僕とピアノ姫のソナタ

麻倉とわ

文字の大きさ
28 / 32

第七楽章①

しおりを挟む
 会場は満席で、後方には立見も出ていた。
 学内コンサートとはいえ藤芳音大のそれは各科のホープがそろう演奏会なので、外部からわざわざ足を運ぶ客も多い。

 すでにひと組が演奏を終え、すぐ前のひと組も華やかなフィナーレに入っていた。次に舞台に立つのが哲朗と調のデュオだ。

 観客がいるので、今日は二人とも正装で、哲朗はダークスーツ。調は紺色のワンピースを着ていた。
 シンプルなデザインが彼女の清楚な美貌を引き立てているが、哲朗にはそれをほめる余裕もない。

「いよいよね」
「あ……う、うん」

 調に声をかけられ、哲朗はぎこちなく頷く。
 過去に参加したコンクールではいつもリラックスしていたのに、今日は信じられないくらい緊張していた。

「大丈夫よ、椎名くん。昨日のゲネプロだってうまくいったじゃない」
「まあ……そうなんだけど」

 実のところ、滝沢の交代はそれほど問題にならなかった。
 哲朗が師事しているヴァイオリンの教授も全面的にフォローしてくれて、準備期間は短かったものの、曲もなんとか人前に出せる程度に仕上がった。

 それなのに哲朗は不安でしかたがないのだ。

 今回は暗譜ではないからメモリースリップの心配はないし、ヴァイオリンソナタの第五番は超絶技巧満載の難曲というわけでもない。
 けれど哲朗はどうにも落ち着かず、ため息を繰り返してしまう。

 ひとりじゃないからだと思った。

 調と一緒だから、もし失敗したら彼女にも迷惑をかけてしまう。それが怖かった。

 出演が決まってからは、自分でもこれ以上できないくらいに練習したと思う。アンサンブルの指導をしてくれた教授もOKを出してくれたし、成功する自信だってある。

 それでもライブの演奏は水ものだ。哲朗は万一のことを考えずにはいられない。

 結果、本当なら調の隣にいるべきなのは自分ではなくて滝沢なのにとか、調のピアノには彼のヴァイオリンの方が合うんじゃないかとか、しかたのないことばかり次々と思いついてしまうのだった。

「椎名くん」

 とうとう哲朗は、調に名前を呼ばれただけで飛び上がってしまった。

「ねえ、そんなに心配することないってば」
「ごめん、真山さん。俺、なんかひとりでテンパッちゃって。こういう場って、久しぶりだから」
「本当に大丈夫よ」
「だけど」
「私、椎名くんの音を知っているもの。前に日記にも書いたでしょ? 高校の時に、コンクールでブラームスを聴いたって」
「でも、あれはずいぶん昔だし」
「こうなる前に……椎名くんが急にまじめになってから、私、何度か学内であなたが練習しているのを聴いたの。あの時のブラームスみたいな音だった」

 励ますような力強い声音に、哲朗は大きく目を見開く。

「一番好きな作曲家はブラームス。そうでしょ? さすがに好きなだけあって、ほんとにすてきな演奏だった」
「……ありがとう」
「それにベートーヴェンも好きって書いてあったよね」
「う、うん」

 日記を始め、最初に訊かれた質問の答え――そんな他愛ないやり取りを、調はちゃんと覚えていてくれたのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...