。それだけで物凄く心配していたのだ。無論、アヤメ自身もなんとか笑顔を取り繕って見せていたが、それが余計にリュートの心配を掻き立ててしまっていた。
「だーいじょうぶだって。モニカさんも来てくれてるんだし、ただのつわりだろうから心配すんな」
「赤ちゃんが出来たお母さんが、必ずなるっていうアレ?」
「そう、アレ」
ミナヅキは前を向いたままあっけらかんと答えた。
「まぁ、とにかく気にするな。今日は目いっぱい農場で遊んで帰ったほうが、きっとアヤメも喜んでくれるさ」
「うん……じゃあ、いっぱい遊ぶ」
まだ少し浮かない様子ではあったが、リュートはなんとか気持ちの矛先を農場に向けつつあった。
やはりすぐに気持ちを切り替えるのは難しいようだ。しかし遊んでいるうちに、きっといつもの笑顔を見せてくれるだろう。
ミナヅキはそう思いながら、自身も今日やるべきことに意識を戻す。
「っと、そうこうしているうちに見えてきたな。あそこだ」
前方に見えてきた広い農場を、ミナヅキが指差した。
「……大きい」
「ポヨー」
左右に視線を向けないと全てが収まらないほどの広さに、リュートとスラポンは驚きを隠せないでいた。
「俺が庭に作っている畑も、あそこで教わったんだ」
ミナヅキはバイトとして農場の手伝いをしながら、畑作りの基礎を学び、余った土や肥料ももらっていた。
授業料となるのはミナヅキの調合薬である。下手な金銭よりも、飲むと元気が出るポーションジュースのほうが、圧倒的に喜ばれるためだ。
「トムスさーん」
農場の入り口に差し掛かったところで、ミナヅキはツナギを着た中年男性の姿を見つけて声をかける。
「おぉ、ミナヅキじゃねぇか」
トムスと呼ばれた中年男性は、首に巻いたタオルで汗を拭きながら振り向いた。そして大きな鍬を持ったまま歩いてきて、ミナヅキたちと対面する。
「こんにちは。今日は弟たちも連れてきました。よろしくお願いします」
「お、おねがいします」
「ポヨッ」
ミナヅキに続いて、リュートとスラポンも慌て気味に頭を下げた。するとトムスは穏やかな笑みを浮かべる。
「はいよ。ワシはこの農場の主をやっとるトムスだ。ヨロシクな、ボウズ」
軽く自己紹介をしたトムスは、リュートの連れているスラポンに注目する。
「ほぅ。おめぇさん、スライムを連れとるのか。随分と懐いておるな」
「魔物調教師の適性持ちなんですよ」
「ははぁ、どーりで」
ミナヅキの補足に、トムスはますます興味深そうに凝視する。リュートはスラポンをトムスの前に掲げながら言った。
「スラポンっていうの」
「ポヨッ」
「そうかそうか。ヨロシクな。それにしても――」
トムスは再びスラポンをまじまじと見つめる。
「このスラポンとやらは、とても良い水を含んでおると見える。それだけ良い栄養を与えられておる、なによりの証拠だな」
笑顔でそう言うトムスだったが、リュートとスラポンはよく分かっておらず、困ったような表情でミナヅキのほうを見上げる。
「……つまりどーゆーこと?」
「スラポンはそれだけ凄いんだってことを、トムスおじさんは言ってるんだよ」
そしてミナヅキは、トムスに視線を向けて言った。
「良ければ、スラポンも畑で遊ばせてもらえませんか?」
「あぁ、勿論いいとも。遠慮せんでええぞ」
トムスの視線の先には、広い畑で飛び回っているスライムたちがいた。農場の畑作りのためにトムスが飼っているのだ。
一匹のスライムがスラポンの存在に気づき、畑から飛び出してやってくる。そしてあっという間に意気投合し、スラポンは畑に向かってしまった。
「ホホッ、どうやら早速友達になったようだな。さて、ワシらもボチボチ、仕事に取り掛かろうぞ。まずは二人とも、作業服に着替えるといい」
ミナヅキとリュートは畑の脇にある小屋に案内され、トムスから貸し出されたツナギ型の作業服に着替える。そして二人が外に出た瞬間――
「ポヨッ♪」
スラポンが出迎えた。その後ろにはたくさんのスライムたちが控えており、一斉にリュートの周りに群がっていった。
「わわっ!」
突然のことに慌てふためくリュートだったが、当のスライムたちはどこまでも無邪気な様子であった。足元にすり寄ったり、飛びついて頬ずりをしたり、出会ったばかりなのに、前々からの如く懐かれてしまっている。
その様子を見て、トムスは思わず直立不動で呆けてしまっていた。
「こりゃたまげたなぁ。ウチのスライムどもがあっという間に懐くとは……」
「俺もこないだ、似たような状況で驚きましたよ」
ミナヅキは苦笑しながら、アイテムボックスからポーションを取り出す。
「トムスさん。前払い代わりにコレを」
「ん? おぉっ、これだこれだ! そうそうこれを待っとったんだよ!」
ミナヅキから受け取った小瓶を開け、トムスはその中身を一気に飲み干す。
「っかあぁーーっ! 体の中から力が湧き出てくるようだわい。まさに畑を耕す前にこれ一本、ってヤツだなぁ。ハッハッハッ!」
豪快に笑うトムスに、ミナヅキは小さく笑いつつ、心の中でひっそりと思う。
(まるで栄養ドリンクのコマーシャルを見てるみたいだな)
そしてミナヅキもポーションを飲み、気分を高める。やはり栄養ドリンクそのものだと思いながら、トムスとともに畑仕事を開始するのだった。
◇ ◇ ◇
ミナヅキとトムスが広い畑を分担して耕していく。リュートはスラポンやスライムたちと畑で遊んでいた。
遊ぶと言っても、畑の中を散歩する程度だ。走り回ることはしていない。
トムスのスライムたちも、それだけしっかりと躾けられていた。畑に水を与える役割をこなし、一列になって規則正しく畑を進む。それを後ろからスラポンが一緒にくっ付いて飛び跳ね、そのまた後ろからリュートがついて歩く。
いわば畑の中を散歩しているような形だ。動き自体はとても単調だが、スライムの動きを見ているだけでも楽しいのか、リュートも飽きる様子を見せていない。
「今日のスライムたちは実に大人しくてペースも早いな。これもひとえに、おめぇさんの弟のおかげってところか」
トムスが鍬を振るいながらご機嫌よろしく笑う。
「あんなちっこいのに、あそこまで魔物に懐かれるたぁ貴重なもんだ。どこぞの魔物を扱う家が欲しがる可能性も十分あり得るぞ」
「まさか……いくらなんでも、そんなご都合主義はないでしょう」
ミナヅキが苦笑しながら鍬を振り下ろした。するとトムスが、人差し指を左右に振りながらチッチッチッと声を立てる。
「果たしてそうかな? あり得なさそうなもんほど、意外と転がってくる。おめぇさんも、少なからず身に覚えがあったりするんじゃねぇか?」
「あー……」
言われてみればとミナヅキは思い出す。これまでもそうだった。このような会話をした後には、大抵何かが起きていた気がすると。
(まさか今回も? いやいや、流石にそれはいくらなんでも――)
ミナヅキが顔を左右に軽く動かして、考えを振り落とそうとした。
その時――
「スラポーン、どこいくのー?」
リュートの声が聞こえてきた。振り向いてみると、スラポンが畑の隅にある茂みに向かってピョンピョンと飛んでいた。
「……トムスさん。あそこの茂みって何かありましたっけ?」
「いや、特に何もないハズだが……気になるな。魔物の勘は人間よりも鋭いぞ」
「ですよねぇ」
つまりあそこに何かが隠れている――そう言っているのだと判断しながら、ミナヅキは表情を引きつらせた。
(まーたフラグ立てちまったかな、俺?)
どうにもそんな気がしてならなかった。このまま見なかったことにしたいが、もはやそれも叶わない。
そんなことを考えながら、ミナヅキも鍬を持ったまま茂みに向かった。リュートや他のスライムたちもスラポンを追っているからだ。
そしてミナヅキが茂みに近づく頃、リュートもスラポンと一緒になって茂みの中を覗き込んでおり――
「大丈夫? しっかりして!!」
リュートの叫びが聞こえてきた。やはり何かあったみたいだと思い、ミナヅキが急いで駆け出した。
「どうした?」
「おにーちゃん、魔物さんが……」
「魔物?」
泣きそうな表情で見上げてくるリュートの前には、ケガをしてうずくまっている小さな存在がいた。
それは、普通の場所では絶対に見ることのできない伝説の存在。間違っても小さな町の畑の隅っこにはいない存在であった。
「……ドラゴン?」
鱗に覆われた体に翼を携え、長い首を丸めて縮こまっているそれは、どう見てもドラゴンの子供であった。
ケガ自体は大したことなさそうであるが、少し衰弱しており、このまま放っておけば大変なことになりかねないと、ミナヅキは思う。
「とにかく、手当てを――」
「キュアーッ!!」
「うわっ」
子ドラゴンがいきなり威嚇してきた。相当警戒していることは明らかであり、不用意に近づくのは危険であることが見て取れる。
そんな中、リュートはジッと子ドラゴンを見つめ続けていた。
ケガを治してあげたい、凄く心配しているんだ――そんな気持ちを乗せて。
すると子ドラゴンの威嚇が収まった。そして子ドラゴンもまた、リュートにジッと視線を合わせる。
風に揺れる草の音が聞こえる。どちらも声を発しないまま、ひたすら見つめ合う状態が続く。
そして――リュートが子ドラゴンに手を伸ばした。
「お、おい!」
ミナヅキが止めようと手を伸ばすが、子ドラゴンは大人しいままだった。そしてそのまま抱きかかえられる。リュートは優しくその小さい頭を撫でた。
「大丈夫。すぐ助けるからね」
「……キュー」
リュートが優しく語り掛けると、子ドラゴンは力のない鳴き声を発し、そのままゆっくり目を閉じる。呼吸はしており、どうやら寝ているだけのようであった。
そしてリュートが子ドラゴンを抱きかかえたまま立ち上がり、後ろにいるミナヅキのほうを振り向く。
「おにーちゃん」
「――あぁ。すぐにケガの手当てをしよう」
ミナヅキとリュートは、子ドラゴンを連れて戻った。トムスは驚いたが、すぐに事情を察し、手当て用の包帯を用意する。
ミナヅキはアイテムボックスから、薬草を取り出してすり潰す。即席の止血剤を作り上げたのだ。それを患部にあてて包帯を丁寧に巻き付けようとする。
しかし、ミナヅキがそれを塗ろうとすると――
「キュルアァーッ!!」
再び激しく威嚇し出した。しかし手当てをするためには、直接子ドラゴンに触れる以外に方法はない。
「ねぇ、これをキズに塗ればいいの?」
リュートがすり潰した薬草のペーストを指出した。
「あ、あぁ。それで血を少しでも止められれば……」
「だったらぼくがやる」
そう言うなり、リュートが薬草ペーストを指で多めにすくう。それは子ドラゴンもしっかりと見ていたが――
「キュルゥ……」
今度は大人しくなった。リュートが患部にペースト塗った瞬間、染みたらしく鳴き声を上げたが、大暴れすることもなく、手当てを受けている。
あとは包帯を巻くだけとなった。しかしリュートに包帯を巻くことは、流石にまだ難しかった。
するとリュートは、子ドラゴンに顔を近づけながら語り掛ける。
「ねぇ、おにーちゃんなら大丈夫だよ。だから手当てを受けて」
「キュルゥ?」
「ぼくたちはキミを助けたいんだ」
「……キュルルゥ」
鳴き声とともに子ドラゴンは小さく頷く。その反応にリュートは安心したような笑顔を浮かべ、ミナヅキを見上げた。
「おにーちゃん、おねがい!」
「あ、あぁ」
頼まれるがままに、ミナヅキは子ドラゴンに包帯を巻いていく。今しがた見せた威嚇の反応は、今度は全く見せることはなかった。
(大人しいもんだな……さっきとは大違いだ)
そう思いながらミナヅキは丁寧に包帯を体に巻き付け、少しきつめに縛る。その際に少し痛そうな表情を浮かべたが、子ドラゴンはすぐに落ち着き、そのまま目を閉じて眠ってしまった。
ミナヅキは安心したように息を吐き、リュートに笑みを向ける。
「ありがとうリュート。これであとは様子を見よう」
「――うん」
リュートも嬉しそうに笑った。子ドラゴンの落ち着いて寝ている姿からして、きっと大丈夫だという安心感がこみ上げてくる。
そこにトムスが、後ろ頭をガシガシと掻きむしりながら歩いてきた。
「しっかしまぁ、ウチの畑にドラゴンの子供がいるたぁ、驚いたもんだな」
「恐らく、どっかから迷い込んだんでしょうね」
「んだなぁ。おめぇさんたちは少しのんびりしとけ。ワシはもう少し出てくる」
「すみません」
「なぁに、良いってことよ」
トムスは片手を挙げながらニカッと笑い、鍬を担いで出ていった。
おもむろに道具を片付けつつ、ミナヅキは子ドラゴンに視線を向ける。リュートに優しく体を撫でられ、スラポンの体を枕代わりにして眠る、途轍もなく安らかな様子であった。
これから子ドラゴンをどうするか――答えが出たも同然の状態であった。
「……こりゃあ、ウチで保護するしかなさそうだな」
近いうちにリュートと子ドラゴンを連れて、王都のギルドへ報告に行こう――そう思いながらミナヅキは、ため息交じりの笑みを浮かべるのだった。
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