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「うーん、そりゃわかるわ。その子、たぶん怯えちゃったんだな。なにしろ椎名はハンターくんだから」
「な、何だよ、深井まで」
翌日の月曜日。
待ち合わせたカフェでコーヒーを飲みながら、哲朗は隣に座る深井を小突いた。
中学も高校も一緒だった彼とは昔から仲がよく、それぞれ進路が違ってからも、何かとつるむことが多い。今日も相談がてら昼食につき合ってもらったのだ。
器学科のハンター――気になっているのは、調が残したひとことだった。もちろん誰がそう言ったのかまでは明かさなかったけれど。
「でも、藤芳ではそう言われてるらしいじゃん。だいたいお前、いつも一回きりだろ? 絶対に特定の相手を作らないし」
「いや、俺は」
「まあ、聞けって」
深井は陽気な男だが、めずらしくまじめな顔で言葉を続けた。
「別に非難しているつもりはないよ。お前は無理やり何かするヤツじゃないし、やたらもてるから、そんな必要もないしさ。だけど椎名のガールズコレクションはどこまで増え続けるんだろうって、みんな思ってる。その子はそんな扱いを受けたくなかったんだよ」
「ガールズ……コレクション?」
初めて耳にする言葉だった。
実を言えば、哲朗にはハンターと呼ばれている自覚もない。もともと女の子たちとの関係を、そこまで真剣にとらえたことがなかったのだ。
別に決めごとがあるわけでもない。ただ、続けるのが面倒だっただけだ。
「ま、あまり悩むなよ。ひとりくらい逃がしたっていいじゃん。どうせいくらでもかわいい女子が寄ってくるんだから」
今度は深井から小突き返される。
だが哲朗はそれをうまくやり過ごすことができない。笑顔すら作れなかった。相手は学内きっての変わり者で、二度と関わらなくても全然困らないはずなのに。
「どうしたよ、椎名?」
「わからない」
哲朗は首を振って、力なく俯いた。何がわからないのかさえわからない。ただどうしようもなく胸が痛んだ。
調は間違いなく、自分を不埒な遊び人だと思っている。だからあんなに頑なだったのだ。
これまでしてきたことを思えばそれは否定しようもないし、背を向けられても当然だ。それなのにザワザワと気持ちが波立った。
――もう私にはかまわないで!
明快過ぎるほどの拒絶。
これからは調に声もかけることもできないのだろうか。いや、それならそれでかまわないはずだ。ホテル代の件が気になるとはいえ、昨夜までは顔さえ知らなかった相手なんだから――。
「あっ!」
哲朗の手からスプーンがすべり落ちた。隣の深井が驚いたような視線を向けてくる。
「何? どうした?」
「い、いや。別に」
哲朗は急いでスプーンを拾いかけ、そのまま固まってしまう。
深井の話から判断すれば、一度寝たらそれきりで次々と相手を変えるから、自分はハンター扱いされているらしい。
あの夜、調をベッドに運んで、ジャケットを脱がせて――哲朗は必死に、先日のことを思い出そうとした。
顎先から首筋に唇を這わせて、彼女の切なげなため息を聞いた。その後はどうだっただろう?
あの大げさなワンピースは脱がせたか? どこか触ったのだろうか?
しかし残念ながら何ひとつ覚えていない。勢いをつけるための梅酒が効き過ぎてしまったのだ。
哲朗は頭を振りながら、ようやくスプーンを拾い上げた。
酒のせいで記憶があいまいだが、おそらく調とは最終的な行為まではしていないのだろう。
それならばまだわずかに可能性があるのではないか。近づき方を変えれば、せめて友人にはなれるかも。
「いや……無理だな」
哲朗の手から再びスプーンが落ちた。毛を逆立てた子猫みたいだった調の姿を思い出したのだ。
見るからに非力なのに、相手を威嚇せずにはいられないくらい怒っている小動物――あの時の調は、まさにそれだった。
手を差し出せば、きっと小さな牙を剥き出し、背を向けて全速力で逃げ出すだろう。たとえば自分を振りきって滝沢のもとへ向かった時みたいに。
それでも調は滝沢には微笑むのだろうか。冗談を言って笑い合ったりするのだろうか。
もちろんアンサンブルのパートナーであれば仲がいいのは当然だし、さらに彼は演奏家としても自分より優れているわけだけれど。
「……ちくしょう」
調のこと、滝沢のこと、考えれば考えるほど混乱するばかりだ。
「おいおい、大丈夫か?」
「えっ?」
横を見ると、深井があきれ顔でスプーンを差し出していた。
「椎名がそんなふうになるの、初めて見たよ。そこまで気になるんだ、あの子のことが」
「あ、いや、違うよ。気になるとかそんなんじゃなくて」
「本気になっちゃったんじゃないの?」
「えっ?」
スプーンを受け取るのも忘れ、答えも返せないまま哲朗は深井を見返した。じわじわと頬が熱くなっていくのがわかる。
本気? ないだろ……相手はあのピアノ姫なんだから。
真山調のことが気になるはずない。この前は酒も入っていたし、ちょっと混乱しているだけだ。
哲朗は肩を落として大きなため息をついた。
「な、何だよ、深井まで」
翌日の月曜日。
待ち合わせたカフェでコーヒーを飲みながら、哲朗は隣に座る深井を小突いた。
中学も高校も一緒だった彼とは昔から仲がよく、それぞれ進路が違ってからも、何かとつるむことが多い。今日も相談がてら昼食につき合ってもらったのだ。
器学科のハンター――気になっているのは、調が残したひとことだった。もちろん誰がそう言ったのかまでは明かさなかったけれど。
「でも、藤芳ではそう言われてるらしいじゃん。だいたいお前、いつも一回きりだろ? 絶対に特定の相手を作らないし」
「いや、俺は」
「まあ、聞けって」
深井は陽気な男だが、めずらしくまじめな顔で言葉を続けた。
「別に非難しているつもりはないよ。お前は無理やり何かするヤツじゃないし、やたらもてるから、そんな必要もないしさ。だけど椎名のガールズコレクションはどこまで増え続けるんだろうって、みんな思ってる。その子はそんな扱いを受けたくなかったんだよ」
「ガールズ……コレクション?」
初めて耳にする言葉だった。
実を言えば、哲朗にはハンターと呼ばれている自覚もない。もともと女の子たちとの関係を、そこまで真剣にとらえたことがなかったのだ。
別に決めごとがあるわけでもない。ただ、続けるのが面倒だっただけだ。
「ま、あまり悩むなよ。ひとりくらい逃がしたっていいじゃん。どうせいくらでもかわいい女子が寄ってくるんだから」
今度は深井から小突き返される。
だが哲朗はそれをうまくやり過ごすことができない。笑顔すら作れなかった。相手は学内きっての変わり者で、二度と関わらなくても全然困らないはずなのに。
「どうしたよ、椎名?」
「わからない」
哲朗は首を振って、力なく俯いた。何がわからないのかさえわからない。ただどうしようもなく胸が痛んだ。
調は間違いなく、自分を不埒な遊び人だと思っている。だからあんなに頑なだったのだ。
これまでしてきたことを思えばそれは否定しようもないし、背を向けられても当然だ。それなのにザワザワと気持ちが波立った。
――もう私にはかまわないで!
明快過ぎるほどの拒絶。
これからは調に声もかけることもできないのだろうか。いや、それならそれでかまわないはずだ。ホテル代の件が気になるとはいえ、昨夜までは顔さえ知らなかった相手なんだから――。
「あっ!」
哲朗の手からスプーンがすべり落ちた。隣の深井が驚いたような視線を向けてくる。
「何? どうした?」
「い、いや。別に」
哲朗は急いでスプーンを拾いかけ、そのまま固まってしまう。
深井の話から判断すれば、一度寝たらそれきりで次々と相手を変えるから、自分はハンター扱いされているらしい。
あの夜、調をベッドに運んで、ジャケットを脱がせて――哲朗は必死に、先日のことを思い出そうとした。
顎先から首筋に唇を這わせて、彼女の切なげなため息を聞いた。その後はどうだっただろう?
あの大げさなワンピースは脱がせたか? どこか触ったのだろうか?
しかし残念ながら何ひとつ覚えていない。勢いをつけるための梅酒が効き過ぎてしまったのだ。
哲朗は頭を振りながら、ようやくスプーンを拾い上げた。
酒のせいで記憶があいまいだが、おそらく調とは最終的な行為まではしていないのだろう。
それならばまだわずかに可能性があるのではないか。近づき方を変えれば、せめて友人にはなれるかも。
「いや……無理だな」
哲朗の手から再びスプーンが落ちた。毛を逆立てた子猫みたいだった調の姿を思い出したのだ。
見るからに非力なのに、相手を威嚇せずにはいられないくらい怒っている小動物――あの時の調は、まさにそれだった。
手を差し出せば、きっと小さな牙を剥き出し、背を向けて全速力で逃げ出すだろう。たとえば自分を振りきって滝沢のもとへ向かった時みたいに。
それでも調は滝沢には微笑むのだろうか。冗談を言って笑い合ったりするのだろうか。
もちろんアンサンブルのパートナーであれば仲がいいのは当然だし、さらに彼は演奏家としても自分より優れているわけだけれど。
「……ちくしょう」
調のこと、滝沢のこと、考えれば考えるほど混乱するばかりだ。
「おいおい、大丈夫か?」
「えっ?」
横を見ると、深井があきれ顔でスプーンを差し出していた。
「椎名がそんなふうになるの、初めて見たよ。そこまで気になるんだ、あの子のことが」
「あ、いや、違うよ。気になるとかそんなんじゃなくて」
「本気になっちゃったんじゃないの?」
「えっ?」
スプーンを受け取るのも忘れ、答えも返せないまま哲朗は深井を見返した。じわじわと頬が熱くなっていくのがわかる。
本気? ないだろ……相手はあのピアノ姫なんだから。
真山調のことが気になるはずない。この前は酒も入っていたし、ちょっと混乱しているだけだ。
哲朗は肩を落として大きなため息をついた。
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