17 / 32
②
しおりを挟む
調が自分のヴァイオリンを聴きたいと言っている。
あれだけ自分を避けていた彼女が思いもかけないチャンスをくれたのだ。いったいどんな気まぐれを起こしたのだろう。
正直、調に演奏を聴いてほしいと思った。これをきっかけに親しくなりたいという計算もあった。
けれど哲郎は静かに首を振った。
「今日はやめておきます。まだ、だめだから」
「だめって、どうして?」
調は少し首を傾げて、心底ふしぎそうな顔をしていた。
子どもみたいなその率直さに、哲朗は思わず微笑んでしまう。
「しばらく手を抜いていたから、けっこうボロボロなんです。マジでもっと練習しますから、また次の機会に聴いてください」
「そうなの。残念だわ」
それもまた、ふしぎに心のこもった声だった。
その時、哲朗の心の中で何かが動いた。
「真山さん」
そんなつもりはなかったはずなのに、つい調に声をかけてしまう。
「何?」
「いや、その」
呼びかけてはみたものの、哲朗は特に何も考えてはいなかった。ただこのまま会話を終わらせたくなかっただけだ。
しかしいざ口を開いたら、今度は言葉が止まらなくなってしまった。
「真山さんが俺のこと苦手なのはよくわかってます。でも、できたら嫌わないでほしいんです。お、俺は真山さんの音が大好きだし、リスペクトしてます。もっとたくさん演奏を聴いてみたいし、仲よくなりたいとも思ってて……俺に悪いところがあれば直すようがんばりますから、いや、欠点ばかりだとは思いますけど気をつけるから、と、友だちになってくれませんか?」
調の答えを待つことさえできず、哲朗はさらに続ける。
「あの晩はすみませんでした。よく覚えてないけど、もし真山さんが傷つくようなことをしてしまったのなら、心から謝ります。許してくれるまで何でもしますから」
そうか。自分はこんなにも調と親しくなりたかったのか――哲朗は次々とこぼれ落ちていく言葉にいちいち驚いていた。
同時に、それが真実であることも思い知ったのだった。
「お、俺はハンターなんかじゃないし、あれはみんなが勝手に言っているだけで……ていうか、俺はもう女遊びはしません。きちんと音楽をやることに決めたんで」
調はあっけに取られた様子で立ちすくんでいる。何と答えていいかわからないのだろう。
「あ、す、すみません。無理ならいいです。今のは俺の勝手な――」
「待って、椎名くん!」
哲朗は自分の目を疑った。
調が舞台から飛び降りて走ってきたのだ。しかもあろうことか、自分のすぐ手前で床に足を引っかけて、派手に倒れ込んできた。
「真山さん?」
どうしていいかわからず、哲朗はバランスをくずした調をとっさに抱き止める。
「わ、私も」
胸元で、小さく震える声がした。けれどもその響きは怖いくらいに必死だ。
「私も椎名くんと仲よくなりたいの!」
それから自分の体勢に気づいたらしく、調は慌てて哲朗から離れた。
「ごめんなさい!」
「い、いや。それより大丈夫ですか?」
「うん、平気。あの、仲よくっていうのは……もちろん友だちとしてだけど」
「ありがとう、真山さん。あ、そうだ。まずホテル代を返さないと」
「そんなのいいから」
「いや、そういうわけにはいきませんよ。せめて半額だけでも受け取ってもらわないと」
財布と紙幣を手に、哲朗と調はどちらからともなく顔を見合わせてしまう。
本当に話したいのは、そんなことではなかった。けれど出会い方も、その後の展開も変化球過ぎて、互いにこれからどうすればいいかわからなかったのだ。
さらに二人とも今は時間に余裕がある身ではない。
調は学内コンサートを間近に控えていて、哲朗も練習に身を入れ始めたばかりだ。たとえ親しくなりたくても、ふつうの学生みたいに一緒に遊びに行く暇はなかった。
あれだけ自分を避けていた彼女が思いもかけないチャンスをくれたのだ。いったいどんな気まぐれを起こしたのだろう。
正直、調に演奏を聴いてほしいと思った。これをきっかけに親しくなりたいという計算もあった。
けれど哲郎は静かに首を振った。
「今日はやめておきます。まだ、だめだから」
「だめって、どうして?」
調は少し首を傾げて、心底ふしぎそうな顔をしていた。
子どもみたいなその率直さに、哲朗は思わず微笑んでしまう。
「しばらく手を抜いていたから、けっこうボロボロなんです。マジでもっと練習しますから、また次の機会に聴いてください」
「そうなの。残念だわ」
それもまた、ふしぎに心のこもった声だった。
その時、哲朗の心の中で何かが動いた。
「真山さん」
そんなつもりはなかったはずなのに、つい調に声をかけてしまう。
「何?」
「いや、その」
呼びかけてはみたものの、哲朗は特に何も考えてはいなかった。ただこのまま会話を終わらせたくなかっただけだ。
しかしいざ口を開いたら、今度は言葉が止まらなくなってしまった。
「真山さんが俺のこと苦手なのはよくわかってます。でも、できたら嫌わないでほしいんです。お、俺は真山さんの音が大好きだし、リスペクトしてます。もっとたくさん演奏を聴いてみたいし、仲よくなりたいとも思ってて……俺に悪いところがあれば直すようがんばりますから、いや、欠点ばかりだとは思いますけど気をつけるから、と、友だちになってくれませんか?」
調の答えを待つことさえできず、哲朗はさらに続ける。
「あの晩はすみませんでした。よく覚えてないけど、もし真山さんが傷つくようなことをしてしまったのなら、心から謝ります。許してくれるまで何でもしますから」
そうか。自分はこんなにも調と親しくなりたかったのか――哲朗は次々とこぼれ落ちていく言葉にいちいち驚いていた。
同時に、それが真実であることも思い知ったのだった。
「お、俺はハンターなんかじゃないし、あれはみんなが勝手に言っているだけで……ていうか、俺はもう女遊びはしません。きちんと音楽をやることに決めたんで」
調はあっけに取られた様子で立ちすくんでいる。何と答えていいかわからないのだろう。
「あ、す、すみません。無理ならいいです。今のは俺の勝手な――」
「待って、椎名くん!」
哲朗は自分の目を疑った。
調が舞台から飛び降りて走ってきたのだ。しかもあろうことか、自分のすぐ手前で床に足を引っかけて、派手に倒れ込んできた。
「真山さん?」
どうしていいかわからず、哲朗はバランスをくずした調をとっさに抱き止める。
「わ、私も」
胸元で、小さく震える声がした。けれどもその響きは怖いくらいに必死だ。
「私も椎名くんと仲よくなりたいの!」
それから自分の体勢に気づいたらしく、調は慌てて哲朗から離れた。
「ごめんなさい!」
「い、いや。それより大丈夫ですか?」
「うん、平気。あの、仲よくっていうのは……もちろん友だちとしてだけど」
「ありがとう、真山さん。あ、そうだ。まずホテル代を返さないと」
「そんなのいいから」
「いや、そういうわけにはいきませんよ。せめて半額だけでも受け取ってもらわないと」
財布と紙幣を手に、哲朗と調はどちらからともなく顔を見合わせてしまう。
本当に話したいのは、そんなことではなかった。けれど出会い方も、その後の展開も変化球過ぎて、互いにこれからどうすればいいかわからなかったのだ。
さらに二人とも今は時間に余裕がある身ではない。
調は学内コンサートを間近に控えていて、哲朗も練習に身を入れ始めたばかりだ。たとえ親しくなりたくても、ふつうの学生みたいに一緒に遊びに行く暇はなかった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる