駆け落ち男女の気ままな異世界スローライフ

壬黎ハルキ

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第五章 ミナヅキと小さな弟

第百十四話 この果てしなく広い大空へ

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 あっという間だった――肌寒い夕焼け空を見上げながら、ミナヅキは思った。
 ユリスがリュートを連れてきて、まだ一ヶ月も経過していない。なのにずっと前から一緒にいたような錯覚に陥っている。
 それだけ濃厚な時間を過ごしていたということだろう。
 怯えて光を失った目が、すっかりと明るく生き生きと輝くようになった。兄や姉にくっ付かなければ外に出ようとしなかったのに、今では自分から行ってきますという掛け声とともに、玄関の扉を勢いよく開けて行くほどであった。
 栄養不足による体の心配もなくなっていた。むしろ本当にそんな危険な状態だったんですかと、知らない人が見ればそう問いかけたくなるほどに。
 たった数週間で、元気いっぱいの子供に戻れた。
 かけがえのない友達もできて、毎日が楽しいと体全体で表現している。それはミナヅキもアヤメも感じていることであった。
 そんな小さい弟が、新しい家族とともに遠い地へと旅立つ。
 この果てしなく広い大空を飛ぶドラゴンたちとともに、明るい未来を目指して飛び立っていくのだった。

「いよいよね」

 ストールを羽織って家から出てきたアヤメが、周囲を見渡す。少しでも見やすい場所を確保している町の人たちの姿がチラホラと見られた。

「こうして見ると、大移動がどれほどのイベントなのかが分かる気がするわ」
「去年は別の意味で驚いてばっかだったもんな」
「確かにね」

 ミナヅキのからかい混じりな言葉にアヤメは苦笑する。
 ちょうど一年前であった。アヤメがミナヅキに連れられて、地球からこの異世界に足を踏み入れたのは。
 当時のことを思い出せば思い出すほど、恥ずかしさがこみ上げてくる。

「自暴自棄も良いところだったわ。子供の癇癪と変わらないくらいよ」
「そうか? むしろそこはあんま変わんないだろ。大人だろうと子供だろうと」

 ミナヅキはしれっと言ってのけた。

「そーやって省みることができるだけ、まだマシなほうなんじゃないか?」
「……だと良いけどね」

 フッと小さく笑いながら、アヤメはミナヅキに寄り添う。

「見守り役って確か、しんがりを務めるのよね?」
「あぁ。今頃、王都の近くでスタンバイしている頃だろうぜ」
「リュートとスラポンは大丈夫かしら?」
「心配ないだろ。ジェロスも速攻で歓迎していたくらいだったし」

 リュートがエルヴァスティ家の一員になると決まった際、ジェロスもご機嫌よろしく出迎えていた。
 その際、ジェロス自らがリュートを自身の背に乗せ、空を飛んでみせたのだ。
 ジェロスからしてみれば、ほんの軽い歓迎の挨拶だったのだろう。しかしバージルやミルドレッドは、それを見て唖然としていた。
 決して他人を乗せることがないジェロス。仕事上、どうしても乗せる必要が出てきた際に、バージルが頼み込んでようやくと言ったところであった。
 エルヴァスティ一家がラステカに来た際、ジェロスの背中にリュートとスラポンを乗せてきた。これも仕事の一環だったからと思われていたが、どうやら少し違っていたようだと判断された。
 レノを救った恩人、そして心から信頼できる人間として、ジェロスはリュートを認めた。自ら背中に乗せたのは、その証だったのだ。

「バージルさん、ちょっと落ち込んでたもんね」
「あー、自分の時は乗るのに苦労したほうだったとか、言ってたもんな」

 竜の一族として、ドラゴン乗りとして、早くもプライドが崩れかけたバージルではあったが、ミルドレッドが励ましたことでなんとか持ち直した。
 ただしそれは、尻をバシッと叩くという完全に物理的なやり方であった。まるで馬を扱っているみたいだなぁと、ミナヅキが心の中でひっそりと思っていたのはここだけの話である。

「来たぞー!!」

 誰かがそう叫んだ。人々が――ミナヅキとアヤメも含めて――東の空を一斉に見上げる。そこには黒い小さな動く影が見えた。
 ドラゴンだ。近づいてくるその大きな羽ばたく姿は、まさに飛竜の姿だ。
 黒い羽ばたく影は、徐々に大きくなる度に形をハッキリとさせ、やがてそれは肉眼でも確認できるほどとなる。
 ばっさ――ばっさ――
 羽ばたく音が響いてくる。遠くから耳を澄ませて聞こえる程度の小さな音は、やがて耳を澄ませずとも確認できる大きなそれとなってくる。
 ばっさ、ばっさ、ばっさ、ばっさ――――
 大きな影が、よく晴れた夕焼け空を支配する。人々はその凄まじい光景に魅了されていた。

「こりゃ凄いな……」
「改めて見ると、とんでもないわね」

 ミナヅキとアヤメも、例外ではない。何も考えられず、ただ大空を駆け抜けるその凄まじさに、身を委ねるばかりだ。
 しかしそれも、あっという間の時間であった。
 ドラゴンの飛ぶスピードはとても速い。だからすぐに終わりは来る。東の空を覆っていた黒い影は、今や完全に西の空を覆い尽くしていた。
 そして――

「グルアアアァァーーーッ!!」

 東側から、一体のドラゴンの咆哮が聞こえる。
 ドラゴンの群れから少し下がった状態で、それは空の上を通りかかった。

「――ジェロス!?」
「あぁ、間違いないな。バージルさんたちも乗ってるよ!」

 それは決して見間違いなどではなかった。何故ならミナヅキとアヤメにもよく見えるように、普段ならあり得ないレベルの低空飛行をしていたからだ。
 背に乗るエルヴァスティ一家が、ミナヅキたちに向かって手を振ってくる。
 そして、新しく加わった小さな男の子の姿も。

「リュート……」
「ハハッ、思いっきりはしゃぎながら手を振ってきてやがる」

 アヤメは胸元で手をギュッと握り締め、ミナヅキは遠くからでもよく分かる小さな弟の笑顔に苦笑する。
 そして二人もそれに応えるべく、思いっきり手を振るのだった。

「グルオオォーーッ!!」

 ジェロスが再び咆哮する。きっと別れの挨拶してくれているのだろうと、ミナヅキは思った。
 そのままジェロスは空高く飛び上がる。
 少し離されそうになっている大移動の群れを追うべく、スピードを上げて思いっきり羽ばたき始めた。
 ドラゴンの群れとジェロスは、あっという間に夕日の彼方へ消えていった。

「――行っちまったな」
「えぇ」

 時間が止まったかのように、しんと静まり返っていた。他の人々も、西の空を見上げたまま、放心状態に陥っている。
 ――ヒュウウゥゥ。
 冷たい風が吹きつけてきた。それを合図に、人々は帰り支度をして動き出す。

「家の中に入ろう。体を冷やすと良くないからな」
「うん」

 ストールの上から背中を優しく支えられたアヤメは、ミナヅキとともに家の中へと入った。
 明かりの灯るリビングは、とても静かであった。

「昨日も思ったけど、やっぱ部屋がガランとしちまった感じだよな」
「ホントよねぇ」

 ミナヅキとアヤメは苦笑する。リュートとスラポンが、エルヴァスティ一家とこの家を去ったのは、つい昨日のことだった。
 大移動のバトンタッチ場所に向かうための移動は、ジェロスに乗って空を飛べばあっという間だ。故に前日に出ても何の問題もなかったのである。
 別れも実にアッサリとしていた。
 会おうと思えば会いに来れる。いつかミナヅキとアヤメも、子供を連れて竜の国へ遊びに行くと約束した。
 ――ぼくも大きくなったら、絶対におにーちゃんのところへ会いに来るよ!
 リュートは笑顔でそう宣言した。スラポンとレノも、気合いを込めた鳴き声を上げていた。
 その強い意志に、ミナヅキとアヤメも、楽しみに待っていると笑顔を向けた。
 そして、ジェロスに乗って去っていく一家を見送って家の中へ戻り――今と同じような気持ちに駆られたのであった。

「まぁ、いつかはこんな日が来るだろうって、思ってはいたんだがなぁ……」

 出会いがあれば別れもある。楽しい時間はあっという間に過ぎる。
 それらの言葉自体は、どこぞで耳にしていた。考えてみれば当たり前のことじゃないかと、軽い言葉として捉えていた。
 しばらく続くと思っていた生活は、突如として終わりを迎えることとなった。
 勿論、それについてとやかく言うつもりは全くない。リュートは自分の意志で未来に向かって旅立ったのだ。兄として誇らしいとミナヅキも思っている。
 しかしそれでも、やはり寂しいと感じずにはいられなかった。

「子供の旅立ちを見送る親っていうのは、皆こういう気持ちなのかしらね?」

 リュートがスラポンと遊んでいたソファーを、アヤメが見つめる。
 たった数週間とはいえ、一緒に暮らしていた小さな弟。経緯も相まってか、まるで疑似的な親になった気分にもなっていた。
 そのまま二人は、なんとなくソファーに並んで座る。

「まだ……こっちに来てから、たった一年しか経ってないのよねぇ」

 アヤメがミナヅキの肩に頭を乗せながら、ポツリと呟いた。

「結婚したのもホント勢いそのものって感じだったから、正直最初はそんな意識もしてなかったのよね」
「あぁ。ただ一緒に住んでるってだけだったな」
「でも決して険悪じゃなかったわ。こうして寄り添っていると、やっぱり居心地良いなぁって思うし」
「同感だ」

 そう言いながらミナヅキも、アヤメの肩に手を回す。同時にアヤメも、体を傾けてミナヅキに軽く抱きつく形を取った。

「まさかアンタが絶食系だったなんてね。それを知った以上、私が仕掛けるしかなかったかなって思ったわ」
「そーゆーお前は、何気に肉食系ってことになるんじゃないか?」
「……かもね。一応言っておくけど、私はミナヅキ以外の男に興味ないわよ?」
「それ何回も聞いた。ちなみに俺も他の女には、興味持ったことないから」
「言わなくても分かってるわよ」

 再び苦笑し合う中、アヤメは優しく腹部を撫でる。

「それにしても、まさかこうして子供まで授かるとはね……一年前の私が見たら、きっと飛び跳ねるくらいビックリするわよ?」
「だろうな。きっと俺もだ」

 軽く答えながら、ミナヅキは改めてリビングを見渡した。

「はぁ……やっぱ静か過ぎる感じだなぁ」
「どうせすぐ賑やかになるわよ。もうすぐ一人は増えるんだから」
「それもそうか」

 ミナヅキは笑いつつ、これからの生活に思いを馳せる。
 今までは、単に気ままな異世界スローライフを過ごせればそれでよかった。しかし今後は少し変わってくる。
 家族皆で賑やかなスローライフを送る――それ以外は何も望んでいない。

「アヤメ」
「ん?」
「子供、楽しみだな」
「――うんっ♪」

 アヤメは嬉しそうに、ギュッと抱き着く力を強める。一つに重なる二人の影は、そのまましばらく離れることはなかった。



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いつもお読みいただきありがとうございます。
新作「勇者になれなかったけど精霊たちのパパになりました」も公開中です。
第12回ファンタジー小説大賞にもエントリーしています。
(当作品は既に別の大賞に応募中のため、エントリーはしていません)
なにとぞよろしくお願いします<(_ _)>
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