第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第弐部-Ⅱ:つながる魔法

109.紫鷹 紫鷹の不安

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目が覚めると、隣に日向がいなかった。
焦って飛び起き寝室を飛び出すと、机の前で日向が畝見(うなみ)と並んで、雑記帳を開いている。

「何をしてるんだ、お前は、」
「しおう、おはよ、」

跳ねた寝ぐせをそのままに、寝間着に上着を羽織った格好で、日向が笑う。

「起きたら、書きたいになった、」

見て、と無邪気に広げた雑記帳に「柘榴」や「帝国史」、「尼嶺」の字が並んでいて驚いた。
つい先日まで、ひらがなしか書けなかっただろう。それをたった一日学院に通っただけで、覚えたのか。
驚愕し、感嘆するとともに、不安がこみあげる。

「熱は、」
「さがった、だいじょぶ、」
「本当に?」
「うん、」

差し出された額に手を当てれば、確かに熱はない。

3日前、日向は初めて学院で講義を受けた。
魔法の個別授業では散々泣いたが、やはり楽しかったのだろう。学院から帰る馬車の中では、ずいぶんと楽しそうにおしゃべりが止まらなかった。
それが離宮に帰って、馬車から降ろそうと抱き上げた途端、ことりと眠りに落ち、次に目覚めたときには発熱して顔を真っ赤にしていた。

小栗は、疲れたのだろう、休めばよくなる、と言う。
けれど、日向は熱が下がれば動き回って大人しくしていられない。柘榴の世話や講義の復習、魔法の鍛錬と昼寝もせずにやるから、夕方になるとまた熱を出すのを繰り返していた。
これを、大丈夫だと言われたところで、俺は不安でたまらないよ。

それなのに、日向は見て見てと、心底うれしそうにはしゃぐ。

「…すごいな、どんんだけやってたんだ、」
「3時間ほど前には起きておられました、」
「だろうなあ、」

日向に呼ばれてつき合っていただろう畝見と視線が合う。
責めるわけではないが、そんな心配そうな顔をするくらいなら、頼むから寝室に戻してくれ。
寝室と居間が分かれた広い部屋に越したことを、少しだけ後悔した。

「しおうのしは、紫。紫色と同じ。おう、はむずかしい。でも、たか、はかっこいい、ね、」

何度も失敗しただろう鷹の字を、悔しそうに、それでいて嬉しそうに日向は眺める。
いつもだったら、努力家で一生懸命なその姿が愛しくてたまらないのに、今は俺を不安にさせた。
窓から差し込む朝日が日向の水色の髪を照らすと、光の中に溶けてしまいそうになるから、よけいに不安は増す。

ぱらぱらとめくる雑記帳に、数十ページに渡って、日向が新しく覚えた文字が刻まれているのを見ると、不安は恐れに変わった。


なあ、日向。
お前、学院でどれだけのものを吸収してきた。
何でたった一日で、こんなに大量の物を覚えて来るんだ。
そんな風に、お前は魔法も覚えてしまうのか。


そう恐怖したら、日向が嬉しそうにするのに、一緒に喜んでやれない。
たまらず、小さな体を引き寄せて抱きしめた。

「しおう、しんぱい?」
「心配すぎる。日向には悪いが、正直学院に連れて行ったことを後悔してる、」
「もう、行かない?」
「…そんなひどいことしないよ。でも、したくなるくらい、日向を失いそうで怖い、」

ごめんね、と小さな口が動いて、俺の腕に口づけてきた。
おそらく俺よりも俺の不安を感じ取っただろう日向は、だいじょぶと繰り返して、その体を抱いた腕に何度も口づけを落とす。
時折俺を見上げる水色の瞳が、不安げにゆらゆら揺れていた。

泣かせたい訳でも、困らせたい訳でもない。
まして、日向の努力を責める気もない。
ただ不安で仕方ない。

日向の世界が広がるほど、日向は俺たちの常識を超えていく。
日向の世界を知るほど、俺と違うことを実感させられ、遠ざかっていくような気がする。
日向の世界を広げてやりたくて、外に出すのに。
日向の側にいたくて、日向を知ろうとするのに。

どうして、お前は。



「…僕、がまんする?」
「は、」



不安に任せて小さな体を強く抱くと、腕の中から声がした。
その意味を図りかねて見下ろすと、不安げなのに真剣な水色の瞳と視線が合う。

「しおうが、しんぱい、はやらない、」
「何を、」
「もう字は、書かない、そしたら、しんぱい、しない?」
「いや、待て。そうじゃない。」

何を言っているんだと焦ると、水色の瞳からほろほろと涙が零れて余計に焦った。

「ちがう、日向。ごめん、」
「僕のせい、」
「日向のせいじゃない。泣くな、俺が悪いんだって、」
「やだ。しおうが、しんぱいが、いや。しおうが泣くが、いやだ、」
「ごめん。お願いだから聞いて、日向、」

涙を拭ってなだめようとするが、日向はもう赤ん坊のようにわんわん声を上げて泣き出す。
やばい、泣かせた。

日向はただ努力しただけなのに。
それを、俺が勝手に不安になっただけなのに。

隣の畝見の気配が急激に恐ろしいものに変わっていく。隣の部屋から、夜番の従僕と侍女が駆けてくる気配もした。少し離れた位置から駆けて来るのは、俺の護衛と萩花か。
その気配が恐ろしくて余計に焦った。

何より、俺のせいで日向が泣いている。

「日向が頑張っているものを取り上げたい訳じゃないんだよ。俺だって、日向のできることが増えるのは嬉しいの。ただ、日向があんまり急激に成長するから、俺がついていけなくて怖かった、ごめん、」
「ぃぁい、もぅ、しなぃ、」
「頼むからそんなこと言わないで。日向がやりたいことは全部やっていい。」
「ぇぉ、しぉは、しん、ぱい、」

いつか、日向が俺の感情に反応して無意識の魔法を使ったことを思い出して、背中が冷たくなる。
あの時、俺が不安や恐怖に駆られるほど、日向は俺の感情に目ざとく反応すると学んだし、強くならねばならないと心に刻んだのに。

でも、あの頃以上に、俺は日向が大事だ。
その上、日向が簡単に俺の手を離れる術を持つことを知ってしまった。
心配するなと言うのは、無理だろう。


呼吸さえ怪しくなってきた口に、何度も口づけた。
言葉が伝わらないなら、もう体で教えるしかない。


部屋に入って来た史宜(しぎ)と水蛟(みずち)が、泣きじゃくる日向と必死にそれを宥める俺を見て、殺気にも似た気配を放つのが分かった。多分、振り返ったら二人ともものすごい形相で俺を睨みつけている。
遅れて入って来た古月(こげつ)と萩花は、二人の気配から何かを察したせいか、扉を静かに閉めた後は、冷ややかな気配を隠しもしなかった。

恐ろしいが、泣かせた責任は取らねばならない。

口づけのせいか、酸欠のためか、日向の体からくたりと力が抜ける。
だけど、涙は止まらないし、小さな口は嗚咽の合間に、嫌だと繰り返すから、ひたすら謝って、額や頬に口づけを落とした。

「ごめんな、日向、」

日向を泣かせたいわけじゃない。
本当だよ。
でも、どうしたらいいか、正直俺も分からない。

俺が日向の安心になるはずだったのにな。
日向が安心して外に飛び出せるように、俺が守ってやるはずだったのに。

俺は、お前が心配で、心配で、たまらない。


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